女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (43)

 同じ緑でも、随分と違うものだ。
 目の前に腰を落ち着けた森緑王国の世継ぎを眺めながらアシュリーズはそう考えた。
 その父親よりも深みのある緑の瞳は北方に広がる針葉樹の森を思い起こさせた。雪に覆われても葉の色を変えぬ常緑の森だ。王の硬質なものとはまるで違う。
「望みは?」
 簡潔なアシュリーズの問いに、これまた簡潔に第一王子ルヴェスは答えた。
「弟の命の保障」
「見返りは?」
「森緑王国軍の情報」
 悪くはない。詳しい情報を手に入れることができるならば、それだけ動きやすくなる。しかし。
「貴殿の情報の真偽は判定しがたい」
 偽りの情報に踊らされるのは御免だ。とはいえ、オルトが「南陽王国の近衛騎士として」案内してきた以上、信じてもよいのだろう。だが、それとは別に自分はルヴェスという人間を見定めなくてはならない。
「私にはそれを証明する手立てはありません。ただ、弟の命は私にとって決して軽いものではないのです」
 ためらいがちにルヴェスは言葉を紡いだ。もし、そうでなければ、敵陣に一人で乗り込むことなどしないだろう。偽りの情報を流す目的ならば、何も我が身を危険にさらす必要はない。
「王と違ってか」
 皮肉をこめてアシュリーズが言ってやると、ルヴェスはわずかに顔をゆがめた。
「そうです。王にとって、弟も私もなんら価値はない。だからこそ、私はここへ来ることができました」
「王にとってはそうかもしれないが、国にとっては違うのではないか?」
「……王の望みは、国に豊かさをもたらすことでも、己の権勢欲を満たすことでもなく、戦乱です。国がなくなれば、世継ぎなど不要でしょう」
 硬い表情のままルヴェスは応じた。
 アシュリーズは目を細め、改めて世継ぎを見やった。
 少なくともこの青年は王の真意を悟っているわけだ。そして、それを阻止しようとしている。
「我らに王を討ち取らせるつもりか」
 彼が意図しているだろうことをはっきりと言葉にすると、ルヴェスはびくりと体を震わせた。わずかの間、目を閉じ再び開いた時には確固たる決意がその瞳に表れていた。
「その通りです。国の名は失われても、民の命を失うわけにはいきません。王といえども、たった一人の人間の、歪んだ欲望の犠牲にしてはいけない」
「もっともな意見だ。貴殿は我らに助力するということだな?」
「はい。私が直接指揮を執る魔法士は少数ですが、寝返れば、混乱を引き起こすことは必至」
 王に刃向かう覚悟はあるという。その緑の瞳を見据えたまま、ゆっくりとアシュリーズは答えた。
「いいだろう、弟君の命は保障する」
 もとより、人質として交渉に使えなくとも、第二王子を殺すつもりなどなかった。王を討ち、そしてまた世継ぎも命を落とした場合に備えて、身柄を確保しておいたのだ。次代の王に据えるために。女王は領土拡大も、隣国の混乱も望まない。
 アシュリーズが促すとルヴェスは自軍について能力保持者の数や布陣から得意とする術の成り立ちまで詳細に説明した。途中、アシュリーズがちらりとオルトを見やると、オルトは頷いてみせた。彼の観察結果とも一致しているのだろう。
 情報を聞き出したあと、アシュリーズはガザンにひとまずルヴェスを弟のもとに案内するよう命じた。弟王子にはファギルをつけてあるから、まず間違いはないだろう。二人が天幕を出て行くと、アシュリーズはオルトに向き直った。
「では、女王陛下に代わり報告を聞かせてもらおう」
「えっと、どこから始めましょうかね」
 そう言うオルトの声音には面倒だという思いがありありと表れている。
「ファギルと別れたあたりからだな。覚えていないなどという戯れ言を聞く暇はないぞ」
 厭なところが女王と似てきたなあというオルトの呟きをアシュリーズは黙殺した。
「オルト・マフィズ、私もそう気は長くない」
 東方将軍にまでそう言われてオルトは肩を竦めた。さすがの彼も、二人を茶化す気力はないらしく、真面目に報告を開始し、間諜としても騎士としても決して無能ではないことを証明してみせたのだった。


 捕虜というのは取り引きの対象になり得てこそ価値がある。取り引きが成立しなかった以上、いつ首を落とされても仕方がない。
 それだというのに、この緊迫感の無さはなんだ。
 命を脅かされているはずの森緑王国第二王子は己のおかれた状況に違和感を覚えていた。
「やっぱり、親父がろくでなしだと苦労するよなぁ」
 先刻、そうしみじみと言いながら、彼の前に酒杯を置いたのは赤毛の若者だった。暁王国将軍の息子ファギルと名乗った若者にリークェスは身構えたが、若者はそんな彼の態度なぞ意に介さなかった。
「あんたも親父さんと顔がそっくりなんだって? 迷惑被っただろ。道歩いてたらいきなり斬りかかられたり、槍投げられたり、石落とされたり。困るよなぁ」
 なにやら親近感をこめてファギルは言ったが、リークェスは断じてそういう類いの迷惑を被ったことはない。それを当然と思っているファギルにも、当然と思わせる暁王国将軍にも大いに問題があるのではないか。
「それは異常だろう。俺は父に似ているのは姿形だけだと落胆されたことはあっても、刃を向けられたことはない」
 ぼそぼそとリークェスがうつむいたまま抗弁すると、ファギルは思いきり怪訝そうな声を上げた。
「そうかぁ? あんたの親父さんも相当恨みをかっているように思えるけどな」
 その言葉にほぼ反射的にリークェスは顔を上げた。
「そう、思うのか?」
 何故、驚くのだと言わんばかりに褐色の目を見開き、「思う、思う」とファギルは何度も頷く。
「あれだけあちこちに争乱の種をせっせと蒔いて回る人間も珍しいぜ。まあ、うちの親父と違って表ざたにならないように立ちまわっているから、あまりばれていないのかもしれないけどな」
 ろくでなし加減では俺の親父と変わりないと思うぜと言い、赤毛の若者は酒杯を一気にあおった。
 父王をろくでなし呼ばわりされても、リークェスは怒りを覚えなかった。彼には父王が実際に何をしているのか確かめるすべはなかったが、同時にそんなことをするはずがないと否定する根拠もなかった。
 それに、暁王国の将軍の息子が嘘を言う理由はない。
 毒入りでもかまうものかとリークェスは酒杯を手に取った。
 今まで、父は立派な王だと信じていた。
 しかし、それは認めたくなかっただけなのだ。
 父親が、自分に、自分達に関心を持たないことを。ひとかけらの情さえ持たないことを。
 だから、父は国のために全てを捧げているのだと自分自身に思い込ませていた。そうやって、自分を守っていた。
 守るべきは、もっと他のものだったのに。
 例えば、戦勝祈願の式の日に、王を弾劾した女神官。
 あのときの記憶は当初、ひどく曖昧なもので、女神官が乱心して騒ぎを起こしたのだとしか覚えていなかった。そんな騒ぎならば、もっと鮮烈に覚えていてもいいはずなのにと疑問に思い、記憶を何度もたどるうちに、徐々に思い出していった。
 思い出して愕然とした。何故、こんなことを忘れていたのかと。それを告げると兄のルヴェスは蒼白な顔になった。彼は全く覚えていなかった。あとで分かったことだが、列席した神官達も同様だった。おそらくは、魔法士のみに効く香を使って記憶を操ったのだろうとルヴェスは言い、父上が動揺を与えないためになしたことだろうからと、自分に口止めした。
 今なら分かる。兄は自分を父王から守るために口止めしたのだと。
 父王にとって、自分は価値の無い存在であり、妨げになるならば排除するのみなのだから。
 だが、それでも、自分は兄に判断を任せたりするべきではなく、女神官に直接話を聞くべきだったのだ。女神官の言葉の真偽を自分自身で判断するために。彼女は、乱心どころか、誰よりも正気に見えた。
 自分よりも年若い娘が、たった一人で声を上げた。それに比べて自分は何をしていたのか。
 気がつけば、黙々とリークェスは酒杯を重ねていた。ファギルが次々と酒を注ぎ足していたのだ。
 ファギルはリークェスが聞いているかどうかも構わずに陽気に喋っている。国のこと、異母弟妹のこと、騎士達のこと、そして父親のこと。
「初めて会ったときは、予想通り過ぎて、がっかりだったぜ。あー、こりゃあ、お袋に関係持ったのは若気の至りだなんて言わせるはずだって」
 それはリークェスにはいささか意外な言葉だった。
「……偉大な将軍なのだろう?」
「そりゃ、将軍としてはだろ? 父親としちゃあ、ただのろくでなし。息子だろうがなんだろうが邪魔なら斬って後悔もしないような奴だ」
 だから、お前も気にするなとファギルは言っているようにリークェスには感じられた。
 だが、もし、ファギルが人質にとられたら、その父親は間違い無く身柄の引き渡しを交渉するだろう。少なくともファギルは、見捨てるには惜しい騎士だから。
 せめて自分ももっと「使える駒」であれば、見捨てられなかったのだろうか。
「……俺の、生首を見せられても父は眉一つ動かさないだろうな」
 自嘲気味にリークェスが呟くと、ファギルは目を丸くした。
「あー、それはない、ない。生首送りつけるつもりなら、あの王妹は一騎打ちの時にさっくりやってるぜ。そもそも一騎打ちを申し込んだのだって、国王が出てくればこれ幸いと討ち取るつもりだったろうけど、本来の目的は誰か王族の身柄をおさえることだったはずだ」
「取り引きのためにだろう」
 あてははずれたわけだが。
 違う違うとファギルは手を振った。
「面食い女王のため。あの女王、交渉相手の顔がよくないとやる気を起こさないらしいからな」
「……何を交渉するんだ?」
「そりゃあ、戦後処理のあれこれを。おっと、喋りすぎたかな」
 そんなことを言ってファギルは口に手を当てたが、どこが喋り過ぎなのかリークェスにはさっぱり理解できなかった。
「まあ、飲め。飲んで厭なことは忘れろ」
 言ってファギルは酒を杯に注いだ。すでに十分飲んでいたのだが、いや、それだからこそ、リークェスは勧められるままに酒杯を空けた。
 どれくらいの時が過ぎたのか、朦朧とする意識の中でリークェスは別の人間が天幕に入ってきたことを認識した。
「よ、ガザン、あんたもやるか?」
 酔ってはいるが、いくら飲んでもある程度までしか酔うことのないファギルが陽気にその誰かに声をかける。声を掛けられた男は苦笑いして、後ろを振り返った。
「今、こんな弟、放っておけばよかったなんて思ったりしてませんかね?」
「……少し、ね」
 聞き覚えのある声の主を確認する前にリークェスの意識は酒臭い闇に沈んでいった。


 開戦の知らせは、その日のうちに南陽王国北部の国境から王都へ、王都から南部主要都市へ細い魔力の糸を通して届けられた。運び手は魔法士となるほどには力を持たぬ能力者達で、己らが何をしているかも知らぬままに次の町にいる能力者に合図を送った。それが開戦の知らせと知っていたのは、最初に合図を送らせた者と最後に合図を受け取った者だけで、仮に途中で魔法士に気づかれても、その意味を知ることは出来ず、単なる魔力の発動としかとらえようがなかった。
 その仕掛けをつくった男はゆったりとくつろいだ姿勢で彼の前にいる男達に知らせが届いたことを告げた。
「予定通り開戦したそうですよ。今、全ての目は北に向けられている。そして、女王の主力部隊は北から離れるわけにはいかない」
 さあどうするとばかりの言葉に、よく手入れされた髭を蓄えた男が身じろぎした。
「貴公を疑うわけではないが、まことに騎士団は我らの動きを看過するのか」
「私はレフィク家次期当主であり、そして第五騎士団の要職は南部出身者で占められている。動くはずがないでしょう?」
 動くとすれば、とカリュート・シアン・レフィクは歌うような声音でさらに言葉を紡いだ。
「この私が命じたとき」
 ひんやりと冷たい響きに男達は身震いした。いずれも有力貴族達で、騎士能力を備えはしてもさしたる訓練を受けていなかったが、確かに静かな殺気を感じ取ったのだ。
「私は二度、王家に機会を与えた。だが、王家は機会を逃した。私は三度目の機会を与えてやるほど寛容ではありません」
 レフィク家は南部では有数の名家で、代々、優れた武人を輩出し、確固たる地位を築いている。そして間もなく、その当主になるのが彼だ。南部の貴族達は彼が女王の、あるいは王妹の夫になるものと思っていたし、それをカリュ―ト自身も望んでいるものと疑わなかった。
「フォア家の血筋」
 不意にカリュートの口から放たれた言葉に男達はぎくりとした。そのさまに頓着せず、カリュートは続けた。
「貴方達が女神官リシュテに、かつてファイエルと呼ばれた娘に近づいた理由はそのためでしょう? 彼女は薄くではあるがフォア家の血を引いていた。先王の謀略により反逆者の汚名を着せられ粛清された悲劇の一族。貴方達はその血に連なる者を使って王家の罪を糾弾し、自分達の要求を正当化するつもりでいた。盲目で、世間知らずの女神官ならば、自由に操れると思ったのでしょう? そして彼女の境遇と容姿は人の同情を引きやすい」
 よもやそこまで知られているとは思ってもみなかったようで、あからさまにうろたえる男達の姿にカリュートは笑った。
「まだ知っていることがありますよ。フォア家に娘がいたことを貴方達はご存知でしょう? 一族の罪を償うためとの名目で神殿に入れられ、事実上、幽閉された直系の娘。まずはその娘を探したでしょう? でも、見つけられなかった」
 男達はごくりと唾を飲み込んだ。すべてを見透かされている恐怖と、かすかな期待感が彼らのなかにはあった。
「あなたがたが見つけられなかったのも仕方ないこと。彼女は王家の者しか入ることを許されぬ、陽神殿の地下で冥府の女神をまつる職務につき、完全に外界と隔離されていたのですからね」
 さっとカリュートは扉へと手を差し伸べた。それと同時に扉が開き、一人の青年が頭に薄布を被った女性の手を恭しく引き、入室した。青年の顔を認めた男の一人が、驚きに目を見張り椅子から立ち上がった。
「おまえ、無事だったのか」
 それは手駒とすべき女神官の身柄を得るべく王都の本神殿に送り込んだ彼の息子だった。青年は女神官を神殿に訪ねたまま消息を絶ち、父親はもはや彼の命を諦めていた。
「はい、こちらの御方が私を幽閉されていた部屋から抜け出す手引きをしてくださったのです。そして、カリュート殿のもとへ連れて行ってくださいました」
 青年はすらりと背の高い女性に敬意のこもった目を向けている。
「ずっと待っていたのだとおっしゃいました、フォア家の受けた屈辱を晴らす日を」
 女は薄布を優雅な手つきで払いのけた。化粧をほどこされた美しい面差しは、かつてのフォア家当主を知る者達を得心させるに十分なほどその父親に似ていた。本物であれば、三十歳近くのはずだったが、幾分、若く見えた。しかし、年相応に落ちついた雰囲気をまとっている。女は深い青い瞳を男達の間にさまよわせ、一人の男の上に視線を留めた。懐かしそうな表情を浮かべ、紅をはいた唇で笑みをかたづくる。
「お久しゅうございます、イルミア殿。わたくしの覚えている限り、かつて貴方様はそのように御立派なお髭をそなえてはいらっしゃいませんでしたわ」
「……確か、最後にお会いしたのは貴方様が十歳になられたときでしたな」
「いいえ、十一歳のときですわ。結婚されたばかりで、かわいらしい奥方様を連れていらしたでしょう? よく覚えておりますわ」
 試さないでくださいましと女は苦笑をこぼす。
「申し訳ない」
「お疑いになるのは当然のこと。わたくしは、死んだものと思われていたのではなくて?」
 やんわりと、微かな皮肉を込めて女は言った。
「お恥ずかしながら、その通りです」
「仕方ありませんわ。わたくしは、世から忘れられようと努めておりましたもの。わたくしの母は先王の叔母、わたくしは先王の従妹。忘れられなくてはならなかったのですわ」
 おわかりでしょう、と女は艶然と笑みを浮かべた。
「『女王』が誕生しましたもの。わたくしのことを王家に思い出されては大変ではありませんこと?」
 その示唆されたことを理解した瞬間、男達は動きを止めた。
 目の前にいるのは、王子、王妹に次ぐ王位継承権を持つ者。かつては、女だからということで問題にされなかった者。だからこそ、生きることを許された者。
 これまでは彼らは王家に反旗を翻し、南部の利権全てを自分達の手中におさめることだけを考えていた。だが、自分達の手で新たな王を据えることができるならば。
 余りの輝かしい未来に彼らは目がくらんだ。
「私は勝ち目のない戦は決してしないのですよ」
 楽しげなカリュートの声が、男達の耳に頼もしく響いた。