女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (6)

 白い月が西の空低くに残っている。
 夜勤明けの近衛騎士はあくびをしながら、王宮内にある自室に向かって歩いていた。
 いざという時に、素早く国王のもとに馳せ参じることができるよう、近衛騎士達には国王の寝室のある奥宮に近い部屋があてがわれている。ゆえに、女王の部屋の前から自室までたどり着くにはわずかな時間しかかからないのだが、彼にはそのわずかな時間こそがつらかった。解放感とともに、どっと眠気が押し寄せるのである。
 フィルは眠たげな目で窓越しに白み始めた空を見遣った。太陽が上るまで、後しばらくかかりそうだ。
 その時、聞き慣れた声をフィルの耳は捕えた。
「エセル、起きなよ」
 あれ、とフィルは首を傾げた。
 陽神殿の神官でもあるユリクが同じ神官位を持つエセルを夜明けの祈祷のために起こすのは当たり前のことである。見習い時代から、ユリクは無理矢理エセルを寝床から引きずり出しては一緒に祈祷させていたものだ。
 しばし、フィルは自分が違和感を感じた理由が分からなかった。声が聞こえて来た扉の前を通り過ぎたところで、ようやく、違和感の原因に思い当たり、ぎょっとして足を止めた。
 エセルが現在あてがわれている部屋はこの場所とはほぼ反対側の棟にあるはずだ。そして、声が聞こえて来たのは間違いなくユリクの部屋からだった。
 ま、まさか…。
 多感な青少年は自分の想像に思わず赤くなり、首を横に振った。
「おはよう、フィル」
 扉を開けて、すがすがしい顔で挨拶するユリクに続いて、寝ぼけ眼のエセルが現れる。ユリクはきちんと身なりを整えているが、エセルはまさに起きぬけの状態であった。袖なしの胴衣の上にもそもそと上着を羽織る最中で、フィルは少々目のやり場に困ったが、本人は一向に気にならない様子だ。
「…なんで、エセルがここにいるわけ?」
 おそるおそるフィルは問いを発した。
「…寒かったから」
 目を半分閉じたままで意味不明の答えをエセルが返す。
「東方における聖典解釈について、夜中過ぎまで議論しててね」
 ユリクが付け足すが、フィルには状況が理解できなかった。
 夜更けまで話し込んでいたことまでは容易に理解できるが、その後、何故、一緒に眠らなくてはならないのだろう。
 そんな彼にはおかまいなく、説明は済んだとばかりにユリクはエセルを引っ張って行く。
「祈祷をさぼったくらいで、機嫌を損ねるような女神様じゃあないはずだろ」
 エセルがぼそぼそと抗議の声を上げるが、
「そう考える人間が多いからこそ、代わりに祈ってやるのが、神官の務めだ」
 と、東の庭に向かうユリクの足取りは緩まない。
 …多分、何もなかったんだろうけど…。
 いくら神殿の「兄弟姉妹」とはいえ、若い年頃の男女が二人きりで夜を過ごして何も起こらなくてもよいものなのだろうか。
 フィルは立ち尽くしたまま、二人を見送った。


 明るい窓際で女王の夫は子守をする傍ら報告書に目を通していた。
 各地に放たれた間諜から毎日のように届く報告をまとめるのは、近衛騎士ヴェルシュの仕事であり、作成された報告書に目を通し、必要と判断したことだけ女王の耳に入れるのがクルス・アディンの仕事である。
 彼が手にしている報告書は、ほとんど暗号のように単語が並ぶだけで、それを理解するには毎日の綿密な話し合いが必要である。万が一、誰かが盗み出しても、そこから半分の情報も得ることはできないだろう。
 南陽王国の世継ぎの君は父親の座る長椅子の下にもぐりこんで遊んでいた。本日の遊び道具は色鮮やかな紐であり、彼の「小さな守役」であるアティスが結んだりほどいたりして見せるのを熱心に見詰め、真似をしようと躍起になっていた。もう一人の遊び仲間は疲れたのか、クッションの上で眠っている。その上にもう一つクッションがのっているのは、世継ぎの君が布団のつもりで掛けたからだろう。
「クルス・アディン!昨夜の報告をせよ!」
 言いながら勢い良く入って来た母親に驚いてアールディオは頭を椅子の裏にぶつけたが、感心にも泣かなかった。ごそごそとはい出したところをアティスにつかまえられる。幼い少年は、世継ぎの君の両親が「話し合い」をしている時、世継ぎの君が邪魔するのを止めるよういい聞かされている。ただし、アティスにはその話し合いが重要なものなのかどうかという判断はできなかった。
「ユリクから聞いた話だと、ジラッド公子は現在全くの独り身だというが、真か?」
 夫の横に腰を下ろし、女王は詰問する調子で答えを迫った。
「それが、『南陽王国』に関係があるのですか?」
 報告書を下ろしながら、クルス・アディンは穏やかに問い返す。
「大ありだとも!宵闇公国と縁戚関係を結ぶことは我国に利益をもたらすぞ」
 真剣な顔で女王は応じる。
 本気で女王はそう考えているのだから、始末に終えない。
 実際のところ、宵闇公国は南陽王国と距離的に近からず遠からず、親交を深めるに適切な国ではある。
「…私に言えることは、少なくともジラッド公子自身は許婚にふられたと思っているらしいということだけですね」
「なんだ、その中途半端な答えは?しっかり事情を聞き出したのであろう?」
 不愉快そうに女王は眉根を寄せた。
「ですから、それはジラッド公子の見解だけであって、事実関係は少し異なるように私には思えるわけです」
 のらりくらりと交わす夫に女王は身を乗り出してずいと顔を近付けた。
「はっきりと申さぬか」
「…ジラッド公子はふられたと信じているようですが、ふられた可能性は五分五分です」
 女王が野次馬根性から聞きたがるであろう詳細を省いて、クルス・アディンは結論だけを伝えた。
「ならば、問題ない」
 満足そうに女王は頷いた。
 実際に公子が許婚にふられたかどうかは問題ではない。公子自身がそう信じているということが肝要なのだ。
「傷心のところを、美しく気立ての良い娘に慰められれば、心も傾こうな…」
 何やら女王は計画を立てているらしい。
 クルス・アディンは心の中で苦笑いしながら、ある問題を提起した。
「陛下、もし、私が陛下に心変わりされたと思い込んで、他の女性と昵懇になったら、どうされます?」
「当然、奪い返すに決まっておろうが」
 言って、女王は琥珀色の目を細めた。
「もしや、それを言い訳に浮気するつもりではあるまいな?」
 クルス・アディンの瞳を間近に覗き込む女王には浮気相手を八つ裂きにしかねない気迫がこもっていた。
「まさか。ただ公子の許婚の姫君もそうするかもしれないという可能性を示唆しただけです」
 慣れたもので、その視線にもたじろがず、やんわりとクルス・アディンは言い返す。女王ほどではないにしろ、許婚の少女はなかなか気が強いとジラッドから聞いていた。
「真であろうな?」
 なおも女王が問い詰めようとした時、落ち着いた声が割って入った。
「君主の義務を十分に果そうとする陛下の心意気は認めまするが、時と場所に配慮していただきたいものですな」
 何事かと女王は声の主に顔だけ向けた。
 真面目腐った表情の近衛騎士隊長と人の悪い笑みを浮かべる女近衛騎士の姿を認めたクルス・アデインは、客観的に見て、今現在、自分達夫婦の体勢にかなりの問題があったことに気付いた。
「陛下が再び御子をお生みになる決意をなされたことは大変喜ばしいことでございます。されども、いとけない御子達の前では自制していただかねば」
 そう近衛騎士隊長が言えば、
「殿方は押し倒すものではなく、押し倒されるよう誘導するものですわ」
 と女近衛騎士のイェナが続ける。
 クルス・アディンはがくりと肩を落とした。
「そのようなこと、言われずともわかっておるわ!」
 夫にのしかからんばかりにしていた女王は不満に溢れた口調で言いながら体を起こした。
 しかし、わかっていると口で言う割には、わかっていないと思われる節が女王には多々ある。
「イェナ、人間には生まれもった才能によってできることとできないことがあるであろうに。あまり陛下に無理を申し上げてはならぬぞ」
 これを本気で言っているのか、それとも単に女王をからかっているのか、わからぬところがシェイドという人間の不思議なところだ。
 女王が澄まし顔の元守役に食ってかかり、女王の夫は背もたれに力無く身を沈めた。
 世継ぎの君とその小さな守役はころころと笑う女騎士とともに不思議そうにこの光景を眺めていた。


 冬の日没は早い。
 自室でこの日届いた報告書に目を通していたヴェルシュは灯をつけるべく立ち上がった。こんな時は光を操れる魔法士が羨ましい。報告書の内容を頭の中で反芻しながら、火をランプに灯していると、ほとほとと扉がたたかれた。
 …またか。
 ものすごく不本意ながらもヴェルシュは扉を開けた。予想に違わず、そこには湯気の立つ器を携えた女薬師が立っている。
 ヴェルシュは思い切りうさん臭げな目を向けたが、今更、そんな視線ごときで引き下がるようなシィンではない。ずいっと、得体の知れぬ液体の入った器を差し出した。
「どうぞ」
「君にどうぞと言われて私が素直に飲むはずがないだろう」
「陛下の御命令です。御注文の品を至急完成させねばならなくなりまして。その試作品です」
 器には、女王の署名と簡潔な命令文を書き付けた紙片が添えてあった。
 じっくり眺めて、それが偽物でないことをヴェルシュは確認した。
 飲みたくない。
 しかし、女王の「命令」とあらば、近衛騎士たる者、飲まねばならない。
 ヴェルシュは嫌々ながらも、器を受け取って口に運んだ。
 味はさほど悪くはない。危険な薬物も混じっているようには思えない。発汗作用のある薬草が若干使われているようだ。
 女薬師は近衛騎士が最後までしっかり飲み干すのを、期待を込めて見守っている。
 空になった器をヴェルシュは無言のまま返した。
 まだ用があるのか、シィンは彼の茶色の瞳をじっと見詰めた。
「私を見て、ときめいたりしませんか?」
「…新手の冗談か?」
 一瞬の間をおいて返された答えに女薬師はおかしいですねぇと首を傾げた。
「心拍数に変化はないですか?」
「ない。シロハネギクは効果が出るまで時間がかかるだろう?」
「…そうですね。個人差もありますし」
 期待に満ちた目で見詰める女薬師をヴェルシュは冷静な目で見返した。
 傍から見れば、若い男女が熱く見詰め合っているかのようだが、ヴェルシュは情熱とは無縁であり、シィンは全く別種の情熱しか持たない。
 しばらく、彼らは黙ったまま見詰めあっていた。
「…実験に騎士見習いの連中を使ったのか?」
 何の薬か、察してしまったヴェルシュは軽い脱力感に襲われながら尋ねた。
「ええ。皆、脈が早くなり、顔が赤くなったのですが…ヴェルシュ殿は反応が鈍いようですね」
 ひくっとヴェルシュのこめかみのあたりが引きつった。だが、彼は飽くまで冷静に質問を続けた。
「実験台になった連中の中に女性は含まれていたのか?」
「いいえ。同性にときめいたら困るだろうと思って、男性に限定しましたが」
「ならば、実験の段階で失敗している」
「どうしてです?」
「…妙齢の美人に見詰められても、平気でいられる連中を実験には使うことだ」
「あ…なるほど」
 ぽんっとシィンは手を打ち合わせた。
 日頃、自分の容姿を利用して、仕事を他人に手伝わせているくせに、すっかり、そのことを忘れていたらしい。
「作り直しですね」
 失敗しましたと残念そうにつぶやく。
「…これは、惚れ薬の試作か?」
 念のためにヴェルシュは確認した。
「ええ。催淫薬の方がよほど、調合は簡単なのですが。惚れ薬となると難しいですね。まあ、催淫薬で片が付くなら、わざわざ惚れ薬など注文なさらないでしょうけど」
 すでに新しい調合を考え始めているのだろう。心ここにあらずといった様子で、薬師は女王に口止めされていたことを、あっさりと白状していた。
 …狙いは宵闇公国の第二公子だな。
 そんなことまで分かってしまう自分に嫌気がさして、ヴェルシュは深い溜息をついた。女王の行動というのは、その行動原理さえつかめれば、非常に分かり易い。
 女官あたりに発破をかけて、かの公子をくどき落とさせるつもりなのだろう。一筋縄ではいかない相手だと分かってはいるはずなのだが、女王は諦めが悪い。明日にでも近衛隊長に進言して、釘をさしてもらわねばなるまい。余計な仕事をこれ以上増やすことがないよう、クルス・アディンにも女王に対する監視を強化してもらう必要があるだろう。
「お疲れのようですが薬酒でもお持ちしましょうか?」
 気がつけば、微かに首を傾げてシィンが自分を見上げていた。
「いらない。…私を疲れさせたくなければ、頼むから何もしないでくれ」
「遠慮なさらなくてもよろしいのに」
 悪びれずに言う女薬師の鼻先でヴェルシュはぴしゃりと扉を閉めた。
 扉越しに、女薬師がくすくす笑う気配が伝わって、ヴェルシュはますます憮然となる。 全く理解できない人間だ。
 もっとも、理解しようとも思わないのだが。
 理解できてしまえば、人間としておしまいだとまでヴェルシュは考えていた。
「…まったく、類は集まるというが、集まり過ぎだ」
 この集まりの中心は言うまでもなく女王その人だ。
 ヴェルシュは深々と息を吐くと気持ちを切り替え仕事に戻った。


 月の光を宿す灰銀の双眸。
 その瞳が遥かな時の流れを見詰め続けて来たことを、そして今は何も映していないことをウェイは知っていた。
 揺らぐことのない意志をこめて、彼女は言った。
 ―お前の大切なものを守るために、「力」を使うことをためらうな―
 その声の余韻を耳に残しながらウェイは目を覚ました。
 しんとした闇が横たわっている。
 視覚を奪う闇をウェイは恐れたことはない。別の感覚が「存在」をとらえるからだ。
 その感覚が、彼に近しく、そして、異質な存在を告げた。
 魔法力の波動だった。失われたはずの魔法によく似た、しかし、異なる魔法のものだ。今の魔法士達には、しごく感知しにくいが、自分のように「純血種」の血を濃く引く者には、逆に感知しやすいのだと彼は教えられていた。
 久しぶりにリュイの夢を見たのは、これのせいか。
 そう考えながら、ウェイは寝台を抜け出した。
 攻撃的なものではないが、この王宮内部において、異質な魔法が使われたことを放置するわけにはいかない。
 ―お前が戦って負ける可能性のある相手は「純血種」と「純血種」の血をお前以上に濃く引く者だけだ。それ以外の者にお前が一対一で負けることはない―
 「純血種」である母親はそう言った。
 それほどに、「純血種」の戦闘能力は抜きん出ている。
 かつて、「魔術士」と呼ばれた人々によって、騎士も魔法士も、今いる能力保持者の祖先は作り出された。その最高傑作が「純血種」と呼ばれた、魔法士としても騎士としても、最高の戦闘能力を備えた戦士だ。
 愛用の刀をつかみ、部屋を滑り出た時には、魔法の波動がどの方角から発されたものか、ウェイは正確に把握していた。
 魔法の使い手が「純血種」でなくとも、その背後に「純血種」がいる可能性があるため、放置するわけにはいかない。「純血種」ならば、彼を、そして彼が守るものを害することができる。
 遥かな昔、大陸に渡来し全土を支配する帝国を築き上げた「魔術士」から権力を奪い、新たな支配者となった者達こそ、「純血種」だった。しかし、その数は百人にも満たず、また増えることもなかった。彼らは長命である代わりに、生殖能力が低く、「純血種」間で子供が生まれることは稀であり、種族としての「純血種」は僅か三代で絶えたという。今尚、大陸に「純血種」が残っているにしても、その数は五人にも満たないだろうと母親は言っていた。そのうちの二人だけをウェイは知っている。そして、この魔法の主はその二人のどちらでもない。
 不意に異質な魔法の波動が途切れた。
 ウェイは僅かに眉根を寄せた。
 跡形もなく気配が霧散する。
 魔法力が収束する僅かな一瞬にウェイはそれが外部から送られて来たものであったことを感知した。王宮内にこの魔法の使い手はいない。
 それでも、ウェイは記憶をたどり、魔法の波動を発した場所をつきとめた。それはある国の大使一行にあてがわれた部屋の一つだった。大使本人の客室ではなく、随員が寝泊りする部屋だ。
 人一人、始末するのは彼には簡単なことだった。差し迫った危険を感じたならば、相手が大使であっても彼は躊躇なく危険を排除する行動に出ただろう。だが、今は動くべきではない。より大きな危険が背後に隠されている可能性の方が高い。
 ウェイはふと冴え渡る夜空を見上げた。
 冷たい風が夜を吹き抜けていった。