女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (45)

 前方でまばゆい光が散った。森緑王国軍の魔法士による反撃だ。しかし、それはまだ晴れぬ霧に妨げられて距離を正確につかめていないため、損害はほとんどなかっただろう。魔法力を持たずとも危険を察知できる騎士は少なくない。
 南陽王国軍の陣営中心部まで剣戟の音が届き始めていたが、東方将軍も王妹もゆったりと構えていた。
 ふと東方将軍の指が動いた。
 前線とは別の方角から迫り来る複数の騎士の気配を察した東方将軍は、やおら剣の柄に手をかけるとその方向へ顔を向けた。それらの気配が何者かは未だ確認できないが、敵ではないのだろう。敵であれば、周囲を守る騎士の抵抗にあい、動きが鈍るはずだ。だが、万が一のこともある。やがて騎士達のなかに、知った気配を感じ取って将軍はわずかに眉を寄せた。
 気配の主は、何を企んでいるのかは知らぬが、休暇とうそぶいて領地に引きこもっているはずの人物だった。
「久しいな」
 もやの向こうからかけられた声は、紛れも無くその人物のもので、将軍は呆れまじりの溜息をもらした。
「少し遅参したようだ。王妹殿下はいずこに?」
 明らかに傭兵とわかる一団を連れて現れた近衛騎士隊長は、よくて傭兵隊長、へたすれば野盗の頭とも見えかねぬ姿をしていたが、将軍は驚くことなく応じた。
「王妹殿下ならば、あちらに」
 そう言って視線を流すと、それを追ったシェイドの目が微かに見開かれた。霧の中にも鮮やかな深紅の衣をまとい騎乗した王妹の傍らには、負けず劣らず人目を引く赤毛の若者が控えている。
「……なるほど。あれは暁王国将軍にゆかりの者か?」
「息子の一人と聞いております」
「ふむ。どこで見つけてきたかは知らぬが、格好の標的になろうな」
 意味深な笑いを浮かべたシェイドに将軍はすかさず釘をさした。
「くれぐれも混乱に乗じて勝負をしかけられぬよう」
「私も信用がないものだ」
「シェイド殿相手に油断するほどには私も耄碌しておりませぬゆえ」
 大真面目に将軍が答えると、シェイドは喉の奥で笑った。
「そなたは変わらぬな」
「シェイド殿は優れた役者になられましたな。宮廷の者達はすっかり騙されているようで」
「そのために、そなたらを地方に追いやったのだから当然であろう」
 世継ぎの王女の守役に就くと同時にシェイドは先王と図って、これはと見込んだ者達を徐々に地方の騎士団へ配属した。いずれも多少なりとシェイドと親交のあった者達である。東方将軍もかつてはシェイド直属の部下であった。近衛騎士団に所属することこそ至上の誉れとしていた貴族達は、この動きを「左遷」と見たが、実態は大きく異なった。後年、女王即位と共に近衛騎士団は解散され、ほとんどの近衛騎士がその地位を失うことになったのだ。その頃、地方に赴任した者達はそれぞれに確実な地位を築いていた。
「あえて前線に出るより、そなたがいるこの場にとどまる方が戦功をたてる機会はありそうだな」
 霧で覆われた先を見晴るかすように目を細めて眺めながらシェイドが呟く。
「さよう。王妹殿下目掛けて『人形』を送り込んで来るはずですからな」
「人形相手ではいささか物足りぬが」
「オルト殿よりもたらされた情報によると、かなり腕の立つ騎士が率いているとのこと」
 ほう、と面白そうにシェイドは眉を動かした。
「珍しくオルトが働いたのだな。なんぞ面白いことがあったか」
 シェイドはオルトという騎士が王命よりも何よりも、まず己の好奇心に従って行動することを把握している。
「まだしばらく暇がありましょうから、おおよその流れを説明いたしましょう」
「そうしてもらえるとありがたい」
 屈託無く笑みを浮かべるさまに、東方将軍はやはりシェイド殿は隠居されるつもりだと確信を持った。このような笑顔を人前で見せるのはまさに十数年ぶりのことである。戦が終われば、酒を酌み交わして語り明かすこともできるだろう。
 楽しみができたと考えながら、将軍は姿勢正しく戦場を見下ろしている王妹のもとへシェイドをいざなった。


 来る。
 ライカは霧の向こうから迫り来る存在を感じて顔を上げた。
 魔力ではない、だが、圧倒的な力。
 ライカ以外の魔法士達もその存在を感じたようで、術を紡ぎ始めた。そこへ、切りつけるように鋭い声が飛んだ。
「動くな!」
 戸惑う視線が声の主に、世継ぎの王子へと向けられる。
「動けば王家への反逆とみなす」
「王子、あれは明らかに敵でございます」
 術を素早く用意した魔法士の一人が不満の声を上げる。手柄を立てようと焦っているのだろう。
「従わねば首が飛ぶと思え」
 今までに聞いたことがないほど冴え冴えとした声音で世継ぎは告げた。
「されど!」
 重ねて異議を唱えようとした魔法士が突如白目を剥いて倒れた。
 自分の方が力があると、多少なりと世継ぎをみくびっていた魔法士達はさぞかし驚いたことだろう。彼は一瞬のうちに複雑な術を正確に放ったのだ。彼の魔力はさほど強くはないが、それを補うに十分な技術と知識を備えている。先ほどの魔法士はわずかな魔力の動きなど気にも留めなかったがために無防備なまま術をくらったのだ。
 恐怖の念が魔法士達の表情をかすめた。
 彼らの多くは、いかなる類いの術を王子が用いたのか、理解できていなかった。王子が使ったのは精神に作用する陽術の一種だったが、彼らはそれを感知しなかった。魔力がどのような動きをするか、全く知らなかったために。
 わざとだ。
 ライカは唇を噛んだ。王はわざと、その術を教えなかったに違いない。陽術を行使する者は森神殿にはいなかった。ライカとて、それを小神殿で学んでいなかったら、知らずにいただろう。世継ぎと同様に周囲に悟られぬよう術を用意してライカは時を待った。魔法士達が世継ぎに逆らい、動こうものなら即座にそれを発動させるつもりだった。
 やがて霧の中から騎士の集団が現れた。身なりも得物もばらばらで、一目で寄せ集めの傭兵とわかる。彼らは、魔法士達など存在しないかのように、十数歩ばかり離れたところを駆け抜けて行った。やや小柄な騎士が一人だけ、こちらに視線を向けて微かに笑ったように見えたが、定かではない。ただ輝く琥珀の目だけが、ライカの印象に残った。
 しばらくの間、魔法士達はそのまま動けなかった。それが、王子によりひそかに用いられた陽術によるものだと気づいた魔法士は、ライカを含め王子の配下を除いて他にいなかっただろう。この場にいるのは、森神殿で育った若い魔法士だけだ。老練な魔法士は騎士隊と共に行動するか、王の近くに配置されている。
「王子、何故、止めたのです! 陛下の身に危険が及びます!」
 上ずった声で、まだ少年と呼べる魔法士が叫んだ。
「これは、その陛下の命令だ。御自身に挑んでくるものは、自ら迎え撃つゆえ、手出しはならぬとおおせになった」
 あの王ならば有り得ると思わせる言葉だった。
「では、何故、最初にそれをおっしゃらなかったのだ」
「それも陛下の命令だ」
 落ち着き払って王子は言い、ぐるりと魔法士達を見回した。冷静そのものの王子の手が微かに震えていることにライカは気づいた。
「私に、君達を制せられるか、お試しになられたのだろう」
 自嘲気味な言葉は疑念を拭い去るに十分だった。国王が世継ぎの能力を軽んじていることは知られていた。臣下でさえもそれに乗じて軽侮する者がいるほどに。
「陛下より指示があるまで、待て」
 無表情に言い放つと第一王子は魔法士達に背を向けた。ライカは顔を伏せたまま、そのあとに従った。
 声が届かぬところまでくると、振り向かぬままに王子は言った。
「気づいただろう?」
 まるで泣き出しそうな声だとライカは思った。
「王は彼らに己を守る術を持たせていない。攻撃のみしか、彼らはできない。騎士相手に捨て駒になれと命じられていることにも、気づくことができない」
「確かに、彼らは王に操られているかもしれません。しかし、私と同じように、おかしいと気づく機会は彼らにもあったはずです」
 そう、いくら非道な真似をしようとも王が全て悪いわけではない。考えることを、疑うことをしなかったのは、彼らの怠慢でもある。他人に判断を委ねたからといって、責任を免れることは決してない。
「さすが、雷と裁きの女神に仕えているだけあるね、ライカちゃん」
 気配ひとつ感じさせず、突如、隣に現れた騎士の声に、ほとんど反射的にライカは顔をしかめていた。魔法士にしてみれば、魔法力を持たない騎士という存在は本当に厄介だ。前もって術を張り巡らしていない限りは、視界に入るまで接近に気づかない。そして、そうなった時はすでに手遅れなのだ。術を発動させる前に斬られてしまうだろう。
「王妹殿下との約定を果たしたこと、しかと見届けました」
 珍しく真面目な顔でオルトは告げた。最初、これが近衛騎士なんてと信じられなかったが、こうしている姿を見るとあながち嘘ではないと思える。
「完全に押さえたとは言い切れないが」
「十分です。もう、手の届かぬところにいますからね、あの魔法士達に彼らを妨害することはできない。そして、王が彼らに指令を与えることもできない」
 ほら、とオルトはマントの下から、魔法士達へ直接王が指示を与えるための魔道具を取り出して見せた。
「これの存在を思い出した頃には手遅れでしょうよ」
 魔法士達が敵の接近に気をとられている間にそれを拝借してきたオルトは、してやったりと実に楽しそうだ。
「それじゃ、俺達はこれで失礼しますよ」
「ああ。……ありがとう」
 オルトはひょいと肩を竦めた。
「礼を言われるようなことは何もしちゃいませんけどね」
 おのれの利害で動いただけだというオルトに王子は小さく笑った。
 その王子に向かってライカは一礼するとオルトと共に歩き出した。珍しくオルトは黙っている。おそらくは周囲の気配をうかがっているのだろう。普段は黙れと言っても黙らないだけに、奇妙な感じだ。丘の斜面をひとつのぼりきったところで、ようやくオルトは口を開いた。
「ここまでくれば、一安心ってとこだな。もうちょい先に馬をつないであるから、そこまでは頑張って歩いてくれよ、ライカちゃん」
 荒い息をしていたライカはじろりとオルトを睨んだ。死んでも弱音を吐くものかと我慢していたが、正直、騎士であるこの男に合わせて歩くのは、おそらく騎士としてはかなりゆっくりした歩調だったのだろうが、かなりきつかったのだ。
「さすがに人を抱えてたら、いざって時に反応が遅れるから、勘弁してくれな」
「言われるまでもないわよ」
 ライカは噛みつくように言い返した。たとえ危険な状況になくとも、こんな男に抱えられてたまるものか。
 大きく息を吸い込むとライカはまた勢いよく歩き出した。


 森緑王国軍の戦列は敵陣の中心部に向けて縦に伸びていた。誘導されたことに気づかぬまま、勢いづいて攻め込んでいく。やがて先鋒は本隊と切り離されて、南陽王国軍に包みこまれた。霧のために、森緑王国軍がそれに気付くにはもう少し時間が必要だった。
 大剣を杖のように地面に突き立て寄りかかり、いきなり戦場に現れた近衛騎士隊長と言葉を交していたファギルは空気の変化を感じて体を起こした。
「どうやら来たようですな」
 ほぼ同時に東方将軍が言い、見ればその上官と同じく緊張感もなくたむろしていた騎士達がさっと散っていった。
「馬から下りていたほうがいいと思うぜ?」
 馬上に向かってファギルが声をかけると、鮮やかな衣装に身を包んだ人物は頷いてするりと馬の背から滑り降りた。彼女のもとには一人足りとたどり着かせぬつもりではいるが、万が一ということもある。ほとんどの騎士能力者は騎乗しているよりも、徒歩のほうが動きやすいはずだった。
「『盾』用意」
 東方将軍の号令がかかると、魔法騎士達が瞬時に魔法力を集めた。おそらく、わずかだが魔法士能力をも備える騎士がいるのだろう。その騎士達が要となって魔法力の防壁が張られた。それが完成した次の瞬間には強烈な魔法攻撃が襲いかかった。炎魔法と風魔法の複合術によるものだ。接近してくる敵部隊には魔法士も含まれているのだろう。魔法士相手には一時しのぎにしかならない防壁が霧散する。第二弾が用意されるのを感じたが、それは途中で消えた。術が破れたのではなく、使い手が倒れたようだ。
 よく訓練されている。
 素直にファギルは感嘆した。各自がきっちりと役目を果たしているのだ。
 薄れゆく霧の中を突き進んでくる一団が見えてきた。妙な気配から察するに「操り人形」が混ざっているのだろう。ファギルは鼻に皺を寄せた。オルトとともに牢に囚われたままで逃げ損ねていたならば、自分も彼らのような人形にされてあの中にいたかもしれない。それは楽しくない想像だった。
 その一団に向けて四方から矢が射掛けられ、さらに騎士達が斬り込んでいく。大部分はそれで動きが止まったが、少数の者達がその乱戦を抜けてさらに接近してきた。
「……狂人だな」
 シェイドが呟くのが聞こえた。
 おそらくは、異様に思えるほどの殺気を放っている騎士のことだろう。
 ゆっくりとファギルは剣を地面から抜いた。
「我らが雑魚は引き受けるゆえ、ファギル殿は存分にあれと仕合われよ」
 はあっと声を上げてファギルは東方将軍を振り返った。
「なんで俺が」
 涼しい顔で東方将軍は応じた。
「ファギル殿はお若いゆえ、力もあり余っておりましょう。それにあれと仕合っておけば、そこにおられる御仁から腕試しに襲撃されるおそれもなくなりましょうぞ」
 ちらりとファギルがシェイドを見やると、東方将軍と同じように涼しげな顔で頷き返された。東方将軍の言うとおり、腕試しをしてみようと思っていたのだろう。
「……いけばいいんだろ」
 抵抗するだけ、無駄。ぐずっていれば、この二人から斬りかかられそうだ。
 いさぎよくファギルは地を蹴って、狂人と称された男を迎え撃つべく進み出ると、まずは仕返しとばかりに単純ではあるものの威力だけはある炎術を放った。おそらくは魔法力を持たないであろう「人形」が避け損ねて炎に包まれる。身体を焼かれながらも痛みに苦しむこともなく、なおも前進しようとする姿にファギルは嫌悪感もあらわに舌打ちした。
「ったく人をなんだと思ってやがるんだ」
 「狂人」は燃える人形にもファギルにも一瞥もくれずに真っ直ぐ王妹を狙って突き進んでくる。大剣を振るって進路を妨げると、ようやく男はファギルを見た。
 強烈なまでに鮮やかな緑の目は沼のような淀みを感じさせる。
「あんたの相手は俺だ」
 言えば、男はわずかに唇をゆがめてわらった。
「暁王国将軍の息子か」
「ああ。あんたの名前は」
「ダルフォン」
 男が名乗った次の瞬間には刃と刃が激しくぶつかり合っていた。
 なんとも妙な気配を察知してとっさにファギルは魔法力を集めた。それによってファギルに絡みつこうとしていた術がはじかれる。
「あんた、陽術使うのか」
 「人形」を束ねているのだから、精神に干渉する陽術を扱うことは不思議ではない。むしろ、ファギルは戦いながら素振りも見せずに術を発する器用さに感心した。
「お前は宝の持ち腐れだな」
 ダルフォンはファギルのありあまる魔法力をそう評した。魔法力はずば抜けていてもそれを使いこなすすべを持たぬファギルを揶揄したのだ。
「そうでもないぜ。術を気にせず戦いに集中できる」
 予期せぬ方向から繰り出された剣を弾き返しながらファギルは応じた。
 内心では稽古と称し、感覚を狂わせる陽術を使いながら軽く痛めつけてくれたことのある王妹に感謝していた。彼女も相当に器用で多彩な術と技を披露してくれた。多分、いくらかは鬱憤晴らしもあったのだろう、いつか父親を倒してみろとけしかけながら。
 しばらく無言のままに激しい打ち合いが続いた。共に隙を見せることもなく、守りに回ることもなく、踏み込んでは引き、剣を合わせる。
 このように手強い相手と真剣勝負するのは久しぶりだった。闘いに没頭するにつれ、こころが「熱」を帯びてくる。騎士ならではの高揚感に満たされた己に、騎士が闘うために生み出された存在であることをファギルは頭の片隅であらためて認識していた。
 抑えようもなく気が高ぶる。
 息つく暇もない攻めぎあいのなかで、ふっとダルフォンの集中力が途絶えた。
「リヴィー」
 一瞬、相手が自分から目を離したその隙をファギルは逃さなかった。振り下ろした剣をそのまま斜め上へと跳ね上げる。かわす時間は与えなかった。ざっくりと斬られた胴体から血が噴き出した。しかし、それでもダルフォンはファギルを見なかった。急速に失われていく己の生命にすら執着せずに、ただ一点を見つめ、手を伸ばす。地に伏してなおもがく手の先にファギルは視線を転じた。
 東方将軍の剣になぎ払われて、赤い髪の女騎士が仰向けに倒れる光景が目に入った。人形に命があるとすればの話だが、致命傷を負ったのは間違い無かった。
「……きさまはっ」
 今まで以上の嫌悪感に襲われ、ファギルは大剣を振り、ダルフォンの首を落とした。
 己の命を顧みることなく執着した女を、自分が惚れた女を、「人形」に貶めるなどファギルには許せなかった。その上、己から離さずに戦場へ連れ出すなど、まさしく狂気の沙汰だった。確かに、この男は狂っていたのだ。
「陛下への手土産になさるつもりか」
 静かな声がかけられる。ファギルはすっと肩の力を抜いた。
「こんなもん見せて女王陛下の不興を買うほどの度胸はないぜ」
「短い間に陛下の好みを把握されたようですな」
 そう言ってシェイドは喉の奥で笑った。
「近衛騎士になる気があれば、推薦させていただきますぞ」
「あー、それは、ちょっと……」
 遠慮したい。
 騎士能力を持たないだけで、南陽王国の女王は父親と同じ種類の人間だ。好むと好まざると関わらず、周囲の人間を巻き込む騒動を起こす。どうせ巻き込まれるのであれば、まだしも血縁がある方が諦めがつくような気がする。
 顔を上げて周囲を見まわすと、霧がかなり薄らいでいた。
 遠く離れたところで、魔法力がうねるのを感じた。退け、と叫ぶ声も聞こえる。
 森緑王国軍の後方で動きがあったのだろう。近くに敵の姿はすでにない。
「代理御苦労。もう脱いでよいぞ」
 東方将軍が、緊張に体を硬くしていた「王妹」に声をかける。王妹の身代わりとなっていた騎士見習いは頷いてマントを取り去った。外衣も素早くはずしてたたむ。さぞかし着心地が悪かったことだろう。
「アシュリーズ様のおっしゃった通り、姿形でしか標的を認識できていなかったようだな」
「はい。まっすぐに自分を目指して進んでくるのが分かって、妙な気分がしました」
「よい経験になっただろう。さて、本物はどこまで行かれたことか」
 その言葉につられるようにファギルは見えるはずの無い、遠くへ目をこらした。
 アシュリーズは傭兵達とともに、森緑国王を急襲しているはずだった。王が逃げても、その命を奪うまでは、どこまでも執拗に追っていくことだろう。実際、仕留めるまでは帰らないとアシュリーズは宣言していた。
 王妹はもとより、「あれ」に追いかけられるなんて、たまったものではない。死の使いと同じく、あれからは誰も逃れることはできないだろう。
 あれは森緑国王が自ら招き寄せた「死」だ。同情は全くわかなかった。
「あとは時間の問題ですかな。我々はお帰りを待ちしましょう」
「うむ。年寄りはおとなしくしておくか」
 東方将軍と近衛騎士隊長のそんなやりとりが聞こえてくる。
 なんだかな……。
 あと十年もすれば、自分の父親もそんなことを言って、若い者に働かせ、ぐーたらしていそうな気がする。
 赤毛をぐしゃぐしゃとかきまわし、ファギルは深い深いため息をついた。