女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (27)

 一部では王妹の婿候補とされている第五騎士団副団長は、その日、一人の傭兵を連れて王宮を訪れていた。門番に告げた訪問目的は王妹のご機嫌伺いである。名門の出で、広く顔を知られているカリュート本人はともかく、得体の知れぬ傭兵を王宮に入れることに門番は難渋の色を示したが、陽神殿のトーヴァ女神官の紹介状を見せたところ、すんなりと通した。そんなに偉い女神官なのかとしきりに首をひねる傭兵のガザンにカリュートは笑いをこぼした。
「偉いというより、怖いんだ」
 その説明はガザンを納得させるに十分だった。知り合って間もないが、トーヴァの怖さは身に染みているのだ。
「あんたも相当のもんだと思うがな」
 怖い女神官の神経を平気な顔で逆撫でする男は肩を竦めた。
「私が?私なんてまだまだ。王妹殿下のそばにはもっと怖い番犬がいるよ」
「番犬?」
「そう。目付きの悪い図体のでかい番犬でね。ちょっとでも不審な動きを見せたら、終わりだよ」
 ガザンは顔をしかめ、不信感に満ちあふれる目をカリュートに向けた。
「あんた、それは俺を牽制してんのか?」
 とんでもないとカリュートは大袈裟に首を横に振って見せた。
「親切心だよ。あれを相手にしたら、トーヴァ女神官だって慈悲深い女神に見えるだろう」
「冥府の女神か?」
 さすがは長年傭兵暮らしをしているだけあって、人を見る目があるとカリュートは声を立てて笑った。
 幾度か角を曲がった後、二人は庭に出た。庭を突っ切った方が早いのだとカリュートは説明した。この時間なら、王妹は訓練場にいるはずだ。
「一介の傭兵の身で、本当に王妹に直接会うのか?」
「傭兵部隊を率いるのは王妹殿下だ。騎士団の方は使いにくいと言ってね」
 その言葉にガザンは首を傾げる。普通は逆のはずだ。しかし、それを気にした様子もなくカリュートは先を続ける。
「それで傭兵部隊の核になる人物を欲しがっていらっしゃる。聞いた所、君はなかなか人望があるようだし、適役だろう?」
 エセルの手紙を受け取ってすぐにトーヴァはこの傭兵の身辺を調べさせていた。際立った腕を持つわけではないが、堅実な戦い方をする男で、その判断力には一目を置かれているというのが大体の風評だった。
「王妹殿下は女王陛下と違って面食いではないし、気にいってもらえると思うよ」
「そうだといいがな」
 陛下の目に触れたら見苦しいという理由でつまみ出されるぞとトーヴァに脅され、泣く泣く髭を剃ったガザンは涼しくなったあごを撫でている。王妹も面食いだったら、髭を剃ったくらいでは到底雇ってはもらえない面構えだ。しかし、女王の人なりを知れば、女王に気にいられない自分の顔に感謝することになるだろう。
 訓練場の端で一休みしていた騎士見習い達がカリュートに気付き、慌てて立ち上がって礼をとった。カリュートはにこやかな笑顔でそれに応えた。
「中央で剣をふるっている女性が王妹殿下だ」
 言われてガザンはそちらに目を向け、頷いた。変幻自在な太刀筋は、国仕えの騎士よりも歴戦の傭兵に近い。何故、王妹がと不思議に思えども、傭兵慣れしているのであれば、命令への絶対服従を基本とする騎士団は使いにくいだろう。
 ガザンがそちらに気を取られている間に、カリュートは無愛想な近衛騎士の青年に近付いた。
「やあ、ウェイ。王妹殿下に客を連れて来たよ。傭兵を欲しがっていただろう?」
 灰銀色の目で青年は傭兵を一瞥し、軽く頷いた。まだ王妹を眺めているガザンに、カリュートが声をかける。
「ほら、ガザン、これが王妹殿下の番犬」
 怖いだろうと目の前で言ってのけるカリュートの方が余程怖いというのが、その場にいた騎士見習い達の正直な思いだ。彼らはウェイが怒るところを見たことはないが、そんなものは一生見なくていいと願っている。幸い、これくらいのことでウェイが怒ることはなかった。
 ガザンは淡々としているウェイを見て眉を寄せ、何か考えこんでいたかと思うと、意外な言葉を口にした。
「おまえ、リュイの息子のウェイだろ?」
 微かにウェイが眉を動かした。感情のこもらない灰銀の目で傭兵を見据える。
「覚えていないか?ちょうど十年くらい前、リュイの世話になったんだが」
 記憶力がずば抜けていい青年はガザンを覚えていた。
「……霄鏡王国での護衛の仕事で、妻に色目を使ったと雇い主に殺されかけたんだったな」
「濡れ衣だって何度も言ったろうが。どうしてそういう余計なことを覚えてやがるんだよ、おまえは。しっかし、おまえ、でかくなったなぁ」
 苦笑しながらガザンはウェイを見上げている。
「リュイも一緒か?あれだけの腕なら、いつだって王宮仕えになれるとは思っていたが」
「死んだ」
 その言葉に信じられぬとガザンは目を見張った。
「まさか…」
「寿命だ」
 そう告げられたガザンは開きかけた口を、途中で止めた。寿命と言われる程の年齢には見えない外見だったが、リュイの何かが違うことを彼は感じ取っていたのだ。それにあの女騎士が誰かに殺されたなどということがあるはずがない。息を吐いてから、ゆっくりと口を開く。
「そうか、残念だ。……あれはどうした?お前にくっついてた妹分は?」
「生きている」
 そっけない言いように怯むことなく、ガザンは大仰に溜息をついた。
「おまえ、中身はあまり成長してないな」
 ぷっとカリュートが噴き出す。しかし、ウェイに動じる様子はない。
 子供の時からこうだったんだと騎士見習い達がささやき合う声がする。
「無駄口をたたかないってのも悪かないがなぁ。少しは喋る必要もあるぞ」
 リュイもそうだった。息子よりはまだ口数は多かったが、それでも一般的な人間よりは喋ることが少なかった。
「アシュリーズ様」
 騎士見習いの相手を終え、こちらに向かって来る王妹にカリュートが声をかけるのを聞いて、ガザンは頭だけ動かして王妹の方を見遣った。それから再びウェイに目を戻した時には、なんとも複雑な表情になっていた。
「アシュ……リーズ、様?」
 わざと区切って発音された名前にウェイが頷いた。
「なんで王妹なんかになってんだよ?」
「先王の娘だからだろう」
 いや、だから、そうじゃなくてとガザンはがしがしと髪をかきまわした。
 確かに、リュイはリーズという娘を預かり子だと言っていた。しかし、どう見ても身分の高い人間の娘を育てているようには見えなかった。同じ傭兵、せいぜい下っ端騎士の娘なのだろうと思っていたくらいだ。
「この国では双子は成人するまで別々に育てることになっている。下手にその辺りの貴族に預けるよりは、かの女騎士に預ける方が安全だと先王が判断されたということだよ」
 ウェイの答えでは分かるまいとカリュートが言い添える。
 確かにそうかもしれないとガザンは呟く。どうして国王が傭兵であるリュイのことを知っていたのかは疑問だが、彼女ほどの騎士ならば、上位の貴族の目に留まることもあるだろう。そして、事実、王の娘は無事に成長してここにいる。
 近付いて来た王妹にウェイが短くガザンのことを告げる。王妹は覚えていたのか、軽く眉を上げ、まじまじとガザンを見た。
「あのガザン?雇い主に殺されかけて、逃げるのをリュイに助けてもらったガザンか」
「……覚えてくれているのはいいが、どうして、そういうことばかり覚えているんだ」
 ガザンの呻きに王妹は微かに笑みを見せた。
「ウェイの父親に要領の悪いところが似ているとリュイが言ってたから、印象に残ったんだ」
 このやり取りを聞いていたカリュートはちらりと近衛騎士の青年を見遣った。
 ある点においてひどく要領の悪いところは父親譲りらしいと意味深な笑みを浮かべたが、ウェイは頓着しなかった。
「王都に入っている傭兵について話が聞きたい。時間はあるか?」
「当然。俺は『王妹殿下』に雇ってもらうために来たんだ」
「それは好都合だ。カリュートは?」
「私はアシュリーズ様のご機嫌伺いが目的ですからね。一緒にお茶をいただくことに何ら異存はございません」
 笑顔でお茶を飲ませろとカリュートは要求している。この男がいれば、自分で茶を入れてくれるので侍女の手を患わせなくてすむとアシュリーズは承知した。
 騎士見習い達に解散を言い渡し、王妹はカリュート達を引き連れて訓練場を後にした。
「カリュート殿とウェイ殿って、なんか怖い組み合わせだよな」
 見送りながら、ぼそりと騎士見習いの一人がつぶやく。
 どちらも何を考えているかさっぱり分からない。前触れもなく、いきなり斬りつけてくるような人間だ。
「あの傭兵の人も結構、すごいわよね。いくら昔なじみだからって、ウェイ殿と普通に話しているし」
 笑いを含んだ声で騎士見習いの少女が言う。
「それは、ほら、カリュート殿が連れて来たくらいだから」
「大体、陛下の近くに、いわゆる『普通の人』がよって来るはずないだろ」
 騎士見習い生活も二年目になると、王宮の事情がよく分かってくるものだ。雑談に区切りをつけると少年少女達は午後からの任務に就くべく移動を始めた。


 琥珀色の二対の目が書簡に注がれていた。
 一方は文字を追っているが、一方は不規則に紙面の上をさまよっている。
 文字を眺めるのにも飽きたのか、世継ぎの君は母親のひざから降りようとして、そのまま転げ落ちた。だが、床まで落ちる前にさっと父親が手を伸ばし、小さな体をすくいあげた。嬉しげに声を上げて、アールディオは父親に抱き着く。
「放っておけばよかろうに。少しは痛い目に遭わぬと何が危険か一向に学習せぬぞ」
 床の上には敷物があるし、落ちたところで、たんこぶを作るくらいだ。そう女王が言えば、その夫は苦笑した。
「母子関係に亀裂が入りますよ」
「すでに亀裂なら入っておる。先日、紫珠の実を食べたそうな顔をしていたので、食べさせてやったらものすごい抗議の声を上げたぞ。それ以来、私が差し出すものは口に入れぬようになった」
 何食わぬ顔で言う女王に夫は頭を抱えている。紫珠は観賞用の植物で、その実は毒にこそならねども、渋くてとても食べれたものではない。
 幼い世継ぎの君がどう考えたかは分からないが、彼にとって母親がこの世で一番信頼できる存在でないことは確かだ。その一方、父親のことは間違いなく一番信頼しているであろう。
「クルス・アディン、この情報は確かなのか?少し王都から離れ過ぎている気がするが」
「まず間違いはないでしょう。そこに何かがあることは、かなり前から報告がありましたから。ただ何なのか分からなかっただけです。警戒がひどく厳しく、迂闊に近付けないような場所はそこと王城くらいのものだとか。おまけに王が足を運んだ形跡があるというのですからね」
「ふうむ。通称、霧の谷か。名前からして、うさん臭いな」
 黙って女王夫妻のやり取りを眺めていたユリクはその地名に眉を寄せた。
 聞いた覚えがある。最近というわけではない。森緑王国の地名となると、話題にしたのはエセルくらいだが……。ユリクは丹念に記憶をたどってから、口を開いた。
「陛下、少しよろしいでしょうか?」
 ユリクの声に女王は顔を上げた。琥珀の目で真っ直ぐに近衛騎士を見据える。
「なんだ、ユリク?」
「その地名、例の『操り人形作り』と関係したものですか?」
 隣国の王がなした、人を操る術を施すことを女王は操り人形作りと呼び、その呼び名が近衛騎士の間では定着していた。魂のない抜殻などすでに人ではない。
「そうだが、それがどうした?」
「アティスの故郷がその近くの村です」
「アティスの?」
 世継ぎの君の小さな守役である少年は今はこの場にいない。女王と同じく休憩中の養母のもとに行っている。遊び仲間の名が呼ばれたことに世継ぎの君が反応して、女王と同じ琥珀色の目をユリクに向けた。
「確か、野盗に襲撃されたらしいとのことだったが」
「はい。ただ、食糧が略奪された形跡がなかったから、ひょっとしたら正規軍が退屈しのぎにやったのかもしれない、ともエセルは言ってました」
 アティスを除いて、村人は全て殺されていた。アティスも見つかっていれば、殺されただろう。それは口封じのためとも考えられる。
 女王は思い切り眉根を寄せた。
「『人形』を試しに使ってみたかもしれないというわけか」
「ええ。戦で捕虜にした騎士で、新たに『人形』を補充したとも考えられます」
 エセルは参戦した小競り合いが終結してすぐに帰国したわけではない。まずはリヴィーの身柄を引き取りに行き、それから北に大回りして南陽王国に戻ったのだ。その途中でアティスを拾った頃には一月以上経過していただろう。
 事実だとすれば、ますます腹の立つ男だと女王は吐き捨てた。母親の剣幕に脅えてか、世継ぎの君が父親にしがみついた。クルス・アディンは息子の頭をなだめるように、なでながら、ゆっくりと口を開いた。
「我国の騎士を使われぬよう、予防策としてそこを潰しておきますか?」
 その言葉を理解できるのであれば、世継ぎの君はますます脅えたに違いない。
「……いや。こちらが、操り人形の存在に気付いていることを知らせるのはまずかろう。戦場で『元』を断てばよいことだ」
 女王は書簡をたたんで小卓に放るとユリクに向き直った。我知らずユリクは背筋を伸ばした。
「ユリク、ノウィンに伝えておけ。この国において戦場に立てぬ魔法士は不要、とな」
「畏まりました」
 近衛騎士の若者は胸に手をあて正式の礼を取った。ただの言づてであれば、ノウィンと親しくしているフィルに任せるのが妥当だが、これは違う。ノウィンに決断を迫る役割をユリクは命じられたのだ。性根の優しいフィルには向かない仕事だ。
「さてと……アールディオ」
 女王はゆっくりと立ち上がり、夫の胸に抱かれている我が子と視線を合わせた。琥珀の目が見詰め合う。
「そなたには前々から言っておかねばなるまいと思っていたのだがな。クルス・アディンはそなたの父ではあるが、そなたのものではなく私のものだ。クルス・アディンにへばりつけるのは私の寛大な許しがあってこそ。当然の権利と思うでないぞ」
 そんなことを幼子に言って何になるのか。おそらく女王の気が済むだけのことだろう。
 意味は分からずともここでおとなしく頷くなり、黙っておくなりすれば良かったものを、世継ぎの君は紛れもなく女王の息子だった。
「やーっ」
 思い切り拒否の声を上げ、世継ぎの君はぷいっと顔をそむけた。
「なにが、やーっだ。私はただ生まれて来ただけのそなたと違って、苦労してクルス・アディンを獲得したんだぞ」
 苦労したのは女王ではなく周囲の人間だったはずだが、そんなことは女王にはどうでもいいことらしい。
 生得の権利なぞ認めぬぞという女王に、アールディオはいやいやとひたすら首を横に振る。
 反抗期なのだろうか。
 いつの間にか守役の肩書をつけられてしまったユリクは注意深く世継ぎの君を見守った。見たところ、反抗というより単に楽しいから頭を振っているようだ。
 わけの分からぬことを言う妻とわけの分からぬ行動を取る息子、さらに真面目な顔でその様子を観察している近衛騎士に囲まれたクルス・アディンはどこか遠くに視線をさまよわせていた。