女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (44)

 深い闇のなかを男は急いでいた。
 生い茂った木々が彼の姿を街道から隠し、葉ずれの音が彼の足音をかき消しているため、男はさしたる注意も払わずに一心不乱に目的の場所を目指していた。騎士としては無用心すぎるが、その能力は備えていても騎士として働いたことがない男にそうした気遣いができるはずもなかった。そして何より男は焦っていた。
 夜明けまでまだ時間はあるが、一刻も早く知らせなければ手遅れになる。
 今までうまくいっていたというのに、全て無駄になってしまった。
「忌々しい、レフィクの若造めが」
 つい口をついて恨み言がこぼれる。
 よもやレフィク家の後継ぎが裏切るなどとは思いも寄らなかった。現当主は頑ななまでの忠誠心の持ち主で、王家に背くなどもってのほか、反逆者がいれば自らの手で始末してくれようという老いてなお血気盛んな人物だ。その孫息子も、つかみどころはないが、王家に従順な武人とばかり思っていた。
 それが、どうだ。策をめぐらし、女王を廃位に追いやる手はずまで整えて、反乱の首謀者になるとは計算違いもいいところだ。
 カリュート・シアン・レフィクという男の、野心を甘く見ていた。そして、その力も、能力も甘く見ていた。よもや副団長でありながら、第五騎士団を手中におさめているなど考えも及ばなかった。
 「反乱軍」が王都を目指せば、間違い無く第五騎士団が後を追い、鎮圧に向かう。そうなれば、隣国の領主達率いる軍隊が国境を越えて一気に攻め入り、南部一帯を占領する手はずになっていたのだ。
 自分を家柄の劣る者として見下してきた、自尊心ばかり強い連中に行動を起こさせるために、散々骨を折ったというのに、あと一歩というところで、このざまだ。
 だが、まだ手はある。「反乱軍」が王都まで至らずとも、国が乱れるのは必定。再び機会を待てば、あるいは。
 闇の先にちらちらと見え隠れする光が見えた。
 ほっとして男は足を緩めた。連絡役はまだ待機しているらしい。
 普段は狩人達が使う小屋の前にたどりつくと、男は合言葉を口にした。中から応えが返り、扉が開く。男は中へ滑り込むなり口を開いた。
「計画は中止だ。第五騎士団は動かない。またの機会を待つしかない」
「……第五騎士団が動かないと?」
 旅人風の身なりをした男がくぐもった声で確認した。
「ああ。レフィク家の後継ぎが手を回した」
「真ですか? 洸王国の領土を拡大させる絶好の機会だというのに」
「わかっている。だからこそ機会を待てと……」
 そこで男は違和感を覚えた。
 連絡役のこの男、こんな声をしていただろうか。
 相手は彼の戸惑いに気づいてか小さく笑うと、灯りの覆いを取り去った。
 彼は息を呑んだ。そこに現れたのは今しがた別れてきたばかりのカリュート・シアン・レフィクの顔だった。
「イルミア殿」
 呆然と立ち尽くす男にカリュートは微笑みかけた。
「貴方と手を組み、南陽王国への侵攻をはかった者どもは全て捕らえられたと洸王国の臨時大使殿より連絡がありましたよ」
 眩暈がした。イルミアが思わず数歩後ずさると何かにぶつかった。びくりと震わせた肩に何者かの手がおかれる。恐ろしくて、彼はその手の主を振り返ることができなかった。
「貴方だったとは残念です」
 囁くようにやわらかな声でカリュートは言った。
「十七年前、せっかく見逃してさしあげたのに、命を粗末にされるとは」
 ごくりとイルミアは唾をのんだ。
 彼には、それがフォア家の「粛清」の際のことだと理解できた。彼に心当たりは十分にあったが、分からないのは、何故、カリュートがそれを知っているかということだ。当時、彼はまだ成人もしていない少年だったはずだ。
「邪魔者同士に戦わせて、その隙に己の欲するものを手に入れようとは、呆れるほど昔と変わらぬ御仁だ。しかし、それでも少なくとも昔は自国をも裏切るほどの恥知らずではなかった。年を重ねてたちが悪くなったのだな」
 続いて耳元に聞こえたのは低めの女の声。
「どさくさに紛れてフォア家からかすめとった財産だけでは物足りなくなったか。まこと人間の欲には限りが無いものよ」
 イルミアの肩から手が離れた。
「前回は、かわいらしい奥方に免じて見逃してやったが、今回はできぬ」
 ゆっくりとした足取りで声の主は彼の前に回った。それは紛れも無く本人と彼が認めたフォア家直系の女だった。だが、先ほどとは別人のごとく冴え冴えとした雰囲気をまとっている。
「偽物、か」
 たばかられたとイルミアが唇を噛むと、女は笑みを刻んだ。
「いや、紛れも無く私はフォア家の娘だ。もっとも、その名はとおに捨てたが。トーヴァといえば、そなたも聞き及んでいるのではないか」
 イルミアは目をむいた。トーヴァとは、女王の信頼厚き女神官、女王の魂の導き手に他ならない。
 くつくつと女は笑う。
「女王の導き手に任ぜられるのが、ただの神官であるわけなかろう」
「この態度のでかさ、紛れも無く女王と血縁関係を感じられると思うのだけどね」
 言われてみればとカリュートの言葉に納得するイルミアの様子に、トーヴァは不愉快そうな顔になる。
「……真にフォア家直系ならば、何故、王家に与するのだ」
 搾り出すような声で発せられた問いにトーヴァとカリュートは顔を見合わせた。
「私は先王の従妹だぞ?」
 揶揄するようにトーヴァは問い返す。
「だが、フォア家を潰したのは、その先王ではないか!」
「我が両親を殺したのはフォア家ぞ」
 冷え冷えとした声音だった。イルミアは、ほぼ同時期にフォア家の当主夫妻が相次いでこの世を去ったときのことを思い出した。当主の座を狙った親族に毒を盛られたという噂がまことしやかに流れていたが、真相は暴かれぬままだった。
「フォア家は潰れるべくして潰れたのですよ」
 優しいとも言える声で囁くと、カリュートは剣を一閃させた。
 硬直したイルミアの髭がぱらりと散る。
「ここで死を選びますか。それとも、陛下の御前で裁かれることを望みますか」
 穏やかな声で告げられたのは紛れもない、死の宣告であった。
 ほとんど反射的にイルミアは身を翻すと扉に飛びついた。鍵のかけられていない扉はすぐさま開いた。だが、彼が小屋から足を踏み出すことはなかった。
 小屋の前には呆然とした面持ちの男達が立っていた。彼とともに王都へ攻め上る計画を練っていた者たち、彼がそそのかし、欺いた者たちだった。
「皆様、真の裏切り者の言葉、お聞き頂けましたか」
 にこやかなカリュートの声が闇に響く。
「計画を実行に移していない今なら、陛下は寛大にもお許しくださるそうです。許しなどいらぬとおっしゃる方々は挙兵してくださって結構。第五騎士団で遠慮無く討ち取らせていただきます。我が騎士団の連中はこのところ手柄を立てる機会に恵まれていませんから、大喜びすることでしょう」
 その場にへなへなと座り込んだイルミアの腕をカリュートがつかんで、引き立たせた。
「息子から話を聞いたときはまだ信じられなかったが……」
 顔を歪めて一人が呟く。彼は身柄を拘束されていた息子から「裏切り者」がいると聞き、説得されてこの場に他の仲間を連れて赴いたのだ。
「我らはすっかり踊らされていたのだな」
「それも、上ばかり見て足元を見ないからですよ。本気で王家に刃向かうつもりがあるならば、磐石の構えで挑むことですね。そうすれば私も手を貸すかもしれませんよ」
 しかし、カリュートがそれを本気で言っていると知る者はトーヴァただ一人だ。万が一、この先、反乱を企てることがあったにせよ、カリュートに助力を請う者はいないだろう。
「では、許しを求める方は身を慎み、陛下より沙汰が下るまでお待ちください。計画を実行される方は急いだほうがよろしいですよ、間もなく夜が明けますから」
 カリュートに促され、疲れた足取りで男達は去っていった。挙兵する気力のある者はいないだろう。男達の姿が見えなくなると、カリュートはイルミアの体を自由にした。
「どうぞお逃げなさい」
 優しげな声と表情に、イルミアに一瞬、迷いが生じた。
「この場で死んでいただくほうが、連行する手間が省けますから」
 イルミアはその場に崩れ落ちた。失神したらしい。
「おやおや、神経の細い人だ。己の器に合わぬ陰謀に加担したりするからだよ」
 あっちへ持って行けとばかりにカリュートが手をふると、すっと闇の中から第五騎士団の制服をまとった男が二人現れ、イルミアの体を運び去った。先ほど、立ち去った男達にも第五騎士団の騎士達が尾行についていることだろう。
 やれやれと伸びをするカリュートの背に小屋から出てきたトーヴァが声をかける。
「おぬし、何故、私まで巻き込んだ? 一人でも十分だっただろう」
 その不機嫌そうな声にカリュートは片頬だけで笑った。
「保身のために決まってるよ。例え芝居であっても、反逆に加担したと問答無用で君に処断されかねないからね」
「……抜け目の無い男だ」
 カリュートの言葉をトーヴァは決して否定しなかった。
「約束を果たしてもらうまで死ぬわけにはいかないからねぇ」
 くすくすと楽しげに笑うカリュートとは対照的にトーヴァは苦々しい顔つきで唇を結んだ。そんなトーヴァの表情など知らぬげにカリュートは軽い足取りで歩き出す。
「無防備に背中を向けるな、刺し殺したくなるぞ」
 カリュートの背にとがった声をトーヴァが投げつける。
「やってごらん。君が後悔するだけだよ」
 凄まじいまでの殺気がわき起こったが、それが行動を伴うことはついぞなく、小鳥の鳴き声が響き、闇が薄れるにつれ、いつの間にやら消え去ったのだった。


 昨日と同じく深い霧が全てを覆い尽くしていた。数歩離れた場所に立つ騎士の姿さえ、しかとは判別し難い。少し歩いただけで髪が湿り、滴が垂れてくる。
「ちょうどいい」
 陣営を一回りしてきたアシュリーズは前髪から滴る滴をはらいのけ、つぶやいた。
 魔法士は基本的に魔法力を持たない騎士の動きを感知できない。術を使って網を張っていても、それにふれたのが騎士なのか魔法士なのか、はたまた魔法騎士なのか、判断するには多少の時間を要する。その遅れが命とりにもなり得る。
 騎士能力保持者も、経験さえ積んでいれば視界が閉ざされていても戦うことはできるが、それは飽くまで近くの動きを察知するだけだ。遠くで動きがあっても、戦いのなかで、それに意識を向ける余裕のある騎士はそうそういない。
「夜が明けきる前に仕掛けるぞ」
 傍らに立つ東方将軍に向かって告げる。将軍は頷くと、伝令を呼んだ。伝令は指示を受けると、湿気を含んだ草地の上を足音ひとつ立てずに駆け去った。
 その伝令が去ったのとは別の方向で赤いものが動いた。ふらふらと近づいて来る。暁王国将軍の息子、ファギルだ。
 少年は眠たげな声で挨拶をして、彼らに並んだ。
「昨日話したことを覚えているか?」
 酒のにおいをまとわりつかせた少年に念のためアシュリーズは確認した。
「覚えてるって。あ、リークェスのやつは放っておいても大丈夫。例え見張りがいなくても、二日酔いで動けないから逃げ出すこともない」
 弟は丁重な歓待を受けているようで、と苦笑した第一王子の表情をアシュリーズは思い出した。困った奴だという顔をしていても、そこには紛れも無く肉親への情が感じられた。あれが演技だとすれば、第一王子はよほどの役者ということになる。
「身辺警護は頼んだぞ」
「任せとけ。その将軍の戦いぶりを近くでじっくり見せてもらうさ」
 本当に楽しみにしている様子で、東方将軍に目を向けながらファギルが言う。
「さて、私こそ、天下に名だたる暁王国の戦神仕込みの腕前を見せていただこうと思っておりますが」
 笑いを含んだ声音で東方将軍が応じると、とんでもないとばかりにファギルが首を振った。
「やめてくれよ、俺は親父に一方的に遊ばれただけで、仕込まれた覚えはこれっぽっちもないからなっ」
「いやいや、実戦のなかから技を盗み取れという将軍閣下のお教えでございましょう」
「ない、親父に限って絶対、それはない。暇を持て余してるから相手をさせるだけで、教えようなんて気持ちがあるわけない」
「子供にそれと悟られぬのも親心あってのこと」
「そんな気色悪いことがあってたまるか」
 さも厭そうにぶるぶると頭を震わせ、むきになって否定するファギルは東方将軍にからかわれていることに気づかないようだ。東方将軍は、あまり表に出さないというより、それと分かりにくいのだが、結構、人をからかって遊んでいる。内心、いいおもちゃが出来たと喜んでいるかもしれない。
 戦場には似つかわしくない、のんきな会話が繰り広げられる一方で、ひそやかに、速やかに陣形が整えられていった。


 白い霧を引き裂き、突如として角笛の音が間近に響き渡った。
 その明らかに自軍のものではない音と近さに驚き、森緑王国軍は騒然となった。奇襲に備え魔法士と騎士による見張りが立てられていたというのに、まるで地からわき出たかのように南陽王国軍の部隊が目前に迫っていたのだ。
 顔色をなくして右往左往する魔法士達の姿に、被り布の影でライカは意地悪く笑った。
 彼らは自分達の術に絶対の自信を持ち、南陽王国軍は決して彼らに気づかれずに動くことは出来ない豪語していた。彼らのほとんどが実戦経験など持たないことをライカは知っていた。彼らの中にはライカと共に神殿で育てられた者も少なくはない。
「あんまり嬉しそうにしてると不審に思われるよ」
 ひょいと隣に立ってエセルが言った。もはや隠す必要は無いと、顔をさらけ出しているが、応戦すべく慌しく動き回るなか、森緑王国民の特徴を備えた人物に注意を向ける者はいない。誰かに似ていると思ったところで、じっくり検分する余裕もないのだ。
「国王が動き始めた。魔法士部隊もすぐ移動するよ」
 ライカは頷いた。彼女は第一王子が雇い入れた魔法士として、しばらくは彼と行動を共にすることになっている。
「いよいよね」
「逃げ出したくならない?」
「ここで逃げ出すくらいなら、とっくに国外へ逃げてるわよ」
 そりゃそうだとエセルは笑う。その姿に気負ったところは何も感じられず、見ているとここが戦場ではないような錯覚すら起こしそうだ。
「エセル」
 名を呼ぶとわずかに首を傾げてエセルはこちらを見た。瞳は、夢の中で見た赤子と同じ、夏の森の緑。
「あなたは過去に縛られる気は無いし、知りたくもないかもしれないけど、この戦が終わったら、あなたに話したいことがあるわ」
 死ぬつもりはないと言外に匂わせながら言うとエセルは、にっと笑った。
「いいよ。聞くだけならね」
 そう、エセルならば、聞いてさらりと流してしまうかもしれない。だが、それでもライカは伝えておきたかった。彼女の母親だろう女性が自分に託した記憶を。
 だから、彼女にも生きてほしかった。例え、それが彼女の父親の命と引き替えであったとしても。そのくせ、彼女に自ら手を下してほしくはないとも思う。
 なにか言いしれぬ不安がライカにはあった。命が危険にさらされるなどといったものとは違う何か。
「第一王子だよ」
 いち早く、王子の接近に気づいたエセルが声をかける。
「それじゃ、また後で」
「ええ」
 踵を返し、軽やかな足取りで立ち去る女騎士の背中をライカは見送った。
 今、このとき、卓越した先見の力を備えた彼女の母親が生きていたならば、どんな未来を視ただろう。
 空気が動いた気がした。ライカの耳に狂気をはらんだ女の声が蘇る。実際に耳にした時とは違い、はっきりと意味をなす言葉でその声は聞こえた。
「風が来る。災いの炎が上がり、南からの風が、すべてをなぎはらう」
 ライカは息を止めた。冷や汗が額ににじむ。
 ……決まってはいない。その言葉が吉凶どちらを意味するのか、決まってなどいないのだ。
「予見に縛られるなど、ごめんだわ」
 低く呟き、幻聴を振り払ったライカの緑の瞳には炯々とした光が宿っていた。