女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (39)

 槍の穂先をきらめかせ、王宮前の広場から騎士団が大通りに出て行くと熱狂的な歓声が上がった。沿道には一目でも王妹や将軍の姿を見ようと人垣ができている。花々が降り注ぎ、王都はお祭り騒ぎだ。
 先ほどまで出陣式に列席し、終わった途端に問答無用で王宮内の一室に連れてこられたセラナ・エスタスの耳にまでその歓声は届いた。
「人気があるのですね」
 感心してセラナは言った。国民性もあるだろうが彼女の故郷宵闇公国にはこれほどの歓声を上げさせることのできる貴族はいない。公子達ならば可能かもしれないが、彼らは国民に人気があるとは言えない父親の手前、目立たぬようにふるまっている。
「ええ、そのように仕向けていますもの」
 内心ぎょっとしてセラナは仮縫いした衣装を彼女に着せ、細かく手を入れている女官の頭を見下ろした。ミューカと名乗った若い女官は異国の血が入っているのか、黒髪ではなく柔らかな栗色の髪をしている。
「お金を使うべきところで使ってますのよ、陛下は」
 器用に薄布をつまんで縫いつけながら、なんでもないことのようにミューカは続けた。
 王妹に不敬の念を抱いているわけではなく、女王が人心掌握に長けているのだと言っているようだ。
「この布地、素晴らしい織りでございましょう?」
 薄布に手を滑らせながら不意にミューカが言った。
「ええ、本当に。初めて見ましたわ」
 世辞ではなく、本心からセラナはそう答えた。女王からの贈り物だという衣装に使用されている布は信じられないほど薄く軽い。色は青に見えるが、重ねると青紫になる。
「輝珠王国から職人を呼んで機織機を改造し、選りすぐりの織り手に織らせたものなのですわ。糸も特別に改良されて新たに作り出されましたの。染料も同じく。すべて陛下のご指示ですわ」
 セラナは目を見張った。これまで輝珠王国産の布地が最も質がよいと思っていたが、認識を改めなくてはならない。

「ご存知のように陛下は美しいものに目がなくていらっしゃるから、こうした技術の向上にも熱心でいらっしゃいますのよ。そしてその努力の結晶とも呼べるのがこの衣装ですの。この布の色合い、セラナ様の瞳によく似ていますでしょう? セラナ様と謁見された後、陛下はすぐさま、わたくしに衣装を仕立てるように命じられましたの。この布で仕立てられた衣装をまとわれるのは、セラナ様が初めてになりますのよ」
 セラナは一瞬息を止めた。破格の好意の表れだが、それを素直に受け取っていいものかどうか。あの女王は何を自分に期待しているのだろう。
 その思いが顔に出たのか、ミューカは小さく笑った。
「心配なさらずとも、セラナ様に見返りを求めているわけではありませんのよ。陛下はセラナ様に一番よく似合うと思われただけですわ。ですから、セラナ様に大勢の目に触れる場でこの衣装をまとっていただければ、それでよろしいのですわ」
 そういうことならとセラナは頷いた。この布の素晴らしさを故国で広めるくらいなら、とりたて不利益は生じないし、返って故国にも新しい風を吹き込むことになるだろう。
「ひょっとすると、陛下のことですから、『娘が生まれたら嫁によこせ』などとおっしゃるかもしれませんけれど、本気にされなくて結構ですわ」
 あり得ることだ。セラナは改めて傍らにかがみ、袖口の調整をしている女官を見た。
 ふっくらとした優しげな顔立ちの娘は衣装係だというが、女王の相談役も兼ねているのではないだろうか。
「一足先の結婚祝いと解釈されたらよろしいかと」
「……結婚すると決まったわけではありませんわ」
「あら? お断りするには、もう手遅れだと思いますわ」
 ミューカはおかしそうに笑いをこらえている。
「どうしてですか?」
「ジラッド公子は御自身の気持ちに気づいてしまわれましたもの。例え、セラナ様が他の殿方と結婚されようとなさっても、阻止しますわよ。それだけの力をお持ちですもの」
「わたくしが、独り身を通せばよいことですわ」
 まあ、とミューカは面白そうにセラナを見上げた。
「本当にそれが可能だと思われます?」
 彼女には何もかもお見通しらしい。
「……いいえ」
 小さく呟いて視線をそらしたセラナは自分の頬が上気していることに気づいていた。
「帰国されるまでには仕上げますわ。その間、公子に衣装に合う宝飾品でもおねだりなさってみてはいかがかしら」
 よい店を紹介させていただきましてよと朗らかにミューカは言い、恥じらうセラナの様子に微笑みを浮かべていた。


 都を出た王妹の軍は速度を上げ、その日の夕刻には王都北部に待機していた各騎士団の連合部隊と合流していた。野営地には近隣領主からの届け物がひしめいている。
「……ラーナが謁見中に居眠りする気持ちがよくわかった」
 次々と領主の使者が述べる挨拶を聞かされ、アシュリーズはすっかり精神的に疲れていた。例え居眠りしていても、最後には微笑んでみせる余裕のあるアシャラーナは立派だ。
 天幕のなかで足を組んで座り込み、アシュリーズは溜息をついた。
 戦が始まる前から、こんなところで疲れようとは思いもしなかった。
「でも、まあ、あそこでじっとしてただけ、ましだと思うけどな。親父なんか、これみよがしに欠伸してさっさと席を立っている」
 アシュリーズと同じくうんざりした様子で赤毛の若者は言った。彼もまた、「戦神の息子ここにあり」との噂を広めるべく、その場に同席したのである。こちらは足を伸ばして座り、両手を後ろについて首を回している。
「貴公にも迷惑をかけたな」
「どこかの女王や親父に比べりゃ大した事ないからいいさ」
 比べるのも失礼ってもんだよなと真面目にファギルは言う。姿形は父親と似ているが、性格はあまり似ていないようだ。自分達双子と同じようなものかもしれない。
「あれが父親だとやはり苦労するのか」
「顔が似てるもんでね。親父に敵が多いせいで、のんびり旅もできやしない」
「なるほど」
 アシャラーナがあちこち出歩いていたら、自分もまた面倒に巻き込まれることが増えていたことだろう。南陽王国の女王は暁王国の将軍と同じくらいには敵を造りやすい人間だ。
「女王が言ったように、本当にこの戦に出てきたら厭だなぁ」
 親父とやりあうなんて冗談じゃないとぶつぶつファギルは呟いている。
「死なない程度に骨折るくらいはやりかねないし」
 立ち上がりながらアシュリーズは尋ねた。
「折られたことがあるのか?」
「ある。暇だから相手しろって言われて立ち合ったんだけど、体力あり余ってたらしくてさ。がんがん打ち込んできやがって、こっちは死ぬかと思ったのに、すまん手元が狂ったって笑っていやがるんだぜ」
「それだけ、ファギルが手応えのある相手で浮かれていたんだろう」
 あの男の手元を狂わせることができるのなら大したものだ。
 アシュリーズは地図を取るとそれをファギルの傍らで広げた。大陸の東北部分の地図で、暁王国まで描かれている。
「なんだ?」
 首を傾げてファギルが地図に目を落とす。
「少し確かめたいことがあってな」
 言ってアシュリーズは暁王国と国境を接している紅砂王国のある地点を指差した。砂漠のなかに岩山が点在している地域だ。
「地図には記されていないが、この辺りに城砦都市があるのを知っているか?」
 ファギルは地図を覗き込み、考え込む表情になった。何かを思い出そうとするかのように目を閉じ、眉間に皺をよせる。
「あー、親父が言ってた。ラクなんとかっていう、難攻不落の都市ってやつ」
「ラク・アザス、古い言葉で『最後の砦』という意味だ。アルク・デュリルはそこへ行ったことがあるのか?」
「あるらしいぜ。門が開かれるのは年に数度だとかで、それを狙って行ったはずが予定より二日早く着いたんで、門の前で野宿する羽目になったって」
 それを聞いてアシュリーズは軽く目を見張った。
「ラク・アザスには古代魔法が残っているというぞ。近づく人間を狂気に陥らせるというもので、その門が開かれるときにしか解除されないそうだ」
 今度はファギルが目を見開いた。
「親父がそのせいでいかれたって言うのか? もともとだと思うけどな」
 その言葉にアシュリーズは小さく噴き出した。
「違う。アルク・デュリルには効かなかったというだけのことだ。このラク・アザスだが、かつて都主が紅砂王家の始祖と契約を結んだそうだ。ラク・アザスの自治を認め、決して干渉しない見返りに、王家が危機に瀕したときはラク・アザスが王家の最後の砦になる、と。岩山に阻まれて攻め難い上に古代魔法もあるのだから、逃げ込む先としては確かにいい場所だから悪い取引ではない」
 そこまで説明すると、あっとファギルは小さく声を上げた。
「そういうことか」
 感心したように言い、しげしげとファギルはアシュリーズを見た。
「よく気づいたな」
「私に『戦神』の能力があったならば、どう動くか考えただけのことだ」
「さすがに親父が嫁にほしがっただけある」
「嫁ではなく、騎士に、だろう」
 アシュリーズも、さすがは戦神の息子だと思いながら苦笑をこぼした。女王が可能ならば騎士にほしいと言ったのも頷ける。
「馬鹿だよな、親父も。最初から嫁といわずに騎士としてそこの人と一緒に召抱えたいって素直に言っておけば可能性はまだあっただろうに」
 ちらりと天幕の出入り口に陣取っているウェイに目をやりながらファギルは言った。できれば近くにいたくないと思っている様子だ。
「どうかな。ラーナも始末には負えないぞ」
 騎士二人を手放すとなれば、相当な見返りを要求するだろう。それも手放すとすればの話だ。
「まあな。それにしても、これで安心して戦場に出られるってもんだ」
 肩の荷が下りたとばかりにファギルは晴れ晴れと笑う。そういう表情をしていると、子供っぽく、というよりも年相応に見える。アルク・デュリルと確かに容姿は似ているが、あの男がこんな表情をすることはないだろう。
「安心するにはまだ早い。戦が長引けば、やって来るぞ」
 地図を丸めながらアシュリーズが言えば、ファギルは肩を竦めた。
「だから長引かせないんだろ? 俺は全面的に協力させてもらう」
「助かる」
 僅かに唇の端を上げてアシュリーズは笑った。


 細い煙がたなびいていた。緑の森に覆われた谷間から青い空へと上り消えていく。一見したところ、のどかな光景だ。
 南陽王国最年少の近衛騎士は目を細め、その煙の発生源である石造りの建物を確認した。もともとは領主の館だったのだろう、その建物は低い防護壁をめぐらしただけで守りは薄そうに見えるが、実際のところは魔法防御が施されているはずだった。周辺は廃墟のように静まり返っている。館の下にある小さな集落に人影はない。
「あそこで間違いないんだね」
 隣に立つ魔法士にフィルは確認した。銀髪の魔法士は頷き、眩しそうに空を見上げた。
「魔力の名残が感じられます」
 手を伸ばし、すうっと指先で弧を描いてノウィンは説明した。
「こちらの方角から伸びています。おそらく、その先に森緑国王がいます」
 フィルの目には見えない、いくつもの森と丘を隔てた遠くの地から森緑王国の支配者は魔力を注いだのだ。魔法に詳しくない彼にも、それが並大抵の力ではないと推測できた。
「あの建物の中にいる魔法士はおそらく五人。一人は警戒にあたり、一人は『作業』を進めています」
「作業って言うと例の?」
「はい。感じられるだけで、二十体ほどの人形が存在しています」
 ノウィンは感情を表さぬ灰緑色の目を遠くに向けていた。ニ十体という言葉を使ったことからして、己の意思を奪われた人々は彼女のなかではすでに人間ではないものと分類されているらしい。そう考えた方が仕事はしやすいだろう。
 フィルは建物へと視線を戻した。
 普通に考えても騎士能力保持者がニ十人というのは厄介だ。ましてやそれが己の意志を持たないとなると、自己防衛という意識は働かず、攻撃のみに専念してくるだろう。
「いかがされますか、リーク殿」
 彼らのやり取りを聞いていた壮年の騎士を振り返ってフィルは尋ねた。顔半分が髭に覆われたリークの表情はよく分からないが、困難な状況とは思っていないようだ。
「予定では開戦は明後日。我々にできることは見つからぬよう身を潜めて待つのみと言いたいところだが、魔法士殿はなにか用意しておくと便利なのでは?」
 低い落ち着いた声にはどこか南の方の訛りがある。どこで身につけたのだろうと思いつつフィルが眺めていると、小さく笑われた。
「そうですね。大きな術は感知されてしまう可能性があるので無理ですが、小さなものなら……」
 彼方から視線を戻しながら、ゆっくりとノウィンが答えた。
「では、作戦を立てるとしよう」
 そう言ったリークの背後に別の気配を感じてフィルは目を瞬かせた。黒髪の間から鋭い青い瞳が黙っているようにと合図する。南陽王国内にいる時から食糧調達以外の目的で町に寄らず野宿を続けていたのはこのためだったのかとフィルは納得した。
 そんな彼らを見ていたノウィンがわずかに首を傾げる。ノウィンもまた気づいたのかもしれない。
「行こうか」
 手を差し伸べてフィルが促すとノウィンは黙ったまま従った。
「ひとつ、用意はできました」
 足場の悪い傾斜地をフィルの手を借り、慎重に歩きながら呟かれた声は、リークに向けたものだ。
「腕のいい魔法士殿がいると助かる」
 先を歩きながらリークは振り返ることなく楽しげに言った。
 全く同感だ。
 フィルは頷き、よろけたノウィンを片手で支えた。
 自分に与えられた任務はこの魔法士を守ることだ。そうすることで、直接自分が動くよりも大きな成果が上げられるだろう。
「今晩はゆっくり眠れそうだ」
 一瞬、フィルは動きを止めた。
 眠るつもりなのか、この人は。それはつまり……。
 ちらりとリークが振り返り、片頬だけで笑った。
 やっぱりそうなのか。若い者が働けということらしい。
 こっそりとフィルはため息をついた。

 その夜、フィルは野営地からひとり抜け出した男の後を追い、闇にまぎれた。しばらく進んだところで声をかけると、男は反射的に剣を抜こうとしたが果たせずに転倒した。ノウィンの仕業である。フィルは体の自由を奪われた男の傍らに片膝をついて屈みこんだ。
「どちらへ行かれるつもりですか」
 憎々しげに男はフィルを睨みつけ、答える意思はないとばかりに顔をそむけた。首から上だけは自由に動くようだ。
「いくら貰ったんですか。今後の参考のために聞いておくようにと陛下から言いつけられているんですけど教えてもらえませんか」
 返事はない。フィルはため息をついて立ち上がった。
「こちらの目的が何か分かるまで待ち、連絡する、または行動を阻止する。そんなところだったと思いますが、別に貴方の目的も雇い主も分からなくても構わないんです。僕は与えられた任務を遂行しさえすればいいんですから」
 それではとフィルは踵を返し、歩き始めた。数歩進んだところで立ち止まり、振り返って付け足す。
「その術は貴方が息絶えるまで解けないそうですよ。高位の魔法士がたまたま通りかかるとよいですね」
 幸運を祈りますと笑顔で言って再び歩き始めたフィルの背に向かって男が叫んだ。
「金貨三十枚だ!」
 フィルは足を止めた。
 すごい。ノウィンの言った通りだ。
 口を割らせる方法なんて分からないとぼやいたフィルに、ノウィンはユリクさんの真似をしてみてはどうですかと助言したのだ。それならばとユリクなら言うだろうことを想像して真似てみたのだが、こんなにも効果が出るとは思わなかった。
 フィルは引き返し、男の横に片膝をついた。
「ありがとうございます。拷問なんかしたことないので、加減も分からないし、どうしようかと思っていたんです。質問に答えて頂けたら殺さなくてもよいということなので、安心してください」
 心底ほっとして笑顔を見せるフィルはもはや男には恐怖の対象でしかなかった。