女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (32)

 近衛騎士フィル・ファイサールが母親、すなわち近衛副隊長に呼び出されたのは女王の護衛を交代した直後のことだった。
「王妹殿下からあなたに特殊任務に就くよう要請があったわ」
 隊長代理を務めているイェナはそうフィルに告げて隣の会議室に行くよう命じた。いつもなら、からかいの言葉を一つ二つ投げるところだが、イェナは書類の処理に忙しい様子ですぐに自分の仕事に戻った。
 特殊任務とはなにだろうかと首を傾げながらフィルが会議室に入ると、すでに二人の人間がいた。近衛騎士ウェイと魔法士ノウィンだ。
 フィルは二人を見て、首を傾げた。
 彼らがいたことが意外だったわけではない。
 この二人に、なにか共通するものを感じたのだ。
 容姿や性格などといったものとは違う、感覚的なものだ。
「フィル、入り口をふさぐな」
 背後から王妹に言われてフィルは慌てて身を翻した。
「すみません」
 横をすり抜けようとしたアシュリーズがふと足を止めてフィルを見上げた。
「また背が伸びたんじゃないか?」
 フィルが騎士見習いになった頃には同じくらいの背丈だったのが、いまや頭ひとつ分以上違う。
「そうかもしれません。制服の寸法直しをさせろとミューカさんに言われましたから」
「羨ましいことだ。この顔ぶれだと自分の背が縮んだ気になる」
 そういうアシュリーズは南陽王国ではやや高めという程度の身長だ。残る三人はかなり長身の部類に入る。
 でかいのが二人並ぶと鬱陶しいと護衛でウェイ殿と組むのはやめろと陛下にも言われたな。
 その時の女王の不機嫌そうな顔をフィルは思い出した。
 あれは、アシュリーズ様と同じで、御自分が小さく思えるからだったのだろうか。
 そんなことをフィルが考えているうちに王妹は会議室の中心にある円卓の上に地図を広げた。森緑王国の詳細な地図だ。
「ノウィン、この前も説明したように目的地はここだ。そして戦場はこの国境沿いになる予定だ。どの地点までくれば、魔法の存在がわかる?」
 魔法士の少女が円卓に近づき、地図を覗きこんだ。しばらく考え込んだ後、ある地点を指差した。
「強いものならば、この辺りで。微弱あるいは隠蔽されたものならば、この辺りまで近づかなければ分からないと思います」
「およそ一日の距離か。……ウェイと互いに魔法で伝言を送ることは可能だと言ったな」
「はい」
 ノウィンが返事をし、ウェイが軽く頷いた。
「……よし」
 アシュリーズは顔を上げ、フィルを呼び寄せた。
「この作戦については他言無用だ」
 はじめに釘をさしてから、アシュリーズは説明を開始した。
「『あやつり人形』については知ってるな?その人形が作られているのが、この場所だと考えられている。よって、開戦と同時にここを襲撃する」
 薬師の話によると人の精神を破壊するような薬は材料を揃えるのにも調合するのにも手間がかかるという。すでに調合された薬を使えないようにすれば、それだけで次の人形を作るまでの時間が稼げる。自国の騎士を「利用」される心配がないよう、手を打つというわけだ。
「陛下は短期決戦を考えて、潰す必要はないとおっしゃったが、ここをたたけば敵に動揺を与えることができる。そして、敵軍は対応に慎重にならざるを得なくなる。重要なのは開戦と同時という点だ。実行部隊は傭兵部隊とノウィン。フィルはノウィンの護衛にのみ専念すればいい。この傭兵部隊は『騎士』のみで構成され、魔法士には察知されにくいようになっている。フィルの魔法力はノウィンが遮蔽する」
「ノウィン一人で、魔法の『仕掛け』をかわすことはできるのですか?」
 フィルの質問にアシュリーズは淀みなく答えを返した。
「わが国より遥かに魔法士の数が多いといっても、北方の国々ほどではない。おまけに、戦力として戦場に集めるはずだ。しかも、北方流に魔法士を神殿へ集めている。要所にしか配置されていないから、近づくまでは『仕掛け』も少ない」
 それにノウィンの魔法力は特殊だから、かわすのは得意だとアシュリーズは言い、ノウィンへと目を向けると彼女もまた頷いた。
 同様にノウィンとウェイの二人に確認をとりつつ、アシュリーズはフィルに計画を伝えた。説明が進むにつれ、フィルの眉間のしわが深くなっていった。
 自分はノウィンの身さえ守ればよく、傭兵部隊と同行するとはいえ、その指揮を執る必要もない。
 だが、フィルは不安だった。
「自分のような若輩者で大丈夫でしょうか」
 説明が終わったところでフィルがおずおずと口を開くと、アシュリーズは微かに笑った。
「私が可能と判断した。責任は私が負うから気にするな。それに、補佐がつく」
「どなたですか?」
「信用のおける人物だ。会えばわかるが、その人物については情報を漏らすわけにはいかない」
 あっさりと言って、王妹はそれ以上の質問を封じた。
「出発は三日後。イェナ以外に挨拶はするな」
「わかりました」
「その前に一度、傭兵達のところに顔合わせに行くといい。ノウィンもだ。ガザンが案内してくれるだろう」
 フィルはノウィンと顔を見合わせた。
「午後は非番だけど、君は?」
「私も特に用事はありません」
 それではこれから行こうという二人にアシュリーズが忠告した。
「行くなら急いだほうがいい。男達がみなでこの世の名残に『紫月花』に行くと言ってたらしいからな」
 先ほど、王宮にいったん戻ってきたガザンから伝え聞いたという。
「『紫月花』とは?」
 ノウィンの問いに答えたものかどうかフィルが迷っていると、アシュリーズが躊躇することなく答えた。
「王都一の高級娼館だ。美女ぞろいで目の保養になると女王も言っている。行きたければ、一緒について行くといい」
 王妹の言葉にノウィンは首を傾げた。
「陛下も行かれたことがあるのですか?」
 一番、聞かれたくない問いだとフィルは思ったが、王妹は気にしていない。
「夫婦で出かけたらしいぞ。舞手も楽士も一流所が揃っているから、女でも楽しめるそうだ」
「そうなのですか」
 興味深そうな顔で頷くノウィンに、まさか行くと言い出すんじゃないだろうかとフィルは不安を覚えた。
「ガザンも行くらしいから、案内を頼むなら、今すぐ行くことだ」
 そう言い残し、王妹はウェイとともに会議室を出て行った。
「……それじゃ、行こうか」
 アシュリーズの言葉に従い、二人は早速、ガザンにあてがわれた部屋へと向かった。その途中、フィルは念のためとノウィンに確認を取った。
「君まで『紫月花』に行くつもりじゃないだろうね?」
 ノウィンは何故そんなことを聞くのだろうとばかりに首を傾げた。
「高級娼館で遊ぶほどの経済的余裕はありませんが」
 ……余裕があれば行くのだろうか。
 フィルはその疑問を心の奥にしまいこみ、傭兵の部屋を訪ねたのだった。



 香の煙が薄ら白くたちこめていた。
 神殿の最奥部にある聖堂内を満たす甘く強い香りのそれは、国王がこの日のために特別に用意させたものだという。
 森神に戦勝を祈願する儀式。
 下位の神官達は、この堂内に入ることを許されていない。だが、壁を隔てた向こう側でともに詠唱を続けている。
 国王は祭壇の前で清めを受け、森神への祈りを続けていた。
 長身の王の姿は、柔らかい光を浴び、神々しくさえ見える。
 神官をはじめ多くの民が、このように立派な王を戴いていることを誇りに思っているに違いない。
 ライカはぎゅっと拳を握り締めた。
 緊張のせいか、きつい香りのせいか、頭が痛む。
 香炉の近くにいる、より高位の神官達は平然とした顔をしているので、頭痛はおそらく緊張のせいなのだろう。
 脈打つ音が大きく聞こえ、祈りの声は遠かった。
 何故、「答え」を見つけてしまったのだろう。
 切れ切れの断片がつながり、自分で探していたものを見つけた時、ライカはうろたえた。
 ほとんど確信をもって、証拠を集めたくせに、いざ目の前につきつけられると、迷いが生じた。
 目をそむけ沈黙することも考えたが、それを止めたのは、そうしたら必ず後悔すると分かていたからだ。
 ひざまづいていた王が立ち上がり、金茶の髪が光をはじいた。
 びくりとライカは肩を震わせた。
 王は振りかえると、ゆっくりと聖堂内を見渡した。
 森そのもののような鮮やかな緑の瞳。
「我、森緑王国の王たるもの、我が国に勝利をもたすべく戦場へ向かう。異議あるや否や」
 それは形式的な呼び掛けだった。誰も、王の意向に歯向かう者などいるはずはなかった。
 だが、微かに震える高い声が静寂を破った。
「異議あり」
 ライカには自分のその声が遠くから響く他人の声のように聞こえた。
 一斉に神官達が声の主に目を向けた。
 すべて緑の目。
 だが、ライカは誰よりも鮮やかな一対のみを見返した。
 その瞳に自分を黙らせようとする意志をライカは感じた。それに負ける前に口早にライカは言葉を続けた。
「異議があります、陛下」
 ざわめきも何も起きなかった。恐ろしいまで無表情に神官達はライカを見据えていた。まるでうつろな仮面のようだ。
「申してみよ」
 落ち着き払って応じた王も無表情だが、そこには神官達にはない力があった。重圧をはねのけるようにライカは一気に言った。
「私には過去見の能力がございます。その能力により、私は陛下の姿を拝見いたしました。陛下の御父君が亡くなられた後、最初の年迎えの儀の最中、陛下は襲撃を受けられました。その時のことでございます」
 ライカの目には王が笑ったように見えた。何を言い出すのかといぶかしむことなく、王は笑ったのだ。言いたいことは分かっている。そう言いたげな笑みに舌が一瞬、凍りついた。
 ライカは唾を飲み込み、再び口を開いた。
「……私は『襲撃者』として葬られた者の顔を見ました。その者は陛下とそっくり同じ顔をし、さらに国王の衣装をまとっていたのです」
 聖堂内は不自然に静まり返っていた。ざわめきどころか、咳払いひとつ起こらない。重苦しい静寂と国王に感じる言い知れぬ恐怖にライカは身動きひとつ取れなかった。
「痴れ者め!」
 眠りから覚めたような顔で声を上げたのは第二王子だった。激しい憤りの声だったが、ライカにはむしろ救いだった。
「無礼にもほどがある!」
 いきりたつ息子を王は片手で制した。神官達は相変わらず沈黙を続けていた。
「先を続けるがよい、ライクァルーチェ女神官」
 王に名を呼ばれ、ライカは肌があわ立つのを感じた。
 直接まみえたこともない、一神官の名を、王が知っている。
 本来ならば、ありえないことだった。
 自分の行動は、王に知られていたに違いない。
 王の耳目は神殿中に、あるいは王国中にはりめぐらされているのだろう。これから自分が言おうとしていることも、王は知っているのかもしれない。
 だが、ライカは止まらなかった。
「私はその者は誰なのか調べ始めました。過去に遡って王家の家系図をたどり、陛下によって廃せられた森神に子供を捧げる儀式の記録をたどりました。それにより、抹消された双子の存在をつきとめました」
 王の瞳は揺るがなかったが、代わりにその傍らに立つ第二王子が微かに目を見張った。
「古い教義において、双子は忌まれるもの。予見による凶兆がなくともその生まれ自体が凶兆とされ、最も古い記録によれば、凶兆を予見された他の赤子らと同様に双子は同時に森神に捧げらました。そして、儀式を受け、生き延びられなかった双子達は名も無きままに、その誕生すら認められることなく葬られました。やがて、この教義は緩和され、双子の場合、後から生まれた者のみが凶兆と判じられ、森に捧げられるようになっていきました。……そして、陛下がお生まれになった時にも、名も無き赤子が森神に捧げられております。つまり、私は陛下が手にかけられた『襲撃者』は陛下の双子の御兄弟ではなかったかと考えているのです。そして、その人物こそが王位に就いた人物、先に生まれた方ではなかったか、ここにおられる陛下は兄君を弑し、入れ替わったのではないかと疑念をもっているのです」
 彼女の声が空間に吸い込まれてからどれくらいの時が過ぎただろうか。国王がゆっくりと口を開いた。
「興味深い推察だ。ひとつ尋ねたい。私の出自に疑いをもったとして、王家の家系図をたどるというのは、理解できる。しかし、なにゆえ、その儀式に着目したのだ?」
「それは……繰り返し見る夢があったからです。雪の中、捧げられた赤子を一人の人物が連れ去るというものです。……陛下は真冬の生まれでいらした」
「なるほど」
 王は今度は一瞬だけ、はっきりと笑みを刻んだ。
「だが、その赤子が『私』だという証明にはならぬな。ライクァルーチェ女神官、興味深い話を聞かせてもらった礼に、何故、私がそなたの名を知っているか教えよう」
 憐れみの視線を王はライカに向けていた。
「そなたは私の妻であった女神官の『死』に引きずられた。彼女は知っての通り正気を失っていた。そのような人間の死に際の精神に同調すれば、精神に変調をきたすも不思議ではない。ゆえに、私はそなたの様子に気をつけて見守るよう命じてあった」
 誰にとは王は言わなかった。だが、神官の一人であることは間違いがない。
「そなたは知らぬかもしれぬが、気がふれた彼女は私に向かって、夫ではない、別人だと繰り返したのだ」
 ライカは唇をかんだ。
 この男は、亡くなった女神官の狂気に引きずられたとして告発を封じようとしている。
 怒りが込み上げ、ライカは王を睨みすえたが王は意に介さなかった。
「狂気に惑わされ、真実を見誤っただけなら、私はそなたを許さないわけにはいかない。そもそも過去見も先見も『夢』に過ぎず、それが現にあったこと、また、これから現に起こることなのか、区別するすべはない。ゆえに、そなたが冒した罪は夢を現と取り違えただけの過ちに過ぎぬと言えよう。だが、そなたは南陽王国に通じた騎士と接触があった」
 南陽王国、とライカは口の中で呟いた。何故、その名が今この場で出てくるのか、理解できなかった。
「その様子では知らなかったようだな。赤毛の騎士、あれは暁王国の者で南陽王国と結び、情報を流していた。それとともにいた騎士もまたそれに類する者と考えねばなるまい。そう、そなたと恋仲にあるというあの騎士だ」
 ライカは息を呑んだ。
 あの馬鹿男、どこまでも人の邪魔をして、とライカはますます拳を固く握り締めた。爪が手のひらに食い込む。
「そなたにそのような考えを吹き込んだのは、あの騎士ではなかったのか?……利用されたとも知らず哀れな娘だ」
 鮮やかな緑の目が嗤っていた。この程度の「武器」で自分に戦いを挑んだのかと言っているかのように見えた。
 反論しようとライカは試みたが舌が動かなかった。舌だけではない。体の自由が奪われていた。魔法力すら、発動させることができなかった。
 いつのまに、とライカは驚きを覚えたが、それを表情に出すことさえできなかった。
 魔力の動きはなにも感じなかったのに、どうしてこのようなことができるのか。
「……捕らえよ」
 王の命令に従い、王のそば近くに控えていた騎士が動いた。
 反逆者に対する憤りも、表情と呼べる者は何もその顔にはなかった。
 ライカの固定された視界にある人間のなかで、「表情」が見えたのは第二王子ただ一人だった。その横にいる世継ぎも茫洋とした視線をライカに向けているだけだった。
 第二王子を除いては、およそ意志というものを感じない顔しかなかった。
 どうして。
 王が、あるいはその意を受けた者が、何かしたのは明白だった。
 だが、その手段が分からない。
 ライカの見ている前で、第二王子の顔から表情が失われ、つい先ほどまで怒りをたたえていた瞳がぼんやりしたものに変わった。
 またしても、魔法力の動きは感じなかった。
 今までにない以上の恐怖をライカは感じた。そして、同時に今までにない以上の怒りを。
 人の意志を奪うなど許せない。
 王はまた笑った。楽しそうに。
 何故、笑う。
 体が、魔法力が自由になるのであれば、ライカは負けると分かっていても、その場で王に闘いを挑んでいたに違いない。
 しかし、ライカは聖堂から騎士の手で連れ出され、神殿内の一室に幽閉された。そこは、かつて王妃だった人物が閉じこめられていた場所だった。