第三部 夢と現-百騎夜行編- (40)
国境の丘陵地帯は近くを流れる川から漂い出た白い霧に沈んでいた。太陽が昇り、視界が開けるまでにはまだしばらく時がかかる。しかしながら視覚とは別の感覚でもって騎士達は敵の存在を感知していた。これほど多くの騎士能力保持者が集まることなど滅多にない。そのことに、脅えよりも興奮を感じている者の方が多いだろう。本来、騎士能力者は戦うために生み出された存在なのだから。
南陽王国軍の旗印である王妹アシュリーズも例外ではなく、ひそやかな興奮を感じていた。しかしながら、ひとつの現実が彼女に冷静さを取り戻させた。
「……やはり戦場でも着るものなのだな」
従者として付けられた騎士見習いの少女が持ってきた戦装束にアシュリーズは溜息をついた。
「王家伝統の戦装束と聞きましたが?」
戦装束を広げながら、戦場で着なくてどうするのだとばかりに騎士見習いが首を傾げる。
「代々派手好きだったということか」
煩わしげにアシュリーズは前髪をかきやった。王家伝統の戦装束とやらは彼女の感覚からすると無意味に派手だった。表地に光沢のある黒い生地を使い、裏地に鮮やかな緋色の生地を使ったマントはまだましな方だ。深紅の布地に南陽王家を象徴する太陽の紋が金糸で刺繍された外衣や宝石のついた飾り帯など、非実用的である上に女王の婚礼衣装にも匹敵する派手さではないかとアシュリーズには思える。だが、衣装係のミューカがそれを聞けば、一緒にするなと目くじら立てて怒ることだろう。
「出陣式の見世物用だと思っていた」
しかし、ここで着るのを嫌がって従者の少女を困らせるわけにはいかない。観念してアシュリーズは装束に袖を通した。さすがに動きをさまたげるようなものではないが、目に痛い。
不機嫌な顔のまま天幕を出ると、すぐそこに総司令たる東方将軍が立っていた。アシュリーズの表情に眉を軽く上げ、なだめるように声をかけた。
「その衣装はお気に召されませぬか」
「この姿を目にした敵は生かして帰すまいと思うくらいにはな」
その言葉を聞くや否や、この将軍にしては珍しいことに小さくふき出した。
「さすがは父娘であらせられる。先王も同じことをおっしゃっておりました」
「そうなのか」
南陽王家の人間は代々の派手好きというわけではなかったらしい。
「森緑国王は応じたか」
女王代理としてアシュリーズは開戦を前に森緑国王へ会見を申し込んでいた。表向きの理由は最終的な話し合いをするためだが、実際の理由は女王からの伝言を確実に耳に入れるためである。
「諾との返事が先刻参りました。真に一対一で話し合われるおつもりか」
懸念の表情を浮かべる将軍にアシュリーズは軽く笑って応じた。
「他には聞かせたくないからな。貴公も女王の権威を失墜させたくはないだろう?」
「さて、多少のことで揺らぐような権威ではないと思いますが」
将軍は今更とでも言わんばかりの口調だ。
「本心は話し合いの席でそのまま首をもらいうけたいところだが、国の体面を保つために我慢するから安心して良い」
「同じことを先方が考えるとは思われぬのですか」
森緑国王というのは、えげつない手段を平然と用いる人間として南陽王国では認識されている。
「それこそ好都合だろう。反撃して始末しても、誰にも文句は言われまい」
二人の会話など聞いていないかのような近衛騎士をアシュリーズはちらりと一瞥した。その気になれば、息苦しいまでの威圧感を与えることができる騎士だが、今は影のように存在感を消している。
「言い出されたら聞かぬところは陛下も殿下も父君譲りですな」
「ラーナほどではないと思うが」
わずかにウェイの眉が動いたのをアシュリーズは認めた。大差ないとでも言いたいのだろう。わざとそれを表に出したのは嫌がらせだ。昨夜もこの件でさんざんもめたのだ。
「貴公も二代続けて同じような性格の人間に付き合っているのだから、もう慣れただろう」
「確かに慣れましたな、己の無力さを思い知らされることには」
大仰に溜息をつく将軍にアシュリーズは笑い、この件はこれまでだと諸将の待つ場所へ向けて歩き始めた。
これからまた同じ件で反対もされようが、東方将軍の賛同があれば、皆口を閉ざすだろう。総司令を任せてやはり正解だった。
南陽王国の王妹のあとには見た目ではわからないが不機嫌な近衛騎士とどこか面白がっている様子の将軍が続いた。
よもや、こんな光景を目にするとは思わなかった。
向かい側の丘に翻る南陽王家の旗を眺めながら、オルトはうーんと唸り声を上げた。南陽王国軍全てを集めたわけではないだろうが、びっしりと軍勢が丘を埋め尽くしている。
いつか南陽王国から出奔するときが来ても、南陽王国軍と敵対する陣営に属することだけはしないとオルトは心に決めていた。南陽王国軍に対し仲間意識があるからではなく、絶対に戦場で遭遇したくない騎士がうじゃうじゃいるからだ。
それが今、はからずしも敵陣営のなかから、南陽王国軍を眺めることとなった。
「なんだ、びびってるのか?」
近くにいた傭兵に声をかけられ、オルトはにやりと笑った。
「ああ。騎士だけなら、確実にこちらに分はないと思ってね」
「魔法士がどれほど働けるかにかかってるというところだな。聞いたか、これから向こうの王妹と国王が会見するらしいぞ」
「へえ、そりゃ面白い。そのまま一騎討ちで勝敗を決めてもらえねぇもんかな」
あの王妹なら、そういう話をもちかけそうだと思いながらオルトが言えば、傭兵は苦笑をこぼした。
「おいおい、それじゃ俺達の出番はないだろうが」
「いいじゃないか、前金はもらってるんだし」
働かずに金が手に入るに越したことはない。オルトにしてみれば、前金も何ももらっていないのでなおのことだ。
「そう言えば、契約では司令官ではなく、雇い主の命令のみに従うって話だが、もし寝返れと言われたら、やっぱ寝返るのか?」
軽くさぐりをいれて見ると、傭兵は肩を竦めた。
「あの雇い主は若いくせに一癖ありそうだからな、寝返りもするかもしれん。契約は尊重するが、戦況次第ってとこだろうな」
「だよなあ」
森緑王国側が不利とみれば、傭兵達は喜んで寝返りもするだろうが、その逆は無理だ。
頼むから、読み違えるんじゃねぇぞ。
この場にはいない「雇い主」にオルトは心の中で声をかけた。
やたら勘だけはいい女騎士もいるから、まず大丈夫だろうが、機会が先になればなるほど危険は増す。すなわち、戦場で王妹をはじめとする南陽王国の騎士達に出くわす可能性が高くなるということだ。
アシュリーズ様なら見逃してくれそうだけど、ウェイはなぁ。
ばりばりとオルトは頭をかいた。
個体認識されることなく、斬り捨てられそうで恐ろしい。斬った後で、今のはオルトだったかもしれない、と気づいてもらえるならまだましで、そのまま気づかれずに終わりそうな気もする。
少しでも近づいたら一目散に逃げ出そう。後からライカ達から文句を言われるかもしれないが、彼女達に殺されることはない。
一番の問題は王妹がどんな動きをするかだ。予測はある程度つけているが、それを周囲が許すかどうかだ。
彼女のような騎士にとって、戦場では王妹なんて身分は邪魔にしかならない。
「いろいろと大変だよな」
本人も、周囲も。
オルトはぐるりと首を回した。
琥珀の目は真っ直ぐに鮮緑の目を捕らえた。
互いに組み合うような強い視線は形式に則り礼を取るまで、そらされることはなかった。
始末に悪い男だというのが、アシュリーズが抱いた森緑国王の第一印象だった。
王は、一見したところ学者のようにも見える雰囲気を備えていた。表面的にはむしろ世捨て人かなにかのようだ。それは、彼女の養母にも共通するものだが、中身が違いすぎる。内側に抱えた憎悪の念をアシュリーズは確かに王から感じ取っていた。
二人は国境とされる丘の頂上に立ち、腰ほどの高さしかない石積みの壁を挟んで向かい合いながら、しばらくの間互いに相手を観察していた。
先に口を開いたのは森緑国王だった。
「今更、話し合いも何もないと思うが」
「やはりそうか。止めるというなら止めても構わないと女王は言っていたのだが。その女王から貴殿へ伝言を預かっている。『ふざけるのもいい加減にしろ、馬鹿者』だそうだ」
淡々とアシュリーズが告げると、王はゆっくりと笑みを浮かべた。
「だいぶ苛立っているようだな」
「当たり前だ。嬉しかろう、目論見通りで」
「そうだな」
「たまには目論見通りに運ばねば、企み甲斐もあるまい。……望むように私達が争わなかったから、戦をしかけたのか」
アシュリーズは期待していなかったのだが、応えがあった。
「それだけではない」
「他になにが」
「南陽王国ならば、森緑王国を併呑することもできよう」
薄く笑ったまま王は言う。
アシュリーズはわずかに目を見開いた。
この男は、森緑王国という国を消したかったのか。
ようやく、これまでの理解しがたい動きが腑に落ちた。
だが、その期待に応えてやるほど親切な人間は南陽王国の中枢部にはいない。
「無理だな。今でさえ、我らが女王は政務を減らせと文句を言っているんだ。これ以上領土拡大して政務を増やすようなまねをするものか」
「それもよかろう」
南陽王国が併合せずとも、国力の落ちた森緑王国を周辺諸国が放っておくはずがない。よりいっそうの混乱がこの男の望みなのだろう。
「こちらからも聞かせてもらうが、何故そなたは王座を欲さぬ?」
「生きていくのに必要ないからだ」
むしろ、邪魔になる。そう答えると王は顔をゆがめた。
「……ますます憎らしくなった」
「では、その手で私の命を断つ機会を与えてやろうか」
笑みを浮かべてアシュリーズは言い放った。
「この戦、私と貴殿の一騎討ちで、片をつけてみないか」
「断る」
間髪入れずに王は拒否した。予想通り過ぎてつまらない返答だ。
「だが、余興は必要だろう」
すっと息を吸い込むと、アシュリーズはよく響く声で言い放った。
「我、アシュリーズ・レン・ファー・リィンド、南陽王国王妹にして女王の代理を務める者、ここに森緑王国の支配者たる者へ戦いを挑む。汝が臆病者でなければ、この挑戦に応じてその証を示せ。我が相手に及ばずと思うならば、代理を立てよ」
その声は両陣営に届き、少なからぬ動揺を引き起こした。
「……くだらぬことを」
森緑国王は鼻で笑った。アシュリーズもまた笑い返した。
「臆病者とののしられようと貴殿は気にすまい。だが、貴殿の下にいる者達は違うぞ」
挑戦を拒めば、士気が下がることは必定。戦を長引かせることを望んでいる王には本意ではあるまい。
「さあ、応じるや否や」
凛とした声で王妹は返答を迫った。
全身が総毛だった。
一瞬のうちに身が凍ったかのような錯覚に陥ったファギルはぶるっと身を震わせて、その錯覚を振り払った。
氷晶王国で真冬に戸外で水浴びしたら、こんな感じなのかもしれない。
そんなことを考えながら、ファギルは恐る恐る冷気の発生源に目を向けた。
発生源、すなわち、灰銀の目をもつ騎士はいつものように無表情に立っている。
しかし、間違い無く、怒っていた。短い付き合いしかないファギルにさえ、それと分かるほどに怒っていた。
彼を取り巻く空間がゆがんで見えるのは気のせいではあるまい。彼の内側からあふれる魔法力がファギルの眼にそう見せるのだ。ウェイ自身、その魔法力の存在を周囲に悟らせぬよう抑えてはいるはずだが、怒りのあまりその抑制が緩んでいるのだろう。
化け物だ。
ファギルは無意識のうちに腕をさすりながら、そう心の中で呟いた。
化け物だ、やっぱり親父は化け物だ。こんなのと戦いたいと思うなんて、同じ人間であるはずがない。
ファギルのように強い魔法力を持たない騎士達も、何かを感じるのか、落ち着かなげに様子を伺っている。
緊迫感のない声が、その場の空気を払拭した。
「おいおい、ウェイ」
王妹達とは昔馴染みだという傭兵、ガザンが苦笑を浮かべていた。
「おまえがそんな反応をすると分かってるから、リーズはおまえにも前もって言わなかったんだろうが」
「ガザンには言ったのか」
不自然なまでに抑揚のない声にファギルは身じろぎした。そうだと答えたら殺されるのではないかと心配したが、ガザンはまさかと手をふって否定した。
「リーズは確かに会見の席で王に攻撃をしかけないとは約束したが、話し合いが済んだ後、一騎討ちを申し込まないとは言ってないだろう。俺はやりかねないとは思っていたぞ。俺にできたくらいなら、お前にも予想できたはずだ。それを怠っておいてリーズばかり責めるんじゃないぞ」
この時、ファギルはガザンを心の底から尊敬した。
こんな恐ろしい状態の騎士相手に、なだめるだけでなく反省を促すなんて、自分にはとても真似できない。
ファギルは丘の上の王妹へと視線を向けた。鮮やかな緋色で裏打ちされたマントが風にひらめいている。派手過ぎると文句を言っていたが、似合わないわけではない。
王妹に挑まれた森緑国王が無言でゆっくりと踵を返すのが見えた。
賢明な判断だ。士気は確実に下がるが、王の命は取られずにすむ。
王妹が舌打ちするのが聞こえるような気がした。両陣営とも静まり返っている。
「森緑王国の騎士は臆病者ぞろいのようだな」
女王そっくりの皮肉を含んだ声が挑発した。
犠牲者が、名乗りをあげるのを、つい息をひそめてファギルは待った。
大勢の人間が息を飲んだ。
よもや会見の場で王が一騎討ちを挑まれるとは思ってもみなかったようだ。少しでも王妹についての情報を得ていたならば、十分予測し得ることだったはずだというのに。
思っていた以上にぼんくらぞろいだなとエルードは鼻で笑い、動揺する人々の顔をさっと見まわした。
比較的落ち着いているのは第一王子くらいのものか。青年は眉根をぎゅっと寄せて父王を見つめている。
魔法士である彼を戦列に置くことを危ぶむ声も出ていたが、王はそれらの声を無視した。ひょっとすると、王族は全ていなくなった方が都合がいいと考えてのことかもしれない。第一王子が気をつけなければならぬ相手は敵ではなく味方のはずの王だという可能性もある。
「俺が出る」
南陽王国の王妹に背を向けた国王を見て剣をとったのは第二王子だった。
悪くはない。王妹の相手として、身分的な釣り合いは取れている。
ただ、力不足だ。
「駄目だ、リークェス」
第一王子の制止にその弟は声を荒げた。
「俺が出るしかないだろう!」
その通りだった。相手が女王代理である以上、相応の身分を持つ者でなくては謗りを受ける。そして、王族で騎士能力を備えた者はこの場に第二王子しかいない。
例え討たれるにせよ、このまま挑戦に応じないでいるよりはましなのだ。第二王子が討たれたならば、復讐に奮い立つことだろう。
血気盛んではあるが、まるきりの馬鹿ではないらしいとエルードは少しだけ第二王子を見直した。もっと経験を重ねれば、王族として十分に指導力を発揮できるようになるだろう。それも、彼に先があればの話だが。
第一王子は何か言いかけ、その言葉を飲み込んだ。
彼が何を言いかけたのか、エルードには分かる気がした。
お前が王の戯れの犠牲になる必要はない。
そう言いたかったのではないだろうか。だが、それを口にするほどまでに彼の王への不信感は育ちきってはいないのだろう。
「父上、私に挑戦に応じる許可を下さい」
彼らの近くまで戻ってきた王に第二王子はそう願い出た。臣下達は危惧する様子は見せても、言葉を発しようとはしない。皆が王の言葉をただ待っている。
「……よかろう」
好きにしろといわんばかりに、王は息子へ一瞥もくれず答えた。第一王子がぎゅっと拳を握り締めるのが見えた。
高らかに第二王子が名乗りをあげて、陣営から出て行く間、エルードは王と第一王子を眺めていた。
王はなにか別のことに気をとられているようだった。わずかに眉間にしわをよせ、椅子に腰かけたまま考え込んでいる。これから始まる一騎討ちに無関心なのは明白だった。
その王の横顔を第一王子は食い入るように見つめている。もし、王がわずかでもその視線に注意を払い、長子に目を向けたならば彼の内面で何かが変わり始めていることに、気づいたことだろう。だが、王は完全に彼の存在を無視していた。
「手回しのよいことだ」
そう呟いて王がうっすらと笑いを浮かべた。
「こうでなくては楽しめぬ。ダルフォンを呼べ」
その名を王が告げた時、周囲の人々の間に緊張が走った。
皆、かの男の狂気には気づいているようだ。王の狂気には気づいていなくとも。
傭兵部隊長とされるダルフォンの指揮下にいる騎士達は、傭兵とは名ばかりの「人形」に過ぎない。それを知る者達は当然ながら、それらを束ねる人間をも恐れていた。
一呼吸おいて、はっとした様子で伝令がやや離れた場所で待機している傭兵部隊のもとへ駆け出していった。
標的以外に気をとられることがない、ダルフォンの傭兵部隊は、おそらく王妹を「狩る」のが目的だろう。だが、果たして狩られるのはどちらか。
エルードは暗緑色の目を細めた。
春の光が穏やかに降り注ぐ丘の上で、間もなく戦いが始まろうとしていた。
