女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (34)

 近衛騎士にあてがわれている部屋は王宮でも奥部にあり、自由に出入りできる者は少数だ。その少数のなかの一人に陽神殿の女神官にして、女王の「魂の導き手」であるトーヴァがいる。いったい、どこに女王の魂を導くつもりだろうと騎士見習い達は常々不思議に思っているのだが、誰もそれについて尋ねたことはない。恐ろしくて聞けない、聞いてはならぬことと認識されているのである。
 その「恐怖の源」である女神官が見るからに不機嫌そうな様子で歩いてくるのを認めた騎士見習い達は、あわてて道をあけた。いくら警備にあたっていても、今の女神官にかかわるのは御免だった。女神官は柱の影に身を寄せ合って縮こまっている騎士見習い達には一瞥もくれず、ある近衛騎士の部屋目指して足早に通り抜けて行った。
 騎士見習い達は顔を見合わせたが、誰も言葉を発しなかった。聞きとがめられて、引き返してもらっては困るのだ。彼らは肩を竦めるにとどめ、見まわりを再開したのだった。

 迎え入れられた部屋にある椅子に腰を下ろし、女神官は乱暴な手つきで重たげな黒髪を払いのけた。
「まったく不愉快だ。何故、よりによってあれと組んで仕事をせねばならん」
 口を開くなり、トーヴァは今の今まで顔をつき合わせていた相手について不平をこぼした。
「仕方ないでしょう、彼が適任なのだから。他に心当たりがあるというのなら、そちらを使ってもかまわないけれど」
 お茶を注ぎながら、部屋の主であるイェナが応じる。
 至極もっともな意見にトーヴァは顔をしかめた。現在、取りかかっている仕事は王国南部の貴族に関するもので、不平の対象たる人物が次期当主となるレフィク家は南部貴族への影響力が強い。おまけにかの人物は己の手を汚すことも厭わない。確かに今回の仕事にカリュート・シアン・レフィクという人間はうってつけなのだ。
「私に心当たりはないが、隊長殿にはいくらでもあろう」
「文句なら、隊長に直接言いなさいな。選んだのは隊長なんだから」
「言ったところで、聞く耳は持たぬ御仁だろう。陛下の守役を務めただけのことはある」
 不機嫌な顔のまま、女神官は茶器に手を伸ばした。女王が聞く耳を持たぬのは守役譲りだと言わんばかりである。
「お互いに手のうちがよく分かっているのだから、仕事はしやすいでしょうに」
「だから嫌なのだろうが。隙を見せるわけにはいかないんだからな。あれはとんでもない男だぞ」
「それを否定する気はないわね」
 その気になれば、平気な顔で王家を潰すわよとイェナは笑う。カリュートという人間にとって、国を治める力を持たぬ王家は害悪に他ならないのだ。
「まったく何故、クルス・アディン殿はあれを放っておくのだ」
「益があると考えていらっしゃるんでしょう。事実、役には立つのだから。嫌なら、貴方がこっそり始末すればいいじゃない」
 すっと手で首を斬る仕草をイェナはしてみせる。
「それができれば苦労はしない。イェナ殿が手伝ってくれるというなら別だが」
「私はああいう人間がいた方がためになると思っているもの。陛下にもいくらかの緊張は必要なのよ。私にすれば、どうして貴方がそれほどまでに彼を毛嫌いするのか理由がわからないのだけど?」
 ちらりと意味深な上目遣いでイェナが見やる。
「虫がすかん」
 そのイェナと目を合わせずに一言でトーヴァは答えた。
 イェナは勘がいい。眼の奥を一瞬よぎった感情からさえも、なにかを読み取るかもしれない。
「嘘。どうせ人に言いたくない因縁があるのでしょう?私は聞かないでいてあげるけど、多少、態度を改めないと他の連中に探りを入れられるわよ」
 どうやらイェナは忠告したかっただけのようだ。
「そんなに不自然か?」
 トーヴァは眉を寄せた。
 あの男を好きだという人間の方が少ないのだから、堂々と嫌いだと言っても誰も不思議に思わないだろうに。
「ええ、陛下とはともかく、あなたとそりが合わないような性格ではないもの。似ているから、余計、反発するという見方もあるかもしれないけれど、私に言わせれば貴方達は根本が違ってるわ」
「幸いなことにな」
 あるいは不幸なのかもしれない。
 不機嫌な声で言いながら、ようやくトーヴァはこの部屋に来た当初の目的を思い出した。
「それで、古狸はなんと?」
「向こうの準備は万端、後は罠の入り口を閉じるだけ、ですって」
「相変わらず手回しの早いことよ」
 現在は帰国している洸王国の大使の顔を思い浮かべながら、さすがは古狸だとトーヴァは感心した。口ではそろそろ引退したいなどと言っていたが、まだ当分は暗躍を続けることだろう。
「ええ、感心するわ。私も見習わなくては」
 見習って欲しくない人間は山ほどいるはずだが、イェナはそんな連中に貸す耳を持たない。
「こっちも少し急ぐ必要がある、か。アインのやつも、早くしろとうるさいしな」
「あらまあ、アインってば、よほどリシュテが心配なのね。『破壊女神官』にそんな態度を取れるなんて」
 少しは気概が出てきたということかしらとイェナは楽しそうだ。
「扱いにくくなってこそ、一人前の警備隊員だ。それはそれで結構なことだがな」
 気は進まないが、あの男ともっと頻繁に連絡を取らねばならないようだ。
 仕方ない、とトーヴァは諦めた。
 大きなため息をつく女神官の茶器に女近衛騎士は微笑をそえてお茶を注ぎ足したのだった。


 何故ここにいるのだろう。
 傭兵とともに夜営の準備をしながらフィルはその騎士を盗み見ていた。髭の生えた中年の騎士は傭兵仲間となにやら笑いながら喋っている。
 雰囲気も話し方も、仕草までも全く違うが、この気配は彼だ。彼のことは幼い頃から知っているから、まず間違いない。
 「会えばわかる」といった王妹の言葉も思い出される。あれはおそらく、自分が彼だと見抜くと分かっていたからだろう。
 しかし、どうして彼が。
「器用なもんだね」
 考え込むフィルに一緒に食事の支度をしていた女騎士が声をかけた。粉をこねた塊をちぎって鍋に放りこんでいくフィルのなれた手つきに感心しているようだ。
「母にみっちり仕込まれましたから料理は結構得意なんです」
 軽く笑ってフィルは答えた。
「変わってるね」
「ええ、母は変わり者なんです」
 答えると女騎士は声をたてて笑った。
「違う、あんたのことだよ。近衛騎士っていえば、あたしらとは身分にも雲泥の差があるってのに、あたしらに丁寧な口調で話すし、こんな仕事もやるし、少なくともあたしの知ってる国仕えの騎士にはあんたみたいなのはいなかったよ」
「僕のような経験の浅い若輩者が、熟練の騎士に対して敬意を示すのは当然だと思いますが」
 騎士をその表向きの身分や地位で測るなと徹底的に彼に教え込んだのは父親だった。真の敬意を払うべきものは内面にある、と。それは騎士に限らず、どんな人間にも当てはまるとフィルは考えていた。
「そう考えること自体が変わってるのさ」
「そうですか?僕はこれでも近衛騎士のなかじゃ、普通の方だと思っているんですけど」
 それにどう考えても今の近衛騎士のなかには、傭兵だからという理由で他の騎士を見下す人間はいない。
「それじゃ、南陽王国の近衛騎士ってのは、よほど変な騎士の集まりなんだね」
 からからと笑って言われてフィルは言葉に詰まった。
 否定できない。まず、陛下からして変だし。
 そんなことを考えるのは女王に対して不敬この上ないが、誰も否定できない事実である。
「あの王妹ってのも変わっていたしねえ」
 しみじみした口調で女騎士は言う。
「そんなに変ですか」
 女王に比べればまともな人間だと思っている王妹を変わっていると言われ、フィルは首を傾げた。女王を基準にすれば、多くの人間が「まとも」の範疇に入るということをフィルは見逃している。
「ああ。だけど、そういう変わりもんは嫌いじゃないよ」
「ありがとうございます」
 確かな好意をそこに感じたので、フィルは笑顔で礼を述べた。
「まったく、そんな笑顔を惜しみなく向けるんじゃないよ。あたしが十歳も若けりゃ、ころっとまいっちまうところだ」
 わしゃわしゃと乱暴に頭をなでられ、フィルは首をすくめた。完全に子供扱いだが、おそらく自分の母とそう年が変わらぬ女騎士から見れば、子供も同然なのだろう。
 そう言えばとフィルが香草の準備をしているはずの魔法士に目を向けると、彼女は香草の束を前になにやら考え込んでいた。
「ノウィン、どうかした?」
 魔法士は頷き、香草の束から一本を引き抜いた。
「この香草はシィンさんから分けて頂いたのですけれど、中に違うものが混じっているんです。シィンさんが間違えたのか、それとも、私が気づくか試されたのか、考えていたんです」
「……えーと、その違うものって、なに?」
「血止めに使う薬草です」
 そう言えばとフィルは思い出した。出発前、どこから聞きつけたのか、ノウィンに料理はさせない方がいいよとユリクがわざわざ忠告しにやって来た。神殿で身の回りのことはなんでも自分でできるように育てられてはいるのではないのかと聞き返したら、血の入った料理が食べたいのならやらせてもいいけどとの言葉が返って来た。要するに、ノウィンは非常に不器用ということなのだ。
 ほぼ間違い無く、シィンもそれを知っていたに違いない。しかしながら、わざわざ混ぜ込まれた薬草が女薬師の気遣いなのか、いやがらせなのかはフィルには分からなかった。
「役に立つこともあるかもしれないと思って入れておいたのじゃないかな」
 辺り障りの無いことを口にしてフィルは料理に使う香草を受け取った。
「そうですね」
 ノウィンは素直に言う。
 人を疑うことをしないから、あの女薬師と付き合えるのだろう。女薬師は疑えばどこまでも疑い続けねばならなくなる人物だ。
 他にもなにか混ぜものをしているのではないだろうなと手もとの香草をつい吟味してしまうフィルであった。


 強い風が吹いていた。塔の最上階にいるためか、空が鳴るのが近くに感じられる。
 ライカはこの日、十二度目になるため息をついた。
 監禁されているこの部屋は決して広くはなかったが、置いてある調度は立派なもので、居心地は悪いものではなかった。ただ普通の部屋と違うのは一つしかない窓に鉄格子がはめられているという点だろう。気のふれた人間にふさわしい部屋。
 窓から見えるのは神殿と深い森だった。今ではその森も限りがあることを知っているが、幼い頃は果てしなく続いているのだと思っていた。檻のように自分を閉じ込めているものだと。
 ライカは森に背を向けると寝台の上に腰を下ろした。
 一体、自分はここで何をしているのだろう。狂人として隔離され、何もできぬままに無為に時を過ごしている。自分が甘かったとしか言いようが無い。せめて神官達に国王へ疑念を抱かせることができればと思っていたのに、それすら叶わなかった。
 何も変えることができないのであれば、すべて無意味だ。
 だが、まだ諦めてはいなかった。
 この塔から逃げ出すことは難しくはない。部屋には魔法による仕掛けは何もなかった。おまけにライカの世話をするのは小柄な老女で、見張りも置いていなかった。ただこの老女には守りの術がかけられていた。ライカが魔法攻撃を仕掛ければ、破ることは簡単にできようが、その場合、老女は無事ではいられない。肉体的に拘束すればすむことだが、老女は心臓を患っているという。
「自由になりたくば、殺すがいい」
 そう王は塔に幽閉されたライカに向かって言った。
 彼はわざわざライカのもとを訪れ、彼女が知りたがった事実を教えた。彼女の推察が正しかったことを、ライカが知らない過去に起きたこと全てを教えた。そして、最後に言ったのだ、自分を止めることができるのならば、止めてみよと。そのために老人一人を犠牲にすることなど容易いことではないかと。
 ライカは唇をかんだ。
 犠牲を出す覚悟もなく自分に挑むなど笑止と王は嘲っているかのようだった。
 だが、ここで老女を殺すわけにはいかない。それこそ、あの王の狙いだ。老女を殺せば、自分はあの男と同じものになる。いかなる目的であろうと、罪なき者を犠牲にすることを肯定するわけにはいかないのだ。
 ライカは息を吐き、額に手をあてた。微かな空気の流れを感じ、そのままの姿勢で眉を寄せる。
「よっ、久しぶり」
 顔を上げる前に能天気な声が耳に届いた。額を手で押さえたまま、ライカは動かなかった。
 空耳ではない。断じて空耳ではない。なにが悲しくて、あの男の声を幻聴で聞かねばならないのだ。
「聞こえないふりすることはないだろ、ライカちゃん」
 勢いよくライカは顔を上げた。
「なんであなたがここにいるのよっ!」
 そこに立っているのはまさしく馬鹿男、オルトに間違いなかった。
「なんでって、そりゃあ、俺も一応、騎士だし、囚われの姫君の救出ってものを一度くらいしてみるのもいいかなと」
 相変わらず緊張感もなにもない男はへらへら笑いながら言った。
「あのお婆さんは」
「気持ちよさそうに昼寝してたぜ。あんまりよく眠ってるんで、つい呼吸を確かめたけどな」
 オルトはくるくると指の先で鍵のついた紐を回している。眠っている老婆からくすねてきたらしい。
「どうやって、ここまで」
「前にファギルと隠し通路を探検してたんでね。それを使ったら、すんなり入り込めたぜ。この神殿って魔法の仕掛けは凄いらしいけど、間抜けな構造だってファギルが言ってたぞ」
「……ここから抜け出せるの?」
 もちろんとオルトは頷いた。
「ライカちゃんが俺のお願いをひとつだけ聞いてくれるって約束してくれるなら」
「お願いにもよるわね」
 慎重にライカは応じた。
「ライカちゃん以外の誰にも迷惑にならないお願い」
 いい加減そうに見えるが、自分がどういう人間か、オルトは把握しているらしいとライカは少しだけ感心した。
「わかったわ。約束するから、ここから出して」
「了解」
 我が意を得たりとオルトはにんまり笑った。
 その表情にライカは間違いなく自分が後悔する羽目になることを確信した。だが、それでも今ここで申し出を断って後悔するよりましなはずだ。
 ライカは立ち上がった。
 今は後悔することを恐れてなどいられない。
「なんか持っていくものは?」
「この身ひとつで十分よ」
 言い切ったライカにオルトは笑った。
「それじゃ行きますか」
 散歩にでも行くように軽く言って背を向けたオルトの後について、ライカは外界へ向けて歩き出した。