女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (37)

 南陽王国の人間は皆ちゃっかりしているのだろうか。
 ファギルは左右から同時に襲ってきた刃をはね返しながら、そう考えた。
 彼をこの場所に案内してきた王都警備隊の騎士アインは、さりげない動きでファギルに四人、自分には二人の相手をするように割り振った。すなわち、二人が屋根の上から、二人が柱廊から姿を現した方向に彼は背を向けたのである。
 上から飛び降りてきたうちの一人が、ファギル達の背に守られるように立っている女神官達のもとへ跳んだがファギルは気にしなかった。強力な魔法の「壁」が存在することに気づいていたからだ。
 予想通り、壁に触れた者は弾かれて悶絶した。どういう魔法が使われているかまでは分からないが、かなり痛そうだ。
「手抜きしないでくださいよ」
 死んだらどうするんですかと後ろからアインが文句をつける。
「一応、聞くけど、生死の心配をされてるのは、こいつらの方だよな?」
 半歩ひいて、するりと身をかわしながらファギルは確認した。
「勿論です」
 予想通りの返答だ。
 そりゃあ、これくらいの連中にやられるつもりはないけどよ。
 唸りを上げて振り下ろされた大剣が、相手の得物を叩き折った。
 魔法力をまとわせたから、刃がいたむことはない。魔力はあるけれど器用に使えない人間のために編み出された技で、ファギルの父親も相手をするのが面倒になると、よく使う。アルク・デュリルは手強い相手とはじっくりと戦いたがるが、雑魚の相手はしたがらない。
「だからって、俺はおまえらが雑魚とは思ってないけどな」
 そう呟きながらファギルは均衡を崩して前のめりになった男の鳩尾を左拳で突いた。軽々と男の体は吹っ飛んで行くが、よほど打ち所が悪くない限り死にはしないだろう。
 その行く先を見届ける間もなく頭上から振り下ろされた剣をはじいてそらし、相手のこめかみを柄頭で打った。もちろん頭蓋を叩き割らぬよう力加減には細心の注意を払っている。横倒れになった男は白目をむいていた。
 どちらも大剣とみて小回りがきかないと思ったのか、間合いを取り損ねたようだ。しかしながら、さすがに二人やられたのを見て慎重になったらしく、残る一人は迂闊に近づこうとはしない。
「言い忘れてましたけど、神殿内ですから血は流さないでくださいね」
 自分の割り当てをこなしたらしいアインが背後から声をかける。
「わかってるって。でも、そう言うんなら手伝ってもいいんじゃないか?」
「無用でしょう」
 ほら、とアインが言ったときには、最後の一人が地面に崩れ落ちた。
 気配もなく近づいてきた人物に後ろから殴り倒されたのである。もちろん、その姿はファギル達には見えていたのだが、襲撃者は気づかなかった。もし視界に入っていなければ、物音一つ立てず魔力も気配も完全に消してのけていた人物にファギルもまた気づかなかっただろう。実際、彼が柱の影から姿を現すまで、ファギルはその接近に気づかなかったのだから。
 いやな動きをする奴だ。
 そう思いながらファギルはにこやかな笑顔を浮かべて近づいて来る男を胡散臭げに見やった。アインと同じく、黒髪青目の典型的な南陽王国民だ。
「はじめまして、アルク・ファギル・ハダル殿。私はカリュート・シアン・ゼフィク、貴方を王宮まで御案内するように言い付かった者です」
「……誰に?」
「いと気高き我らが女王アシャラーナ様です」
 何故だかひどく空々しい響きをファギルの耳は男の言葉から聞き取った。
「心にもない形容をつけるな」
 ファギルの心の声を代弁するかのように一喝したのはファギルの目的である女神官だった。
「一応、他国人の前だし、わが国の主君に敬意を示しておかないといけないと思ったんだよ」
 ひょいと肩を竦めてカリュートは言う。
「お前のは慇懃無礼というものだ」
 鋭く言ってから女神官はファギルの前に進み出た。思わず後ずさりしそうになるのをファギルはなんとか堪えた。
「さて、アルク・ファギル殿、私がトーヴァでございます。遠方より御足労いただき真にありがとうございます。早速ながら書簡をお渡しいただけますか」
 これも慇懃無礼というものではなかろうか。
 書簡を懐から引き出しながら、ファギルはそう考えた。
 口調こそ丁寧だが、態度では「よこせ」と言ってるも同然である。もたもたすると怒られそうだ。差し出された書簡を受け取った女神官は軽く頷いた。確かにエセルの筆跡だと認めたのだろう。
「確かに渡したから、俺はこれで」
 すぐさまファギルが踵を返そうとすると、
「これで気がね無く王宮へ行けますね」
 と、カリュートにぴたりと寄り添われてしまった。
「いや、俺、オルトに女王の前には顔を出さないほうがいいって言われたんだけど」
 びくびくしながらファギルは横目でカリュートの様子をうかがった。
 オルトの言うことなので半信半疑ではあったのだが、アインも同じような意見だったので、まず間違いはないだろう。一応の抵抗は試みるべきだ。
「それじゃ、顔を出さずにすむように首なしで行きましょうか」
 にこやかに穏やかにカリュートにささやかれ、根が素直なファギルは速やかに降参した。
 一対一なら負けない自信はあるが、ここはいわば「敵地」である。アインがさっき言ったように、追っ手はどこまでもついてくるだろう。
「アルク・ファギル殿、そやつを冥府に送りこみたくなったときには、いつでも私に御相談を。喜んで加勢させていただきます」
 書簡を早速開いて読んでいたトーヴァが文字から目を離すことなく言う。またもや心を読まれたかのようで、ますますファギルはおののいた。
 女王ってのは、この連中の総大将なわけだよな。
 そう考えると、果てしなく暗い気分になる。
 アインが実に気の毒そうな目を向けていたが、彼らとは距離をおいて、ちゃっかり美人女神官達の隣に立っている人間に同情されても少しも慰めにならなかった。


 午後の日差しが窓から射し込んでいた。
 柔らかく暖かな春の光をもってしても、陰気な部屋の雰囲気を変えることはできないようだ。
 その陰気な部屋の主、すなわち陰気のもとは森緑王国の君主でもあった。
 王は人を呼び出しておきながら入室しても書類から目を離そうとしない。王だから当然といえば当然の態度だが、気に食わない。
 今ここで剣を抜けばどのような騒ぎになるだろうかとエルードが考えていると、ようやく王は彼の存在を認め、一枚の紙を差し出した。それには若い男の顔が描かれていた。
 よく見れば整った顔立ちだが一見したところでは二枚目とは言いがたい。いかにも何かを企んでいそうな、しかし、企むのは陰湿なことではないだろうと思わせる茶目っ気が感じられる。
 なかなか腕のいい絵師が描いたらしいとエルードはひそかに感嘆した。
 近衛騎士オルトの特徴がよく表れている。
「侵入していた南陽王国の手の者の似顔絵だそうだ」
 知っているかと森緑国王に尋ねられ、エルードは頷いた。
「他人の空似でなければ、近衛騎士オルト・マフィズだろう」
 それは王には少々意外な返事だったらしい。
「ほう? 二年ほど前から行方知れずになっていると聞いたが」
 その通りである。南陽王国の騎士達の間ではひそかに女王の手で始末されたとか、ついに女王のもとから逃げ出したのだとか、様々な憶測がささやかれていた。
「お前にも似ていると思ったのだがな」
 うっすら笑って王は言う。エルードは片方の眉を上げた。
 もし自分がオルトと似ているとすれば、黒髪に緑の目という点においてだけだと思うが、王の目には別のものが見えるのだろう。例えば「王」に対する不遜な態度などは共通しているかもしれない。
 しかし、多分、王が言いたいのはエルード自身がある件に関わっているのではないかということだ。
「似ていると言われて嬉しい相手ではないな」
「女王がかなり気に入っている騎士だと聞いたが」
 ある意味においてそれは正しい。だが、決して誰も同じような気に入られ方はしたくないだろう。
 そう思いながら、王とのやりとりが面倒になってエルードは単刀直入に尋ねた。
「幽閉中の女神官を逃がした嫌疑で俺を呼んだのか?」
 実際に無関係である以上探られて困ることはない。
「いや。お前がこの都を離れていないことは証明されている」
 それなら、単なるいやがらせかと口に出しかけてエルードは止めた。南陽王国の女王ならともかく、この王がそんなことをするはずもない。
「暁王国の動きについて、お前の意見を改めて聞こうと思っただけだ。戦に介入することはないとお前は言ったが、その考えは変わらぬか?」
 なんぞ新しい動きがあったのだろうか。
 エルードは何度も同じことを聞くなとばかりに迷惑そうな顔をしてみせた。
「変わらない。前にも言ったように、援軍を出させぬために紅砂王国を抑えるという名目で動く可能性はあるが、直接の介入はあるまい」
 南陽王国との友好関係を理由に暁王国が紅砂王国に侵攻することはないとは言い切れない。今の暁王国の王ならば、そのくらい強引に戦をしかけてきても不思議ではないのだ。
 だがとエルードは付け加えた。
「国は動かずとも『戦神』は動くかもしれない。あの男は国の利益とは別の観点で行動するようだからな。おまけに息子が南陽王国側にいるとあらば、これ幸いとやって来かねない」
「なるほど、国と将軍は別か。今朝方、将軍が王宮より姿をくらましたとの情報が入った。お前の考えが正しければ、『暁王国』の動きと関連しているとは限らぬことになるな」
 この王には遠距離からも魔道具を介して情報が即座に届けられるのだから、その日の朝の情報が届けられていてもなんら不思議はない。
 エルードはしばし考え込んだ。
 戦神が姿を消した、か。今、暁王宮を出発すれば、開戦には間に合う。
 この時期、あの将軍が動くならば南陽王国がらみだと思うのが当然だが……。
「その情報は例の魔道具を使って届けられたのだろう? その存在をつきとめて動き始めた可能性もある。あの魔道具はもとは北でつくられたものだろう?」
 アルク・デュリル・ゼノファは北の氷晶王国にも行っていると示唆すると王は頷いた。
「……それもあり得るとみたか」
 面白い、と緑の目を細め王は呟いた。
「暁王国でも、よかったやもしれぬ」
 戦をふっかける相手のことを言っているのだとエルードはすぐさま理解した。
 アシャラーナ女王とアルク・デュリル・ゼノファ将軍か。
 どちらも相手にしたくないと思う人間ならいくらでもいそうだが、どちらでもいいという人間など、この男とこの男によく似た容姿を持つもう一人くらいのものだろう。
「やはり悪趣味だ」
 正直な感想をエルードが述べると王は鼻で笑った。
「お前は悪趣味ではないとでも言うのか」
「あんたほどではないと思っているが」
 同列におくのはやめてくれとばかりにエルードは応じる。王が、こうした彼の態度を面白がることはあっても怒ることはない。
 そう言えば、とエルードは改めて気づいた。
 この男が不快げな顔をするのを、ましてや怒るところを見たことがない。笑いこそすれ、心底楽しんでいるかどうかは不明だ。無表情さにかけては、南陽王国の近衛騎士の一人とそう変わらないかもしれない。
 しばらく黙っていた王がまた口を開いた。
「……王子から何か仕掛けられたか」
「いや」
 突っかかられたことはあっても、仕掛けられるというほどのことは何もされていない。
「下の方が、お前の周りを詮索しているようだったが」
 それはエルード自身も気づいていることだった。だがエルード自身に危害を加えようとする類のものではなく、間諜としても素人だったので放っておいたのだ。
「始末する必要があるのなら始末するが?」
「今のところは必要ない。邪魔にもならぬ」
 王の口調は邪魔にすらならぬと言っているかのようだった。王が力を持たぬものに、関心を寄せることはない。
「実の子ではないのか」
 思わずエルードが呟くと王は眉を上げた。
「血のつながりなど無意味だ」
 ひどく冷めた声だった。
「そうだな」
 自分の伯父のことを頭の片隅で考えながらエルードは同じくらい冷めた声で応じた。
 この体に流れる「血」に意味はない。
 自分ではふっきれたつもりでていも、どこかでわだかまっていたものが綺麗に拭い去られた気がした。
 だが、血のつながりなど無意味だと言う王こそ、それにとらわれているのではないかと確信に近い思いをエルードは得た。
 だからこそ、この男は、あの女と戦う定めにあるのかもしれない。
 とらわれた者ととらわれぬ者。
 どちらが生きるか。
 不本意ながら、自分もその一方に荷担しなければならないようだ。
 すでに自分の存在を忘れたかのように新たな書類を繰る王を眺めながら、エルードは皮肉な笑みを刻んだ。


 その日の夕刻、南陽王宮の議場には騎士団長ら主だった軍務関係者が集まっていた。およそ半年ぶりの顔合わせだが、前回に比べると緊張感が格段に違う。女王の名のもとに開戦の準備は着々と進められ、遠く離れた地にいる部隊は開戦地である北の国境に向けてすでに進軍を開始しているのだ。
 女王の口から彼らに伝えられたのは、総司令は王妹ではなく東方将軍に任せるという少々意外な決定だった。少なくとも名目上は王妹が総司令となるであろうと彼らは予測していた。さらには、総司令の補佐として、王妹には未来の夫と目されている第五騎士団副団長がつけられるだろうと思われていたのに、その当人が列席していない上に彼の名前すら挙がらなかった。第五騎士団長が悠然と構えているところを見ると、すでに前もって承諾済みのことだったのだろう。
 総司令を何故王妹にしなかったのかと騎士団長の一人が疑問を口にすると女王はまことにもっともな質問だと頷いてみせた。
「飾り物であろうが王族を頭に据えるのはどこの国でもやることなのだがな、形式だけでもアシュリーズの許可を得なくてはならないのでは時間が無駄になる上、指揮系統に混乱を招きかねないとアシュリーズ本人が言うのだ。無論、アシュリーズも参戦するが、全体の指揮をとることはない。そなたらも歴戦の将である東方将軍になら安心して指揮を任せられるであろう」
 小娘の指揮に従えるかと思っていた者もいたことだろうとまではさすがに女王も言わなかった。しかし、王妹の指揮官としての力量がいかほどのものか分からないのは事実だ。
 騎士団長らは顔を見合わせ、頷き合った。王妹を無能とまでは思わぬが、安心感が違うのは確かなのだ。
「それでよいのであろう、アシュリーズ?」
 女王に問われ、真面目くさった顔で列席していたアシュリーズはいかにもとばかりに首肯を返した。正規の騎士団を動かすのは面倒だとか経験不足の騎士など足手まといだなどという思いは、ちらとも表に出さない。
 その王妹を見ていた東方将軍が口元を覆う髭の下で苦笑をこぼしたことに気づいた者はいなかった。仮に気づいた者がいたとしても、いかつい顔の将軍が笑うことがあるなんてと、そちらの方に気を取られて理由までは推察できなかっただろう。
 女王からの通達の後、軍務大臣から細かな指示が与えられた。多少意外なものはあっても最初のものほど大きく予想を違える知らせはない。
 結局、この会合に王妹の夫候補とされるカリュート・シアン・ゼフィクは最後まで姿を見せなかった。仮にも王妹の夫となる人間であれば、それなりの地位が与えられてしかるべきなのだが、それにまつわる発表もなかった。これが様々な憶測を生むことは、まず間違いはない。
 締めくくりとして女王は参戦する者達に向けて、もっともらしい激励の言葉を述べた。
 女王が即位してから数年が過ぎている。ゆえに、ある程度女王の性格を理解している人々が「女王陛下の有り難いお言葉」に素直に感激することはない。
 「勝て。万が一負けたら、どんな目に遭わされるか分かっているのだろうな」という女王の心の声がしっかりと聞こえているからだ。
「うむ、やはり、これだけは言っておかねばなるまい」
 退席しようと腰を上げた女王が一同をぐるりと見渡した。
「よいか、心当たりのある者は心して聞け」
 堂々たる女王の声にその場にいた者達が背筋を伸ばす。
「顔は死守せよ」
 そう言い渡して女王は裳裾を翻し、手で額を押さえる夫を伴って広間を出て行った。
 しんと静まり返った空間に響いたのは、王妹の深い溜息と近衛騎士イェナの楽しげな笑い声だけだった。