女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (28)

 世の中言ってはならないことがある。
 母と義理の弟妹とともに街に出掛け、一家団欒を楽しんでいた近衛騎士は溜息をつきそうになりながら、義妹を抱いていない方の手で義弟を引き寄せた。心配そうに見上げて来る義弟の頭をなで、大丈夫だよとフィルは笑顔を向ける。
「母さんは強いからね」
 特に怒っている時には。
 三人の母親は笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「今、なんて言ったのかしら?」
 給仕の少女を脅し付け、料理代を踏み倒そうとしていた男はその艶然とした様に気を呑まれたかけた様子だったが、そんな自分の臆病さを振り払うように再び禁句を口にした。
「うるせぇんだよ、年増」
 多分、その場にいた人間のほとんどは何が起きたのか理解できなかっただろう。一瞬のうちに暴言をはいた男は白目を剥いて床に伸びていた。
 騎士能力保持者でなくて命拾いしたなとフィルは心のなかで呟いていた。騎士であれば、一撃で沈められることはなく、早く気絶したいと思うくらいに時間をかけて痛め付けられたことだろう。
「『女性、老人、子供には優しく親切に。これら三者へ害を及ぼす者にかける慈悲はなし』、これが我家の家訓。よく覚えておくのよ、アティス、リヴィー」
 ほつれ髪を耳の上にかきあげながら、イェナはにっこりと子供達に笑いかけた。目を円くしていたアティスは慌てて頷いた。フィルの手を握る力が強くなったのは気のせいではない。もともと賢い子だから、アティスが家訓を忘れることはないだろう。一方、リヴィーの方は、分かっているのかいないのか、きゃっきゃっと喜んで声を上げている。さすがは幼くとも騎士能力保持者というところだろうか。
「リヴィーも早く大きくなって、悪い人を懲らしめるのよぉ」
 そんなことを言いながら、イェナがリヴィーを抱き取り、フィルは微かに眉根を寄せた。
 この言葉、この抑揚、なにか聞き覚えがある。間違いなく、自分が幼い頃にも同じことを言っていたに違いない。そう言えば、よく父親に抱かれたまま、母親が「活躍」するのを手をたたいて応援していたような気がする。
 そして、その時、父親は仕方ないなとばかりに苦笑を浮かべていた。今はその気持ちがよく分かる。
 しみじみとした思いに駆られている息子にイェナは声をかけた。
「それ、外に出しておきなさい」
 それとは間違いなく気絶している男のことだ。イェナは店の奥に向かってさっさと歩き出している。素直にフィルは言い付けに従い、ひょいと片手で男の体を持ち上げると店の外に向かった。邪魔にならぬよう、やや離れた小路まで運び、壁に背をもたれて座らせる。目を覚ましたら、残る痛みに顔を歪めることだろう。
 その頃、店にいた人々は顔を見合わせ、その名を口に上らせ、確認しあっていた。
「近衛騎士のイェナ様だよな?」
 帯剣もせず、貴婦人そのままの姿で裾ひとつ乱さず男をのすことができる美女となれば、その人物しか思いつかない。
「……それに、その息子さんのフィル様よね?」
 母親似の容貌に加え、南陽王国ではずば抜けて背が高い若者は、今のところ「イェナ様の息子」として有名だ。それもそのはずで、同じ状況に出くわした場合、間違いなく母親と同じ行動を取るからだ。
 再び店に戻り、お騒がせしましたと笑顔を向けて、店の奥に入って行く近衛騎士の若者を見ながら、人々は再び首を傾げた。
 近衛騎士親子が店に現れ、男をのしたことより何よりも、人々の心を捕えて離さなかったのは、明らかに成人している息子を持つイェナは果たして何才だろうという禁じられた問いかけだった。
 フィルが奥の間に入ると、母親が一人の男と挨拶を交わしていた。
 黒髪には白いものが混じり始めていたが、中年と呼ぶにはまだ早い、物腰の柔らかな男だった。
 どこかで見かけたことがあるような気もするのだが、思い出せない。
 誰だっただろうと内心首を傾げていると、男がフィルに向かって名乗った。
「はじめまして。このたび洸国王より臨時大使に任命されたルメル・クーです」
 その名を聞いてフィルは納得した。洸王国の古狸、もとい、大使の名はザイ・クーという。目の前にいる男は、かの人物の近親者に違いない。おそらくは息子だ。ちょうど彼を若返らせて、さらに痩せさせたらこんな感じになるだろう。
「はじめまして。フィル・ファイサールです」
 すぐにフィルは名乗り返した。もっとも、名乗るまでもなく、先方は自分のことを知っていただろう。大使が情報を流しているはずだ。
「こちらはもう一人の息子のアティスと娘のリヴィーですわ」
 イェナの紹介にルメル・クーはおやと首を傾げた。
「いつのまにか御家族が増えたのですね。父からは息子さんは一人だけだと聞いておりましたが」
「ええ、つい最近のことですのよ。お父様はお元気?」
「はい。頭痛がするとは申しておりますが、いつものことですし。くれぐれもイェナ様にはよろしくと申しておりました」
 ルメル・クーは少し笑ってから、更に続けた。
「故国では、美人の顔を見ながら茶を飲むことができないので残念だとこぼしていますよ」
「私もお父様のお戻りを楽しみにしてますのよ。貴重な茶飲み友達ですもの」
 この「茶飲み」は、第三者からすると、物騒な話題で何故にそんな和やかな雰囲気を醸し出せるのか不思議でたまらないようなものだった。
 ルメル・クーもその父親と同じ種類の人間だろうか。
 そうであれば、とてもでないが、自分には太刀打ちできない。
 軽い食事をとりながら、母が臨時大使と談笑する間、フィルは弟妹の面倒をみることで傍観に徹したのだった。


 銀髪の魔法士は王宮で特にすることがない時は女薬師の手伝いをよくしている。
 そうフィルから聞いていたアシュリーズは、自室に魔法士がいないのを知ると王宮の西にある小さな建物に向かった。女薬師が、騎士見習い達に言わせると「隔離」されている場所である。隙あらば人を実験台にすることで女薬師はひどく恐れられているが、アシュリーズは未だ被害に遭ったことはない。それゆえ、アシュリーズはその建物の中に足を踏みいれることにためらいを持たなかった。
「珍しいですね、アシュリーズ様がおいでになるなんて」
 香草油と何かを混ぜ合わせて、塗り薬のようなものを作っていたシィンは王妹の姿を認めるとそう言った。予想通り、その傍らで手伝いをしている魔法士が会釈をする。
「誰かこっそり始末したい人でもできたのですか」
「いや、その時は自分でやるからいい。ノウィンに用がある」
 王妹の返答にシィンは小さく噴き出し、お茶を入れますねと言って笑いながら奥に姿を消した。その後ろ姿を見送るアシュリーズはわずかに首をかしげた。
 何がおかしいのか、わからない。
 自分のことは自分でするという習慣が身についたアシュリーズにとって、自分が始末したい相手は自分で始末するという考えは至極当然のことだったのだ。
「私になにか?」
 材料をこねる手を休めてノウィンがまっすぐに王妹を見た。やわらかな灰緑色の瞳は白いにこ毛に覆われた新芽を思わせる。
「ノウィンは北の神殿にいる『純血種』と知り合いだそうだな」
 前置きもせずにアシュリーズが話を切り出すと、ノウィンはわずかに目を見張った。
「アシュリーズ様も彼をご存じなのですか」
「ウェイから聞いただけだ。彼から古代魔法を教わったというが、血縁関係があるのか?」
 婉曲的な言いまわしにはほど遠い王妹の言いように、ノウィンがひるむことはなかった。
「彼は私の遠い先祖だと聞きました。血が蘇ったのが不思議なくらいだとか」
 長い年月、彼は自分の子孫を見守っていたらしい。だが、古い血が蘇ることはなく、安心していたところに、ノウィンが現れたのだという。彼女はウェイほどに純血種の血を色濃く受け継いだわけではないが、純血種にしかわからぬはずの魔法の「網」を見付け、それをかいくぐって彼のもとにたどり着いたのだ。先祖返りというより、むしろ突然変異らしい。
「……他にも彼が手ほどきした者がいただろうか?」
「彼が魔法を教えるのは数百年ぶりだと言っていました」
 自分の子供以外に教えたことはなかったという。その子供さえも、ノウィンほどに古代魔法を使いこなすことはなかったらしい。
「そうか」
 彼が隣国の王に技を伝えた可能性はないということかとアシュリーズは一人頷いた。
「彼に純血種の知り合いが何人くらいいるか知っているだろうか?」
「私が聞いたところでは四人です。そのうち一人は私が生まれる以前に気配を断ったそうです。ほかには彼のように神殿に暮らす者、山奥で隠遁生活を送っている者、騎士として放浪し続けている者がいると言ってました。最後の方がウェイ殿の母君だったと思われます」
 アシュリーズが養母から聞いた生存している純血種の数は三人だった。気配を断ったという純血種を亡き者と考えれば一致する。
「……私は森緑王国の王は純血種から古代魔法を教わったのではないかと思うのだが、ノウィンはどう思う?」
「私もそうだと思います。いくら、古代の文献が残っていたにしても……いくら強く血が蘇ろうと、一人であれほどに魔法を使えるようになれるとは思えません」
 はっきりした口調でノウィンは答えた。
「ノウィンとあの王とでは、魔法力の強さ自体はさして変わらぬものの、器用さではノウィンが遥かに勝るというのがウェイの判断だ。ノウィンが一人で習得できるとは思えぬ魔法を使うのであれば、あの王に『師』がいたことは間違いないな」
 問題はその「師」が絡んでくるかどうかだ。今は王の周辺にその気配を感じることはないというが、いきなり「教え子の危機」に駆けつけられても困る。山奥の隠遁者が教師でないことは確かだ。彼とはアシュリーズ自身、面識があったが、道を誤った弟子を放置するような人間には見えなかったし、その上、彼は人づてに警告をウェイに寄越した。残るはもう一人の神殿暮らしだ。その人物は清流王国にいると養母から聞いていた。そちらも人との関わりは極力持たないでいるらしいので、「師」である可能性は低い。もっとも妥当だと思われるのは、ノウィンが生まれるより前、おそらくは二十年ほど前に気配が途絶えたという純血種だ。その人物は養母と同じように、人の世をさすらっていたとのことだった。
 確定できないが、真偽を確かめるために、清流王国までウェイかノウィンを派遣している時間は無い。
「ノウィンは純血種が魔法を使わずとも、近くに来れば、分かるか?」
 次善の策を考えながら、アシュリーズは尋ねた。「純血種」に先手を取られたら、ウェイであっても無傷では済まされず、さらには傷を負った身で「純血種」を倒すことなど不可能だ。
「ぼんやりとでしたら。しかし、私よりもウェイ殿の方が察知しやすいのではないのでしょうか」
「いや。魔法を使わない限りは無理らしい。魔法騎士がいるとは分かっても、それが純血種か否かは見分けられないそうだ」
「そうなのですか」
 ノウィンは不思議そうな顔をしている。自分にできるのに、自分より血を濃く受け継いでいるウェイにできないことが腑に落ちないらしい。
 「純血種」の接近をノウィンが知ることができるのであれば、打つ手はある。純血種であれども、瞬時にして移動することは不可能なのだから。
「なにやら難しそうなことを話していらっしゃいますね」
 お茶を手に現れたシィンがのんびりと声をかけた。
「シィンの作る薬の調合ほど難しくはないだろう」
「そうでしょうか。……このお茶には何もいれてませんから、安心してくださいね」
 やんわりと微笑んで、ことわりを入れる薬師にアシュリーズは眉根を寄せた。
「私に薬を盛る必要はないだろう?」
「アシュリーズ様は実験台として、とても魅力的ですよ」
 ただ保護者が怖いんですとシィンは笑った。
「ヴェルシュ殿には、陛下の命令だろうと本人の承諾なしにアシュリーズ様に『妙なもの』を飲ませたら、即、王宮から追い出すと言い渡されてますし。言い訳の通用しないウェイ殿は絶対に敵に回したくないですし」
 そういうことかとアシュリーズは納得した。あの二人をまとめて刺激するのは得策ではない。過去にそういう愚行を犯したものが何人かいたが、その多くは冥府に送り込まれた。
 あまり似ていない二人だが、自分が守ろうと決めたものに手を出す者には容赦しないという点においては、よく似ている。
「そう言えば、以前、眠り薬を使ったことがあるが、あれはシィンが調合したものだったのだろうか」
「いつのことですか」
 お茶の入った器をそれぞれに渡しながらシィンがきく。
「多分、六年くらい前だな」
「その頃でしたら、祖父が生きていましたから、祖父の調合したものかもしれませんね。私はまだ薬師の資格を得たばかりでしたし、ヴェルシュ殿の信用もなかったですし」
 今も信用があるとは言いがたいですけれどとシィンは笑った。
「……失礼ですが、シィンさんはおいくつなのですか」
 黙って二人のやり取りを聞いていたノウィンが質問を発した。六年前にすでに薬師の資格を得ていたということが意外だったのだ。
 にこりとシィンは笑った。
「秘密です。ノウィンさんより年上であることは確かです」
 聞くまでもなくわかることしかシィンは答えなかった。
 南陽王国の女性は二十歳を超えると自分の年齢を口にしたがらない傾向にあることを学んでいたノウィンはそれ以上の追及はしなかった。
 イェナという例がある。偶然、彼女の息子と話すうちに知ってしまった彼女の実年齢は外見年齢とあまりに一致しないものだった。知らなくてもいいことが世の中にはあることをノウィンは学んでいた。
「どうしてそう年齢を隠したがるんだ?」
 そういう女心を理解できないアシュリーズは素直に疑問を口にした。
「薬の売れ行きに関わるからです。大抵の男は若い女に弱いですからね」
 王宮を訪れる貴族の若君相手に薬を売りつけている薬師の答えにアシュリーズは納得した。
「若いと侮らせて、足元をすくうわけだな。わざと隙を見せて、相手の攻撃を誘い込むようなものか」
「そうなりますね」
 二人のやりとりに、何か違うのじゃないかとノウィンは思ったようだが、お茶の立てる湯気越しに薬師を見やっただけだった。おかしいと断定するには、ノウィン自身も「女心の機微」に疎い。
 まだまだ学ぶことが多いと魔法士が考えている横で、王妹と薬師はどこか噛み合わない会話を続けていた。


 なんなんだろうな。
 赤毛の少年は自分の置かれた状況をどう判断すべきか迷っていた。
 行動を共にしていた、というより、彼が一方的について回っていた女騎士は、いつのまにか宿から姿を消したかと思うと、明け方近くに奇妙な格好で戻って来た。
 明らかに娼婦と思われる服装で、鮮やかな紅を引いた唇に人の悪い笑みを浮かべて。
 夜通し賭け事に興じていたオルトの、何やってたんだよという問いかけに、エセルは悪だくみとだけ答えて、さっさとねぐらにしている部屋に引き上げた。
 そして昼前に出てきた時はいつも通りの男装で、手には書簡を握っていた。
「頼みがあるんだけど」
 やなこったとファギルの代わりに答えたオルトを無視して、エセルは書簡を差し出した。
「南陽王国に行ったら、これを神殿に届けてほしいんだ」
「俺はエセルが行かないなら、行かないぜ」
 自分に渡しても意味がないとばかりにファギルが言えば、エセルは肩を竦めた。
「ま、もしもの時に備えてってやつ。念のため、預かっててほしいんだ」
 遺書なんて殊勝なものをエセルが書くはずはない。一体、どんな危険な情報が記されているのかとファギルが訝しみ、躊躇っているとエセルは書簡を引っ込めた。
「いいよ、その気がなければ、他の奴に頼むから」
「別に預からないとは言ってないだろ。何するつもりなんだよ」
「言うわけないだろ」
 分かりきっていた答えだ。諦めてファギルは手を出し、受け取った書簡の宛先を見て顔をしかめた。
「トーヴァ女神官ってあれだろ?強くて、強引で、血も涙もない辣腕のおっそろしい女神官」
 エセルは面白そうに眉を上げた。
「オルト殿からでも聞いた?」
 この女神官とはファギルの父親も顔見知りなので、そちらから聞いた可能性もないわけではないのだが、エセルは最初からその可能性を切り捨てていた。恐ろしいなどという形容を、あの戦神と呼ばれる男が使うはずがないからだ。暁王国の将軍ならば、「いい女」だとでも言いかねない。
「俺がそんなこと名指しで言うはずないだろ。どこから耳にはいるか、わかんねぇんだから」
 胡散臭いものを見る目で書簡を眺めていたオルトが言う。
「ラズィールだよ。あいつが金を積まれても手を出したくない女の筆頭にこの女神官の名前を挙げてた」
 ファギルが父親の側近の名前を告げるとエセルは頷いた。
「手軽に手に入るものにしか手を出さない根性なしのラズらしいね」
「おい、エセル。それは根性とはまったく別問題だと思うぞ。あれを女として見ることができる男なんて、滅多にいないからな」
 オルトの目から見れば、かの女神官は女以前に人間にすら見えていないに違いない。
「自分を基準にするのはどうかと思うけど。じゃ、よろしく」
 エセルはひらひらと手を振って踵を返した。
「どこ行くんだ?」
「例のとこに雇われに。ついて来るなよ、邪魔だから」
 振り向きざまに笑顔で釘を刺され、ファギルはその場に立ち止まった。ついて行きたいのは山々だが、そうした行動をエセルは嫌がる。
 主に置いてきぼりをくらった犬のようだとオルトは思い、ため息をついた。
「あいつは、やめとけって。ろくなことにはなんねぇからな」
 オルトの「予言」は的中した。
 王城付の騎士隊が、間者を捕らえるという目的で彼らのいる宿屋に踏み込んできたのは、その日の昼過ぎのことだった。