女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (5)

 夕暮れ時の王都の片隅で、背中の丸くなった老婆がゆっくりとした動きで蝋燭に火を灯した。
 それが老婆の店開きだった。
 頼りなげな灯に照らされた狭い一間だけの小屋が、彼女の家であり、店である。老婆が生活する花街周辺では夜にだけ開く店が圧倒的に多い。彼女の店は表通りを外れた、狭い路地の奥まった場所にあった。
 華やかな明かりの漏れる表通りと違い、この界隈は闇が深い。何も知らぬ者が迂闊に足を踏み入れれば、まず無事に帰っては来れないだろう。
 老婆の商売道具は彼女の持つ能力だ。彼女は厳密な意味において魔法士ではないが、魔法力を見ることができ、魔法の痕跡を追跡する能力を持つ。それに加えて「遠見」の能力を備えているため、遠くで使われた魔法力を自らは動くことなく追跡することができる。ただし、「遠見」の能力はさほど強くないため、追跡できる範囲はほぼ王都内に限られた。しかしながら、王都内だけで十分に商売になるのだ。
 その夜、老婆は少々変わった依頼を受けた。
 若い男の客はひとつの魔道具を示し、同じものを探し出すように言った。その魔道具から感じられる魔法力は、ほんの微かなもので、老婆は最初、自分には無理だと断ろうとした。その時、不意に魔法力のうねりを感じたかと思うと、魔道具から男の声が発せられて老婆は仰天した。声は異国の言葉でしゃべり、すぐに魔法力とともに消えた。
 毎日とは限らないが、ほぼ同じ時刻に今のような魔法が行われるのだと男は説明した。魔法自体はやはり感知しにくいが、その特徴をとらえ、意識を研ぎすませていれば、捜し出すことも不可能ではないだろう。
 老婆が承諾すると、男は金貨を渡した。
「一月以内で頼む。魔法が行われている時は動かないほうがいい。持主に見つからぬように痕跡だけをたどってくれ」
 見つかれば、無事に済まないだろうことを言外に告げ、男は小屋を出て行った。
 老婆は魔法の「感触」を思い起こし、記憶に刻み込んだ。
 その折りに、ふと、遥か昔の記憶が刺激され、蘇った。
 今の魔法と、よく似た魔法を使う人間がいた。その時、彼女は若く、好奇心旺盛だったため、奇妙な魔法の成り立ちに興味を引かれ、その使い手のことを探ろうとした。
「おまえを殺したくはない」
 魔法の使い手は彼女の目の前に現れ、そう告げた。それだけで、彼女はその魔法のことを、忘れることに決めた。実際、今の今まで、思い出すこともなかった。その人物の顔形も、もはや覚えてはいないが、灰銀色の瞳だけは奇妙なまでにはっきりと思い出せた。
 月に照らされた湖面のように静かで、底が知れなかった。
 足が竦むほど恐ろしいのに、ひどく魅かれた。
 あの時の魔法の使い手だろうかと考え、老婆はその考えに笑った。
 彼女は、そう、女騎士だった。
 だが、もし、彼女が今も生きているならば、会えないものだろうかという淡い期待を抱いている自分に老婆は気づいていた。


 日が暮れた後も光の消えやらぬ場所が王都には存在する。
 料亭や娼館の立ち並ぶ花街だ。
 数ある娼館でも、王都一の高級娼館で南陽王国に来たならば一度は入ってみたい店として国外にまで知られている店の名前は「紫月花」という。
 「紫月花」―かぐわしい香りは美しい夢を、甘露な蜜は永遠の眠りをもたらすという月光の下で咲く幻の花の名前だ。西の国々では、よく詩にうたわれるが、陽の女神が崇められる地域ではあまり耳にしない。
 その西方風の名にひかれ、彼は足を運んだ。そして、そのもてなしぶりが気にいって、もう三日も居続けていた。花嬢達は―これも西方風の娼妓の呼び名だ―美しいだけでなく、気配りが細やかで話術に長け、彼を退屈させなかった。彼はもうしばらく逗留するつもりだった…その人物と顔を合わせなければ、実際にそうしていたことだろう。
 騒ぎが起きたのは、彼にとっては宵の口だった。とはいえ、半月がだいぶ西に傾いている。彼は個室をとって、花嬢の奏でる楽の音に耳を傾けていた。どこか物哀しい調べは北国から伝わったものだという。よく冷えた果実酒を口に含んだ時、激しい物音と怒声が聞こえた。彼は形の良い眉をひそめた。気配から察するに騒ぎの元凶は騎士能力保持者だろう。
「酒にのまれるような無粋な飲み方はしたくないものだな」
「お騒がせして、申し訳ございません。でも、すぐに収まりますわ」
 手弱女という言葉にふさわしい、ほっそりした美女は柔らかに笑んで言った。彼女は琴の名手であり、素晴らしい語り手だった。彼は手を伸ばし、その長い黒髪に指をからめた。
「これほどの店ならば、用心棒も腕利きを揃えているのだろうな。…ここの女将は私を雇ってくれないだろうか?そうすれば、ずっとこの楽園にいることができる」
「あら、リオス様は騎士様でいらしたの?」
 髪を弄ぶ手をそっと押えて花嬢が問う。
「そう見えないか?」
「見えませんわ」
「では、何に見える?」
 わずかに細い首を傾げて花嬢はしばしの間、考え込んだ。
「そうですわね…由緒正しいお家の若君に見受けられますわ。気品がおありで遊び上手でいらっしゃいますもの」
「放蕩息子とはっきり言ったらどうだ?」
 花嬢はくすくす笑ってそれには答えなかった。
 ふと窓から中庭に目を落とし、彼は瞬きした。
 見事な透かし細工の施された窓越しに明かりの灯された中庭の様子がはっきりと見えた。見まちがいであるはずがない。彼の目は、すらりとした青年が先程騒いでいたとおぼしき酔客を泉水にほうり込むのをとらえていた。派手な水しぶきが上がり、水滴がきらきらと輝いて散る。
「…やり過ぎではないか?」
 思わず、彼はつぶやきを漏らした。
 ところが、酔いが醒めたらしい客は、まだ少年と呼べる程に若かったのだが、いきなり泉水の中で直立不動の体勢を取った。
「お手数かけて申し訳ありません、ルーダル殿っ」
 硬い声が彼の耳に届く。
「南陽王国の騎士として、恥ずべき行動を取らぬことを秋に誓ったばかりのはずですが。今回までは見逃しますが、次は陛下に報告します」
 淡々と紡がれる言葉に怒気は感じられないが、ただの脅しではないことははっきりと伝わる。やると言えば、この人物は確実に実行するのだろう。
「はいっ、二度とこのような不祥事は起こしませんっ」
 おやおやと彼は眉を上げた。
 察するに、泉水の中の若者はこの秋、騎士叙任を受けたばかりの新米騎士なのだろう。おそらく初めて訪れた場所で浮かれて飲み過ぎ、騒ぎを引き起こしたに違いない。
 彼はルーダルと呼ばれた青年が近衛騎士であることを知っていた。見習い時代に世話になった相手に新米騎士が頭が上がらぬのも当然のことだ。
「噂通り、顔に似合わず、なかなか手厳しいな、彼は」
「リオス様はルーダル様をご存じですの?」
「顔を知っているという程度だが。彼も、このような場所で遊ぶとは、なかなか隅におけないな」
 花嬢が不思議な笑みを浮かべたのに彼は気付かなかった。
 ふと、近衛騎士の青年が顔を上げた。
 相変わらず、奇麗な顔だ。
 目が合った瞬間、そんなことを思った。
 この店にも、彼ほどの美貌の主はいないのではなかろうか。
 どうやら先方もまた、こちらの顔を覚えていたらしい。
 微かに訝しげな表情を浮かべた後、近衛騎士の青年は会釈して立ち去った。
 当然、自分がここにいることは王宮に報告が行くだろう。ここはおとなしく、王宮に挨拶に赴かねばなるまい。
 ジラッド・リオス・ガイラール、宵闇公国の第二公子は小さく息を吐いた。

 宮殿の庭は冬でも緑に被われ、花が絶えることはない。
 女王の告解を聞くべく王宮に赴いた陽神殿の女神官は中庭を囲む回廊で身を屈め、覗き見する少女達の集団というものに遭遇した。
 侍女や騎士見習いの少女達は女神官の接近にも気付かず、懸命に目を凝らしている。彼女達の視線を追って、女神官はなるほどと頷いた。
 泉水の縁にそって歩きながら、二人の青年が談笑している。一人はこの王宮で知らぬ者のいない女王の夫であり、一人は黒衣をまとった異国の青年だった。直接言葉を交わしたことはないが、長い黒髪の異国人をトーヴァは知っていた。
「そなたら、いくら熱心に見詰めたところで一人は妻子持ち、一人は許婚持ちだぞ。もう結婚しておるやもしれぬが」
 ひゃっと声にならぬ悲鳴を上げて少女達が振り返った。女神官の姿を認めて、ほっとした顔になる。お堅い女官長や騎士見習い指南役であったならば、説教されるところだが、この女神官はかなり「話のわかる」人物である。
「あの方のこと、ご存じなんですか?」
 期待に満ちた目で侍女の少女が尋ねる。
「うむ。ジラッド・リオス・ガイラール、宵闇公国の第二公子であらせられる。確かクルス・アディン殿より一つ二つ年上で、十歳以上年の離れた許婚殿がおられるとか。闘技大会での準優勝者だ」
「ってことは、すっごく腕が立つんですね!」
「もろに陛下好みじゃないですか」
「私だったら、クルス・アディン殿と両方に唾つけちゃったな」
 口々に感想を述べる少女達の背後から甘やかな声が響いた。
「それは光栄だ」
 気配を悟らせずに近付いた人物がにこやかに笑っている。青年の姿を認めるや否や、少女達は、けたたましい悲鳴を上げて散って行った。
「おや、残念。せっかくかわいいお嬢さん達に囲まれて、楽しく話ができるものと思ったのに」
 冗談とは言い切れぬ口調で言って、女神官と目が合うと、公子は優雅に一礼した。
「お初にお目にかかる。もっとも女神官殿は、私のことをご存じの様子だが」
「私は陽神殿に仕えるトーヴァと申します。陛下の『魂の導き手』に任じられておりますゆえ、陛下が興味を持たれた人物に関しては、知らざるを得ないのでございます」
 恭しく礼をとるとトーヴァは女王の夫に目を向けた。
「急ぎの用件がおありならば、陛下の告解を延期いたしますが?」
「いや、その必要はない。今回の訪問は私の友人としてであって、公子としてではないそうだ。陛下への挨拶は後からでいいだろう」
「陛下は是非に挨拶なさりたいところでしょうが」
 美形の客は大歓迎だと公言して憚らぬ面食い女王である。
「さぼる口実を与えるわけにはいかないだろう」
 微かに苦笑をこぼし、また後でと言い置いてクルス・アディンは公子を連れて立ち去った。
 はて、と二人を見送りながらトーヴァは首を傾げた。
 クルス・アディンから話を聞いた限りでは、宵闇公国の第二公子は、確かに風変わりな点はあるが、どこぞの将軍と違い、たいした理由もなく国を出て他国をうろつくような真似はしない人間だと思っていた。彼の父親である宵闇公国の大公が斗颶夜(つぐや)公国の大公とともに宗主であった輝珠王国への臣従の誓いを拒否したのは一昨年のことだ。輝珠王国の傘下にあった公国で宗主側に与するのはもはや霄鏡(しょうけい)公国だけだが、それも、大公の妹が輝珠王家に嫁いでおり、あわよくば、併合してしまおうという狙いがあったためだと言われている。これら公国の独立をめぐる動乱がおさまったのはこの秋のことであり、一応の終結を見たとは言え、まだ不安定なこの時期に国を離れるとは、なんぞあったのかと思わずにいられない。
 にしても、あれは悪いものではなさそうだったが。
 女神官の青い目は青年にそっと寄り添う白い影をとらえていた。


 ころころと転げ回るようにして遊んでいる幼い子供達を見守っていた若い近衛騎士は女王の夫と客人が部屋に入ると、さっと礼を取った。穏やかな印象を与える若者だが、さすがに騎士らしく動きに隙はない。
 遊ぶのを止めて、子供達が一斉に見慣れぬ青年を見上げた。客人は彼らを見下ろしながら、はてと首を傾げた。
「皆、君の子か?君もなかなかやるな、クルス」
 真顔で言う友人にクルス・アディンは鼻を鳴らした。
「笑えない冗談だ」
 おそらく「父上」と本人は言っているつもりであろう言葉を発し、世継ぎの君が父親に向かって両手を伸ばす。息子を抱き上げて、クルス・アディンは言った。
「息子のアールディオだ」
「お初にお目にかかる、お世継ぎ殿」
 仰々しい態度で宵闇公国の公子が挨拶するのを南陽王国の世継ぎの君は目を円くして見詰めた。
「るー」
 公子を指さし、問いかけるようにアールディオは父親を見上げた。
「ああ、ルーダルに似ていると言いたいんだな?」
 世継ぎの君は母親に似たのか、人の容姿を注意深く観察している。西方系の血を引く近衛騎士はどこかしら生粋の西方人であるジラッドの顔立ちと似通っていた。
「ルーダル殿と言えば、意外な場所で出会ったぞ」
「『紫月花』のことか?あそこは彼の実家だ」
 やはり、連絡が彼から届いていたらしく、クルス・アディンは即座に言った。
「実家?…それは羨ましい。君も行ったことがあるのか?」
「ある」
 澄まして応じるクルス・アディンにジラッドは眉を上げた。
「陛下のお忍びにつきあわされてだが」
「おやおや、女王陛下があのような場所にまで足を踏み入れるとは」
 口ではそう言うものの、ジラッドはさほど意外には思っていなかった。あの女王が今更、何をしでかそうと驚くようなことの方が少ないに違いない。
「あの店は美人ぞろいだから、目の保養には最適なんだそうだ」
 面食いぶりは相変わらずらしいと笑いながら、ジラッドは視線を落とし、近衛騎士の若者の後ろに隠れるようにしてこちらを見ている子供達を改めて眺めた。二人とも、人見知りするのか、世継ぎの君と違い、警戒した目付きで彼を見ている。髪の色から見て、どちらも、この南陽王国の出身ではなさそうだ。
「この子供達は誰の子供なんだ?」
「騎士の一人が一時的に預かっているんだが…陛下は、ディオの遊び相手として王宮に留め置くつもりでいるらしい。今、養い親を探しているところだ」
「そうか」
 ジラッドは子供達の前にひざをついた。不安げな空色の目と緑の目が彼を見返す。
「この子は」
 手をのばすと、赤褐色の頭がびくりと震えた。
「騎士能力保持者だな。能力が目覚めているわけでもないが、私という見知らぬ騎士の存在に脅えている」
 能力が目覚めていなくとも、一種の勘で「騎士」は同じ「騎士」を感知するものだ。
 優しく頭をなでると、緑の目の子供は緊張を解いた。その子供の様子を見て、年長の子供も強張った体を緩めた。笑いかけると、幼い少年はおずおずと笑顔を返した。
「かわいい子供達だな。こういう子供達を持つことができるのなら、結婚というのも悪いものではないかもしれない」
「そう言えば、ジラッド、君もそろそろ結婚するはずではなかったか?」
 確か許婚が十六才になったら式を挙げると言っていたがとクルスが首を傾げる。
「ああ、それなら」
 ジラッドは子供の頭から手を放し、ゆっくりと立ち上がった。
「破談になった。それで私は傷心を抱えて、旅に出たというわけだ」
 芝居がかった仕草で胸に手を当て嘆く公子に、若い近衛騎士はどんな顔をすればいいのかわからないという様子で困ったように下を向いた。声音に含まれる何かを敏感に感じ取ったのだろう。
「…その目は疑っているな?」
 当然とばかりに思い切り不信の目を向ける友人にジラッドは苦笑をこぼす。
「だが、事実なんだ。詳しい話をしてもいいんだが、ここでそういう話をしては彼が困るだろう?」
 今後の人生の参考になるかもしれないがと言いながらジラッドが近衛騎士を見遣ると、彼は曖昧な笑みを浮かべていた。どうやら参考にする気はなさそうだ。
「ユリクは神官位を持っているから、告解なら聞いてもらえるぞ」
「君は私が何か悪いことをしたのだと決め付けているな?」
 意外だとばかりにクルス・アディンは銀色の眉を上げた。
「違うのか?」
 ジラッドは肩を竦めた。
「違う…とは思うんだが、自信はない」
「では、その話は今晩にでも聞くとしよう。ふられ男の愚痴は酒を飲みながら聞くものと相場が決まっている」
 息子を抱いたまま、クルス・アディンは椅子に腰掛けた。世継ぎの君はきらきら光る飾り留めを小さな手でいじり回している。
「君を独り占めすると、女王様に恨まれそうだが」
「大丈夫だ、君は陛下好みの顔をしているから」
 飾り留めを口に入れようとする息子の手をおさえながら、事もなげにクルス・アディンは言った。
 その一言で説明がついてしまうほど、南陽王国の女王の面食いぶりは他国にも知れ渡っていた。