女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (49)

 よくぞこれだけ暴れても咎められなかったものだ。
 肩で荒い息をつき、壁にもたれて一休みしながらフィルはそう考えた。
 これも有能な魔法士や騎士がすべて戦場に送り込まれていたおかげだろう。気配を抑える術をかけてもらってはいるが、それだけではこうも易々と目的を果たすことができたとは思えない。
 意識を失った、または命を失った男達がごろごろとフィルの周囲には転がっている。十人ほどいるが「加害者」はフィル一人だ。魔法士による助力があったとはいえ、仕事にあぶれがちな、ぱっとしない傭兵達だからこそ、この人数を相手にできたのだ。
 フィルはちらりと袋小路の奥にある樽に目を向けた。油のように燃える液体が中に入っているという。床に転がっている男達はこれを使って森緑王都に火を放とうとしていたのだ。そして火事場の混乱に乗じて思うままに悪事を働くつもりでいたらしい。
 ……面倒だから、この小屋ごと燃やしてしまおうか。
 そんな考えが、頭をよぎる。しかし、被害はここだけでは済まない。それに本当に生きたまま燃やしてやりたい相手は、まだ生きていればの話だが、森緑国王だ。なにしろ、所定の時間が過ぎれば発火するよう王城を含めた王都のあちこちに術を張り巡らせ、さらに念押しとばかりにここに転がっている傭兵達を雇ったのは国王その人なのだから。しかも、それだけでは飽き足らず神殿をも崩壊させようと地下の礎石に細工もしていたらしい。
 はじめノウィンの口から、これらの仕掛けについて聞いたときには、あまりのことにすぐには信じられなかった。何故、国王がおのれの治める国をそこまで破壊しようとしなければならないのか。王というのは民の暮らしを守ってこそ王足り得るのだと聞かされてきたフィルには理解できなかった。
 ふと、頬を手のひらでぬぐうと血がついた。少しばかり返り血を浴びてしまったようだ。
「近衛騎士たるもの、なるべく返り血なぞ浴びるのではないぞ、見苦しいゆえ」という女王の声が耳に蘇る。着任早々に言われた言葉だ。
「お役に立てずにすみません」
 角を曲がって現れた梢耀王国の神殿騎士だという青年が申し訳無さそうな顔で頭を下げた。今までこの袋小路に他の人間が入ってこないよう、見張っていたのだ。梢耀王国では一般的だという明るい栗色の髪に空色の瞳を持つ青年は、本来なら騎士に叙任されるほどの騎士能力は備えていない。むしろ魔法士が本職なのだが、魔法士としても偏った能力しかないために魔法士と名乗ることもできないらしい。その彼が何故、神殿騎士に選ばれたかというと、その偏った魔法力ゆえだという。古代魔法を操れる力のことだとノウィンは説明した。梢耀王国の神殿は、その古代魔法に守られているから彼のような人間を必要とするのだと。
 その古代魔法を、ノウィンの師匠も、彼の上役も使うという。どういう人達なのかと尋ねると、ノウィンは少しばかり首を傾げて「ウェイ殿の親戚筋という説明が一番わかりやすいと思います」と答えた。要するに、あまり関わり合いを持たないほうがいい人達ということだ。
「いえ、術で動きを抑制していただいたおかげで随分助かりました」
 もたれかかっていた壁から身を離してフィルは応えた。フィルにその魔法力の動きはほとんど感知できなかったが、それこそが古代魔法の特徴だという。もともとは昔の特殊な血筋の直系にしか扱えないものだったというが、数百年の時を経て、その直系以外にも扱える者が稀に生まれるようになったらしい。これから先、もっと増えるのではないかというのがノウィンの予測だった。
「神殿の術もうまく解けたようです。まだ年若いのに、優秀な方ですね」
 梢耀王国の神殿騎士の言葉には感嘆の念が込められていた。その様に、絶対に逃がすなと女王から念押しされるはずだとフィルは得心した。南陽王国を出る前に、さんざん女王から魔法士の希少性を強調され、ノウィンを無事に連れ帰るようにと申し渡されたのだ。単に南陽王国には魔法士が少なく、見目よい魔法士は更に少ないからだとばかり思っていたが、それだけではなかったらしい。
 不意に青年が顔をしかめた。どうしたのかと問うと、苦笑して青年は答えた。
「神殿長殿から長居は無用、用事が済んだらさっさと帰ってこいと連絡があったんです」
「連絡、ですか?」
「古代魔法のひとつで、ここに直接言葉を送り込むものです」
 とんとんと指先で頭を叩きながら青年は説明した。
「私は一方的に受けるだけで、言い返すこともできず不公平な気もするんですが」
 その口ぶりに、実際に送り込まれた言葉とやらは、青年が口にしたものより、随分荒っぽいものだったのだろうとフィルは見当をつけた。口悪く、人使いの荒い人間というのはどこにでもいるものらしい。
 梢耀王国の神殿騎士は、これで任務完了ですねと言いながら、樽の蓋をそっとあけると、中和剤だという粉を中へ振り入れた。単身王城に忍び込み、同様の行動を繰り返してきたので手馴れたものである。見つかったら間違い無く殺されただろうに、なかなか度胸のある人物だ。
 蓋をとじると、振り返って青年はほっとした笑顔を見せた。
「私の手には余る仕事でしたから、あなたがたの助力を得られて本当に助かりました」
「いえ、こちらこそ助かりました。隣国の混乱を女王はお望みになりませんから、もしこの件を見過ごしたとあらば、お叱りをうけるところでした」
 本当によかったと思いながらフィルは言った。女王に叱られるのは慣れているが、その夫君やヴェルシュに睨まれるのはごめんだ。
 入り組んだ小路を抜けて広い通りに出たところで、二人の騎士は互いの帰路の安全を祈って別れた。晴れやかな笑顔の二人の様に通りかかった者は誰も不審の念を抱かなかった。袋小路での惨状が公になっても、それと彼らを結びつける人間はいなかっただろう。
 これでようやく帰国できると、その時のフィルは信じて疑わなかった。


 南陽王宮の通廊を足早に銀髪の青年が歩いていた。行きあう人々が深々とお辞儀をするのに軽く会釈を返しながら、女王の夫は二つの知らせについて思案していた。その二つとも通常とは異なる手段で彼に直接届けられており、彼以外に知る者はいない。事前に古代魔法ならば、そうしたやりとりができると知っていたからこそ、少し驚いただけですぐに平常心を取り戻したが、頭のなかに直接「声」が響くなど、知らなければ自分の精神状態を疑っただろう。「声」はその主達の肉声と同じように淡々と報告を終えると消えた。
 便利なのか不便なのか分からないとクルス・アディンはかすかな苦笑をこぼした。知らせのひとつは、知ったおかげで早めに手を打つことはできるが、いっそ知らなかったほうがよかったと思えるものだったからだ。緊急の用件でもないが、あえてこの手段をとったのは、王妹も早めに動いたほうが「まし」だと判断したからだろう。確かにその通りなのだが、嬉しい知らせではなかった。
 クルス・アディンにとって最も優先される務めは女王の政務に支障が出ないように取り計らうことである。それには女王の機嫌を良好に保つことが必須だ。しかし、暁王国将軍アルク・デュリルが訪問するという知らせは女王の機嫌を損ねることは間違いなく、ぎりぎりまで女王には知らせずにおくのが一番だ。そして被害を最小限に済ませるには準備が要る。そのために、まずクルス・アディンは宵闇公国第二公子ジラッド・リオス・ガイラールの滞在する賓客用の部屋を訪問した。ジラッドは無事に婚約者と復縁したにもかかわらず、どうせならば戦勝の宴まで参加させてもらおうなどといってなかなか腰をあげずにいたのだ。
「デュリルが来るぞ、君をからかいに」
 のほほんと楽器を爪弾きながら彼を出迎えた公子に向かってクルス・アディンは意地悪く告げた。途端にジラッドは顔をしかめた。
「本当か」
「嘘をついてどうなる。逃げ出すなら、王家の船を手配するが?」
 水量の豊富な時期において、西へ向けて流れる川をくだる船は騎士能力者以外の人間を連れた旅では最速の移動手段となり得る。
「そうだな。あれは面白い男だが迷惑であることも確かだ」
「デュリルのことだから、引っ掻き回してやろうとセラナ嬢に求婚しかねないぞ」
「わかってる。わが父上も君の女王陛下のように顔が気に食わんと突っぱねてくれるような人間だったら楽なんだがな」
 自分の息子を女王や王妹に婿入りさせようと躍起になる人物が、そのような機会を逃すはずもない。アルク・デュリルが冗談だと言ったところで聞く耳は持たないだろう。
 セラナも理由を知れば急の出立にも賛同してくれるはずだ、と呟いてからジラッドは女王の夫をじろりと見た。
「……ひょっとしなくとも、君は私をあれのえさにするつもりか?」
 さすがにジラッドも鈍くはない。アルク・デュリルの目的は明らかにジラッドをからかうことだ。その目的となる人物が帰国したとあらば、彼が南陽王宮に滞在する理由も無く、すぐさま追いかけて行くはずだ。
「当たり前だろう。長期間の滞在に便宜をはかり、さらには君達がうまくまとまるようにお膳立てしてやったのだら、そのくらいのことは引き受けてもらわなくては」
 ずけずけとクルス・アディンが言ってやると、ジラッドは仕方ないと肩を竦めた。
「女王にはなんと説明すればいい?」
「君の兄君より急使が来たことにしよう。君達の縁組を再び破談にしようという動きがあるとでもね」
「わかった。あとで女王のもとへ挨拶に赴くから手はずを整えておいてくれ」
「もう手配はしてある。セラナ嬢と口裏合わせを頼むよ」
 用意のいいことだと苦笑するジラッドに、後は任せたとクルス・アディンは背を向けた。アルク・デュリルの介入で事態がややこしくなる前に正式な婚約を表明すべくジラッドが帰国を急ぐことは確実だった。
 次は女王だ。公子の件ともう一つの知らせについて報告しなくてはならない。そろそろ休憩を取りたがる頃だからちょうどいいだろう。案の定、執務室の近くまで来ると女王が文句を言う声が聞こえて来た。顔も悪い上に仕事もできぬやつなぞ罷免しろとかなんとか、いつものように言いたい放題だ。
 クルス・アディンが入室すると補佐をしていた文官達が助かったという表情になった。女王を諌めていた、あるいは、やり込めようとしていたヴェルシュが、後はどうぞとばかりに頷いた。彼らの期待に応えるべく、早速、クルス・アディンは報告を開始した。
「宵闇公国より、公子帰国要請の急使が来ました。それをうけて公子は明朝の出立を希望していますので、そのように手配しました」
 意外そうに女王は目を見開いた。ヴェルシュは書類に目を落としたままだが、聞いていることは間違い無い。
「急だな。アシュリーズ達が帰るまで、居座るつもりだと思っていた」
「陛下の御心にも添う判断だと公子はおっしゃっておりましたが、詳しくは公子自身よりお聞き下さい。後ほど御挨拶に参られるそうですから」
「ふうん?」
 なんだろうなと女王は首を傾げているが、不満に思っている様子はない。
「それから、魔法士ノウィンより帰国が遅れると魔法伝達により報告がありました。今後、術を研究するにあたって重要な情報を得るべく氷晶王国の北神殿を訪問するとのことです」
 北神殿にいる「純血種」と呼ばれる人物に会いに行くのだとは、この場で口に上らせるべきではない。「純血種」の存在については、宮廷でもごく一部の人間しか知らないのだ。
「ほう。フィルはどうすると?」
「ノウィンに同行するそうです。シェイド近衛騎士隊長に任命された女騎士も二人と行動をともにしていたそうですが、彼女に詳しい報告書を届けさせるとのことです」
「ということは、二人だけか」
 よしよしと満足そうに女王は頷いた。またなにやら期待しているのだろう。
 ヴェルシュと目が合った。他にもなにか情報があるのでは、とその目が尋ねている。クルス・アディンは軽く頷いた。彼にはこの後すぐに知らせるつもりだ。なにしろ女王の機嫌がいいうちに、すなわち暁王国将軍が王宮に到達するまでに、可能な限り政務をこなしておかねばならない。文官達はしばらく休み無しに働くことになるだろうが、その後のことを思えば、喜んで務めに励んでくれるだろう。彼らは事情を知っても、誰も女王にそのことを知らせたりはしないはずだ。彼らの結束はどの騎士団よりも固いに違いないと懸命に書類をめくる姿を眺めながらクルス・アディンは考えていた。


 隣国とよしみを結ぶべく、大公が次男に新たな花嫁候補をあてがおうと画策しているらしい、と宵闇公国第二公子は急な帰国の理由を女王に説明した。女王が出発を急き立てることはあれども反対することはない、さらに事実でなくとも影響のない適切な理由付けである。期待された通り女王は特に疑うこともなく公子らを送り出し、束の間の平穏が南陽王宮に訪れた。しかし、それが嵐の前の静けさであることを文官達はよくわきまえていた。そして慌ただしく宵闇公国の一行が出立して三日後、予想されていた嵐がやってきたのだ。
「なぜ、そなたがここにおるっ!」
 王宮に響き渡る女王の怒声に文官達は、とうとう来たかと陰うつな溜息をつき、女王の機嫌を更に損ねるだろう書類を保留に回すべく分別し始めた。しばらくは否応無く休みがもらえることだろう。休み明けのことを考えると、彼らにとってそれはあまり嬉しいことではなかったのだが。
 多くの文官達の恨みを買うことになった男は女王の怒声にびくともせず、にやりと笑った。
「ジラッドのやつがここにいるからだろうな。悪いのはいつまでも帰国せずにだらだらしていたジラッドだ」
 あごを撫でながら、平然と言い返す暁王国の将軍に女王はさらに言葉をたたきつけた。
「たわけ、悪いのはそなたの性格だ」
「ほう、それは知らなかった」
「そうだろうとも、知っていればそこまで堕落はすまいぞ」
 その言葉に楽しげにアルク・デュリルは笑い、クルス・アディンは指でこめかみをおさえている。
 「高貴な方々」とは思えぬやり取りだが、問題は、これが南陽王国では「普通」であることではないだろうか。
 女王の護衛についている近衛騎士ユリクは表情を変えることなくそう考えた。
 いつの間にやら世継ぎの守役をしている彼としては、この環境で成長した世継ぎがどのような人間になるか、いささか心配でもある。
「堕落し切った男には神々の恩寵もないのだな、ジラッド公子ならもう帰国されたぞ」
 女王はざまーみろとでも言わんばかりの口ぶりだ。
「そうなのか? あいつのことだから、祝い酒をたんまり飲んでから腰を上げると思っていたんだが」
 読みが外れるとはおかしいとなにやら戦神は不可解そうだ。彼が王妹の前に姿を現したその日のうちに王宮に知らせが届いたとは思ってもみなかったのだろう。だが、その可能性を考えたらしい。アルク・デュリルから発せられた問いかけにユリクはさすが戦神と呼ばれるだけあると素直に感心した。
「氷晶王国で神殿間の連絡に使っていた魔道具、あれと同じようなものをつくったのか?」
 即座にクルス・アディンは否定した。実際につくっていないので、嘘は言っていない。
「あれはちょっとした魔法士なら『盗み聞き』が可能なものだ。便利ではあるが、まだまだ改良の余地がある」
 事前に情報を得たわけではないと言っているようだが、事実はもちろん違う。それを微塵も表に出さないクルス・アディンもさすがである。
「ジラッドも悪運の強いやつだ」
「だが、そのままにしておくつもりもないのだろう?」
 クルス・アディンの呆れたような声に戦神は唇の端を引き上げた。
「当たり前だ。おまえのときと同じ程度にからかってやるのが公平というものだろう」
「そういうところで公平である必要はないと思うが」
「アルク・デュリル! 未来の嫁候補を増やすべく布石を打ったのだ、余計な手出しをするでないぞ!」
 びしりと扇を手のひらに打ちつけて女王が言った。
「俺がちょっかいかけたくらいで壊れる縁ならそれまでのことだろう」
「たわけ。壊れはせぬが婚儀が遅れれば、娘が生まれるのも遅れよう。年齢が離れすぎても支障が出る」
 暁王国の将軍に手出しを控えさせようとするのは、二人の幸せを願ってのことなのか、飽くまで自分の望みを押しとおそうとしてのことなのか、女王の言葉は判別し難い。
「婚儀が遅れたからといって子が生まれるのが遅れるとは限らないぞ」
「そなたと一緒にするな」
 高貴な身分にある女性が口にするのは憚られる言葉を女王がまくしたてようとするのを未然に防ごうとクルス・アディンが間に割って入った。
「陛下、将軍も長旅でお疲れでしょうから、もうこのへんで休ませて差し上げましょう」
 白々しい儀礼上の言葉には、もういい加減にしておけという意味が込められている。まったくもって暁王国の将軍に疲労の色は見られない。
「永遠に休ませるのならば大賛成だぞ」
 女王の呟きを黙殺してクルス・アディンはアルク・デュリルを半ば強引に連れ去った。勝手に寄り道せぬよう、しっかり客室に閉じ込めるつもりだろう。入れ替わり、エセルが入室する。
「こら、エセル、そなた何故ここに来るまでにあれを谷底に突き落としてこなかった!」
 いきなりかけられた女王の理不尽な言葉にエセルが臆することはない。
「陛下、北の国境から王都までの地形は御存知でしょう? ちょうどいいのが無かったんですよ。それに仮にあったとしても、あれは谷底からでも這い上がってくるから無駄ですって。それくらいなら、シィンさんに毒殺依頼したほうが確実と思いますけど」
「王宮が穢れるわ」
「トーヴァ女神官に清めてもらえばいいじゃないですか」
 その言葉に女王は眉を寄せた。
「不都合なことに、あれはまもなく休みに入るのだ」
「休み? トーヴァ様が?」
 エセルと同じくユリクにも初耳だった。あの職務熱心な、仕事が趣味といっても過言ではない女神官が休みをとるなどとは信じられなかった。なにかを計画してのことというのならば納得できるのだが。
「なにやら父との取り決めがあったらしくてな。この夏から、五年ほど宮廷ならび神殿を離れる約束だそうだ」
 女王に対する影響力を抑止するためとも考えられるが、それだけならば神殿を離れる必要はないだろう。そして、トーヴァはそうしたことを心配する必要もない人物だ。
「そなたら何か知らぬか?」
 そう言って女王が神殿育ちのエセルとユリクを交互に見やる。ユリクはエセルと顔を見合わせた。
「私達が神殿に入った当初からトーヴァ様はトーヴァ様でしたから」
 ユリクは言葉を濁したが、エセルは違った。
「出自も年齢も不明、神殿に入った動機も酒量の限界も不明。分かってるのはトーヴァ様の徘徊する地域では時折、下手人不明の他殺体が落ちてるくらいのもので、謎に包まれたというより、誰もその謎を解き明かしたくない人物として有名ですからね」
 事実である。謎を解き明かしたら自分の命が危ないと神殿の人間は勿論、王宮の人々まで信じていた。そう信じるだけの出来事も過去にあったのだろうが、ユリクも詳しくは知らない。
「だが、エセル、そなたならばその謎を解いてみようと思ったのではないか?」
 エセルは肩を竦めて否定した。
「興味なかったもので」
 全くその通り。エセルは他人のことなど詮索しない。本当に興味がないからだ。
「……神官長なら御存知だとは思いますが」
 女王も承知しているだろうとは思いつつ、ユリクは言ってみた。
「あの妖怪爺が口を割るものか」
 確かにそうだ。神官長は、もらしてもいいと思っている情報でも、のらりくらりとはぐらかしつつ、本当に僅かずつしか出さないのだ。それを指摘すれば、年寄りの数少ない楽しみだなどと応じて取り合わない。
「あの爺はな、トーヴァに義理立てして話さないのではない。面白いから黙っておるのだ!」
 女王の洞察はあたっている。自分の属する二つの組織の長はどちらも手におえない人物だとこっそりユリクは溜息をついた。
「あ、そうだ」
 神官長の悪口で女王と盛り上がっていたエセルが不意に声を上げた。
「そう言えば、私は戦について報告するよう陛下に呼ばれたんでしたよね」
「お、忘れておったわ」
 女王の言葉にユリクは思わず目を閉じた。戦場に赴いた同期の騎士達のことを思えば、あまりなしうちに涙が出そうだ。だが、彼らならばこの様を知っても、陛下だから仕方ないと溜息と苦笑をこぼすだけだろう。そして言うに違いない、近衛騎士のお前達よりはましさ、と。「近衛」騎士と言いつつ、隊長を含め四人は戦場に、一人は他国に赴いている。残る四人は王宮で彼らの分まで職務をこなさなければならない。うち一人は「近衛騎士」以外の務めに忙殺されている。はたと気付けば、ここ数ヵ月王宮から一歩も出ていない。休みというものがないのだ。不満というほどでもないが、なにかやるせないものがある。
 ……現状打破のために騎士見習い達を厳しく鍛え、人手を増やそう。
 にぎやかに言葉を交す女王と幼なじみを前に、指南役兼守役兼近衛騎士の若者はそう心に誓った。