女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (46)

 金属音が遠くから響いていた。霧で見えなくとも、南陽王国軍が押し寄せてきているのは間違い無い。戦端は開かれたはずなのに森緑王国軍の後方の丘に位置したまま動こうとしない雇い主を傭兵達は不審に思いながら様子をうかがっていた。
 傍観を決め込んでいるのか、はたまた時機をうかがっているのか。
 若い騎士は戦場にも傭兵達にも注意を向けず、落ち着き払って用意した矢を一本ずつ点検していた。
 じりじりと時が過ぎてゆく。
 太陽が昇り、霧が次第に薄れるなかで、ふと空気が動いた。微かな魔法力の発動だ。まるでそれが合図になったかのように、強い風が吹き始めた。
 薄れた霧の合間に目を凝らした、視力のいい傭兵の一人が驚きの声を上げる。
「嘘だろ、もう国王直属部隊が後退してるぜ」
「いくらなんでも早過ぎる。見間違いじゃないのか」
 まさかと傭兵達は信じられぬ様子だが、無理もない。彼らは王妹の能力も、それに付き従う騎士の能力も知らない。
「見間違いではない。南陽王国王妹による速攻だ」
 落ち着いた声でエルードが告げると、傭兵達が一斉に彼を見た。
「これより森緑国王の退路を断つ」
 息を飲む音がした。だが、ある程度は予測していたのか、激しい動揺は見られなかった。貴族同士の抗争では裏切りなど珍しくもないからだろう。
「あんた、南陽王国側の人間だったのか」
 その言葉に、わずかにエルードは唇の端を上げた。
「どちら側の人間とも言えないが、あえて言うならば森緑国王の敵だ。この勝負、どちらに恩を売りたい?」
 しばしの沈黙のあとに、ひとりが口を開いた。
「……契約主はあんただ。あんたに従う」
 傭兵達は機を見るに敏感だった。すでに陣形が崩れ、敗走し始めた軍に加担する気はないらしい。
「いいだろう。では、西側より回り込む。国王を討ち取るのは早い者勝ちだ。討ち取れば間違い無く、南陽王国女王が恩賞をはずむぞ」
 おおっと気勢を上げると傭兵達は一気に斜面を駆け下った。その姿を朝日が照らす。
 すべては予想通り。ならば、この後の予想もあたる可能性は高い。
 本当に厄介な男だ、と傭兵達にまじって駆けながら心の中でエルードは呟いた。
 防げるかどうかはライカ達の腕次第だが、そもそも扱う術が違うという。防ぎ切れなかった場合、どれほど被害が出るかは不明だ。ただ、はっきりしているのは、あの男の息の根を止めることが重要だということだけだ。生かしておけば、被害は際限無く広がる。
 しかし、今はそれを考えているわけにはいかない。
 こちらの存在に気づいた森緑王国の騎士が驚きに目を見開く。
 裏切りだ、と憎々しげに叫ぶのにエルードは唇を歪めた。
 裏切ってなどはいない。最初から、そちら側には立っていなかった。たまたま生まれただけの国に、自分を利用するだけだった王に、忠誠心を抱くはずがない。
 エルードは己の意志に従って剣を抜いた。 


 金茶の髪が風に揺れている。意識を集中するために目は閉じられているが、もし開いていたならば強い眼光をたたえていたことだろう。
 ライカは先ほどエルード達傭兵部隊が駆け下りた向かい側の丘の上に立ち、森緑国王の存在に意識を集中させていた。ふもとでは激しい戦いが繰り広げられている。戦う騎士達のなかに、丘の上へ目を向ける余裕のある者はいないようだった。
 できることならば、王が自国を滅ぼそうとするとは思いたくなかった。だが、その可能性を否定するものは何もなかった。
 それどころか、王は戦場に味方をも巻き込むであろう術をめぐらした。昨日から用意されたその術を解除していくのは第一王子とその配下達の役目で、ライカは新たに王が放つ魔法力を可能な限り消していった。
 懸命に魔法力を操るライカをあざ笑うように王は易々と新たな術を放つ。何の術かは分からない。なかにはただの囮もあっただろうが、吟味している暇は無かった。ライカは必死で己の魔法力を王のそれにぶつけたが、ライカの「網」をすり抜けたものもあった。しかし、それを何者かが消した。ほっとしながらも、誰かを確かめることはできない。
 ライカにとって長い時間が過ぎ、不意に王の魔法力の発動が途絶えたとき、ライカの額には汗が滲んでいた。王の術が直接攻撃をするものに変化した。
 おそらく、剣を抜いて闘い始めたのだ。
 瞼を上げ、ライカは戦場に王の姿を探した。土煙を上げて戦う集団から離れて戦う二人の存在を目でとらえる。
 王と、女騎士。どちらも金茶の髪を持つ。
「やめさせて」
「はぁ? 今更?」
 なにを言ってるんだとばかりに呆れた声をオルトが出す。
「王を殺すのは、かまわないの。それがエセル以外の誰かなら」
 オルトは珍しく困ったような顔をした。
「望んだのは、本人だからなぁ」
「止めたいの。肉親を手にかけるのは、あの男だけで十分だわ」
 ライカには王が、王子達にしろエセルにしろ、血縁者に自分と同じ道を歩かせたがっているように思えると訴えると、オルトは肩をすくめた
「ま、ライカちゃんがそういうなら、ちょっと邪魔しに行きますか。王妹殿下もいるし、なんとかなるでしょ」
 そう言うと、オルトはひょいとライカを馬の鞍に放り上げ、自分もそのすぐ後ろにまたがった。このときばかりは、ライカもぞんざいな扱いに文句を言わなかった。オルトが鞍に腰を落ち着けるや否や馬が走り始める。
 エルードは徹底的に王の邪魔をしてやりたいと言っていた。自分も、同じ気持ちだ。
 何であれ、王の望み通りになってたまるものか。
 意固地とも思えるほどの気持ちに、誰よりも驚いているのはライカ自身だった。


 皮肉なことに、死と隣り合わせの戦場に身を置くときほど、生きていると実感するときはない。
 そう養母は苦笑まじりに言ったものだった。
 だから、戦場を離れることができぬのだ、と。
 その気持ちはアシュリーズにもわからぬでもなかった。
 戦場には生と死しかない。ほかには何も無い。だからこそ、そのどちらも強く意識される。
 国王直属の騎士隊は奇襲に浮き足立っていた。完全にアシュリーズ率いる傭兵部隊に翻弄されているが、殲滅させる必要は無い。狙うは王のみ。
 敵の剣をなぎ払い、アシュリーズがぐるりと周囲を見まわすと騎士達の間に、騎乗する国王の姿が見えた。幾人かの騎士に守られ、戦場より離脱するつもりらしい。
「邪魔だ」
 足止めしようと襲いかかってきた騎士の剣を無造作に払いのけてアシュリーズは近くにいるガザンに言った。
「あとは任せる」
 ちらりとガザンがこちらを見やり、無精髭の生えた顔でにやりと笑った。
「手早くな」
「無論」
 刃を一閃させ、相手が倒れたかどうか確認することもなく、アシュリーズは前進した。
 妙だ。
 あの男は己の死なぞ恐れていない。死ぬことをむしろ望んでいるはず。己の死によって国が崩壊するように、導いてきた。それなのに、いまさら逃げるなぞ、なんのつもりか。
 時間稼ぎ、という言葉が脳裏にひらめく。
 あの男の望みは国の滅亡。ならば。
「ウェイ」
 ぴたりと寄り添うようについてくる騎士にアシュリーズは声をかけた。
「あの王が放つ術を全て消せるか」
 横合いから突き出された剣を払い、簡潔にウェイは答えた。
「全ては無理だ」
「では、王が戦場外に向けて放った魔法力を可能な限り消してくれ」
「わかった」
 闘いながら、魔法力を操るのはウェイには造作もないことだろう。この付近にウェイをてこずらせるほどの騎士はいない。
 新たに騎士の集団が丘を駆け下りてくる。エルードの率いる傭兵部隊だ。それが、逃げた国王の進路を塞ぐ。王が馬首を転じるのが見えた。まだ、逃れるつもりだ。すなわち、彼の意図したことはまだ成し遂げられていないのだ。
「ウェイ、どうだ?」
「ほとんどは他の魔法士が消した。今のところ、完全に防いだ」
「そうか」
 他の魔法士とは、オルトが手引きしたという女神官あたりだろう。彼女や第一王子達は王の術を抑えるべく動くと聞いていた。
 すでに、戦場に用意されていた術は彼らの手で解除されている。王が用意した、敵味方構わずに大打撃を与える術だ。
 前もって仕掛けておいた術を、魔道具を媒介に僅かな魔法力を合図として発動させるのは、遥か昔によく使われた手だという。王が戦場以外にも同じような術を仕掛けた可能性は十分に考えられる。どこにそれを仕掛けたか、アシュリーズに知る術はないが、予想はついた。できるだけ、国に打撃を与える場所、だ。
「まったく、姑息な男だ」
 盾となって自分を守る部下達をかえりみることなく馬を走らせる王をアシュリーズは追った。騎乗したままなのは、術に意識を集中させるためだろう。
 見知った気配を感じ、アシュリーズはそちらへ視線を向けた。目が合うと若い騎士はわずかに顎をひいた。顔を見たのは一年ぶりくらいになるが、稽古をつけた相手をアシュリーズは忘れていなかった。
「エルード、おまえは弓も得意だったな」
 若者の背にある弓と矢筒に目を向けてアシュリーズは言った。
「私が術で足止めするから、王の馬を射よ。背後はウェイが守る」
 若者は無駄口をきかずに、すぐに弓の用意に取り掛かった。ウェイの腕を信用しているのか、不安な様子はない。
「行くぞ」
 アシュリーズは王の進行方向に向けていきなり火炎を爆発させた。乱戦のなかで使えば味方にも被害は及ぼうが、王の周囲にいるのは敵だけだ。馬が驚いて棒立ちになったところへエルードの矢が立て続けに射かけられた。暴れる馬から王は振り落とされる前に離れた。
 その間にアシュリーズは王との距離を詰めた。王の身を守る騎士がひとり向かってくる。
 軽く風刃を放ってみたが、避けられた。さすがに、国王の身辺を守るだけあって手応えはあるようだ。
 その騎士と刃を合わせる前に、さっと黒い影が割り込んだ。すぐさま相手の剣が跳ね飛んだかと思うと、その持ち主の体が飛んだ。
「……ウェイ」
 まともに剣を合わせてやろうとすら思わないらしい騎士は振り返らず、先を行く。
「なにか怒らせたのですか」
 追いついたエルードが後ろから声をかける。さすがに騎士見習いをしている間、観察する機会があっただけあって、余人にはわかりづらいウェイの精神状態も多少は推察できるらしい。
「私が王に一騎討ちを挑んだのが気に食わないらしいな」
 それで、とエルードは得心したようだった。
「矛先を国王に向けたわけですか」
「エルード、お前は自分の手で仕留めたいのではないか?」
「結果として、あの王が討たれるのならば、誰が討とうとかまいません」
「それならいい」
 無謀にもウェイの行く手を阻もうとした騎士達が一撃のもとに倒されていくのを見ながらアシュリーズは息をつき、ひとりになった王に向かって騎士が駆け寄るのに気付いた。
「あれは……エセルか」
「そのようです」
「では、邪魔が入らぬようにしてやるか」
 アシュリーズは足を止めると追いすがってきた騎士達に向き直った。エルードもそれにならう。
「できる限り、殺すな」
 エルードならば、手加減できるだけの余裕があるはずだ。
「努力します」
 見習い時代のように、真面目くさってエルードが答えるのに、アシュリーズはわずかに笑った。


 無駄、無駄。
 長身の青年のもとへ、王を守る騎士達が殺到するのを見てエセルは笑った。
 何人いようが、彼には関係ない。少しばかり時間を食うだけだ。
 王が完全に一人になるのを見計らって、エセルは駆け出した。彼女の接近に気付いたのは王だけで、その身を守るべき騎士達はすべてウェイに気をとられている。
 王は、エセルの姿を目でとらえるとうっすらと笑った。
「来たか」
 微かな呟きをエセルの耳は逃さなかった。
 やはり、知っていた。
 エセルは走りながら剣を抜いた。蛇のように襲いかかった炎を避け、王に斬りかかる。弾き返され、攻撃を右に左に避けて再び間合いを詰めた。鋭い音をたてて刃と刃がかみあう。
 同じ緑の目。互いに互いの姿を映している。背景には、青空。
 何もかも夢で見たとおり。
 エセルが飛びのくと同時にそれまで彼女が足を置いていた場所で土ぼこりがあがる。王の仕掛けた術が発動したのだ。わずかでも遅れていたら、足をなくしただろう。
 魔法士能力も備えた騎士はこれだから困る。術を紡ぐ余裕を与えるわけにはいかない。
 エセルは素早い攻撃を繰り返した。速度が自分の売りであるからには、持久戦に持ち込むわけにはいかない。
 王を前にして、繰り返し夢に出て来た場面に遭遇して、憎しみにせよなんにせよ、なんらかの感情がわくのではと思っていたが、意外なほどに冷静だった。
 そして自分が自分でないような奇妙な感覚にエセルは陥っていた。決められた役割を果たす役者であるかのような、違和感。
 自分が役者ならば、芝居の台本を書いたのは。
 エセルの頬を風刃が掠めた。それを王は魔法力をこめた剣でなぎ払った。
 自分達以外の存在が放った風刃は王を標的としたものの、エセルにも当たる可能性があった。こんな手を使うのは。
 突然、光がはじけた。
 考える間もなく、エセルは身を沈めた。その頭上を何かがよぎる。
 鈍い音がした。
 視線を上げると、二本の矢が王を貫いていた。一本は喉を、一本は眉間を。
 わずかに王は唇をゆがめて笑ったように見えた。
 妙にゆっくりと、そうエセルの目に見えただけかもしれないが、時間をかけて王は倒れた。
 あの夢を見せたのは、この男だったのだろうか。血のつながった姪の、あるいは実の娘の手で、自身が殺されるように。
 見開かれたままの瞳はもはやなにも映していなかった。
「馬鹿じゃないの」
 肩を竦めると、エセルは剣を鞘におさめた。
 血縁があっても、なくても同じ。自分以外の他者であることに変わりない。この男は血になにを望んでいたのだろう。
「獲物横取りして悪かったな」
 その声に振り返ると、ひらひら片手を振りながらオルトが歩いてくるところだった。その後ろからエルードがライカを乗せた馬の手綱をひいている。彼らの背後に、こちらに背を向けて去って行く王妹とウェイの姿が見えた。
「別に誰がやろうが構わないけど。さっきの矢はオルト殿だけじゃないよね?」
 ほぼ同時に二本の矢は標的に到達していた。いくらオルトが器用でも無理だ。
「ん、俺とエルードが同時に射かけた。風刃はウェイ。正確には騎士の使う風刃に見せかけた、魔法士の術だったらしいけどな、俺にはさっぱりわからん。目くらましの光はライカちゃん。見事な連係だったろ?」
「避けなけりゃ、私に当たってたよね」
「提案したのはエルードだ」
 やはりそうか。例え当たってもその時はその時だと思っていたに違いない。
「お前なら避けるって断言した。それに、やれって言ったのはアシュリーズ様だからな、恨むならアシュリーズ様にしてくれ」
 あ、でも、と言ってオルトは振り返って馬上の女神官に目を向けた。
「エセルに殺させるなと言ったのはライカちゃんだぜ? それこそ、やつの思うつぼだからって。やつの望み通りにはさせないってことで意見が一致したわけだ」
 エセルは笑った。
「嫌われたもんだね、この男も」
「好かれる要因がないのだから仕方ないじゃない」
 さっぱりした口調でライカが言う。
「そりゃそうだ」
 ライカはエルードの手を借りてぎこちなく馬の背からおりると、王の亡骸の前で祈りの文句を唱えた。
「祈ってやるんだ?」
「さっさと冥界に引き取ってもらいたいからよ」
「確かに。思い残すことはいっぱいありそうだ。……国を道連れにできなかったわけだし」
 そう言ってエセルは眉を寄せた。
 その割に安らかな顔をしていないだろうか。
 黙ったまま王の遺体を見下ろしていたエルードも同じことを考えたらしく、二人は顔を見合わせた。
「これだけじゃ、終わらさないよね?」
「……人を使えば、動きを察知される。使うならば魔法だろう」
「だけど、魔法力の動きだって察知される」
 自分ならば、どうするか。
「仕掛けをつくっておくな」
「開戦の日時は決まっていた」
 二人はそろってライカを見た。
「一定時間が経過すれば、発動するように術を仕掛けることは可能?」
 エセルの質問にライカは首を傾げた。
「私は知らないけれど……」
 そこへオルトが口を挟んだ。
「逆も考えられるんじゃないか? 時間がたてば、魔法力を注がない限り術は消える」
「それだ!」
 異口同音に叫ぶなり、エセルとエルードは駆け出した。
「おい、この死体、どうすんだ?」
 オルトがきくと、
「カラスにでも食わせれば」
「もう用済みだ」
 振り向かずにそれぞれ答える。
「半日か?」
 エルードが言うのは、仕掛けが発動するまで残された時間のことだと即座にエセルは理解した。
「そのくらいだろ、騎士でも半日じゃ王都まで行けない。魔道具を使って伝言を送ったところで、それを探し出す時間は残さない」
 あの王なら、気付いても間に合わない時間しか空けないはずだ。
「神殿もだろうな」
「あの男なら、そうする」
 王都と森神殿と。国を滅ぼそうと望むなら、国の象徴たる存在をも消し去ろうとするだろう。
「ほんとにろくでなし」
「全くだ」
 完全な意見の一致をみた二人は、王の企みを阻止できそうな人間離れした人物とその彼に遠慮無くそれを要求できる人物のもとへと急いだ。