女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (36)

 暁王国のアルク・デュリル・ゼノファ将軍の長男は、戦神の異名を持つ父親に似て豪胆で恐れ知らずだと言われている。
 だが、本人は己を小心者だと思っていた。
 何故なら、勝ち目の無い戦はしない、危険人物は極力避けるという母の教えを可能な限り守っているからだ。そのあたりが、逃げるが勝ちを信条にするオルト・マフィズと気が合う要因のひとつになっているのだが、その人物の存在を察知したときの反応もまたオルトと同じだった。
 すなわち、何も悪いことをしていないのに、思わず物陰に隠れたのである。
 気配を殺し、身を縮め、ファギルはその人物が通過するのを待った。一瞬、こちらに注意を向けたようだが無害と判断したのか、その人物は足を止めることなく神殿の正門をくぐり中へと入って行った。
 気配が遠ざかるにつれ、ファギルはゆっくりと緊張を解いていった。
 今のって、本物の女神官だよな。
 たった今通り過ぎて行った人物の姿を思い返し、怪しいところはなかったか確認してみる。恐ろしく高い騎士能力を持っていたことは確かだが、神官として不審な点は「騎士であること」以外、見当たらなかった。年齢の割に位が高過ぎるような気もするが、女の外見年齢はあてにならぬものだし、聖職者の位階は年功序列というものではない。
 まず間違いなく、あの有名な女神官だろう。父が欲しがり、その女好きの側近が二度と会えなくていい人物の一人に数えるトーヴァ女神官。女王の「魂の導き手」であり、女王に余計な知恵を与える人物。騎士としても優秀だが、交渉役としての手腕も優れたものだという。
 そこまで考え、しまったとファギルは舌打ちした。
 今、直接、エセルから預かった書簡を渡せばよかったのだ。そうすれば、手間が省けたというのに、ほとんど反射的に逃げてしまった。これも本能のなせるわざだろうか。
 どうしたものかと考えていると、人のよさそうな若者が通りかかった。これまた騎士であるが、さっきの女神官のような危険人物には見えなかった。おまけに、警備隊らしい制服を身につけている。
 ファギルは迷わず声をかけた。若者は足を止めて振りかえり、ぎょっとした顔になった。
「暁王国の……」
 思わずといった様子で若者がもらした言葉にファギルは肩を落とす。
 面がわれすぎだ、くそ親父。
 これも父親が将軍という地位にありながら、おまけに複数の子供のいる分際で、あちこち自由気ままにほっつき歩いているせいだ。
「暁王国のアルク・デュリル・ゼノファ将軍の御家族の方ですか」
 おそるおそるといった様子で尋ねる若者に敵意は感じられなかったので、ファギルは素直に認めて頷いた。
「親父が十四の時の息子ってことになる」
「それはまた……。どのような御用件でしょうか」
 若者の何やら同情的な口調に安心してファギルは書簡を帯の間から引っ張り出した。
「これをこの神殿の女神官に届けたいんだけどな」
 宛名を見た瞬間、若者の表情が凍りついた。
「また、エセルがらみか……」
 諦めたような呟きにファギルは眉を上げた。
「エセルの知り合いか?」
「ええ、不幸にも」
 その言葉だけで彼がエセルに振りまわされるくらい身近にいたことが分かる。もっとも筆跡だけでそれと分かるのだから、かなり近しい間柄だったことは確かだ。
「そんじゃ、間違い無いよな。これを女神官にあんたから渡してもらえれば……」
 この騎士ならば大丈夫とファギルが書簡を押しつけようとすると、若者は後ずさった。危険な毒虫でも差し出されたかのような反応だ。
「勘弁してください。神殿のなかまでは御案内しますから、どうぞ御自分の手で渡してください」
「いや、できれば、それは遠慮したいんだけど」
 あの女神官怖いし、そうでなくとも神殿という空間は苦手だとファギルは粘ったが若者も負けていない。
「そうおっしゃらずに。もし『戦神』の息子が国内にいると陛下の耳に届いたら、何されるかわかりませんよ。トーヴァ女神官にとりなしてもらうほうが遥かにましです」
「……ひょっとしなくても、親父、女王に嫌われてるのか?」
 父親の方には女王を嫌う様子はなかった。その側近の方は、二度と会いたくない人物の筆頭にあげていたが。なんでも、本人の説明によると、人間として厭な人間ではないが、厄介ごとに巻き込まれたくないからだということだった。
「嫌いというか、対抗意識を持っているというか……。息子を人質にとって何かしてやろうかと思うくらいには不穏な感情を持っていることは確かかと」
 それは嫌っているというのではないだろうか。
 アルク・デュリル本人は好意を持っていても、相手の方が彼を嫌い抜いているということも今まで何度もあった。
「ちなみに、ここで俺が見逃しても、おそらく本日中にあなたの存在は王宮に知れるところになると思いますよ。闘技大会のおかげで将軍はかなり顔が知られていますから」
 ファギルはがしがしと赤い髪をかきまわした。
 顔、変えたい。
 本気でファギルはそう思った。
 しかし、顔を変えるなどはまず無理な願いだ。
 ファギルは腹をくくり、若者の後に続いて神殿の門をくぐった。


 南陽王国の王宮は穏やかな春の午後を迎えていた。戦を前にした張りつめた空気はそこにはない。それを象徴するように、鮮やかな花々が咲き競う中庭を若い男女がそぞろ歩いている。
「いらつくぞ」
 中庭に向けて張り出した露台から二人を眺めていたアシャラーナがぼそりと言った。
 女王に観察されている二人は、先ほどから言葉も視線も交わそうとしない。
「せっかく雰囲気が盛り上がるようにと自慢の花園に送り込んでやったというのに、なんだあやつらは。やる気がないのか」
 なっておらんと自分本位に文句をつける女王にその夫は苦笑をこぼした。
「陛下がご覧になっているからではありませんか」
「なんだと?」
 ぶんっと勢い良く黒髪を揺らしてアシャラーナは夫を振り返る。
「ジラッド公子も騎士ですからね、見えなくとも気配は感じますよ」
 特に女王のように気力にあふれた人間の気配は察知しやすいものだ。ましてや興味津々の視線を向けているのであれば、気づかないはずがない。
「悪いことをするわけでもあるまいに、人が見ているくらいでなんだ不甲斐ない」
 女王には羞恥心というものは無いのだろうかと周囲の人間に時々首を傾げさせるところがある。しかしそれでも夫の提言を聞き入れたようで、女王は露台から部屋のなかへと戻って来た。彼女の現在の計画はさっさと宵闇公国の第二公子に身を固めさせて第一公子に恩を売り、息子の嫁とりに備えて布石を打っておく、というものだった。アシャラーナは基本的に短気だが、「趣味」に関することならば恐ろしく気が長く粘り強い。
「きちんと結果報告はさせるんだぞ」
「そうしないと国に帰れないことくらいは彼も分かっているでしょう」
 それよりもとクルス・アディンは女王が中庭を覗いている間に届いた最新情報を披露した。
「アルク・デュリルの息子が陽神殿を訪れたそうですよ」
 王都に放っている間諜達からの報告である。それによると、アルク・デュリルの息子は開門と同時に王都に入り、まっすぐに陽神殿に向かったという。そして王都警備隊員につきそわれて神殿に入っていったらしい。
 アシャラーナは眉を跳ね上げ、そのまましばらく動作を止めた。
「……アルク・デュリルには子供が複数いますからね、人質にしたところで大した取り引きはできませんよ」
 女王の考えを察知したクルス・アディンは素早く予防線を張った。
 取り引きできないどころか、面白がってデュリル本人がやって来て、大騒動を引き起こしかねない。
 ぐっとアシャラーナの眉根が寄せられる。余計なことを考えつかぬうちにとクルス・アディンは対処方法を提案した。
「利用するのであれば、うまくそそのかして戦場に送り込んではいかがですか?」
「……ふむ。暁王国と手を結んでいると思わせれば、牽制にはなろうな」
 アルク・デュリルにいやがらせをするという考えから離れたらしく、君主の顔になりアシャラーナは呟く。
「ええ。騎士としても秀でておりますし、よい戦力になるでしょう」
「だが、うっかり戦死されると厄介ではないか?」
「うっかり戦死するような騎士を、アルク・デュリル本人はともかく、暁王国が『戦神』の息子として認めることはないでしょう」
 なるほどなとアシャラーナは頷いた。正式な使者として訪問したわけでもないのだから、対外的にはよく似た他人で押しとおせばいいのだ。
「よし、トーヴァに捕獲して王宮に連行するよう伝えよう」
「トーヴァ女神官は今忙しい身です。それに、速やかに連れて来させるにはウェイ殿を使者に遣わすべきだと思いますが」
 その言葉にアシャラーナは難色を示した。
「ウェイとリーズには揃って休みを与えてあるのだ。邪魔はしたくない」
 恋人同士への気遣いというより、二人の仲を早く進展させて、未来の近衛騎士を早いうちに確保しようという魂胆である。
「それでは、今、カリュート殿が神殿に赴いているはずですから、用事がすみ次第、一緒に王宮へ連れ戻るよう、連絡しましょうか」
 女王は鷹揚に夫に向かって頷いてみせた。
「ああ、それならいいだろう。カリュートならば、多少の怪我はしても、小僧にみすみす逃げられることもあるまい」
 わざと逃がすことはあるかもしれませんがとクルス・アディンは心のなかで呟く。
 だが、それならそれでかまわない。女王の怒りが向けられるのはカリュートに対してであり、そのカリュートは女王に罵られようが意に介さない人物だ。
「あれの息子か。……顔さえよければ、丁重に扱ってやってもよいのだが」
 そんなことを女王は呟いている。
 もし、女王の好みの外見をしていれば、例え「天敵」たるアルク・デュリルの息子でも南陽王国の騎士に登用しようとすることだろう。そういうところが、女王という人間を測りかねる原因になっているのだが、本人に自覚はないだろう。
 アルク・デュリルの息子、か。
 どのような人間か、クルス・アディンも大いに興味を持っていた。


 うろうろと落ち着きなく赤毛の少年は中庭を歩き回っていた。
 彼が面会を申し込んだ女神官は、来客中で話し合いが終わるまでしばらく時間がかかるとのことだった。アインは見張りと暇つぶしの相手もかねてファギルに付き添っていた。中庭にいるのは、ファギルが奥に入って待つよう言われた途端、ぎょっとした顔になって絶対に御免だと頑なに拒否したからだ。なんでも、奥にはりめぐらされている魔法の網はとんでもなく性質の悪いもので、うっかり足を踏み入れたら蜘蛛の巣にからめられた羽虫よろしく身動きできなくなるとのことだった。
 それらの魔法を操っているのは主に神官長である。おまけに女王の夫の技術も加わっているはずで、さもありなんとアインはファギルの言葉に納得し、応対に出た神官を説得して中庭で待つことにしたのだ。無理を強いて逃げられては元も子もない。
「そんなに『ひどい』術なんですか?」
 魔法力を感知できないアインは同情を込めてファギルに尋ねてみた。女王をして妖怪と呼ばしめる神官長の存在を知ってはいたが、直接まみえたことはない。一生顔を合わせることがなくてもいいとも思っている。
 ファギルは足を止めると、アインを振りかえった。心なしか顔色が悪いようだ。
「術そのものも性格の悪さがにじみ出るようなものなんだけどな、なんというか、ここにいては危ないっていう気配が漂いまくっているんだ」
「あー、それはまたつらいですね」
 王宮内において、薬師が居住する区画に漂う気配と似たようなものかとアインは考える。あれは経験に裏打ちされた危機意識だが、ファギルの場合は本能的なものなのだろう。彼のように研ぎ澄まされた本能が自分にあれば、王都警備隊員になることもなく故郷で漁師にでもなっていたはずだ。基本的に騎士能力保持者は騎士になることを求められるが、強制ではない。
「おっ、目の保養」
 わずかに明るくなったファギルの声につられて、アインは頭をめぐらした。見慣れた女神官が金髪の神官見習いを連れて中庭に出て来たところだった。
 その彼女達にまとわりつ気配を察知してアインはわずかに眉を寄せた。女神官達はまっすぐにこちらに歩いてくる。
「なあ、これって……?」
 ファギルの戸惑ったような声音にアインは小さく頷く。
「運が悪かったようですね」
 その言葉はファギルに向けたものでも、女神官達に向けたものでもない。
「始末してもいいのか?」
 慌てた様子もなくファギルが尋ねる。
「できれば生かしておいてください」
「わかった」
 余計な説明を必要としない人物でよかったとほっとしているアインの目の前までやって来たリシュテは数多くの心棒者を欺き続けてきた清らかな笑みを浮かべた。彼女の性格を理解しているアインであるが、綺麗だなあと素直に心のなかで賞賛する。
「後はよろしくね、アイン」
 その後ろで金髪の少女がぺこりと頭を下げる。人見知りする少女は近頃はアインにも慣れてくれたが、初対面のファギルを警戒しているようで、表情がぎこちない。
「これくらいならシェルーゼ一人でも始末できるんじゃないか?」
 内気な女神官が凄腕の魔法士だと知っているアインは確認の意味もこめて質問した。泳がせておけと言われているなら、それに従わなくてはならない。
「生け捕りにする自信がないそうよ。それに丁度よく貴方も神殿に来たことだし」
「強力な助っ人もいるし、丁度いいといえば丁度いいんだが」
「どなた?」
 わずかに首を傾げてリシュテはファギルへ顔を向ける。ファギルが騎士であることは分かっても、誰であるかまでは視力のないリシュテには分からない。ファギルは神殿屈指の美人女神官達に感嘆の目を向けている。
「『戦神』の御子息、アルク・ファギル・ハルダ殿だ。エセルから書簡を預かってこられた」
「まあ」
 エセルらしいわとリシュテは苦笑をこぼす。あの有名な暁王国将軍の息子に遠慮なく使い走りをさせる人間などそういないだろう。
「初めまして、私はリシュテ・ゼンと申します。エセルとは幼なじみですわ。こちらは、神官見習いのシェルーゼ」
 じわじわと狭まってくる包囲網の存在など気にせずにのんびりした声音でリシュテは名乗り、連れを紹介する。その様にファギルは深く頷いている。エセルの幼なじみというだけあると思っているのだろう。
 中庭にふいっと複数の影が降り立った。
「シェルーゼ、防御はよろしく」
 金髪の少女が頷くのを確かめることなくアインは地を蹴った。逆方向にファギルが跳んだのを背後に感じる。六人中四人は彼が相手してくれるだろう。
 全く運が悪い連中だ。よりによって戦神の息子が居合わせるときに決行に移すなんて。
 黒幕が何者かは知らないが、すでに運に見放されているのだろう。
 刃風をほおに受けながら、アインは薄く笑った。