女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (3)

 王宮中に張り巡らされた情報網、すなわち、侍女達から、その帰還を伝えられていた女王は二年半振に現れた女騎士を見ても驚かなかった。
 南陽王国では珍しい金茶の髪の女騎士は臆することなく女王に向かって騎士の礼を颯爽と取った。
 以前は少年めいた中性的な容姿だったが、今では長身ではあっても女性にしか見えない華やぎを彼女は備えていた。美人と言えるだろうが、容貌以上の何かが人の目を引き付ける。
 形式的な挨拶が終わると女王は早速に期待を込めて質問を発した。
「エセル、そなた、子連れと聞いたが、どうした?」
「挨拶ついでにユリクに預けてきました。一人は陛下の御子よりほんの少し小さいくらいですよ」
 女王の夫の腕に抱かれて物珍しげに女騎士を眺めている幼子を見ながらエセルは答えた。世継ぎの君の顔立ちは父親に似ているようだが、琥珀色の目は女王そっくりだ。
「ほう?ひょっとして父親は…」
「陛下、私が生んだ子供じゃないです」
 先程のユリク達の反応があったため、エセルは先に結論を伝えた。
「なんだ、つまらん。そなたと『戦神』の子供であれば、さぞや良い騎士になるだろうと思ったものを」
 女王はエセルがしばらく身を寄せていた暁王国の将軍の子供であることを期待していたようだ。かの将軍は戦神の異名を持つ、ずば抜けた騎士であり、戦上手である。優秀な騎士の獲得に熱心な女王は次世代の騎士達の確保にも多大なる意欲を持っている。
「なんだって、子供を生んでくれる女に不自由しないあの男の子供をわざわざ私が生んでやらなくちゃならないんですか」
 面倒くさいとエセルは呆れ交じりに言い切った。しかも、将軍にはわかっているだけで、すでに片手の指では足りぬほどの数の子供がいる。そのうちの何人かとはエセルも顔を合わせていた。
「確かに、面倒だな」
 出産の際に、二度と子供なんぞ生むものかと繰り返し思った覚えのある女王は真顔で頷いた。もっとも、年配の侍女達は二度目以降は楽ですよとうまく女王を唆し、再び女王に子供を生んでもらおうと画策している。世継ぎがいても、やはり子供が一人だけでは心もとない。本人も喉元過ぎればなんとやらで、もう一度くらい生むかと、その気になりつつある。
「一緒に連れてくれば良かったものを」
「どこに通されるか、わかりませんでしたから。休憩中だと分かっていれば、連れて来ましたけど」
 謁見室あたりに子供を同行させるわけには行かない。女王本人は気にしないだろうが、廷臣達は気にする。
 女王はわずかに表情を引き締めた。
「そなたが帰ったということは、北が動くか?」
「はい。来春には確実に」
 北の隣国と開戦する前に帰国するとエセルは女王に告げていた。
「やはりそうか。関税と商業権をめぐって、難癖つけて来ておるからな。…東に争いを仕掛けておったが、あれはどう見る?」
「軍隊としての力を見るための小手試し、並び、注意を東に向けさせるための欺瞞かと。ここ数年のうちにかの国では黄刄国からの風馬の購入が急激に増加しております」
 黄刄国の草原で産する風馬は脚力のある駿馬として知られている。勇敢な性質からも軍馬として最も重宝されるが、惜しむらくは黄刄国以外の土地では繁殖できないという点だ。この風馬を揃えようと思えば、黄刄国から買い入れるしかない。
 軍馬を購入するということは、騎馬隊を増やすということに外ならない。そのことから森林の多い西の梢耀王国、北東の山岳地帯にある霧牙王国へ侵攻する意志はまずないと考えられる。さらに国土のほとんどが乾燥地帯にある猩瑪王国に攻め込むつもりならば、風馬でなく乾燥に強い砂馬を増やすはずだ。
 そうしたことを女王が理解したと察した上でエセルは言葉を続けた。
「機動性を重視した騎馬隊を主力に新しい戦術を練っている様子です。先の戦いにおいても、国王軍から秘密理に派遣されたと思われる騎馬隊が投入されました」
「ふむ。オルトもそう言ってよこしたな。陰で国王が動いている、と。あれは帰国をやめて、近いうちに向こうの王都に潜入すると言って遣したが」
 どうやら動いていたのは自分一人ではなかったらしい。オルトは時々、自分の任務を忘れるような騎士だが、それだけに主持ちとは思われず、こうした諜報活動には向いている。そして、連絡をよこしているところを見ると、今回は興味が持続しているらしい。エセルはにやりと笑った。
「…そなたは今までどこにおった?」
「戦場に。こたびの小競り合いでは、東に与しておりました」
 女王の目がきらりと光る。
「ほう?土産話もさぞかしあろうな」
「まずは、これに」
 言ってエセルは書状を差し出した。
「気が利くな。後日、改めて話を聞こう。王宮に部屋を用意させるゆえ、それまでユリクらと話でもしているが良い」
 女騎士は一礼すると、女王の前を辞した。
 その姿を見送り、女王は満足そうに頷いた。
 予想以上に良い騎士に育ってくれたようだ。
 修行に出した甲斐があったというものだと思いつつ、今受け取ったばかりの書状へ目を通す。
 流れるような美麗な筆跡は、無粋な内容を綴るにはもったいない。
「これはそなたの管轄だ、クルス」
 夫の腕から息子を抱き取って、女王は代わりに書状を渡した。
「主立った将を集める必要があろうな。軍部のおやじどもは、むさ苦しいのが多いから気が進まぬが」
 そなたもそう思うであろうと母親に同意を求められた世継ぎの君はきょとんとした顔で母親を見詰め返し、長い黒髪を引っ張って、きゃっきゃっと笑い声を上げた。


 王宮の西の棟では騎士見習いが寝起きしている。その棟から、やや離れて建っている小さな建造物は元は貴人を幽閉するのに使われたというが、今は危険人物を隔離するために使われている…というのが一部の人間の見解だった。そこには二年ほど前から王宮専属となった女薬師が住まっていた。彼女は身ごもった女王を毒殺から守ることを目的に王宮に迎えられ、その後も御殿医の補佐をしながら王宮暮らしを続けている。この薬師が着任して以来、王宮にもともとあった薬草園で栽培される薬草の量は飛躍的に増え、今なお種類を増やしつつある。女薬師は、騎士見習いという労働力と被験体に恵まれて、快適な日々を送っていた。
「久しぶり」
 日が傾き、そろそろ灯を入れようかという時間になって、訪れた客に女薬師は軽く目を見開いた。
「お久しぶりですね、エセルさん。元気そうで何よりです」
「シィンさんが、ここに来ているなんてユリクに聞くまで知らなかったよ」
 おかげで王都の外まで持って行く手間が省けたと長身の女騎士は言って、紐で結わえた樹皮の束をテーブルの上に置いた。
「はい、これ、お土産」
「まあ、覚えていて下さったんですね」
 嬉しそうに女薬師が端麗な顔をほころばせる。
「ちょうど帰る前に闇市で見かけてさ。やっぱり、買い手がいるもんなんだね」
「この世の中には、人の恨みをかっている人間が山のようにいますから」
 相変わらず奇麗な顔で女薬師は物騒なことをさらりと口にする。そして、この言葉が、これらの樹皮がいかなる種類の「薬」に使われるものか、示唆していた。
「ヴェルシュ殿に見つかったら、やばいかな?」
「大丈夫ですよ、あの方はめったにこちらへは足を運びません」
 意外そうにエセルは片方の眉を上げた。あの職務熱心な近衛騎士が、この危険な女薬師を野放しにしているとは、余程、忙しいのだろう。
「ですから、私のほうから新作のお茶を持って、伺わせてもらっています。あの迷惑そうな顔が楽しくて楽しくて」
 そういうことか。
 エセルはにやりと笑った。
 女薬師の行為は厭がらせにしか見えぬものの、歪んだ愛情表現であることは確かだ。とはいえ、このような儚げな美人に好意を寄せられれば、ほとんどの男が喜ぶだろうが、ヴェルシュは違う。単純に喜ぶには、彼はこの女薬師を知り過ぎていた。一方、女薬師が好意を寄せる理由というのも変わっている。ヴェルシュが頭の切れる、若くてハンサムな近衛騎士だからではなく、極めて敏感な味覚と並外れた薬物の知識を持つからというのがその理由だ。
「ところで、私が用立てた薬は役に立ちましたか?」
 エセルが国を離れる前に、餞別だとあらゆる種類の薬を詰め込んだ袋を女薬師は渡していた。
「お陰様で。でも、まだ、例の薬は強すぎ。十分に吐かせないうちに、心臓が止まってしまってさ。古くなったからって効き目が強くなることはないよね?」
「ええ。試作段階ですからね…まだまだ改良の余地がありますね」
 片手を頬に当てて、ふむと考え込む顔になる。何も知らぬ人間が見れば、その姿も物思いに耽る憂いを帯びた佳人に見えるだろう。
「しばらくは、こっちにいるから、面白い薬があれば、また頼むよ」
「ええ。これを使って、珍しい薬を作ってみますね」
 にっこり笑って、シィンは女騎士を送り出した。
 その夜遅くまで、この女薬師の住みかには明かりが灯り、怪しげな匂いが漂っていたのだが、身の危険を感じてか、王宮を見回る騎士見習い達は誰も近くに寄り付くことがなかった。

 賑やかな居酒屋で、数人の若い騎士達が寄り集まってテーブルを囲んでいた。騎士見習い期間を共に過ごした王都警備隊の騎士達である。同じ王都警備隊に所属しているとはいえ、担当区域が異なる各小隊ばらばらに配置されているために顔を合わせる機会は少なく、月に一度ほどこうして集まって酒を酌み交わすのを常としていた。
「エセルが戻った?」
 その知らせをもたらしたのは王宮務めの侍女を恋人に持つ若者だった。昼間、休みを貰った恋人が詰所に顔を出し、教えてくれたのだという。
「子連れだって話も聞いたんだけどよ…本当だと思うか?」
 げ−っとエセルを知る者達が一斉に声を上げる。エセルという少女は人並み以上に元気が良く、あれが女だなんて何かの間違いに違いないと思っていた彼らには、その噂はまさに寝耳に水であった。
「嘘だろ、信じらんねぇっ」
「まだシェイド殿に隠し子がいたって話の方が信憑性がある!」
 先年、近衛騎士隊長に隠し子がいたという噂が王宮を賑わしたのだが、誤解であることが判明し、女王を初めとする王宮の女性陣はほっと胸を撫で下ろしたものである。やはり理想の男性像に「こぶ」は不要のものらしい。しかし、一方で理想の夫として、彼女達は子煩悩な女王の夫クルス・アディンを挙げているので、女心というのはよく分からない。
「だろ?誰だって、そう思うよなあ」
「大体、どこのどいつがあいつに子供を生ませられるんだよ」
「…暁王国の将軍の下で修行を積みに行ったという話だったが?」
 それまで沈黙を保っていたエルード・ネフザが口を開いた。彼は、頻繁にエセルの喧嘩相手になっていたため、エセルのことを他の仲間よりは理解しており、この噂の信憑性は低いと判断していた。それでも、事実であるとすれば、相手は限られてくるということから、指摘してみたのである。
 口数の少ない若者の言葉には妙に重みがあり、緊迫した空気が立ち込めた。
「そ、そりゃあ、あの『戦神』なら、な…」
 あり得なくもない。
 彼らは闘技大会における暁王国の将軍の活躍を目の当りにしている。その記憶はまだ十分に新しかった。
 若い騎士達は互いの顔を見合わせた。
 なんだかひどく恐ろしい組み合わせのような気がする。
 頭を抱える騎士達を眺めながら、それほど気になるなら直接に確かめにいけばいいものをと呆れまじりの溜息をついてエルードは酒杯を干した。


 南陽王国の世継ぎの君、アールディオは御機嫌だった。
 意味不明の喚声を上げて、床の上をちょろちょろと歩き回っている。多分、生まれて初めて目にする同じ年の子供と見慣れぬ幼い少年の存在が彼を興奮させているのだろう。
 時折、女王やその夫から子守を任される近衛騎士の若者は幼い子供達が妙なものを口に入れぬよう注意しながら、彼らを見守っていた。
 神殿育ちで、子供の扱いに慣れているユリクは、侍女達も大勢いるというのに、しばし、世継ぎの君の子守を言い付けられる。彼の友人は、彼が守役として白羽の矢を立てられているのではないかと見ていた。
 エセルはいい「子守」を見付けたものだな。
 「駄目」と言って幼い少年がクッションを口にくわようとした妹分を止める様を眺めながら、ユリクは笑みをこぼした。
 よいお兄さんぶりを見せてくれる少年の名はアティスといった。彼はまだ五才になったばかりで、盗賊に焼き払われたらしい小さな集落で泣いていたところをエセルに拾われたのだという。盗賊と言っても、おそらくは傭兵崩れだろうとエセルは言っていた。戦に集められた傭兵が戦が終わった後に無頼の徒と化すことなど珍しくもない。アティスには弟妹がいたらしく、赤ん坊の扱いも慣れたものだった。エセルは集落を一通り調べたが、虫の息の男を一人発見しただけで、生存者は他にいなかったという。盗賊共は暴虐を尽くし、根こそぎ物資を奪った後、火をかけたらしかった。
 …戦か。
 小さくユリクは息を吐いた。
 南陽王国には騎士団以外に常備軍と呼べるものはない。これは大陸のどの国でも同じことだ。主戦力となるのは、無論、騎士や魔法士であるが、彼ら能力保持者だけでは軍は成立しない。戦となれば、民から兵士が徴集される。
 戦などやりたいものだけがやればいいものを。
 例え、戦場にかりだされるのが、騎士や魔法士だけであっても、戦というのは、他の人々を巻き込むものだ。どんな大義名分があろうと、その土地に暮らす人々には火事や大水といった災害と変わらない。あがらうすべもなく、あっと言う間に、それまでの暮らしを奪い去ってしまう。
 人々の嘆きの声が地に満ちる時、人々の崇める神々は何をしているのか。
 この疑問に行き着くと、神官である自分の存在を、しいては神殿の存在、神々の存在に対して疑いを抱かずにはいられない。
 泣き声に思考を遮られ、ユリクは顔を上げた。
 おもちゃの取り合いをしたらしく、リヴィーがぎゃんぎゃんと泣いている。世継ぎの君も先程までの御機嫌ぶりはどこへやら、むぅっとした顔になっていた。アティスが困ったように空色の目で彼を見上げている。
「やれやれ」
 ユリクは泣きじゃくる子供を抱き上げた。
「殿下、女の子を泣かせると、母君に叱られますよ」
 苦笑まじりにアールディオに向かって言い、あやしていると、何を思ったか、アティスが、アールディオからおもちゃを取り上げた。リヴィーにやるのかなと思って見ていると、そのまま、とととっと歩いて、王子には手の届かぬテーブルの上に置いた。アールディオはしばし、きょとんとした顔をしていたが、我に返ると、わっと泣き始めた。それを今度は慰めにかかる。
 喧嘩両成敗というところか。
 ユリクは小さく吹き出した。
 子供というのは時として思いがけないことをする。
 ひょっとすると、神々も今の自分と同じような気持ちで人間を眺めているのかもしれない。
 自分達で解決することを望み、救いの手を差し出さないのかもしれないな。
 そんな風に考えると、ふっと心のどこかが軽くなったような気がして、ユリクは我知らず微笑を浮かべていた。


 実に久しぶりにアシュリーズは女王と並んで会議室の椅子に座っていた。近衛騎士として護衛につくことはあっても、着席することなどめったにない。アシュリーズは今、王妹として会議に参加している。そして、会議に参加している顔触れもいつもとは違う。各騎士団長を含め、主立った軍務関係者が一同に会しているのだ。
「以上の通り、北部の防衛を強化すべく、近日中に配置移動があるものと心得てもらいたい」
 軍務大臣の言葉に、面々が重々しく頷く。アシュリーズはそっと隣の女王に目を走らせた。またも目を開けたまま眠っているようだ。アシュリーズは足をのばすと、姉の足を軽く蹴飛ばした。閉会の宣言は女王がなさねばならない。
 女王は会議の始まる前に、私は昼寝するからなと宣言すると同時に、戦のことなど、さっぱりわからぬから、すべてそなたに任すとアシュリーズに言いわたしてもいた。女王は兵法なども一通り学んだものの、まったくもってそちらの方面の才能なしと教師に太鼓判を押されてしまっていた。ちなみにその教師は現在、将軍の軍師を務めている。十五才で王宮に戻ってから、アシュリーズもまた彼から指導を受けたが、教え甲斐があるとひどく喜ばれたものだった。実際に戦場に身を置いたことがあるかどうかの違いだけでなく、持って生まれたものに違いがあるのだと彼は言った。陛下は持って生まれて来るものを持たずに生まれたので、陛下に一軍を預けるのは死んで来いというのも同じだとこき下ろしていた。しかし、その一方で、王自身が優れた才能を持つ必要はなく、優れた才能を持つ人間をうまく使う器量さえ持っていればいいのだとも言っていた。おそらく、仕える君主としては女王に満足しているのだろうとアシュリーズは見ている。
 いくらかの質疑応答があった後、会議は終了した。女王は昼寝していたことなどおくびにも出さず、閉会を宣言すると真っ先に退室した。そのすぐ後に近衛騎士隊長が付き従う。エセルが連れて来たという子供達でも見に行くかなと思いながら、アシュリーズも席を立った。
「王妹殿下」
 呼び止められてアシュリーズは振り返った。中肉中背の青年が愛想良く笑いながら立っている。この場にいるにしては年若い騎士は先代将軍の息子で、南部を守る第五騎士団の副団長だ。
「カリュート殿か。なにか?」
 国内貴族の中で、有力な女王の婿候補だった男である。クルスがいなければ、最終的にはあの男で手を打っただろうと女王が言ったほどに、腕も立ち、人格も練れている。女王の即位以前に近衛騎士を務めたこともあり、女王とは顔なじみでもあった。アシュリーズ自身も王宮に戻った直後、彼を護衛につけられたことがあり、親しみを持っている。
「お時間があれば、久しぶりに手合せなどいかがでしょうか?」
 屈託のない話しぶりであるが、何か別に用事があってのことだろうとアシュリーズは見当をつけ、承諾した。四年前、自分は彼から五本に一本しか取ることができなかったので、手合せするのは望むところでもある。もっとも、アシュリーズが彼から一本取ったことにより、騎士団の人々はいきなり王宮に出現した王妹に一目置くようになったのであるが。
「そう言えば、王妹殿下に是非お願いしたいことがあったのですよ」
 訓練場に向かって並んで歩きながら、カリュートが楽しげな顔で言った。
「なんだ?」
「早く結婚していただきたい」
 一瞬、アシュリーズの足が止まった。
「…どうして、そんなことを」
「私の親戚連中が、殿下と私を結婚させようと何やら画策していましてね。私が望む相手と結婚しようとするのを邪魔するんです。殿下が結婚なされば、彼らも諦めるでしょうから」
「なんだ、それは」
 呆れまじりにつぶやくアシュリーズの声など、カリュートは聞いてはいない。
「どうせ相手は決まっているのでしょう?世継ぎの君も誕生なさったことだし、心置きなく、王妹殿下も結婚できると思うのですが」
 私ももうすぐ三十ですし、あまり彼女を待たせるのも厭なんですとぬけぬけと言う男をアシュリーズは横目で睨んだ。黒髪青目の典型的な南陽王国人は陽気に笑っている。
「殿下が身を固めてしまえば、『夢』に躍らされる者も減りますしね。魅力的らしいですよ、王妹殿下の夫の地位は。ひょっとしたら、女王の夫になることができるかもしれないという夢に惑わされて、現実を見失う人間にも困ったものです」
「…私の知ったことか」
「まったくその通りなんですが。王妹殿下と結婚する気があるのかと、こちらとしては痛くもない腹を探られて少々迷惑しているんです。おまけに、勝手にその気になっているじいさん達に妙な連中が擦り寄って来るし」
 まじめ腐った表情で立板に水とばかりにカリュートは言葉を連ねた。
「貴殿のじいさん達まで面倒はみれん」
「そちらは何とか私が押えます。要は連中に、うちのじいさん達に色目を使うのをやめさせてもらいたいわけです」
 たまたま通り掛かった騎士見習いが、この言葉に一体何事だと顔を引きつらせている。カリュートはその少年ににこりと笑いかけた。
「別に怪しい趣味の人間の話をしているわけでないから、安心するといい」
 どう安心しろというのだとアシュリーズは思いながら、訓練場の壁に掛けられている木刀に手を伸ばした。
「一応、ラーナの耳には入れておく。参考までに、夢みる男どもの名前を聞いておきたいが」
 木刀の一本をカリュートに放り、一本を手に取る。
「今夜にでも、名簿をお届けいたします。幸い、うちのじいさんが私の名で殿下宛に贈り物を用意してましてね」
 二人はゆっくりした動作で訓練場の中央に行き向かい合った。
「…誤解を煽るのか?」
「その方が何かと便利でしょう?ただ、ウェイにはちゃんと種明かししておいてくださいよ。私はまだ死の乙女に迎えに来てもらいたくはないのでね」
 かつんっと音を立てて木刀の先が触れ合った途端、二人は地を蹴って飛び離れた。
 鋭い音をたてて、空気が裂かれる。
 いつの間にか騎士見習い達が訓練場に集まり、自分達の及ぶところでない騎士達のすさまじい立ち会いに見入っていた。