女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (29)

 二人の男が路地裏に身を潜めていた。
 逃げ足の速さなら折り紙つきの騎士能力保持者達は、不意打ちをかけられたものの、楽々と追っ手を振り切り、狭い通路が複雑に入り乱れた地区に逃げ込んだのだ。
 余程の間抜けでもない限り、門は彼らを捕獲すべく送り込まれた騎士隊の手に押さえられているはずだった。こういう時は下手に外に出ようとするより、ほとぼりが冷めるのを待つ方がいい。
 周囲に人の気配のないことを確認し、オルトは路地に打ち捨てられた木箱の上に腰を下ろした。
「だから、やめとけって言ったんだ」
 あいつに関わったら、ろくなことになんねぇんだからとこぼしながら、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわす。
「……はめられたってことか?」
 同じように腰かけながら、赤毛の少年が呟く。ほとんど無意識のうちに懐にねじ込んだ書簡を指先で確認している。
「あいつが尻尾をつかませるような真似をするはずないだろうが。わざと情報を流さない限り、こんなにすぐに足がつくかよ」
 オルトは迷いもためらいもなく断言した。
「要するに俺が邪魔ってことだよな?」
 微かに首を傾げている少年にオルトは緑の目を向けた。
「確かに、目立ちたくない場合、お前はすっごく邪魔になるな」
 図体がでかいとか、東方人だからというだけでなく、この少年は人目をひくのだ。
「だけど、それだけでもないんじゃねぇか」
「他にもあるのか?」
 オルトは頷いた。目立ちたくないだけなら、逆にこの少年に人目を引かせることで、自分は影に沈むことも可能だ。
「あるだろうよ。誰かの目を暁王国に向けさせるためとか。あいつはこういう時、無駄なことはしねぇからな」
 女王の命令で動いているふうでもなかった。それならば、こういう形ではなく、また別の形で自分も巻き込んだはずだ。
「あんたも巻き添えになってるのが意外なんだが」
 少年は気落ちした様子もなく、ただ不思議そうな顔をしていた。
「いくらなんでも、同じ南の騎士だろ?」
「そんなまっとうな感覚をあいつに求めるだけ無駄ってもんだ。ま、慰めになるかどうかは分からないが、あいつは俺達なら絶対に捕まらないって、ある意味、信用してんだ。癪に障るけどな」
 更に、自分が邪魔をするだろうと考え、一緒に「始末」することにしたのだろう。個人的な目的で動いている以上、自分がファギルを追い出すのに協力するとは思わなかったということだ。
 確かに、事前に知っていれば、阻止したかもしれない。エセルに協力しても見返りはまず無いだろうし、手を貸すならば、エセルよりもファギルに手を貸す。ファギルには父親のような強烈な「引力」はないが、どこか人好きするものがある。
「この書簡、届ける必要はないのか?」
 オルトは目をしばたたいた。
「あの様子だとどっちでもいい感じだったけどな……届けるつもりか?」
「ここにいて邪魔になるなら、そうしてもいいだろ」
「こんな目に遭わされたのにか?」
 なんてお人好しなんだとオルトは呆れた。
「惚れた女の邪魔をするより、役に立つ方がいいだろ」
 こともなげにファギルは応える。意地を張っているわけでもなく、ごく自然な様子だ。この少年、思っていたよりも器が大きいのかもしれない。
「……ここにいたら、あいつの助けになる時が来るかもしれないとかは思わないのか?」
 特に諦めの悪い男でなくとも、なんやかんやと理由をつけて目の届く範囲にいたがるものだ。
「その可能性があるなら、追い払ったりしないだろ。俺にできることは限られてるし、俺くらいなら他のヤツでも代用がきく」
 理性的なのか感情的なのか。オルトには、よく分からない考え方だった。
 だが、分かっていることもある。
「おまえさ……他の女に惚れろ。そのほうが幸せになれる、確実に」
 よりによって、あんな女に惚れるとは、もったいない。
「けど、エセルに今は惚れてるんだから仕方ないだろ」
 あっけらかんとファギルが言い放つ。「今は」ということは、「次」もあるということだ。別に、エセルが運命の相手だとか信じ込むほど血迷っているわけではないらしいとオルトは少し安心した。だが、それとは別に少年のこれからの人生に一抹の不安も覚える。
 もし、こいつが「幸せ」になれないとしたら、趣味の悪さが原因だ。
 ファギルが惚れた相手、エセルというのは、ファギルの性格を把握した上で、徹底的に利用するなどお手の物という人間だ。惚れた弱みにつけこんだところで、エセルのあるかないか分からない良心は痛みもしない。しかも、その性格を隠そうともしていない。だから、ファギルが騙されたということはないだろう。分かっていて、アレに惚れたのだ。悪趣味としか言いようがない。
「ま、好きにするといいさ。南の連中によろしくな」
 軽く伸びをしながらオルトが言えば、ファギルは意外そうな顔をした。
「オルトは戻らないのか?」
「ああ。今、戻るよりは、こっちにいた方が文句を言われずに済む」
 女王であれ、女神官であれ、今頃、のこのこ帰って来るなら、向こうで何かこそこそしてろと言うだろう。それに、何の手土産もない状態で帰国するのは、非常に危険だ。土産を確保せねば、身が危うい。
「そうなのか。だけど、これ、俺が持っていっても受け取ってもらえんのか?」
「その顔があれば大丈夫だ。大体、神殿あてだしな。ただし、女王の前には出ないようにしろよ。お前の親父は目の敵にされてるからな」
「わかった。まったく親父のヤツはあっちでもこっちでも敵をつくりまくりやがって」
 ばりばりと赤い髪をファギルがかきまわす。
「それがなくても、女王とは関わり合いにならない方がいいぞ」
 この「悪趣味な」やつなら、ひょっとしたら女王を気に入るかもしれないが。
 幸いにもオルトの心の声が女王のもとに届くことはなかった。


 陽神殿のうら若き女神官は機嫌がよかった。
 彼女は、大地の女神の微笑みと呼ばれる慈愛に満ちた笑顔で礼拝に訪れた信者の間をめぐり、お布施を受け取っていた。
 もとより、彼女が人前で不機嫌な様子を見せることはなく、信徒の前では常に穏やかな笑みを絶やさないでいるが、この日の笑顔は輝かんばかりであり、つい予定よりも多めに寄進してしまった参拝客も少なくはなかった。
「なにか嬉しいことがおありになったのですか」
 ともにお布施の回収役を務めた金髪の神官見習いが、仕事を終えた後に、そう尋ねずにいられなかったほどに晴れやかな表情をリシュテはしていた。
「ええ。ある個人的な問題にようやく解決のめどがついたのよ」
 問題の内容も、解決の方法も知らぬ神官見習いは、それはよかったですねと心からの祝福の言葉を述べた。氷晶王国出身のこの少女は、外見通りの、内気で繊細な性格を備えていたので、真相を知ったら言葉を失ったことだろう。少女だけでなく、他の人間でも、ほとんどのものが真相を知れば、リシュテを見る目が変わるに違いないと考えて、リシュテはくすりと笑った。
 そんなのは知ったことではないけれど。
 時を告げる鐘が聞こえ始めると、リシュテは礼拝の後の片づけを他の人々に任せ、その場を後にした。
 あの男は用済みになった。
 そうトーヴァが彼女に伝えたのは昨夜のことだった。洸王国から届いた情報によって、陰謀に加わった人間が確定されたのだという。身柄を押さえる手はずが整ったので、思う存分、こっぴどくふってやれと人の悪さを隠そうともしない笑顔でトーヴァは言ったものだ。
 足取り軽く、個人用の礼拝室に出向いたリシュテは扉をくぐる前に深呼吸して気持ちを落ち着けた。
 この扉の向こうに、リシュテの「返事」を待つ男がいる。あの男のことだから、自分に都合のいい返事があるものと信じて疑わないでいることだろう。
 その期待を裏切られた時の顔を見ることができないのが残念だ。
 視力を取り戻したいと思うなど、何年ぶりのことだろう。
 つい皮肉な笑みが浮かびそうになるのを堪えながら、リシュテは扉を開けた。

 家柄の古さだけが取り柄の地方貴族の家に生まれたのだと彼女は言った。
 都に出て出世しようという気骨もなければ才覚もない、そのくせ気位だけは人並み以上の一族で、その中に生まれ育った自分も、その一員だった。
 そう言いきる口調は、「女神官用」のものではなく、繊細な美貌にそぐわないあくの強いものだったのだが、それが嬉しく思えてしまうあたり、相当にいれこんでいるなとその時のアインは他人事のように思った。
 幼い頃から際立った美貌を供えていたために、はやくも七歳の時に、その地方一の有力貴族の子息との婚約が決まったのだという。だが、その年の冬、熱病により少女は視力を失った。婚約は解消され、世間体を気にした両親は大金を積んで娘を故郷から遠く離れた王都の陽神殿に入れた。口さがない連中に噂されるのが嫌だったんでしょうよと皮肉たっぷりに言うものの、そんな親を恨んでいる様子はリシュテにはなかった。ごちゃごちゃした感情はエセルやユリクに八つ当たりしまくることで、ふっきれたそうだ。
「そういうわけで、その元婚約者がアレなのよ。だけど、私にとっては死人と同じ。ファイエルという親がつけた名前とともに捨て去った人間だわ。それが今になって、のこのこ現れてもいい迷惑なだけ」
 どういう神経してるのかわからないわと憤慨するリシュテを前に、アインは苦笑を禁じ得なかった。
 あの男の気持ち、わからないでもない。
 子供の頃の婚約者が今のリシュテのような人目をひく美人になってたら、都合の悪いことは綺麗さっぱり忘れて、近づきたくもなるだろう。
 とはいえ、実際にそんなことをするのは、よほどの恥知らずだけだ。
 そう言うと、リシュテは肩を竦めた。その仕草は驚くほどエセルと似ていた。紛れもなく、彼女達は神殿の「兄弟姉妹」、幼なじみなのだ。そして、もしかしたら本質も似ている部分があるのかもしれない。
 何か怖いものがあるのだが、今の自分はそれくらいで引き下がれる状態ではない。
「……アイン、そろそろだよ」
 低い声でささやかれ、アインは我に返った。よほど驚いた顔をしたのだろう、ユリクが小さく笑う。
「その様子じゃ、中の会話を聞いてなかったね。楽しいことになってるよ」
 ……楽しいこと?
 アインは聴覚に神経を集中させ、隠し扉の向こうの礼拝室から聞こえる声を拾った。
「若いのに耳が遠いの?うんざりだと言ったのよ、私は。よくもまあ、実の無い言葉をべらべらと喋れるものね」
 意地の悪い、楽しげなリシュテの声だ。
「ファ、ファイエル……?」
「誰のこと?私は陽神殿のリシュテ。それ以外の何者でもないわ。あなたとはまったく無関係な人間よ。今まであなたの馬鹿話に付き合ってあげたのは仕事だから。あなたと関わり合いなんてまったく持ちたくないの」
 今までの演技をかなぐり捨てたリシュテのいきいきとした表情が目に浮かぶような声音だ。だが、それを向けられる男にはなりたくない。
「だから、今までのことは謝ると言っただろう?」
「誰が謝れと言ったのよ。過去のことは無かったことにしていいの。だから、謝る必要はないのよ」
「では、何故……」
「……あなた、本当に馬鹿なのね」
 さも呆れましたといわんばかりのリシュテの声に吹き出しそうになるのを堪えて、ユリクと顔を見合わせる。
「分かりやすく言ってあげるわね。あなたの囲われ者になるなんてまっぴら。それから、付け加えておくけど、正式に婚姻を結びたいなんてことも全く望んでいないわ。要するに、あなたが思っているほどの魅力はあなたには無いの。少なくとも、私は全然あなたに魅力を感じていないわ」
 思わずアインは口元を手で押さえた。
 リシュテは、同じ内容のことを青年の頭の中に浸透させようとしているのか、表現を変え、具体例を挙げ、数度繰り返した。完膚無きまでたたきのめすつもりでいるのだろう。
 リシュテの豹変ぶりに驚いているのか、口を挟む隙を見つけられないのか、青年の声は途切れたままだ。
「御理解頂けたかしら。そういうわけで、さっきも言ったように、あなたの一方的な話に付き合ってあげたのは、仕事だからよ。それ以外の何でもないの」
「……仕事、とは?」
 ようやく青年が衝撃から立ち直ったところで、すっとユリクが動いた。
「私どもの手伝いです」
 扉を開けながらユリクが言う。青年がぎょっとした顔になる。
「近衛騎士のユリク・ゼンです。陛下の命を受け、あなたの身柄を拘束に参りました。罪状については、あなたのほうがよくご存知でしょう」
 にこやかに微笑みながら、ユリクは問答無用とばかりに魔法力を叩きつけ、青年の動きを奪う。
 絶対、近衛騎士の連中は敵に回したくない。
 周囲に不穏な気配はないか探りながら、真剣にアインはそう思った。
 危険な人物がいるとすれば、この近衛騎士くらいのものだと判断して、ユリクの後を追い礼拝室に入る。
 女神官は軽く手を組み合わせ、静かに立っていた。女神像にして飾っておきたいくらい穏やかな表情に見えるのは、決して気のせいではない。例え、青年の惨状が見えていても同じ表情をしていたに違いないだろう。
「自分に都合のよい夢ばかり見ているから、こんな目に遭うのよ」
 もはや嘲りもなければ哀れみもない平淡な口調でリシュテは言った。
「君は逆にもう少し夢を見てもいいと思うけどね」
 意識を失った青年の手足を手早く縛り上げながら、ユリクが苦笑する。
「大きなお世話。さっさと、それを持って行って頂戴」
「言われるまでもないよ。ひとまずは、急病で倒れたということにしておくから、よろしく」
 軽がっている男の体を担ぎ上げ、ユリクは堂々と正規の出入り口を通って礼拝室を出て行った。神官長が「移送」に関しては手配しているので、表で彼の帰りを待つ供の者のもとには、嘘の知らせがすでにもたらされているはずだ。
 リシュテは小さく息を吐くと、敷物の上にぺたりと座り込んだ。
「……彼に破滅をもたらすのに手を貸したというのに、少しも良心が痛まないのは、問題よね?」
 問いかけに、さあどうだろうとアインは首を傾げた。
「自業自得ってやつだからな。君が手を貸そうが貸すまいが、いずれは身を滅ぼしたさ。あんな男に好きにさせておくほど、うちの首脳陣は無能じゃないだろ」
「それはそうなんだけど、普通は多少の罪悪感を感じそうなものじゃないかしら? 私って罪作りな女、とか」
 リシュテは冗談めかしているが、実際に心苦しく感じているのだろう。
 気を許した相手にでも、リシュテが安易に自分の心の内を見せることはない。
「罪悪感を感じないことに罪悪感を感じているなら、それでいいんじゃないか?それに、リシュテが『普通』の範疇に収まらなくても仕方ないし」
「引っかかる言い方ね?」
 アインは笑いながら、リシュテの手を引いて立たせた。
「君に遠慮は要らないっていうユリクの助言に従っただけだ」
 正確には、ユリクはこう言った。
 ─遠慮してたら、距離は縮まらないよ。彼女はなるべく他人を寄せ付けないようにしているから。
「……本当に余計なことばかり言うわね、ユリクは」
 わずかにリシュテが顔をしかめる。
 平気で「余計なこと」を言える性格だからこそ、彼女達につき合って来られたのではと思うが、それを口に出すほど、アインは遠慮知らずではなかった。
「嬉しいことに今日は君の護衛を言いつかってるんだけど、手始めに何を手伝えばいい?」
 リシュテは眉を上げた。
「私が護衛の騎士様をこき使うとでも?」
「違うのかい?」
「その通りよ」
 せっかくだから、高い場所の掃除でもしてもらおうかしらなどとリシュテは嬉しそうに呟いている。ユリクが「護衛という名の『雑用係』」と言った通りだ。
 それでも、明るい表情をしているリシュテを見ることができるだけでも役得というものだ。
 エセルが目にすれば、末期症状と断定したであろう表情でアインは楽しげな女神官を眺めていた。