女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (41)

 綿を薄く引きのばしたような雲が空に浮かんでいた。
 政務のに合間にふと顔を上げて窓から外を見やった女王はその雲のさまに間もなく帰国する客人達を思い起こした。
 西方での花嫁衣装は白一色だという。その装飾にしばしば用いられるレース編みも盛んで、幼い女の子から老女までレース編みで冬場の生計を立てている地域もあるらしい。
 西方の大国である輝珠王国が瓦解するのは、そう先のことではない。西方はしばらく動乱が続くだろう。レースのような奢侈品は需要がなくなれば技術も廃れる。これまでも技術者招聘には力を入れてきたつもりだが、まだまだ十分ではない。
 ミューカに相談して商人達から手を回させるかとアシャラーナが考えていると時を告げる鐘の音が響いてきた。
「そろそろ始まった頃ですね」
 ヴェルシュが書類をめくる手を止めて言った。
「なにが」
 空を眺めたままアシャラーナがなにげなく聞き返すと、しばらく沈黙が続いた。なにやら不穏な気配を察して、ヴェルシュに目を向けると、冷ややかな視線が返ってきた。
「戦です」
 そう言えばそうだったとアシャラーナはようやく思い出した。森緑王国が事実上の開戦日と定めたのは今日だった。
「我が王国の騎士達は、今の陛下のお言葉を耳にすれば、感動のあまり落涙するでしょうね」
 穏やかな、それだけに厭みたらしい微笑を近衛騎士は浮かべた。近くにいる文官達は聞こえないふりをして身を縮めている。自分の仕事に熱中するあまり本当に聞こえていない者もいるかもしれない。
「わが国の騎士達が負けるはずがないのだから、心配する必要はあるまい」
「心配はなさらずとも、気にかけては頂きたいものですね。陛下の御名のもとに戦うのですから」
 さぞがし戦い甲斐のあることでしょうともと相変わらず爽やかな顔でヴェルシュは皮肉を言ってのける。
「考え事をしているときに不意打ちされたからであって、すっかり忘れていたわけではないぞ」
 さすがに決まり悪くてアシャラーナはそう言い訳をした。
「考え事ですか。その書類になんぞ気にかかる点がありましたか。この春の増水で流された橋の再架設なぞ許可できないとでも?」
「許可しないわけはなかろうが」
 そんなことが書いてあったのかと思いつつアシャラーナが即座に応じるとヴェルシュはわざとらしい溜息をついた。
「陛下、その書類は道路補修費用に関するもので、橋の再架設の書類はそこにはありません」
 また内容にろくに目を通さずに署名されていたのですねとにこやかに指摘する。
「……根性曲がりめ」
「生まれつきといいたいところですが、私の根性が曲がっているとすれば陛下のお陰かと。お気に召さないのであれば、いつでも罷免して頂いて結構ですよ」
 アシャラーナはむっと黙り込んだ。
 それは不可能だ。仮にどんなに腹を立てても罷免だけはできない。何故なら、クルス・アディンにこれでもかとばかりに釘をさされているからだ。すなわち、短気を起こして罷免したところで、それこそヴェルシュの思うつぼなのだ、と。仕返しをしてやろうと思うのなら、どんどん位を上げてどんどん仕事をさせるのが一番ですよとヴェルシュに負けず劣らず穏やかな笑顔でクルス・アディンは言ったものだ。
 クルス・アディンを怒らせるのも得策ではないが、何より有能な臣下を手放したりしたら、我が身にそのつけが返って来る。父王にも政務の極意として、有能な人材を得たら絶対に逃がすな、と教えられている。
 アシャラーナは深呼吸してから、ヴェルシュに向け外交用の艶やかな笑みを浮かべて見せた。
「寛容な心をもってそなたを許すぞ」
「陛下の御慈悲に感謝します」
 口先だけでそう応じて、ヴェルシュはまったくもって感謝していない。感謝するはずもないのだ。
 ささやかな仕返しとして薬師に薬湯でも届けさせよう。そうアシャラーナは心に決めた。
 一方、女王と近衛騎士のやりとりを目の当たりにした文官達は果たしてこの場にいるのと戦場にいるのとどちらが怖いだろうかと真剣に考えていた。


 湿り気を帯びた風が吹いている。
 その風にざわざわと梢を鳴らす木々の間にフィルは身を潜めていた。手には弓を握り、万が一の際にはいつでも矢を放てるように備えている。
 彼の視線の先でそろりと複数の影が谷間にある建物へと移動していく。
 人の意思を奪い、思うがままに操るための術が施される場所の破壊こそ、彼らに与えられた任務だ。標的は、同じ人間として許し難い行為を働いている者達だが、こうして奇襲することには何か後ろめたさを感じる。
 すぐ隣に立つ魔法士が深呼吸する音が聞こえた。これから彼女は複数の術を同時に操らねばならない。この作戦の要は、この魔法士ノウィンだ。
 意識を集中し、微動だにせぬ銀髪の魔法士はどこか彫像めいて見えた。
 影が動きを止めた。直後、白銀の閃光が地面を縫うように走った。それを合図に一斉に騎士達が建物の中へ飛び込んで行く。守備にあたっていた騎士達が応戦しているようだが、魔法士による反撃はない。
 ノウィンが抑え込んでいるのだ。魔力の余波か、銀の髪が風もないのに揺らいでいた。唇はかたく引く結ばれ、眉間にはわずかに縦皺が寄っている。
「……一人、縛めから抜け出しました」
 わずかな不快の表情を浮かべ、小さな声でノウィンが呟いた。
「時間は十分あったから大丈夫」
 フィルは短く答えた。
 騎士と魔法士では、反応速度に差がある。術を紡ぐに十分な時間がない限り、魔法士は騎士に立ち向かえない。魔力を持つ魔法騎士が相手ならば、魔法士はその存在を遠くから先に感知し備えることができるが、魔力のない騎士相手ではそれも不可能だ。今回のような奇襲では魔法士達は術の照準を定める前に騎士に倒されてしまうだろう。
「こちらに来ます」
 そう言うとノウィンは目を開き、すっと手をかざした。
 目には見えないが、二種類の魔法力の存在を確かにフィルも感じた。ひとつはたった今、ノウィンが集めた微かな気配のもの。もうひとつは襲撃された建物から疾風のごとく凄まじい勢いで放出されたもの。感じられる気配だけでは、圧倒的に迫り来るものの方が強い。だが、それは彼らの前で四散した。周囲の潅木の枝がひきちぎられ、若木が音を立ててへし折れる。
「死に物狂いの人間は怖いものですね」
 土ぼこりのあがっている周囲を見まわし、感慨深げにノウィンは呟いた。
 さすがに、客観的に見て怖いのは君の方だと思うよとはフィルには言えなかった。
「今のは、術を使ったように見えなかったけど何をやったんだい?」
 ノウィンの魔力に動きはほとんど感じられなかった。
「流れてくる水の前に石を投じて流れを変えたようなものです。つまり魔法力のかたまりを置いて進路をそらしたのです。幸い周囲には被害を受けて困るものはありませんし、相殺するより遥かに楽ですから」
 簡潔にノウィンは説明したが、実際はそう簡単なものではないだろう。彼女の言うところの「石」がもろかったり、小さかったりすれば、全くの無傷では済まなかっただろう。
 あ、と小さくノウィンが声をもらした。
「森緑国王に気づかれました。『操り人形』が動き出したようです」
 魔道具はほとんど破壊したのに、この遠距離から魔法を行使するとはたいしたものだとノウィンは感心している。フィルは新たに動き出した騎士達の存在を感知して眉をひそめた。
「建物の外に向かっているようだけど」
「おそらく、標的を私に定めたのではないでしょうか」
 実戦に出るのはほぼ初めてだというのに、魔法士は落ち着き払っている。
「王がまた新しく術を使ってくる可能性は?」
「ほとんどないと思います。魔道具もなくなりましたし、あちらも戦の最中で大掛かりな術を頻繁に使って消耗するようなことはしないかと」
「それじゃ、少し離れるよ。君は自分の防御にだけ専念して」
 言い置いてフィルは駆け出した。リークらが討ちもらした「操り人形」を始末するためだ。
 ノウィンと建物の中間に立つとフィルは弓を構えた。呼吸を整え、その時を待つ。
 窓から飛び出してきた騎士が一瞬だけ動きを止め、確かめるようにノウィンへと向き直った。フィルはそのどこか違和感のある動きにその騎士が「人形」であることを確信すると同時に弓を引き絞る。一矢、二矢と続けざまに放ち、それらは過たず騎士の体を射抜いた。矢に貫かれ、血をほとばしらせながらも、騎士は止まろうとはしない。鈍い動きで、なおも魔法士目掛けて進もうとする。
 フィルは唇をかんだ。もはや騎士は動かない的と同じだ。放たれた矢は頭部を貫き、完全に騎士の命を断った。
 それからもフィルは一人、二人と出て来た「人形」を次々と射た。さすがに二人同時に出て来たときには一人は足止めできず、剣を抜いて応じた。
 フィルの存在など気にも留めず、一直線に魔法士目掛けて走る騎士の進路にフィルが立ちはだかると、騎士は障害物を排除しようと無造作に剣でなぎ払った。それをフィルは己の刃で弾き返し、そのまま踏み込んだ。不安定な体勢だったが、騎士はその一撃をかわし、再度攻撃を仕掛けた。
 もとは腕の立つ傭兵だったのだろう。この騎士が正常な状態であれば、実戦経験の少ない自分などかなわなかったかもしれない。
 うつろな、傷のある顔を見据えながらフィルはそう考えた。
 長年の経験で研ぎ澄まされた勘があれば、例え魔法騎士でなくとも、魔法力を察知できる。だが、それは奪われてしまったようだ。
 フィルが放った風刃は騎士の肩を斜めに切り裂き、腕がだらりと垂れた。騎士は己の腕が機能しなくなったことにも気づいていない。防御のない騎士の胴体に、フィルの剣はあっけなく沈んだ。骨を断ち、肉を裂く感触は間違い無く本物だというのに、なにかつくりものめいて感じられる。
 これまでも命を奪うことには苦い思いを抱いてきたが、これほどまでに後味の悪い思いをするのは初めてだった。
 やがて戦いの音が止んだ。
 リーク達が建物から出てくるのを見届けて、フィルは魔法士のもとへ戻った。魔法士は戦いとは無縁の存在であるかのように静かに佇んでいた。
「空が、泣き出しそうです」
 灰色の雲が押し寄せてきつつある空を見ながらノウィンが呟いた。
 きっと今、自分はこの空と同じような表情をしているとフィルは思った。


 見届け人の騎士達を三名ずつ丘のふもとに控えさせ、南陽王国の王妹と森緑王国の第二王子はゆっくりとなだらかな丘を上っていった。
 丘の頂上で対峙した二人は剣を抜き、それぞれあらためて名乗りを上げた。
 年齢も近く身分もほぼ同等である彼らは、差があるとすれば、本来ならば持って生まれた能力ぐらいのはずなのだが、実際のところは能力以上に圧倒的なまでに経験の差があった。片や王宮内で生まれ育ち、片や諸国をさすらいながら育ったのだ。
 しかし、そんなことなど知らぬ第二王子には王妹の様子は不審に思われた。
 目の前にいるのは自分よりも年下の二十歳かそこらの娘で、長衣などもさぞ似合うだろうと思わせる姿だ。そのくせ女王本人かと思わせるほど堂々と落ち着きはらい、リークェスに鋭い眼光を向けてくる。
「顔は、王とよく似ているのだな」
 わずかに唇の端を上げて王妹は言った。
「それは皮肉か?」
 しばしば国王と比較され、こっそりため息をつかれているリークェスはわずかに顔を引きつらせた。
「いや、ほめ言葉だ。根性曲がりの中身とよく似ていると言われても嬉しくあるまい?」
 からかわれているのか。
 しかしながら、嘲弄の響きは無く、リークェスが判断に迷っていると、さらに王妹は彼には理解し難い言葉を発した。
「陛下への土産は、若く、性格もゆがんでいない貴殿の方が喜ばれそうだ」
 それには王の生首よりもという言葉が省かれていたのだが、それでもリークェスに衝撃を与える効果は十分だった。
 半ばあっけにとられているうちに、剣先が弾かれ、闘いが始まった。
 さすがにそこは騎士で反射的にリークェスは戦闘態勢に入る。
 リークェスの猛然たる打ち込みをするりと王妹はかわし、彼が素早く振り返ったときには白刃が目の前に迫っていた。
 斬られる、と覚悟したのに、それは速度を落とし、間に合わなかったはずの己の剣で弾かれた。ふわりと王妹は飛び退いて再び剣を構えなおす。
 気のせいか。
 ひとたびはそう思ったが、そうしたことが数度も続けば、いくら経験不足の騎士とはいえ、さすがに自分が手加減されていることに気づく。
「馬鹿にしているのか」
 ぎりりと奥歯をかんでリークェスが言えば、
「いや。時間を稼がせてもらっているだけだ」
 眉一つ動かさず、飄々と王妹は応じた。
「それに、死なせるつもりはない。特に顔に傷などつけては陛下が御機嫌を損ねる」
 その言葉を聞いてリークェスは焦った。女王への土産とは単に自分を倒したことを報告するだけのことだと思っていたのに、どうも違うようだ。
「俺を生け捕りにして女王の前に引き出すということか」
「一応、まずは取り引き材料として使わせてもらうつもりだがな。もし、その価値がないとなった場合は、単に首を落とすのも芸がないだろう。捕虜としては破格の扱いを保証してやる。ただし盛装して陛下に拝謁してもらうが」
 リークェスの脳裏を南陽王国の女王にまつわる様々な噂が駆け巡る。謁見を許すのは見目麗しい者に限るとか、ひそかに美男を集めた後宮を造っているとか。噂を鵜呑みにするほどリークェスは愚かではない。噂には尾ひれがつくものだ。だが、しかし……。
「喜べ。陛下の審美眼にかなう容姿だと認められたのだぞ」
 王妹の駄目押しに完全に森緑王国の第二王子は調子を狂わせられた。もはやすっかり王妹の手玉に取られていることを認識するだけの余裕は彼に残されていなかった。


 二対の瞳が丘の上で闘う騎士達の姿を追っている。二人とも頭からすっぽりと外衣を被っているために顔はよく見えないが、影になっていてもその瞳の緑は鮮やかだった。一対の目が当惑したように細められる。
「実力が拮抗しているの?」
 魔法士であるライカに騎士の力量など推し量ることはできない。ただ、なかなか勝負がつかずに長引く闘いがそう思わせた。
「まさかぁ」
 エセルはひらひらと手を振って否定した。
「本当なら、最初の一撃で勝負はついてる。猫が飛べない小鳥を弄んでいるようなものだよ、あれは」
 おまけに猫の背後には虎が控えている。小鳥がちょっとでもつつこうものなら、虎が前足で叩きつぶしかねない。だが、そんなことを森緑王国の人々は知らないだろう。
「……猫って王妹のことよね?」
「そう。ほら、またわざと外した」
 ここまで来るといじめだねとエセルは楽しげに笑う。
「これが王だったらもっといい勝負するんだろうけど。王の方はなにか動きないの?」
「さっき遠隔術を使ったあとに、なにか術を行っているようだけど、私の知らない種類のものだわ。少なくとも攻撃魔法ではないようだけど」
 しかつめらしい顔をしてライカは律儀に答える。
 これだけ魔法士が集まっているなかでは、いくら魔法に長けた王でもライカの存在に気づくことはできない。ライカはただ王の魔法力の気配に注意を向けているだけで一切術を使っていないから、なおさらのことだ。
「ふーん、術に集中しているときって他にはなかなか気が回らないよね。ちょっと行ってみるかな」
「やめておけ」
 彼女らの後ろから男の声が割って入った。エルードだ。
「今、王の近くには腕利きの騎士がいる」
 先ほど呼び寄せたとつまらなそうにエルードは言う。今なら第二王子と王妹の一騎討ちに人々の意識が集中しているから動きやすい。エルードもまたその騎士さえいなければ、いい機会だとばかりに王を討ちに出かけたのだろう。こういうところはエセルとよく似ているのだ。
「もしかして、例の変態?」
 操り人形と化した騎士達を束ねている男をエセルはそう呼んでいた。多かれ少なかれ同じように感じているのか、エルードもこの呼び名に異議を唱えなかった。
「ああ。王妹に人形どもを差し向けるつもりだろうと思うが、お前はどう思う?」
「そうするんじゃないの。だって、他の騎士じゃ討ち取るの難しそうだし、あの変態か王しかいなければ、変態を行かせるだろうね」
「魔法士部隊はいつ参戦させる?」
 重ねてエルードは問いかける。問いというよりも予測が一致するかどうかの確認なのだろう。
「そりゃあもう、闘いが白熱して敵味方入り乱れているところに攻撃しかけるだろうね。闘いに集中していれば魔法の動きを察知しづらいし、王は味方の命なんてなんとも思ってないし、魔法士達もかなり正確に術を使えると自負してるからためらわないし」
「やはりその時しかないか」
「魔法士も術を使った直後で王の身辺の守りは薄くなる。変態はアシュリーズ様に引き受けてもらえば問題ない。変態を手早く始末すれば、王を討ちに来るだろうし、こちらも好都合」
 話しながら一騎討ちの様を眺めていた二人が、ふいと黙り込んだ。
 ライカがはっとして丘の上に視線をやると、第二王子が地に沈むのが見えた。
「ありゃあ、数日間は痛むね」
「肋骨が折れたかもしれんな」
 二人が口々に言っていると、王妹が何か言った。風にかき消されてライカには聞き取れなかったが、騎士達には聞こえたらしい。
「なんて言ったの」
 ライカが尋ねるとエセルが肩を竦めて答えた。
「身柄を引き取るつもりがあれば、交渉役を寄越せだって。来なければ、こちらで好きに処分するってさ。その場で殺すよりも、士気下げる効果抜群だよね」
 さすがだなあとしきりに感心しているが、ライカにはよく分からなかった。
「……面白い。動きがあるかもしれん」
 雲に遮られはじめた日差しのもとでエルードが薄く笑った。そのエルードをちらりとエセルが見やる。
「例の、協力者?」
「そうだ」
 この二人、暇さえあれば喧嘩していた間柄だとオルトから聞かされていたが、信じられない。これほど互いの考えが分かるというのに、何故、喧嘩するというのだろう。
 ライカは分からないと首を振った。
 互いに考えが分かるからこそ、余計に気にくわないのだとはライカには思いも寄らぬことだった。