女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (35)

 宵闇公国からの年若い使者は笑顔のまま固まっていた。
 滞在している南陽王国宮廷にて女王からお茶の席へ招待を受け、つい先ほどまで女王と和やかではあるが、あまり意味の無い会話を交わしていたところだった。そこへ、脈絡もなしに女王は彼女の心を思いきり波立たせる一石を投じた。
 いくら聡明とは言え、セラナ・エスタスは経験の少ない少女である。いや、経験豊富であっても、同じ反応を示したかもしれない。それもこれも、相手が南陽王国の女王だからだ。
「ジラッド公子をふった理由は何なのだ?」
 このお茶の産地はどこだとでも言うように気軽な調子で女王は尋ねた。
 女王に不意打ちを食らわされて、セラナの思考は一瞬止まり、その後、事態の打開を求めてめまぐるしく回転し始めたのだが、これはという解決方法を導き出せなかった。目の前には興味津々に目を輝かせている女王がいる。相手によっては関係ないでしょうと突っぱねることもできただろうが、目の前にいるのはまぎれもなく一国の主だ。
「……そのことについては、私の一存で申しあげるわけにはまいりません」
 ようやくセラナが口にした言葉に、女王はそうかとあっさり引っ込んだ。興味があるにはあるが、どうしても知りたいというわけでもないらしい。特に気を悪くした様子もない。
「ひとつ確かめておきたいのだが、そなたは今後ジラッド公子が誰と縁付こうと本当にかまわないのだな?」
「もちろんです」
 落ち着き払って答えたセラナに女王はわずかに笑みを見せた。
「ならば、ぜひ、協力してもらいたい」
 実はなと女王は喜々として語り始めた。公子を婿にとるべく貴族の娘達が名乗りをあげているのだが、どの娘の成功率が高いか見極め、重点的に後押しをしたいのだ、と。
「後押し、ですか」
 南陽王国と宵闇公国に血縁ができた場合の利点について考えを巡らせながらセラナは確認した。王妹との縁談には見込みが無いと言った公子の言葉を信ずるならば、次の手を打つことも考えておかねばならないだろう。
「具体的には公子の好みなど是非に聞きたいわけなのだが」
「……容姿と性格がよいに越したことはありませんけれど、女性でしたら来る者拒まずですわ」
「ぬ? 私は婚約者がいるからと断られたが」
 セラナは一瞬息を止めた。確かあの時、その父親たる大公はもし女王に気に入られたならば、婚約のことは伏せておいて女王との縁談をすすめるように言い渡していたはずだった。だが、おそらく公子らはそれをよしとしなかったのだろう。第一公子の人柄から考えると、今回は縁組する予定はないが、親交は深めたいという意志表示を示しておくように弟に言いつけたはずだ。そしてジラッド本人は素知らぬ顔で、女王のおめがねには叶いませんでしたと父親に報告していた。あの兄弟はと内心舌打ちしたい気持ちで、それでも表面上は平然としてセラナは応えた。
「他の女性ならいざ知らず、いくら公子でも女王陛下がお相手となれば、婚約しているという事実を隠すわけにはいかなかったのでございましょう」
 南陽王国の諜報機関は優れたものだと聞いている。事実、縁談を進めたとすれば、婚約のことは探り当てただろうと思われた。
「その気があれば、婚約などしていないふりはできたはずだがな。まあ、いい。どちらにせよ、公子にその気がなかったことは確かなのだから。来るもの拒まずにしても、好みはあろう? 私とて美形は好きだが、そのなかでも特に好みという顔があるからな」
「……そうですわね、近衛騎士のルーダル・セオン様とおっしゃいましたかしら? あの方が女性でしたら、間違いなく好みの容姿だったと思われますわ」
「それはまた厳しいな。あれ程となるとなかなかいないのだが。性格はどうだ?」
「おとなしくて心優しく、繊細な気遣いのできる女性というところでしょうか」
「私から逃げたはずだな」
 少なくとも女王は自分というものを理解しているらしい。
「ううむ、その手の性格の娘は自分では名乗りをあげたりはせぬからな」
 困ったものだとぶつぶつ女王はつぶやいている。
 どこまで本気なのだろうかとセラナは判断に迷った。南陽王国の女王というのは、思いも寄らぬところで足元をすくうとの噂がある。侮ってかからぬに越したことはないのだが、侮る以前に性格がつかめない。
「セラナ嬢、そのジラッド公子の好みというのは、そなたの異母姉を参考にしたものか?」
 またも何気なく女王が投げかけた言葉にセラナは息を呑んだ。
 そして、そんな自分をセラナは叱咤した。
 南陽王国の諜報機関が優秀であるのなら、公子の最初の婚約者のことなど調べがついていて当然ではないか。
「はい。……驚くほど、異母姉とルーダル・セオン様は面差しが似通っておられます。私などよりもずっと近い血縁があるように見えるでしょう」
 もし、彼が男でなく女に生まれていれば、うりふたつだったことだろうと思いながらセラナは言った。
「ふーん。残念だが、あれは男だし、あれの母親もそうは見えずともいい年だからな。まあ、年齢と性別が適合したところで、亡くなった婚約者によく似ているから嫁げというのはいただけぬな」
 死人に面影を重ねられてもいい迷惑だと女王は言い切った。その点は、セラナも同感だった。異母姉と自分に似たところが全くなくてよかったと常日頃から思っていた。
「……面倒だから、そなたが公子を引き取って、子供を寄越してくれぬか?」
 片肘をついて、その手のひらにあごを乗せたまま女王は言った。
「は?」
 なんのことだろうとセラナは慌てた。完全に女王の話についていけない。しかし、女王はセラナの戸惑いなど気にしていなかった。
「公子の目の色より、そなたの青紫の目のほうが私の好みだ。両方のいいところを受け継いだ子供なら容姿端麗で頭脳明晰であることは間違いない。優遇するぞ」
「……それは、陛下、私に公子と結婚してその子供を産めとおっしゃっているのですか?」
 何故、そんなことを望まれねばならないのだといささか腹を立てながらセラナは聞き返した。
「そうなるな。異母姉に未練たらたらの男なぞ、まっぴらごめんとそなたが言うのならば無理にとは言わぬが。しかし、私から見ると異母姉にこだわっているのは、ジラッド公子よりも、おぬしの方ではないかと思えるのだが」
 何も知らぬくせに勝手なことを言うなという言葉をどうにか飲み込んだセラナを見て、女王は楽しそうに、にんまりと笑った。
「セラナ嬢、もし、そなたが女当主となり人の上に立つのであれば、己の感情はもっとうまく隠すことだな」
「……申し訳ございません」
 搾り出すようにしてどうにかセラナは声を出した。全く女王の言う通りだ。
「別に私はそなたをいじめたいわけではない。第一公子から、そろそろ弟を宮廷から追い出して故郷に帰るようにしてくれないかと頼まれただけだ」
「ルアグ様が……」
「そうだ。せっかく、そなたら二人が心ゆくまで話せるようにしたところで、延々と平行線をたどっているようだから、少し痛い目にあわせてみただけだ。今ごろ、ジラッド公子もわが国最強の女神官にへこまされているはずだ」
 慰めるなり、追い討ちをかけるなり好きにするがいいと言い置いて女王は立ち上がった。
「これから、昼寝の時間なのでな」
 そう言って女王が向かったのは謁見の間であったのだが、一人取り残されたセラナにはそれを推察するほどの心の余裕は残されていなかった。


 地上は春だというのに、その空間だけまだ冬が居座っているようにひんやりと冷たかった。明るい日差しも全く届かない。
 神殿の地下室に案内された宵闇公国の第二公子は物珍しそうに周囲を見まわした。磨きぬかれた床や壁には何の装飾もなく、燭台すら祭壇の左右に置かれているだけだった。祭壇の上からは、顔の無い女神、すなわち、冥府の女神の像が彼を見下ろしていた。彼を案内してきた女神官はこの祈祷室の周囲は王家の霊廟であり、正面の奥には王家の始祖がまつられているのだと説明した。
「本来なら、俗人は王族しか入れませぬが、これからすることに都合がいいので、特別に陛下の許可をいただいたのです」
 手にした燭台と香炉を祭壇の上に置いて女神官は振り返った。顔が影になり、まさに冥府の女神そのひとのように見えた。ジラッドは唇の端をつりあげ言った。
「このまま冥府に引き渡されるのでは?」
 冗談ではあるが、本当にそうしかねないと思わせるものが、この女神官にはある。
「そのようなもったいないことはしませぬよ」
 喉の奥で笑って女神官はジラッドに祭壇の前まで来るように指示した。
「身動きされてもかまいませぬが、移動はなさらぬように。しばしお待ち下さい」
 そう言って女神官は詠唱を始めた。知っている単語を拾い集め、それが冥府の女神に語り掛けているものであることはジラッドにも理解できた。女神官の低めの声が堂内に響き渡り、その反響が微かに聞こえる。
 どのくらいの時が過ぎたか、風もないのに、ふっと蝋燭の焔が消えた。しかし、周囲が暗闇に閉ざされることはなかった。壁にも床にも不思議な文様がほのかな青白い光を放って浮かび上がっていた。
 すっと女神官が手をのばし、ジラッドの眉間に指で触れた。ちりっと焼けるような痛みが走り、反射的にジラッドは目を閉じた。
「ご覧なさいませ」
 不可思議な微笑を口元にたたえて女神官は言い、視線を動かした。その視線を追ってジラッドは信じられぬものを目にした。かすれた声で、今は亡き少女の名前をささやく。
 彼のすぐ傍らに、少女は立っていた。その姿は透けており、この世のものでないことは明らかだった。
「これ、は……?」
 唾を飲み込んでからジラッドは尋ねた。
「ただの残影、思いの『形』に過ぎませぬ。彼女の魂は世界の果て、冥府にて安らいでおりますゆえ。余程、強い思いだったのでしょう。死の乙女が切り離して置いていったのです」
 死の乙女は死者の魂を連れ去る時、邪魔になるものを、すなわち、この世に執着する思いを切り離すと言われていた。そして、強い思いほど、長い年月の間、消え去ることなく、とどまり続けるという。
「……思いの『形』」
「ええ。ただし、貴公への執着でも恋情でもありませぬ」
 ジラッドはゆっくりと女神官に視線を向けた。女神官の口元には、まだあの不可思議な微笑があった。
「貴公の弱さを彼女はよく知っていた。貴公が無事に立ち直れるかどうか、それだけが彼女には心残りだったのですよ」
 亡き少女の「形」をもう一度ジラッドは見た。
 あの顔だ。死を待つ床で見せた表情。ごめんなさいと謝った時の顔。
「彼女は自分が貴公の重荷になることを何より恐れていた。貴公の幸せを望んでいた」
 そういう少女だった。だから、ひかれた。大人達の思惑など関係なしに、出会ったその時からひかれた。ずっと共にあることを願い、そうなると信じていた。
「呼びましょうか」
「……なにを?」
「彼女の魂を。貴公が望むなら、この場所でなら、可能です」
 女神官の声に嘘はなかった。
 少女の顔を見つめ、ジラッドは目を閉じた。
「……必要無い。彼女を煩わせるのは御免だよ」
「今なら、ついでに貴公もあちらへ送ってさしあげられますが?」
 辛辣な女神官の言葉に苦笑がこぼれた。
 くよくよして鬱陶しい男なぞ、喜んで始末してやると女神官は言っているのだ。実際、彼女ならば自分の命を奪うことも可能だろう。
「遠慮する」
「ならば、これは消しますよ」
「ああ」
 ジラッドは目を開いた。女神官が手を一振りし、空気が動いた。煙がかき消えるように少女の姿は揺らぎ、霧散した。
 女神官の詠唱が再び始まった。暗闇に浮かぶ文様が明滅し、消えた。闇に包まれたなか、女神官がふうと息を吐く音が聞こえた。やがて、蝋燭に火がともり、光が戻った。
「普段なら、あの手の無害なものは放っておくのですが、今回、異例の措置をとったのは、ルーダルとクルス・アディン殿の口添えがあったからです」
「あの二人が?」
「ええ。貴公が、いまだにかつての婚約者に執着しているのであれば、地上に戻す必要はないとルーダルなどは言っておりましたが」
「ひどいな」
 ジラッドは顔をしかめ、苦笑した。
「あれには、そんなことはないと分かっていたのでしょう。だが、セラナ嬢は分かっていない。もし、貴公に幸せになる気があるのならば、正直にセラナ嬢に己の心を話すことです。そうでなければ、本当に逃げられてしまうことでしょう」
「……南陽王国の人間は、誰でも私達のことを知っているような気がするな」
 ジラッドの皮肉まじりな言葉に女神官はすまして応じた。
「さしでがましいことは重々承知しております。ですが、私は女王の魂の導き手だと最初に申し上げたでございましょう。陛下の憂いを取り除いて差し上げるのも私の役目です」
「憂い? なにを憂えるというんだ?」
 さすがに、あの女王に憂いという言葉ほど似合わぬものはないと正直に言ってのける度胸はジラッドにはなかった。もっとも、それを口に出したところで、女神官は力強く同意しただけだろう。
「もっぱらのところ、将来の環境についてでございましょうか。布石として、貴公には早く身をかためてもらいたいそうです。世継ぎの君の花嫁候補は多ければ多いほどいいそうですから」
 次の瞬間、はじけるような笑い声が静寂を破り、神殿の地下にこだましたのだった。


 主不在の女王の執務室で近衛騎士の一人が眉間にしわを寄せていた。近頃、彼は近衛騎士の職務以外で忙しく、訓練場などで彼と顔を合わせることは少ない。
 いつまで近衛騎士でいるだろうかと思いつつ、アシュリーズは預かってきた書類をその前に差し出した。
「……これは?」
 わずかに眉を上げてヴェルシュは王妹を見やった。
「カリュートからだ。第五騎士団に召集をかけてもらいたいらしい」
 理由はそこに書いてあるだろうとアシュリーズが言えば、ヴェルシュはさっと書面に目を走らせて頷いた。
「そろそろ第五騎士団長殿も引退か。羨ましい」
「ヴェルシュを羨んでいる人間の方が多いんじゃないか? 私にはその気持ちがさっぱりわからないが」
「世の中、物好きが多いのだろう」
 多いのは物好きではなく、義務を果たさずに権利ばかり求める連中だ。面白くなさそうな表情のヴェルシュにアシュリーズはさらに追い打ちをかけるようにそれを告げた。
「そう言えば、シィンがウェイを実験に使いたがっていたんだが、何故か私に許可を求めて来たぞ」
「……許可したのか?」
 苦々しげにヴェルシュが確認する。
「いや。私に許可を求めるのは筋違いだが、ウェイに何かあったら困るからな。たががはずれたら、誰にも止められない」
 そう言ったら、それもそうですねとシィンも納得していた。
「正論だな」
 ほっとした顔をしながらも、釘をさしておくかとヴェルシュが呟くのを耳にしてアシュリーズはシィンの言ったとおりだなと感心していた。ヴェルシュを彼女のもとへ顔を出させるために、今の一件を必ずヴェルシュの耳に入れるようにと女薬師はアシュリーズに頼んでいたのだ。理由はヴェルシュの「健康維持のため」である。疲労回復のための薬湯を準備して待っているのに、なかなか顔を出してくれないとのことだった。
「ヴェルシュはシィンが嫌いなのか?」
 ふと心に浮かんだ疑問を口に出すと、ヴェルシュは思い切り顔をしかめた。
「好悪以前の問題だ。あれは、危険人物だ。取り扱いに注意がいる」
「嫌いではないんだな」
「……困ったことにな」
 困るのか。確かに、ヴェルシュの場合、嫌いな人間であれば目の届かぬところにやっておしまいだろう。
 双子の姉と違って色恋沙汰に興味のないアシュリーズがそれ以上、追及することはなかった。