女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (7)

 隙間風の入る薄暗い居酒屋で痩せ気味の男が体を縮めるようにして、ちびちびと酒を飲んでいた。
 奥では人相のよろしくない男達が四、五人で固まって、ぼそぼそと低い声で話し合っている。ちらちらと旅人らしい男に目を向けるが、腰の剣が気になるのか、それ以上の行動に出ようとはしなかった。
 戸が開いて、冷気が流れ込んだ。
 あってもなくても変わらないような薄い扉だが、実際のところは役に立っていたらしい。
 急激に冷えた店内の空気にぶるっと男は体を震わせた。
 寒風とともに入って来た新たな客は体格が良かった。大剣を背に負っているのだが、それが重いようには見えない。フードをおろすと、予想外に若い顔が現れた。まだ、十五、六歳というところだろう。
 おや、と男は眉を動かした。
 彼の目を引いたのは東方人特有の赤い髪でも赤銅の肌でもなく、その顔立ちだった。年齢と印象は違うが、少年は彼が知る人物によく似ていた。
「おやっさん、酒!」
 元気のよい声で注文し、居酒屋の主から酒を受け取ると、少年は立ったまま一気に飲み干した。一気のみするには、強い酒だが、少年は全然こたえていない様子で唇を手の甲で拭い、空になった杯を置いた。
「見つかったか?」
 店主の問いに少年は肩を竦めた。
「さっぱり。やっぱ、こっちには来てねぇのかなぁ」
 三脚椅子を引き寄せて少年は店主のすぐ前に座り込んだ。図体がでかいだけに、椅子がやけに小さく見える。
「この国じゃ、金茶の髪に緑の目の女なんて山ほどいるんだ。気長に探すんだな」
「そりゃあ、同じ色の髪と目の女なら、いっくらでもいるだろうけどよ、あいつみたいな女はそうそういないって」
 再び満たされた杯を取り上げ、今度はゆっくりと味わって飲み始めた。褐色の目の中で、ちらちらと小さな炎が踊っている。
 やっぱり、似てるよなぁ。
 横目で少年の様子を盗み見ながら、男―オルト・マフィズはひとりごちた。
 髪の色こそ、炎のような朱金ではなく、それより赤みが強い深い色合いではあるものの、体つきも顔つきも彼の知る人物によく似ている。
「何だよ、にいさん。俺に何か用があんの?」
 視線に気付いて、少年がオルトに顔を向ける。喧嘩を売るでもない、さっぱりした口調だ。
「ん−、いや、ひょっとして、俺、お前の親父さんを知っているかもしんねぇと思ってさ」
 言うと、少年は顔をしかめた。
「お前の親父さん、酒好き、女好き、放浪好きだったりするか?」
 ぽりぽりと少年がほおを指でかく。
「そんでもって、賭事好きだけど、イカサマは下手の横好きだったりするな」
「喧嘩も好きだろ?」
「ん」
「でもって、お前は、親父さん似?」
 少年はそっけなく頷いた。
「あんたは、どっちの口なんだ?恩と恨み、どっち持ってんの?」
 どこかうんざりした様子で少年は尋ねた。
「別にどっちも心当たりねぇけど?」
「めっずらしー!」
 少年は目を見開いた。本当に意外だったようだ。
 その素直な反応を見ながら目許はあまり似てないかもなとオルトは考えた。
「俺さぁ、出掛けりゃ必ずって言っていいほど、親父の知り合いに出くわすんだけどよ。襲われるか、おごってもらうかどっちか両極端なんだよな」
 言って少年は赤い髪をがしがしと掻き回した。
「そりゃあそうだろうなぁ」
 しみじみとオルトは頷いた。少年の父親は戦神と呼ばれるほどの男だ。将軍という役目上からも、また性格上からも、恨みなら、数え切れぬほど買っているだろう。しかも、本人は全然気にしない。
「俺、ファギル。あんたは?」
「オルト」
 ファギルと名乗った少年はちょっと驚いた顔をした。どうやら名前に聞き覚えがあったらしい。
「…あんた、『南』の?」
 ここで南陽王国の近衛騎士だろうなどと聞くほど、暁王国の将軍の息子は愚かではないようだ。
 オルトは黙ったまま頷いた。
「それじゃ、エセル、どこにいるか知らねぇ?」
 がばっと立ち上がったかと思うと、ファギルは一足飛びで目の前まで来ていた。動きの素早さはさすがに戦神の息子というところだろうか。やや面食らいながらオルトは聞き返した。
「なんでまたエセルを探してるんだ?あいつ、何かしでかしたのか?」
 ここ二年あまり顔を見ていないが、あの少女ならば、あちこちで人の恨みを買いまくっていそうだ。おまけに彼女を最後に見た時、彼女はこの少年の父親と行動を共にしていた。ファギルとエセルが知り合いであることは不思議ではない。
「いや。それよか、居場所、知ってんの、知らないの?」
「捜し出してどーすんだ?」
 さすがに知り合いを殺されてしまったら後味が悪いので、念のためにとオルトは聞いてみた。
「口説くに決まってんだろ」
「…は?」
 今、ひどく妙な答えが返って来た気がする。
 オルトは何度か瞬きした後、もう一度、問いを発した。
「なんで?」
「惚れてっからに決まってるだろ」
 それ以外に理由があるかよと言わんばかりにファギルは言った。
「…まじ?」
「まじ」
 至って真面目な顔でファギルは頷く。
 そんな少年にオルトは初めて見る生き物を見るような目を向けた。
 珍しい。非常に珍しい人間だ。
 あの女王と結婚する気になる人間と同じくらい奇特な人間だと思わざるを得ない。
「…お前さ、人生棒に振る気?」
 気付いた時はそんな言葉が口から転がり出ていた。


 その日、南陽王国の陽神殿で行われた礼拝式は素晴らしく賑わっていた。
 中央祭壇の前で、髪の色の異なる三人の若い女神官らが舞を奉じる儀式を執り行っている。
 一人は王都ですでに有名になっている黒髪の女神官、一人は最近神官位を得たばかりの金茶の髪の女神官、残る一人は氷晶王国から神殿間の交流をはかる目的で派遣された金髪の神官見習いである。いずれ劣らぬ清らかな舞い姿に信仰心をさほど持たぬ者も魅了され、神々の恩恵を身近に感じていた。この配役を決めた神官長の狙いは見事当たったと言えよう。
 その男も神々の僕に見入られた一人だった。
 祭壇の置かれた床は高くなっているため、彼は他の信徒と同じように仰ぐ形で娘達の舞を眺めていた。
 男は商人だった。何年にもわたる「仕事」を無事に成功させた彼は故国に帰り、多額の報酬を受け取る予定だった。彼は自分の得るであろう富と栄誉を想像して、口元を緩めた。故国に入れば、彼はもはや一介の商人ではなくなる。ちょうど、舞い手の一人のような髪と瞳を持つ、貴族の娘を妻にすることもできる。
 金茶の髪をはらりと揺らし、長身の女神官が顔を上げた瞬間、男は息を飲んだ。
 背中に冷たく固いものが圧し当てられていた。おそらく短剣の切っ先だろう。
「…何者だ?」
 低い声が、彼の故郷における名前を呼んだ。
 彼はほっとして肩の力を抜いた。自分の本来の名前を知るのは同郷人だけだ。
「ああ、そうだ。何の用だ?」
 ちくりと小さな痛みがして、固いものが背中から離れた。
 何か新たな知らせが来たのだろうと考えていると、突然、激痛が彼を襲った。
 彼は叫ぼうとしたが、声は出なかった。
 澄んだ鈴の音が響いた。
 胸をかきむしりながら、彼は倒れた。
 周囲の人間が驚いて、彼を見た。その表情を目にする事なく、彼の視界は閉ざされた。
 礼拝式の途中、冥府の女神の招きを受けた男は王都警備隊の手によって身元確認が進められ、交易商人であることが判明したが、親族がいなかったため神官達の手によって共同墓地に葬られることとなった。


 かび臭い、すえた匂いに顔をしかめてオルトは目覚めた。
 妙に懐かしい湿った空間は確認するまでもなく、地下牢だった。
 ばりばりと頭をかいて、オルトは同居人を見遣った。
 緑森王国は南陽王国と隣接していても高地にあるため冬はかなり冷え込む。にもかかわらず、赤毛の少年は大の字に伸びて眠っている。
 …砂漠の夜は冷えるっていうしな。
 平気なのだろうと結論すると、鼻をすすりながらオルトは出入り口に近付いた。小さな覗き窓がついた、鉄枠のはまった扉を試すがめつ眺めて頷く。
 こりゃあ、一時的拘留なんてものじゃないな。
 酒場で騒いだだけの騎士を反省を促すべく閉じ込めるための牢獄にしては頑丈すぎる。
 どっちかの身元がばれたかな?
 ちらりと健康的な寝息をたてている少年を見遣る。
 この少年なら、十分、国同士の取引材料に使えるだろう。暁王国の誇る将軍、次期国王になるやもしれぬ男の息子なのだから、身代金もたっぷり絞りとれる。
 そして、もし、自分の身元がばれたのであったならば、情報を引き出すべく、拷問にかけられることだろう。
 オルトとしては、いくらでもしゃべってかまわないのだが、ろくな情報を持たぬし、誠心誠意、情報提供しても信じてもらえず、責め殺されるのがおちだ。
 身代金だって、取れねぇしなぁ。ルーなら、泣きつけば金を出してくれるかもしれねぇけど、締まり屋のミューに無駄金を使うなとか反対されたら、あっさり、やめっちまうだろうし…。
 念入りに扉の造りを調べながら、オルトはそんなことを考えていた。無論、女王が身代金を払うなどと考えるほどオルトは夢想家ではない。女王に身代金を請求したところで、自力で逃げ出せぬような無能な騎士はいらぬわと一蹴されるだけだ。
 盛大なくしゃみとともに少年が起き上がった。図体がでかいために、ただでさえ狭い牢内がますます狭く感じられる。
「…なんだよ、ここは?」
「地下牢だろ−な」
 ファギルは実に怪訝そうな表情で首を傾げた。
「俺、なんか悪いことしたか?」
 酒場で乱闘するのは少年にとって「悪いこと」のうちに入らぬらしい。オルトは少年に対する親近感を深めた。
「たいして悪いことしてねぇんだけどよ、どうも、すぐに釈放してくれるっていう雰囲気じゃないんだよな」
 こつこつと頑丈な扉をたたきながらオルトは言った。
「そうみたいだな。魔法まで使った牢なんて、初めて入ったぜ、俺」
 もの珍しそうにぐるりとファギルは周囲を見回した。
「あ?魔法まで使ってあんの?逃げたらすぐばれるとか、そういう類いか?」
「いや、単に魔法力でもぶち壊せないように強化してあるだけだと思う。このくらいなら、俺でも壊せるけどな」
 言いながら少年は腕をかいた。
「ノミでもいるのか?」
「いや、そういうんじゃなくってさ。すっげぇ、やな感じがすんだ、ここ」
「ひょっとして、お前、死霊とか見る人間じゃなかろうなっ」
 べたりと壁にはりついてオルトは喚いた。地下牢というのは、そういう類いのものに事欠かない。とある女神官が実に嬉しそうに実例をまじえて話し聞かせたことを、オルトは今思い出していた。もっと前に思い出せば、いや忘れていなければ、牢に入らぬように努力したのにと後悔したが、もう遅かった。
「そ−ゆーのじゃなくてさ。ここにいたら、まずい気がする。逃げようぜ」
 オルトに否やはない。
 ひょいとファギルは立ち上がると扉の前に立った。
「ちょっと危ないから、俺の後ろに回ってくれ」
 素直にオルトは年少者の言葉に従い、少年の背後に回った。オルトとて背は低い方ではないが、ファギルは更に頭一つ分近く背が高い。今はまだ成長期で横幅や厚みは足りないが、いずれは父親のような体格になるだろう。
「…ま、このくらいだな」
 言って、無造作にファギルは扉に向かって両手を突き出した。気のせいか髪の赤味が増したような気がする。
 激しい音とともに扉が吹き飛んだ。振動がずしんと足の裏に伝わる。
 破壊した入り口から二人は勢いよく飛び出した。
 脱獄は全力で行うものである。
 狭苦しい階段を二人の騎士は一気に駆け上がり、驚いている牢番達に体当りして突き飛ばした。多分、肋骨の数本は折れただろうが、ファギルもオルトも気にしなかった。そのまま、光のある方向へ駆け抜ける。
 逃げ足の速さには自信あったけど、こいつには負けるかも。
 そんなことを考えながら、オルトは赤毛の少年に続いて入り組んだ路地に走り込んだ。走りながら、それでも余裕が出てきたのでオルトは気になっていたことを尋ねた。
「あれって魔法士がかけた魔法だろ。なんで壊せるんだよ」
 通常、魔法士の持つ魔法力は魔法騎士を遙かに上回るものだ。
「俺も親父に似て魔法力だけは魔法士並にあるからさ。ただの破壊ならできるけど、高等魔法は全く無理」
 魔法士とは、魔法力を完全に制御し使いこなせる能力を持つ者、即ち高等魔法を操れる存在である。ゆえに、クルス・アディンのように、魔法士かつ魔法騎士という存在もいるのだが、魔法士と魔法騎士は本来区別されるものだ。魔法騎士の使う魔法力は放ってしまった後は修正が効かないが、魔法士の使う魔法力は消滅するまで、あるいは、自ら手放すまで意志に従って動かすことができるということに決定的な違いがある。
「…あんな化け物に魔法士能力まで備わっていたら、たまんねぇな」
「俺もそう思う」
 誰と限定して言ったわけではないのだが、その息子には正確にオルトの考えが伝わったらしい。そう言えばさ、と速度は緩めぬままにファギルは言った。
「俺達兄弟の見果てぬ夢ってのが、『打倒親父』なんだ」
「そりゃあ…確かに見果てぬ夢、だな」
「だろ?」
 彼らの背後では男達の喚き声が響いている。
 緊迫感に欠けているところはよく似た脱獄囚達であった。


 その昼間に死者の出た堂内を清めに赴いた女神官は堂の一角に目を留め、眉を寄せた。
「…エセルの言った通りか。殺しとはな…」
 深い青い瞳にとらえられた存在、この世に取り残された魂のかけらは、何故自分が殺されねばならぬのかと繰り返しつぶやき続けている。
 死の乙女は魂を冥府に連れ去るが、重荷、すなわち、死者の想念あるいは記憶を置き去りにしていく。この残された魂のかけらは時経て霧散するか、浄化されるまで、この世にとどまり続ける。時には、あまりに念が強くて、このかけらが冥府から魂を引き寄せてしまうこともあるほどだ。
「おぬしも生前、人には言えぬことをしてきたようだが…機会があれば、仇はとってやるゆえな」
 宥めるように呟き、トーヴァは手にしていた香炉を床に置いた。白い煙の筋がゆらゆらと揺れ、高みへと上ってゆく。
 低い声でトーヴァは祈りの言葉を紡ぎ始めた。
 その女神官の姿を一対の瞳が見つめていた。


 魂送りのため、死者に付き添っていた神官見習いは空気の揺れにぎくりと顔を上げた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりに照らされ、この地下室に通じるただ一つの出入り口に立っていたのは金茶の髪の女神官だった。
「お務め御苦労さま。交替の時間だよ」
 女神官の明るい口調に、少年は心底ほっとした様子で立ち上がり、棺から離れた。挨拶をして、そそくさと出ていく少年をエセルは唇のはしに人の悪い笑みを浮かべて見送った。過去に幾度と無く、エセルは死者に付き添っている神官見習いに悪戯をしかけて驚かせたことがある。あの様子だと、悪戯されたら腰を抜かしたに違いない。
「さてと…」
 エセルはつかつかと棺に歩み寄った。
「まさか、私一人にやらせるつもりじゃないよね?」
 くるりとエセルが振り返ると、柱の陰からほっそりした娘が姿を現した。
「エセルさんは死体が苦手なのですか?」
 意外だとばかりに女薬師は言う。
「別に平気だけど。おっさんの服を剥ぎ取るなんて楽しくもなんともないんだからさぁ」
「それもそうですね。手早く済ませましょう」
「多分、背中のどこかだと思うんだよね」
 言って、エセルは男の死体に手をかけた。女薬師が躊躇うことなく死装束を脱がせて背中を改める。
「ああ…これですね」
 シィンはすぐに目的のものを見つけだした。虫に刺された跡のような、極小さな赤紫の点だ。
「これだけで心臓を止めるほどの効果が出る毒物となると限られてきますね」
 死者に謝りながら死装束を元に戻す。エセルは元通り死体を横たえ、姿勢を整えた。
「まず、こうした毒は専門家じゃないと作り出せないですし、かなり値も張ります。商売絡みの恨みから殺すのであれば、もっと手頃な毒を使うでしょうし、毒よりもごろつきを二、三人雇って始末する方が確実です。それにしても、エセルさん、よく心臓発作ではないと分かりましたね?」
「この男の顔の動きが見えたからね。それに、後ろに人影があったし」
 たまたまだよとエセルは肩をすくめた。もう一瞬、見るのが遅れていたら、殺人ではないかと疑いもしなかっただろう。
「口封じに貴方も狙われるかもしれませんよ」
 からかうようなシィンの言葉にエセルは不敵な笑みを返した。
「望むところだよ」
 何故、この男が殺されねばならなかったのか知るには、その方が手っ取り早い。犯人が雇われ暗殺者なら理由など知らないかもしれないが、それでも手がかりにはなる。
「それでは私は失礼しますね。一応、王都での毒物の流れを探っておきます」
「よろしく」
 女薬師は来た時と同じように、ひっそりと出ていった。
 エセルは死者の顔を見下ろし、小さく溜息をついた。
「あんたが喋ってくれれば楽なんだけどね」
 果たして「死者の声を聞く」女神官は何か聞けただろうか。
 燃え尽きる寸前の蝋燭の炎が大きく揺らぐ。
 真夜中を告げる鐘の音に闇が一層深まったように見えた。