女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (38)

 森緑王国の王都中心部は貴族の邸宅を主とし整然とした構造だが、端にいくにつれて無秩序な造りとなり、入り組んだ路地が増える。特にかつて市壁が存在し、後に取り壊された区域は一部の壁と建物が混在したままになっており、猥雑を極めた。狭い路地を歩いていればいつのまにか建物内に入り込んでいたということもある。こうした場所は、以前に施された守護魔法などの残滓もあり、魔法的にも入り乱れた不安定な場所であった。ゆえに、もっとも密談にふさわしい場所として、後ろ暗いところのある人間に好んで利用されていた。
 そうした密談に使用されるひとつの建物内で影が動いていた。
 小さな窓から射し込む弱い月明かりでは男か女か、そしてそこに何人いるのかも判別つけ難い。ただ、視力の強い騎士能力者ならばその弱い光でも十分に見ることができた。
「このままだと難しいな」
 床の敷物の上にだらりと寝そべったままエセルは言った。緊張感はもたないが、油断しているわけではない。微かな足音もエセルの聴覚ならとらえることができた。
「ああ。仮に足止めするだけにしろ、魔法を使える人間がいないと不利だ」
 壁に背をもたれたままエルードが応じる。エセル同様、ゆったり構えてはいるが、彼の耳もエセルと同じほどには鋭い。
「例の協力者とやらは使えないの?」
 ひそかにエルードに協力を申し出てきたらしい魔法士の存在だけはエセルも知らされていた。
「……あれは命を取るとなると、二の足を踏むかもしれない」
 少し考えてからエルードは答えた。彼にも測りかねるところがあるのだろう。
「ふうん? 森緑王国民としての忠誠心ってやつ?」
 軽くかまをかけてみたが、ひっかかるエルードではない。さあなとあっさりいなされてしまう。
 しばらく沈黙が続いた。
 森緑王国の民ならば、いかに「国」が危機にさらされていようと、国王の命を奪うことにためらいを覚えるだろう。どこかの国々とは違うなとエセルは考え、にやりと笑った。南陽王国でも暁王国でも、危険な人間が王位に居座るのを許しはしまい。
「来たな」
 近づく気配を察知してエルードが言い、石壁から離れた。エセルも身を起こし、到着を持った。しばらくして、壁が動き、ぽっかりと穴があいた。そこから四つんばいになった男が顔を出し、二人の姿を認めると、片手を上げてよおっと声をかけた。
「久しぶりだな、エルード」
 街中で出合ったのと同じくらいに気軽に挨拶をする。例え戦場で敵味方として遭遇しても変わらないだろう。それがオルトという人間だ。
「さっさとどきないさよ」
 オルトの後ろから、苛立った女の声が聞こえた。オルトは器用にそのままの姿勢で肩を竦め、するりと横穴から出て来た。続けて金茶色の頭が出てくる。一まとめにされた髪のあちこちには埃がひっかかっていた。
「はい、これが逃亡女神官のライカちゃん」
 へらりと笑ってオルトが後から出て来た若い娘を紹介する。即座に、女神官は女神官らしからぬ口調でかみついた。
「気安く呼ぶなって何度も言ってるでしょ!」
 言うだけ無駄だろうとオルトという人間をよく知る二人は心のなかで思っていたが、思うだけで口にすることはない。
「あれ?」
 立ち上がって服の埃を払うライカの顔を見てエセルは首を傾げた。
「前に会ったことあるよね?」
 その言葉にライカは訝しげに眉を寄せた。魔法士である彼女にはエセルの顔立ちまでは見て取ることができないのだ。
「ほら、森神殿で先見ができなかったって話をした」
 すぐにライカは思い出したらしく、ああと頷いた。
「あの時の……では、あなたはエセルさん?」
「そう。よりによってオルト殿に関わるなんて不運だったね」
「まったくね」
「エセルにだけは言われたくないぞ」
「それはこっちの台詞だよ」
 不毛な言い合いに割って入るべくエルードが一言告げた。
「高位の魔法士、だな」
 オルトが片方の眉を上げ、エルードを見やる。
「よくわかったな。怒るとむちゃくちゃ怖いんだぞ」
 自分で怒らせていてなにを言うのか。オルトは踏まれそうになった足を素早く引っ込めた。爛々とライカの緑眼が光っている。
 確かに気は強そうだとエセルは唇の端をつりあげた。
 これは使えるかもしれない。
 同じことを考えたらしく、エルードも目が合うと頷いてみせた。
 「予見」の実現までまたひとつ近づいたとエセルはひっそりと笑った。


 低い声で話し合う騎士達を横目に、ライカは身を固くしていた。
 暗がりでライカには彼らの表情は見えない。ただ声音だけから推測するしかないが、彼らは皆恐れとは無縁の様子だった。
 羨ましい。
 どうすれば彼らのように腹を据えられるのだろう。ここまで来てもまだ自分には迷いがある。
 自分の決断は正しかったのかと繰り返し自分に問いかけるライカの前で騎士達はライカも加担することになる計画について話し合っている。
 やめるなら今だろう。だが、その決意もつかない。
 ライカは重い息を吐いた。
 神殿からライカを連れ出したオルトはまず王都へ彼女を案内した。国外へ逃げるよりも、多くの魔力が渦巻く都に身を潜めるほうがいいとの判断だった。妥当な判断だとライカもそれに同意した。そもそもライカには国から逃げるつもりなどさらさらなかった。
 王都に着くとオルトはライカを安宿に預け、しばらく姿を消した。そのまま見捨てていったのだろうかと思い始めた矢先、帰ってきて、今、目の前にいる二人のもとへ連れてきたのだ。
 そのうちの一人、エセルとは面識があった。もう一人の黒髪の若者はエルードと名乗った。二人にライカが見た「過去」と王より聞いた話をするとどちらも強い興味を示した。
「なるほど、『双子』か」
「うわ、まさか、陛下も双子だったから戦ふっかけたわけ?」
 ほぼ同時に二人は言った。どういうことかと尋ねると、二人は互いにお前が説明しろと視線を交わした挙句に押し付け合いを諦めたのか交互に説明を始めた。
「要するに、あの男は同じ双子に生まれながら、南陽王国の女王とその妹が王位を奪い合わなかったことが気に食わなかったらしいよ」
 そんな馬鹿な理由があるのかと疑うライカに、
「妹の方が気に食わないと言っていたくらいだから間違いないだろう」
 嘆息まじりにエルードが補足した。
「おまけに、あちこちで肉親の間に争いの種をばら撒いていたらしいからな」
「血の絆ってものを試してたんじゃないかな? 自分がそんなものを全く感じなかったものだから、他の人間はどうなのだろうって」
 そんなことで、とライカは唇をかんだ。
 くだらない。
 そんな理由で国を巻き込んだ戦をしようというのか。
 だが、二人の推測を否定することはできなかった。
 先王も兄も己の手にかけたと王はライカに言った。
 目の前に姿を現した彼に先王は呪いの言葉を吐いた。だから、躊躇なく予定通りに殺すことができたと薄く笑って王は告げた。
 双子の兄は殺す予定ではなかった、という。彼の存在を知らなかったならば、また、少しでも彼が生きていたことに驚きと喜びを見せたならば、そのまま立ち去るはずだった。
 だが。
 兄は弟の存在を知っていた。そして父親同様に彼が生きていたことを罵った。静かにその場を立ち去った彼は誰にも邪魔されない時と場所を選び、兄を毒殺した。
 多分、そのとき彼の人間性は壊れたのだ。
 自分になされた予見を成就させるべく、彼は行動を開始した。
 彼には並々ならぬ力があった。おそらく、予見を覆す力もあっただろう。
 しかし、彼が国に繁栄をもたらしてみせたのも、予見成就のためだった。彼一人がいなくなれば、たやすく崩れるように巧妙に体制をつくりあげた。
 全ては国を滅ぼすため。
 それが彼の望みなのだ。
「あなた達の目的は何なの?」
 二人の騎士は顔を見合わせ、エセルから口を開いた。
「あの男を殺すこと、かな」
 事も無げにエセルは言ってのけた。
 繰り返し見る夢から解き放たれたいのだと。
「そもそも自分とそっくりな顔の男って存在自体がいやなんだよね」
 言われて初めてライカはエセルと彼の相似に気づいた。
 改めて見ると、驚くほど似ている。
 なぜ、気づかなかったのか、答えは簡単だ。あまりにもまとう雰囲気が違い過ぎる。
「それでは、あなたが『彼女』の娘なのかしら?」
 娘と、そして正気さえも奪われた、元王妃の。
「そうかもね。予見も当たってるかもしれないし。だって、その子供は『国』の、あの男の破滅を予見されたのだから」
 今のままだと、あの男が死ねば国は崩壊するわけだしとエセルは楽しそうに言う。
「それからね、私は行商人のじいさんに連れられて南陽王国に行ったんだけど、そのじいさんは私を金茶の髪に緑の目の典型的な森緑王国の貴族の男から金と一緒に渡されたらしいよ。金だけ取って捨てるのも、売り飛ばすのも自由だって」
 彼女が生まれた頃、まだ王は人の信用を、彼の思うままに動かせる人間を得ていなかっただろう。そして、彼は人を信用しない。その男が王本人であったという可能性は高い。
「……自分の娘かもしれないのに」
 そう口にしてから、ライカはその言葉の空々しさに気づいた。
 エセルはますます笑みを深くした。
「かもしれない、でしょ。微妙な時期に生まれているわけだし。それにさぁ、あの男には血縁なんてどうでもいいものなんだから。私を殺さなかったのも、予見が成就されるかどうか見届けたかっただけなんじゃない?」
 少なくとも、彼が殺された瞬間には予見の成就が分かるのだ。
 ライカは深く息を吐いた。それから疲れた目を、エルードに向けた。
「あなたは?」
「あの男の足元をすくうことだな」
 エルードは淡々と間諜として南陽王国に差し向けられた過去を告げた。
 聞きながら、ぼんやりとこの人も私と同じ時期に森神殿にいたのかしらとライカは考えた。あの息苦しい森のなかで生活していたのであれば、「敵」であるはずの隣国がどれほど魅力的に見えたことだろう。そして、その土地で「森」の人間であることにどれほど苛立ったことだろう。
「利用するだけ利用して捨てるやり口が気に食わん。利用された側としては仕返ししてやらないと気が済まない。初めはあの男に協力することで国ごと滅ぼしてやろうかと思っていたが、それこそがあの男の望みだと知ったからやめた。滅びるのはあの男だけでいい」
 だから、とエルードはエセルの方をあごでしゃくってみせた。
「こいつと組むことにした。俺としては、計画が崩れ去るのを見せつけてやりたいところだが、どちらにせよ死ねば終わりだ」
「……共倒れにはならないの?」
 あの王が計画したように、彼の死とともに国が滅びることはないのだろうか。
 ライカを見つめる二対の目が光ったような気がした。
「あの男の望みを叶えるつもりは無い」
「そうそう思い通りには行かせないよ」
 異口同音に二人は言った。
 そしてライカに協力を求め、ライカは同意した。
 王を殺すことに。
 その決断は正しいのだろうか。
 着々と計画は立てられていくのに、答えはまだ出なかった。


 午後の明るい光の射し込む窓辺の光景を目にした南陽王国の王妹は立ち尽くした。
 女王夫妻の休憩室であり、世継ぎの君の遊び場でもある私室に、何故か王家の者でもなければ南陽王国民ですらない人間が入り込んでいる。
 そしてその明らかに異国人と分かる人物と世継ぎの君は楽しそうに遊んでいる。彼はずいぶんと子供の相手に慣れているようだった。
「待たせたな」
 アシュリーズに続き、部屋に入ってきた女王が異国人に向かって声をかける。彼をこの部屋に案内したのは女王の指示だったのかと納得する一方で、なにもここでなくてもいいだろう、とアシュリーズは思う。なにしろ、彼はあの「戦神」の息子だった。つまりは暁王国の王族であり、ずば抜けた騎士能力保持者だ。それを世継ぎに近づけるとは、危険極まりないとしか言いようがない。そんな危険性など微塵も気にしていない様子で女王は言った。
「アールディオ、きちんと接待できたか?」
 接待。
 言葉は使いようだ。客に子守を押しつけて、よくも言えるものだとアシュリーズは感心した。もちろん、守り役をおおせつけられている近衛騎士の若者も同席しているが、彼はやや離れたところに控えている。
 背中によじ登った世継ぎを片手でおろしながら、赤毛の若者は女王を見上げた。座っていてもそれとわかる背の高さだ。父親よりは一回りほど小さいようだが、これからまだ成長する可能性は十分にある。
「アシャラーナ女王?」
 少し首を傾げるようにして戦神の息子は問うた。父親より赤みの強い髪をしている。
「そうだ」
 応えてアシャラーナは若者をまじまじと見、満足したように頷いた。
「そなたは、アルク・デュリルよりいい父親になりそうだな、アルク・ファギル」
 そして父親より男前だと付け加えた。
「そう言われてもあまり嬉しくないですね」
「あれが父親としては最低だからか?」
「その通り」
 父親をけなされて怒るどころかファギルは力強く肯定した。
「チビどもはあの親父を『親』として認識していないくらいですから」
 多分、「たまに見かけるおっさん」程度に思ってますよと真面目に言う。おそらく、彼自身もそう思っているのではないだろうか。
「ふーむ、今、何人くらいいるのだ?」
「血縁の有無を問わなければ十一人。ひょっとしたら、俺が国を離れている間に増えてるかもしれませんが」
 さもありなんとアシャラーナは頷いた。女王もできるものなら優秀な騎士の子供をがんがん養子にしたいと考えているのだ。それを思いとどまっているのは、近衛騎士や夫にそうしたいのなら御自分で面倒をみてくださいと言われているからだ。
「将来、美人になりそうな子はいるか?」
 息子の嫁候補を獲得することに女王は熱心だ。
「……親父は面食いじゃないもんで」
 婉曲的な否定の言葉に女王は小さく笑った。アルク・デュリルならば、きっぱりいないと言ったところだろう。
「まあ、女は化けるから分からぬぞ。それはそうと、そなたに来てもらったのは、他でもないそなたの父親のことだ。今、なにをしている?」
 足もとにやってきた息子を抱き上げながら女王は尋ねた。
「俺も国を出て半年近いんで親父の動向は分からないんですが」
「あれが今の時期にじっとしているはずがないとクルス・アディンがいうものでな。紅砂王国攻めをするはずだが、暇があればこちらの戦にも顔を出し、しかも、森緑王国側の戦列に並んでいそうだと」
 アルク・ファギルは顎に手をあて考え込んだ。
「……よく理解されているようで。しかし、どうして敵側に立つと?」
 これの、と女王はアシュリーズを振り返り、その問いに答えた。
「守護者と戦う機会を逃すはずがない、ということだ。戦場ならば、誰に遠慮することなく存分に殺し合えるからな」
 ファギルはアシュリーズの顔を確認するや顔をしかめた。
「王妹殿下の守護者、とおっしゃると例の……」
「ウェイ・ラトゥール。我が国で剣鬼と呼ばれている近衛騎士だ。数年前にもそなたの父親とは手合わせをしているが、互いに相手を殺す気はなかったようだから心残りがあるのだろう。存分に戦えと言ってやりたいところだが、ウェイには妹をしっかり守ってもらわねばならぬ。よって、そなたの父親にのこのこ出てきてもらっては邪魔になるのだ」
 女王はウェイが負けるとは露ほどにも思っていない。しかしながら、「戦神」に気を取られることで、「王妹」の守りがおろそかになる可能性はあると考えているのだ。
 アシュリーズは苦笑をこぼした。自分の身くらい自分で守れるつもりだが、そう言ったところでアシャラーナは納得しないだろう。それに、森緑国王は油断ならぬ相手だ。
 赤毛に手を突っ込んでばりばりかきながら、ファギルはくそ親父、と呟いた。
「俺も、というより、暁王国も親父に死なれてもらっては困るんですけどね」
 息子が父親の身を案じているわけではないらしい口調で言い、ため息をついた。彼にも戦神の息子として苦労が多々あるのだろう。
 そこでだ、と女王はずずいとアルク・ファギルに近づいた。
「そなたに壁になってもらいたい」
「……壁?」
 軽く目を見開き、アルク・ファギルは女王に顔を向けた。その彼に向かって世継ぎの君が手を伸ばし、ほとんど反射的にアルク・ファギルは幼子を抱き取った。
「そうだ。もし、あれが戦場に現れたならば、邪魔してもらいたい」
 世継ぎの君はせっせとまたアルク・ファギルの肩によじ登っている。
「俺じゃ止められないと思いますが」
 止められない以前に止めたくなさそうだ。彼でなくとも「戦神」の進路を阻むなんてことはしたくないだろう。
「息子なのだから弱みの一つや二つ握っておろうが」
「あいにく、そういう父子関係は築いていないもんで」
「それでも、ためらいもなくたたっ切られるほど冷え切った父子関係でもあるまい?」
 いや、それもちょっと自信ないとアルク・ファギルはうつむき加減になって呟き、その背にしがみついていたアールディオが転がり落ちかけたのを、さっと片手で支えた。
「でも、まあ、俺のお袋の怒りは買いたくないだろうから、殺されることはないと思いますよ」
「そなたの母君というと、女商人だな? ふむ、砂漠の交易において絶大な勢力を誇るというな。なるほど、敵には回したくあるまい」
「よくご存知で」
 世継ぎの君を膝の間に抱え直しながらアルク・ファギルは苦笑した。
「そりゃあもう、気に食わぬから徹底的にあの男の周辺は調べ上げたぞ」
「弱みを探るためですか」
「無論。痴話喧嘩の原因まで知ってるぞ」
 胸を張って女王は答えた。
 間違いなく、アルク・ファギルも女王を敵に回したくはないと思ったのだろう、その後素直に戦場に立つことを承知したのだった。