女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (50)

 連れて来た以上は責任を持って連れて出ていけ。
 それがエセルに下された女王からの勅命である。よって、エセルは暁王国の将軍とともに、南陽王国の西の国境へ向かっていた。アルク・デュリルの行状は相変わらずで、喧嘩も女も来るもの拒まず、全て相手しながらの旅である。王妹の凱旋にわく王都を後にしてすでに一ヵ月過ぎているのにまだ国境地帯にも到達していない。アルク・デュリルが本気で踏破しようと思えば、十日もかからぬ距離である。やる気がないとしか言いようがない。宵闇公国の一行はすでに帰国しているのではなかろうか。
 今夜も女と約束したとかで、それまでの時間つぶしにアルク・デュリルはエセル相手に安酒場でカードをめくっている。ひょっとしたらアルク・デュリルを足止めするために、ジラッド公子があちこちで女を雇って送り込んだのではとエセルは疑っていたが、証明する手立てはない。アルク・デュリルはアルク・デュリルで実は結婚を邪魔するのではなく、結婚式そのものに参列して嫌がらせをしようと考えているのではないかとエセルには思われた。
「……おっさんさ、本気で森緑王国側に立って参戦するつもりだったわけ?」
 カードを並べながらふとエセルは尋ねてみた。アルク・デュリルが戦場に現れたのは、通常ならば戦の真っ只中であるはずの日時だった。そして連れてきた子供の能力を考えれば、アルク・デュリルが利用しないはずがない。だから、本気だっただろうとは思うのだが、それはエセルには自ら死ぬ気でいるとしか考えられないことだった。
「ああ。最後の機会にかけてみようと思ってな」
「最後の機会ってなんだよ」
 性懲りもなくイカサマしようとカードを隠した手をエセルは思いきりたたいた。にやにやしながらアルク・デュリルは手をあげる。
「戦場でどさくさに紛れてウェイと本気でやりあう機会だ」
 答えてアルク・デュリルは、どうしてばれたのかと大きな手にカードを再び隠し、首をひねった。
「前にもやっただろ」
「あいつはあの時、全力を出していなかった」
 嘘だろ、と思わずエセルは声をもらした。数年前、ウェイとアルク・デュリルが闘う様をエセルは間近に見た。あれほど凄まじい闘いぶりは、今まで戦場ですら目にしたことがない。
「戦場でもなければ、アシュリーズを守る必要がなければ、あいつは全力を出さない。今回の戦で南陽王国と事を構えようとする国はなくなるだろう。国内でも、こうまざまざと女王の力を見せつけられては反乱を起こす連中もいなくなる。つまり、王妹とウェイが戦場に出る機会はなくなる」
 だから賭けたのだとアルク・デュリルは淡々と続けた。
「そんなに死にたかったわけ」
「死ぬ前に一生分楽しめるんだ。悔いはなかろう?」
「うわっ、それで一生分なんてつまんない人生だね。もっと他に楽しみないの? 情けないな」
 心底呆れた声をエセルは出した。前から馬鹿だとは思っていたが、これは筋金入りだ。
 エセルの言葉に、そりゃもっともだとアルク・デュリルはげらげら笑った。その腕をつかんで、エセルは袖の中からカードを引っ張り出した。
「なんでばれるんだ?」
「カードの枚数ってのは決まってるんだよ」
「よく覚えてるな」
「おっさんが覚えてなさ過ぎ」
 これは事実だ。エセルはこれまで時々、アルク・デュリル相手に彼がやろうとしている簡単なイカサマをしてみたが、一度もばれたことがない。
「お前はこれからどうするんだ? 邪魔な『夢』は見なくなったんだろう。女王のもとでおとなしく騎士になるのか?」
 アルク・デュリルが言うようにエセルはあれ以来、「夢」を見ていない。通常の夢なら見ることがあるが、「先見」と思われるようなものはない。やはり、あれは森緑国王か、あるいは他のなにかが見せていたのではないだろうか。今では自分に先見の能力などないことをエセルは確信していた。
「いや、このまま気が済むまで大陸中を見て回る。一応、騎士身分はもらったけど」
「ほう、よく女王が許したな。あの女王なら、お前のような騎士を絶対に手放さないと思ったんだが」
 わかってないなとエセルは鼻で笑った。許そうが許すまいが、自分は好きなようにするし、女王もまたそれを知っている。
「陛下は人の使い道を知ってるんだよ」
 女王は、一人くらい放し飼いの騎士がいてもよかろうと笑い、たまに「手紙」を寄越して、たまに報酬を受け取りに王宮に立ち寄るといいと言ったのだ。
「そうか。いつかお前と戦場で会うこともあるかもしれんな」
 楽しみだといわんばかりのアルク・デュリルの様子にエセルは鼻にしわを寄せた。戦場で出くわしたならば、挨拶代わりに斬られかねない。
「王冠被ってもまだうろつくつもりかよ」
 ここ数年内にアルク・デュリルが王位に就くことは確実だった。
「お飾りだからな、今までとたいして変わらん」
 ウェイ殿にやられてたほうが世のためだったんじゃなかろうかとエセルが考えていると、視界の端に女の姿が映った。商売女ではないが、化粧の濃い艶かしい女だ。
「ほら、おっさん、約束の相手」
 寡婦だと女は言っていたようだが、あやしい。留守がちな商人の妻ではないかとエセルは見当をつけていたが、しかし、そんなことにこだわるアルク・デュリルではない。振り返って確認すると、またなと言い置いてアルク・デュリルは女と連れ立って店を出て行った。
 アルク・デュリルは十分に遊びを楽しんでいるように見えるが、それでも騎士相手に全力で闘うほうが楽しいと言うのだから、騎士というのも因果なものだ。
 自分はどうだろうと考えてエセルは首を傾げた。
 闘いは嫌いではない。だが。
「よう、一緒にどうだ?」
 近くのテーブルを囲んで賭けカードをしていた若い男が声をかけた。先ほどから、彼がこちらの様子をちらちらと伺っていたことは分かっていた。邪魔者が消えたので声をかけたというところだろう。
「いいよ」
 愛想よく応じてエセルは立ち上がった。
 闘うよりも、こうして賭け事で金を巻き上げるほうが楽しい。この辺りが、オルトといい、自分といい、「騎士」になりきらない理由なのだろう。
 ひょっとしたら、あの夢さえ見なければ自分は騎士能力を持っていても「騎士」には、闘う技術を身につけた者にはならなかったかもしれない。だが、かといって、それを惜しむ気にもならない。なんと言っても、こうして旅をできるのも自分で自分の身を守ることのできる騎士になっていればこそだ。
 うっとうしい夢だったけど、少しは役に立ったってことかな。
 今夜の宿代くらいは稼がせてもらおうとエセルは男達の輪に加わった。
 エセルにとって過去も未来も関係なく、今を楽しむことが一番だった。


 戦が終わって二ヵ月余りが過ぎ、通常の落ち着きを取り戻した南陽王宮で近衛騎士隊長は書類の整理をしていた。彼の留守中は優秀な隊長代理がほとんどの業務は肩代わりしていたおかげで職務に関する書類がたまることはなかったが、彼の所領を管理する家令から回された書類はたまりにたまっていた。そして、その返事が遅れたことで国を出ていたことを家令に気付かれ、そんなに余裕があるならばこれらも処理してくださいと先日、山ほど書類を送りつけられたのである。あれも嫌がらせをするほど図太くなったものだとシェイドが考えていると、耳に馴染み深い足音が近づいてきた。確か行儀作法担当の教師は王族たるもの、常に威厳を持ち、優雅に歩くよう指導していたはずだが、無駄だったらしい。がっと勢いよく扉を開けて女王が部屋に飛び込んできた。
「シェイド、そなたは何か知っておろう?」
「何をですかな」
 もはやくどくど説教する真似はせずにシェイドは聞き返した。説教は女王の夫に任せればいい。
「トーヴァのことだ。さっきこれから休みに入ると挨拶に来たのでな、さんざん粘って理由を聞き出したのだが、それでも単に昔の借りを返しに行くとしか言わなかったのだ。しかも、復讐に行くわけではなく、言葉通りの意味だというのだ」
 わずかにシェイドは眉を上げた。
「それに関しましては、あいにくと私が宮廷に入る前のことゆえ、存じ上げておりませぬ」
 半分は本当のことだったが、残り半分は嘘だった。確かにシェイドは先王とトーヴァの間で約定が交された当時、宮廷にはいなかった。だが後に世継ぎの守役となってから、そのことについて先王から直々に聞かされていた。
「そうなのか? トーヴァが十二歳のときにそなたに求婚したというからには、そなたはトーヴァの過去も知っていよう?」
「おそれながら陛下、旅先で出会っただけのこと、本人からそう言われるまでトーヴァ女神官がその時の子供とは思い出しもしませなんだ」
「つまり?」
「どの町で出会ったかすら記憶が定かではありませぬな。南部だったことは確かですが」
 真剣な眼差しを向ける女王に、シェイドは苦笑をこぼした。
 あの時、何故自分のような流れ者に求婚などしたのかと尋ねると、少女は「しがらみが無く、殺されそうにない男と見込んだからだ」と答えた。それを見極めるには時間がかかるし、見込みがはずれる危険もあるだろうと指摘すれば、時間がないと悔しげに言ってそのまま立ち去った。後から考えてみると、当時、彼女は両親の命が危険にさらされていることを察知し、なんらかの手立てを講じようと必死だったのだ。それからどのように事が進んだのか詳しくは知らないが、彼女の両親は亡くなり、フォア家相続をめぐって起きた激しい内部抗争により有力な相続人達は潰し合い、消えていった。そして、彼女は唯一の正当な後継者として国王の前に現れ、全ての財産を王家に献上し、神殿に入ったのだ。決して過去を蒸し返さないという約束のもとに。世の人の目には、国王がフォア家の財産を没収したと映っていたので、それはさほど難しいことではなかった。
「誰に貸しをつくったのかも、見当がつかぬか?」
 女王が聞きたかったのはそれかとシェイドはわずかに口の端を緩めた。女王のことだから素直に認めることはないだろうが、可能ならば、その貸しとやらを帳消しにするよう動こうと思っているのだろう。
「さあて。案じることはございませぬよ、トーヴァ殿のことですからな、不当な要求は恩人相手でも突っぱねましょう」
 貸しをつくった相手については、心当たりがなくもなかったが、シェイドは黙っていた。過去を蒸し返さないという先王との約束もあるし、女王の介入でややこしいことになるのは、トーヴァも望むまい。
「それはそうなのだが」
 トーヴァがいないと面白くないじゃないかなどと、ぶつぶつ女王は呟いている。その呟きにまじって開けたままの戸口から何やら諍いの声が聞こえたかと思うと、王妹とウェイが入ってきた。声の聞こえた距離と戸をくぐった時間から考えると、ここに来るまでおそろしく早足だったようだ。
「ラーナもここにいたのか、ちょうどよかった」
 姉の姿を認めたアシュリーズが言って女王に近づいた。その間にウェイがシェイドの前に書類を差し出した。シェイドは書類とウェイを見比べ、それから双子の姉妹へ目を向けた。
「休暇願いをウェイが無理矢理書かせた?」
 わけがわからんと女王は眉を寄せている。
「最初のうちは多少気をつけねばならないが、護衛の任務くらいこなせると経験者から説明してやってくれ」
 怒っているからか、アシュリーズはまず説明せねばならぬことを失念しているらしい。だが、女王にしろ王妹にしろ、方向は違えども何故こうもどこかずれているのだろう。守役として責任逃れをするつもりではないが、生まれつきの要素があるに違いない。ほうっと息を吐いてシェイドは事態を収拾すべく口を挟んだ。
「結論から申し上げれば、ウェイが正しい。近衛騎士隊長としても同じ判断をしますぞ」
 双子が同時にシェイドを見た。戸惑っている女王と不満げな王妹の顔にシェイドは苦笑をこぼさずにはいられなかった。
「まずは、おめでとうございますと申し上げるべきですかな。陛下、来年には伯母君となられるとのことですが」
 女王が目を見開いた。見る見るうちに笑みが広がる。
「でかした! よし、式だな、式。順番は前後したが、どうとでもなる。早いうちがよいな」
 ミューカに早速相談してと嬉々としている女王にまだ納得のいかぬ顔の王妹がぼそりと告げた。
「手順は踏んである」
「手順?」
「手続きも済ませた。式も挙げた」
 どうでもいいことだとばかりに王妹は淡々と言ったが、女王はそうはいかない。
「何だと、どういうことだ! そもそも、直系王族の婚姻は、国王と大臣二名以上の承認が必要で、神官長が式を執り行わなければならないだろう! ……まさか」
 一気にまくしたてて女王はシェイドを、正確にはその手元にある書類を見やった。
「書類は、王族としては王宮に保管されるものと神殿に保管されるもの、近衛騎士としては所属長に提出されるもの、合わせて三通必要でございましたな」
 シェイドは女王によく見えるよう、書面を見せた。女王の署名はもちろん、神官長、そして大臣が二名どころか全員連名の署名が入っている。彼らが女王を出しぬいてやろうと一致団結した証である。おそらくは出費を抑えるべく財務大臣あたりが先導したに違いない。若いながら、あるいは若いゆえに彼には大胆なところがある。
「いつだっ」
 噛みつかんばかりの勢いで女王が妹を問い詰める。
「戦勝祈願とやらで神殿に行かされたとき、ついでに」
 双子の姉とは対照的にアシュリーズはどうでもいいことだろうと言わんばかりの態度だ。
「リーズ、そなたも女ならば、そのように大事なことをついでにするなっ。一生に一度の晴れ姿をこの姉に見せぬとはなんたることだっ」
「晴れ姿なら、出陣式のあの格好で十分だと思うが」
「全く違うわっ。結婚式と出陣式を同列に扱うな!」
 女王の言い分はもっともだが、相手は女王の双子の妹だ。女王と同じく、世の常識とやらが通用する相手ではない。
「おのれ、妖怪爺、私の楽しみを奪いおって。そんなだから冥府の女神にも嫌われるのだっ」
 神官長に向かって呪いの言葉を吐きながら、勢いよく女王はシェイドの手から書類を奪いとった。
「それを廃棄されても無駄ですぞ」
「分かっておるわっ」
 あやつらと呟きつつ女王は大臣一人一人の署名をじっくり検分し、それから自身の署名を確認した。どれも偽物であるはずがない。
「そういえば、カリュート・シアン・レフィク殿も名家の出の女性と近々、結婚するつもりだとか」
「あれがどこの誰と結婚しようが、かまわぬわ」
 記憶をたどるのに懸命で、女王は何故シェイドがその話題をふったのか気にも留めなかった。それならそれでよいと、シェイドは口をつぐんだ。女王が興味をひかれぬほうが本人達のためにもなるだろう。
「……ヴェルシュの仕業だなっ」
 言うや否や、女王は書類をつかんだまま飛び出していった。廊下で待機していたイェナがお忙しいことですわねとのんびりした声をかけて後について行く。イェナは心の中でこの事態をさぞかし面白がっていることだろう。
 さてと、とシェイドは黙り込んでいる王妹とウェイに視線を戻した。
「アシュリーズ・ラトゥール、これより休養を命じる」
 厳しい口調で告げ、シェイドは書類に署名した。それから口調を和らげて言った。
「仮に護衛の任についたとして、女王の、あるいは御家族の危機の際に動かずにおられますかな? アシュリーズ様にはできぬことでしょう。その結果、アシュリーズ様と御子になにかあっては陛下が嘆かれる。そうした事態は未然に防がねばなりませぬからな」
 まだ不満そうな顔はしていたが、アシュリーズは了解したと短く答えた。
「せっかくの機会ですから、ローエル家に里帰りでもされてはいかがかな」
「そうしたいところだが……これ以上、近衛騎士が減るのはまずかろう?」
 ちらりとウェイに目をやってアシュリーズは溜息をついた。それがあったかとシェイドも苦笑した。この男が彼女を一人にするはずがないのだ。
「ではローエル御夫妻を王都にお招きしてはいかがですかな」
「それはいい。一人息子の顔も見たいだろうし」
「就任以来、帰っておりませぬからな」
 そしてこれからも帰れないだろうと二人の見解は一致していた。
「お怒りはおさまりましたかな」
 問えば、アシュリーズは肩を竦めた。
「仕方ない。おとなしく書物でも読むことにする」
「兵法書や歴史書などばかり読むのはおやめになるように」
 すぐさまシェイドはそう釘をさした。
「どこが悪いんだ」
 こういうところは女王とそっくりだと苦笑しながらシェイドは答えを返した。
「文芸の教養を深める必要があると思いましてな。陛下と御同様にそちらの才能は期待しておりませぬが、詩の暗唱くらいはできるようになっていたほうが今後のためにもよろしかろうと」
 明らかにアシュリーズは気乗りしない様子だったが、努力はすると言って出ていった。ウェイがシェイドに向かって黙礼し、その後に続く。アシュリーズを説き伏せたことへの感謝を示したのだろう。クルス・アディンほど口巧みになれとは言わないが、せめて人並みに喋れば、アシュリーズを怒らせることも減るだろうにと思わずにはいられない。
 やれやれとシェイドは山積みされたままの書類に目を向けた。これで近衛騎士の仕事はまた増えることになるが、この書類の山から逃れるためにも隠居するのを先延ばしにする気にはならない。人数不足は明らかなのだから、女王を説得して臨時に数を増やすべきだろう。
 はたして誰を任命したら、女王が退屈せずにすむだろうか。
 能力云々より先にシェイドはそんなことを考えていた。
 このときシェイドが選考した結果は、後日、女王に承認され、異色の近衛騎士達が、すなわち女王に顔では選ばれなかった元傭兵の騎士達が就任することになるのだった。


 近衛騎士ヴェルシュ・リア・ローエルは同じく近衛騎士のルーダル・セオンとともに、王都内における密輸品の流通についての報告書を検討しているところだった。ヴェルシュが女王の執務を補佐しており、ルーダルが世情に通じているために、どこからともなく回ってきた仕事である。摘発するのに王都警備隊を動かす必要があるため、その権限を有する近衛騎士と全く関わり合いがないわけではないが、本来ならば近衛騎士が処理する問題ではない。どこか理不尽なものを感じつつも、最も速やかに対処できるのが彼らである以上は仕方ないと引き受けてしまうあたりが、彼らの仕事が増える一方の理由なのだが、本人達が気付いているかどうかはあやしい。
 遠くに足音を聞きつけた二人は話し合いを中断して顔を見合わせた。
「……陛下は騎士能力がないにしては体力がおありですね」
 走らんばかりの急ぎ足で近づいて来る足音に、ルーダルはそんな感想を持った。執務室なり、謁見の間なり、どこか部屋に閉じ込められていない限り、女王は常に精力的に王宮中を歩きまわっている。
 そろそろだとは思っていたが、というヴェルシュの呟きにルーダルは眉を上げた。
「予想していたことですか」
「ああ。結果はどうなるか分からないが」
 そうこうしているうちに女王が怒鳴り込んできた。
「やってくれたな、ヴェルシュ・リア・ローエル!」
 ばしんっと叩きつけるように女王は書類を彼らの間にある机に置いた。書面を見て、なるほどとルーダルは納得した。女王が怒るはずだ。
「なにか書類に不備でも?」
 憎らしいまでに落ち着き払って応じるヴェルシュの顔に女王は指を突き付けた。
「書類は完璧だ。そなたの望み通り、即刻、近衛騎士から解任してやる」
 女王は確かに怒っていた。だが、怒ってはいても我を忘れたわけではなさそうだ。琥珀色の目で女王はヴェルシュをひたと見据え、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「以前から、政務の統括部署が必要だと申しておっただろう、望み通り創設してやる。名称は国務室でもなんでもいい。ヴェルシュ・リア・ローエル、そなたをその長官に任命するから好きなだけ人材を引き抜いてくるがよいぞ」
 これから午後の会議で承認させてくるからなと捨て台詞を吐いて女王は踵を返した。大臣達が小躍りして喜ぶ様が目に見えるようだ。
「有効な仕返しを思いつかれましたね」
 さすがに自分で自分の首を締めましたねとはルーダルには言えなかった。
「……承認されるとは限らない」
 頭を両手で抱え込んでヴェルシュが低い声で言う。承認されないはずがないでしょうにという言葉をルーダルは飲み込んだ。希望は残しておいたほうがいいだろう、例え短時間でも。
「実に名が追いつくだけのことだと思いますけれど?」
 身も蓋も無く事実をありのままに述べたのは薬師だった。いつの間に来たのやら、ほのかに湯気の立つ何かを盆にのせて戸口に立っている。
「ちょうどよかったですね、新調合の薬湯をお持ちしたところだったのですよ。精神疲労と胃腸に効果があります」
 嬉しそうに薬師が差し出した薬湯をヴェルシュは何も言わずに受け取り、ためらうことなく飲み干した。シィンが出すものをヴェルシュがなにも吟味せずに口にするなど初めて目にする光景である。自棄を起こしているようだ。ヴェルシュは例えそれが毒でもかまわなかったのだろう。
「こんなに素直に飲んでくださるのなら、もっと別のものを用意しましたのに」
 残念そうなシィンの呟きすらヴェルシュの耳には入っていないようだ。再び両手で頭を抱え込んだ姿勢で固まっている。
 気の毒に。
 この件は商業組合とはかって私のほうで処理しておきますからとルーダルは声をかけて立ち上がったが、それすらも聞いているかどうか。
「自害しないように見張っててください」
 そう言うと、シィンは首を傾げた。さらりと薄茶の髪が流れる。
「自害するくらいなら、毒薬の実験台になっていただきたいのですが。まあ、死体は死体で使い道はありますけれど」
 ヴェルシュは絶対に自害などしないだろう。
 ルーダルは安心してヴェルシュを残し、その場を後にした。


 王宮などという場所とは自分は生涯無縁だと思っていた。それが隣国の王宮ともなれば、なおのことだ。それなのに今はその王宮に暮らし、例え女王が凄まじい勢いで目の前を通りすぎて行こうと驚かなくなったほどに馴染んでしまっている。
 今日は何があったのだろう。
 本当に元気な方だわと思いながら、ライカは再び通廊を歩き出した。守りの術を実際に目で確かめようと歩きまわったために、すでに王宮内でライカが迷うことはなくなっている。間もなく帰国するという、この守りの術を張り巡らした魔法士は、いつも迷っていたというが、これだけ見事に術を張り巡らしていながら何故迷ったりするのか不思議だった。
 中庭を囲む柱廊を通りかかると、浅い池に入って遊ぶ世継ぎの君と遊び友達の姿が見えた。何人かの子供の姿が見えるが、世継ぎと一緒に遊ばせるために女王が連れてこさせた神殿の子供達だろう。身分など関係無く、楽しそうに騒いでいる。ちなみに世継ぎの君であろうとなかろうと悪さをすれば、守役を務めている近衛騎士によって等しく叱られることになっているのだが、世継ぎの君はなかなか懲りない性格らしく何度か叱られている姿を目にした。これも血だろうかと思わずにはいられない。
 通用門まで来ると門番は何も言わずともライカを通してくれた。王宮の外に一人で出るのはこれが初めてなのだが、金茶の髪は目立つらしく、すでに顔を覚えてもらっているようだ。王宮へ届け物をして帰る商人らにまじってライカは王宮の外へ出た。太陽は傾き始めているのに日差しはまだまだ強く、夏の訪れを感じさせた。
 ライカには馴染みのない品物の並ぶ市場街をゆったり歩いていると、様々な音が聞こえてきた。客呼びの声、珍しい鳥の鳴き声、笛の音。金属を打ち合わせる音は飾り細工職人の仕事場から響いてくるのだろう。その喧騒にまじって思わず無視したくなる声が聞こえた。実際に無視したところで、声の主はそれくらいで諦めたりしない。さっと近づいてきて隣に並んだ。
「ちょうどよかった、ライカちゃん、金貸して」
 最後まで聞くことなく、ライカはなれなれしく肩に置かれた手を叩き落とした。
「ありません」
「嘘言うなって」
「貴方に貸すようなお金はないと言ってるの」
 ぴしゃりと言ってやったところでオルトに対し効果はない。
「そうかたいこと言うなって。ルーのやつも結婚するから金は貸せないなどとぬかしやがるし、頼りにできるのはもうライカちゃんだけなんだ」
「頼りにしないでちょうだい」
「小銭くらい貸してくれたっていいだろ」
「しつこいっ!」
 ライカが怒鳴ったところで、あーっと声が聞こえた。
「若い娘さんが妙な男にからまれていると思ったら、オルト殿じゃないですか。急いで来て損した」
 そう言いながら近づいて来たのは、いかにも南陽王国民の典型といった若者だった。顔に見覚えはないが、その服装に見覚えはある。間違い無く、王都警備隊の一員だ。
「妙な男であることに変わりはないじゃないの。この男を牢に放り込んでやってちょうだい!」
 強い口調でライカが言えば、若者はまあまあと両手を挙げた。
「悪いけど、近衛騎士を牢に放り込む権限は俺達にはないんだ」
「牢に放り込んだところで性根が直るわけでもないことだし、我慢してくれ」
 若者の後ろから、そう声をかけたのはエルードだった。無事に警備隊に復帰したとは聞いていたが、実際にその姿を目にしてライカはほっとした。同じ国の出身というだけでなく、同じ目的のために共に働いたこともあり、気にかかっていたのだ。
「だよな、牢に入れたところで懲りないもんな、オルト殿は」
 うんうんと若者は頷いている。
「アイン、エルード、お前達でもいいや、金貸してくれ」
 その言葉に、近衛騎士としての、あるいは年長者としての面子などというものはオルトにはないらしいとライカは溜息をついた。
「お断りです。俺もオルト殿同様、減俸されているので貸せません」 
 にべもなくエルードが言った。こちらも当たり前かもしれないが、近衛騎士に対する遠慮はないようだ。
「ああ? お咎めなしってことじゃなかったのかよ」
 怪訝そうにオルトが眉を寄せた。
 表向きエルードは森緑王国の間者の潜入に気付いたものの情報が漏れることを恐れ単独で追跡を開始、南陽王国を離れ森緑王国でオルトと出会い、協力して動いたということになっているのだ。そして、職務放棄に関しては、その目覚しい働きによって、具体的には森緑王国を直接討ち取った功績に免じて処分なしになったと説明されていた。
「陛下に近衛騎士に任じてやろうかと言われ、お断り申し上げたら減俸処分になりました」
「あー、そりゃもう断って正解だな。減俸処分の方がずっとましだ」
 そうオルトが言えば、当たり前だよなとアインと呼ばれた若者も頷いている。だが、ライカには納得できなかった。
「近衛騎士就任って栄転ではないの?」
 三人の騎士は一斉にライカを見た。憐れんでいるような、羨んでいるような、なんとも不思議な表情を浮かべている。
「近衛騎士に選ばれない顔に産んでくれたことを俺は心底親に感謝したね」
 アインが言い、続けてオルトが頭をかきながら言った。
「騙されて契約結んだようなもんだから、俺は。実態を知ってたら絶対に逃げてたな。あ、アイン、金」
 オルトが手を差し出す。
「お断りします。オルト殿に貸すくらいなら、神殿に寄付します」
「そんなもったいないことすんな。あいつらがどれだけ儲けているのか知らないのか? 命もろとも身包みはがして、げげっ」
 奇妙な声を上げたかと思うとオルトはくるりと背を向けて逃げ出した。警備隊の二人がオルトの逃げた方向と反対側に目を向け、ライカもつられてそちらに視線を移した。背の高い女神官の姿が目に入る。女王の「魂の導き手」として紹介されたことがある人物だ。女神官はふとオルトの逃げた方向を見やり、片頬だけで笑った。そして悠然と、だが、素早く歩き出した。それだけでライカにも彼女がオルトを追っていることがわかった。まるで獲物を見つけ、まさに襲いかかろうとする鷹のようだ。
「王都を離れるって言ってたから、最後にこってりしぼっておこうってとこか。オルト殿も気の毒に」
 そう口では言いつつも、アインは全く気の毒とは思っていなさそうだ。
「トーヴァ女神官がいなくなれば、多少、治安が悪くなるだろうな」
 かの女神官は騎士能力保持者であり、不埒者は即座に処罰するという話をライカも耳にしたことがあった。全面的にライカはその姿勢に賛成だ。
「対策として、薬師殿が夜な夜な被験者を探してうろついていると噂流しておけって隊長が言ってたぜ。犯罪者は好きなだけ実験台に使ってよいとの陛下の許可がおりた、と」
「では、実際、見せしめに誰かを使ってみるか」
「そうだな。あの怖さは実際に被害を受けてみないとわからん」
 なにやら不穏な会話が交されているような気がするのだが、ライカ自身もまだ薬師についてよく知らないので、断定はできなかった。犯罪を抑制する効果のある薬師とは、一体どんな人物なのだろう。ライカの知るうちで、薬師というのは尊敬されることはあっても、恐れられる存在ではない。
「これから、どこか行くのか?」
 エルードに尋ねられ、ライカは我に返った。
「主門まで行くわ。王都全体に簡単な術をめぐらせる予定だから、基点になる場所の下見をしておこうと思って」
「仕事熱心なんだな」
 わずかにエルードは笑みを浮かべた。気のせいだろうか、以前に比べると翳りがなくなったような気がする。とはいえ、出会った状況が状況だけに、本来の彼に戻っただけなのかもしれない。
「お前、送っていけよ。どうせこれから詰め所に帰って交代するだけだし、王宮付き魔法士殿の護衛なら誰も文句は言わないだろ」
 二人のやり取りを聞いていたアインが口をはさんだ。
「そうだな。まだ顔を知らない連中もいることだし、そのほうが無難か」
「そうそう。まさかノウィンみたいに道に迷うことはないだろうけど、なるべく怪我人は出したくないからな」
 ライカが女官らとともに王都に出た際、からんできた狼藉者に魔法で反撃したことを二人はすでに聞き及んでいるらしい。危険人物扱いされているのかしらとライカはちらりと思ったが、そうではないと言い切る自信はないので黙っていた。
 アインと別れ、案内しようとエルードが先に立って歩き始め、ライカはおとなしく後に続いた。
 エルードはすっかり街に溶け込んでいる。顔見知りらしい商人に挨拶を返し、走ってぶつかりそうになった子供に注意し、転びそうになった老婆に手を貸す。そうした姿は実に自然で、彼がこの街で生きてきたことを実感させた。
 自分もいつか彼のようにこの国で違和感を覚えずに生きることができるようになるのだろうか。
 門まで来るとエルードは門番に話しかけた。ライカを王宮付き魔法士だと紹介し、門をはさんで立つ見張りの塔にものぼれるように手配してくれた。王都だけでなく周辺も一望でき、術の計画を立てる上で役立つだろうとの配慮からだ。
 エルードについて塔の狭い石段をのぼりながら、ライカは壁に指をはわせた。古い魔法が微かに息づいているのが感じられる。
「この門が建てられたのはいつかしら」
「建国と同時期、この地を王都に定めたときだというから三百年ほど前だろう」
 この南向きの門を含め主門と呼ばれる四つの門は、建国当時に王都全体を囲む外壁に設置されたものであるが、現在はその外まで街が広がっており、かつての外壁は今では内壁と呼ばれるようになったのだという。外壁は街の広がりに合わせて何度も建て直されたが、この内壁部分は補修を繰り返しながらも、ほぼ当時のままに残されているらしい。そのため建物の一部をなしていたりもするそうだ。
 当時はどのような様子だったのだろうと過去に思いを馳せた一瞬、幻影が見えた。あまりにも短いものだったので、ほとんど記憶に残らなかったが、強い光をたたえた琥珀色の目だけが脳裏に焼き付いた。
 不意に息を飲み、足をとめたライカをエルードが心配そうに振り返った。
「大丈夫よ。ちょっと……過去の断片を拾っただけ」
「過去見、だったな」
「ええ。多分、見えたのは過去の王家の誰かね。陛下と同じ目をしていたもの」
 あるいは王家の奉じる陽の女神その人かもしれない。
「そうか」
 再び二人はのぼり始め、ライカの息が切れ始めたころ、ようやく塔の上へ出た。見張り場を強い風が吹きぬけて行く。髪を手で押さえながら、ライカは王都の風景に目を凝らした。なだらかな丘の上に王宮を中心に都の町並みが広がっている。王宮の近くにある黄味がかった石づくりの大きな建物は陽神殿だとエルードが教えてくれた。
 こうして見ることのできる限られた場所で大勢の人間が暮らしているのだと思うと何か不思議な気がする。かつて暮らした森神殿の塔から見えたのは、空とどこまでも続く森だけだった。振り返ると、内壁の内側よりもやや雑然とした町並みの向こうに外壁と畑地の広がりが見えた。
「森はないのね」
 思わず呟きが唇からこぼれた。銀色にうねる川沿いや畑地の合間に木立は見えるが、森と呼べるほどの広がりのあるものは見えなかった。見える緑は作物や草地のものだ。
「帰りたいと思うことはないか?」
 不意にエルードが尋ねた。緑陰を連想させる色合いの目がライカに向けられている。
 しばらくライカは黙った。早くこの地での暮らしに慣れようと慌しく過ごしていたからだろうか、そんなことを感じたことはなかったのだ。
「子供のとき、私は森から、神殿から出たくてしかたなかったのよ」
 答える代わりにライカがそう言うと、エルードは苦笑した。
「俺もそうだった」
 願いは叶ったわけだなと呟いてエルードは森のない風景へ目を転じた。風がその黒髪を揺らしている。森神殿では異色だったその髪は南陽王国ではありふれた色だ。
 ライカは大きく息を吸い込んだ。森の湿った土の匂いではなく、もっと乾いた、あえて言うならば日向の匂いがする。
 いつか、かの地を懐かしく感じることがあるかもしれない。だが、帰りたいと思うことはないだろう。そんな確信がライカのなかに生まれた。
 森の色を宿した目の前には、太陽の恵みを余すことなく受ける輝かしい大地が、どこまでもどこまでも広がっていた。