女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (8)


 年末を間近に迎え、南陽王国では日に日に昼が短くなっていた。
 冬至の翌日からが、この大陸では新年なのである。
 王宮に滞在中のジラッド・リオス・ガイラール、宵闇公国の第二公子は周囲が新年の準備に慌ただしい中、暇を持て余していた。正式な大使というわけでもなく、物見遊山にやって来たようなものだから、当然と言えば当然の成り行きである。それゆえ、その話を友人から持ちかけられた時、彼は喜々として応じた。よい暇潰しになる上、人の目を欺くことは彼にとって何よりの娯楽であったのである。
「…相変わらず、人が悪いようだな」
 憮然とした表情で南陽王国の王妹がつぶやいた。
 琥珀色の瞳はテーブルに置かれた茶器に向けられている。
 彼女は宵闇公国からの賓客を接待するという名目で不慣れな長衣を着せられ至極不機嫌だった。
「今更、そのようなことをおっしゃられても。この年になると、性格を変えることなど、なかなかできないものです」
 ジラッドは楽しげに応じ、香りの良いお茶を口に含んだ。
「兄にも親交を存分に深めて来いと言われたことですし、私は大いに乗り気なのですが、王妹殿下は御不満ですか?」
「当たり前だ。…王族の義務として茶番に付き合うのはいたしかたないと思うが、こんなところで無意味に茶をすすって、のらりくらりと過ごすなど性に合わない」
「それでは手合せでもしてみますか?王妹殿下は腕利きの騎士が好みと評判ですから、私も自分の腕を売り込むべきでしょう」
 その言葉にアシュリーズは怪訝そうに、眉根を寄せた。
「誰がそんなことを言ったんだ?」
「世間の風評ですよ。南陽王国の女王陛下は容姿を重んじ、王妹殿下は武術の腕を重んじると」
「…そんな風に思われているのか」
 アシュリーズには少々意外であったが、実際に彼女と話の合う人間の多くが武人なので、そのように思われても仕方がない部分がある。
「そう思わせていた方が便利だと考えたどなたかが噂を流したのではないかと思いますが」
 そういうことをしそうな人間にアシュリーズはいくらでも心当たりがあった。
「熱心な求婚者としては、貴方に認めていただくために、貴方から一本取らなくてはなりませんね」
 すっかりこの事態を楽しんでいる異国の公子にアシュリーズは溜息をついた。

 南陽王国の女王は御機嫌だった。
 腕に抱いた幼い息子に何やら語りかけながら庭を眺めている。世継ぎの君は聞いているのかいないのか、母親の長い黒髪をひっぱり、その先についている飾りを小さな手でいじっていた。
「これで、あやつの顔がもっと良ければ言うことはないのだがな」
 女王の視線の先にいる人物に聞こえていれば、私は十分この顔で満足しておりますとの答えが返って来ただろう感想を女王は口にした。
 青年二人に挟まれるようにして中庭を歩いているのは女王の双子の妹である。いつものように近衛騎士の制服で帯剣しているが、それだけに気安い様子で青年達と言葉を交わしていた。青年のうち、一人は宵闇公国の公子、一人は第五騎士団副団長である。この二人、現時点の宮廷において、王妹の最有力婿候補と目されており、彼らの動向は皆の注目を浴びているのだ。おそらく、これから三人で訓練場に出向くところだろう。騎士見習いから聞き出したところによると、彼らは恐ろしいまでに気迫のこもった手合せをしているそうだ。
「陛下と違ってアシュリーズ様は面食いでいらっしゃらないのですから、彼は適任だと思いますわよ」
 幼子をひざに抱いてあやしていた女騎士が言う。さすがに子育てを経験しただけあって、板についた姿だ。
「リヴィー、貴方は面食いなんかになっちゃだめよ?男はね、見てくれよりも中身なんですからね」
 そんなことをひざの上の子供に向かって言っている。赤褐色の髪の子供は何を言われているか、さっぱり分かっていないらしく、くすぐられて、きゃっきゃっと笑い声を上げていた。
「中身は勿論、見てくれも良いものを求めて何が悪い。ディオ、そなたも理想は高く持って、中身も見てくれも最高の伴侶を見付けるのだぞ?そうでなければ結婚は認めてやらぬからな。不細工な孫なぞ私はいらぬぞ」
 世継ぎの君は真剣な顔の母親としばらく見詰め合っていたが、飽きたらしく、ふいと顔を背けると、下に降ろすように要求した。
「ぬ?母の言うことが聞けぬか」
「そんなことに耳を貸しては駄目だよ、ディオ」
 部屋に入って来たクルス・アディンが苦笑まじりに言った。アールディオは喚声を上げて父親に手を伸ばす。
「全く子供に向かって何をおっしゃっていらっしゃるのですか、陛下」
 息子を抱き取りながらたしなめる夫に向かって女王は鼻を鳴らした。
「老後の生活を楽しいものにしようとして何が悪い。私は顔の良い孫達に囲まれて余生を送るのが夢なんだ」
「老後を案じるより、今現在の問題を案じていただきたいのですが」
 そんな女王の言葉には耳を貸さず、クルス・アディンは書簡を差し出した。
 受け取って書面に目を走らせた女王が顔を僅かにしかめる。
「イェナ、内密に今すぐ古狸を呼び出せるか?」
 女騎士は微かに首を傾げた。女王に古狸と呼ばれる人間は数多いが、彼女が私的に連絡をつけることができる古狸となると限定される。まず間違いなく、この場合の古狸は洸王国の大使だ。
「私の部屋にお茶に招くという形でなら可能ですけれども?」
「それでよい。どうやらあやつの本国で妙な動きがあるらしい」
 まったく、余計な手間を焼かせおってと女王は文句をこぼす。
「あなたが心配することはないのよ、アティス」
 大人達の会話に不安な表情を浮かべている幼い少年に気付いてイェナはほほ笑みかけた。彼はまだ南方語を完全に聞き取ることはできないし、例え、聞き取れたにしても内容を理解するには幼な過ぎる。しかし、周囲に漂う雰囲気を敏感に感じ取ったのであろう。こうした子供の勘の鋭さにイェナは何度となく驚いた覚えがあった。
 その様を見ていた女王がふと思い付いて言った。
「イェナ、二人まとめて養子にする気はないか?フィルも手が離れたことだし、それに、前から女の子も欲しかったと言っていただろう?」
 イェナはわずかに目を見開き、二人の子供を交互に見遣った。この子供達は今の所皆にかわいがられているが、やはり養い親が必要だろうと常から思っていたのだが、よもや自分が引き取り手に指名されようとは考えてもみなかった。両親が揃った家庭で育てられるほうがいいだろうとイェナには思われたのだ。
「…女手ひとつで子供を育てるのはなかなか大変なんですのよ?…でも、考えておきますわ」
 幼子を膝から下ろしながら、イェナはつぶやくように言った。


 一年で最後の夜、陽神殿では神官達による夜通しの祈祷が行われる。陽の女神の恵みの下、一年を過ごせたことにに感謝を捧げ、そして新たなる一年の恵みを乞うための儀式は陽神殿で最も重要なものであった。
 この年末、いつもなら神殿の教えに背く者達を正しい道に導くべく町中を徘徊している女神官は珍しく本神殿で儀式に参列していた。畏まった表情で神官長の傍らに控えているが、彼女の日頃の行いを知る者達はその姿に不安を煽られたことだろう。破壊女神官と呼ばれる彼女が、無意味に、ただおとなしく立っているだけのはずがないのである。そして、事実、トーヴァは単に儀式に参列しているだけではなかった。
「神官長殿、見栄えという点では、あの娘も劣らぬと思いますが、何ゆえ、舞台に立たせぬのです?」
 女神官の視線の先では神官見習いを含めた三人の娘が壇上で朗詠を行っていた。黒、金、金茶と色違いの髪を持つ見目良い娘達は人目を引く儀式によくかり出されている。
「髪の色ではエセルよりも、銀髪の彼女の方が引き立つはずですが」
 金髪の神官見習いとともに氷晶王国から派遣されたもう一人の神官見習いのことである。魔法士である彼女は今現在、神官長直々に下された任務についているので、この聖堂内にはいなかった。
「あの娘はな、記憶力も抜群で、声もよく、朗唱には向いているのだがの」
 白髪の神官長はやれやれと首を横に振った。
「人並はずれて、とろいらしい」
 儀式用のかさ張る衣装に身を包んで壇に上がろうものなら、間違いなく転ぶと彼女を指導している正神官が断言したという。
「それは残念。されど、魔法はかなり使うようですが」
「うむ。初月が過ぎたら、王宮にやろうと思うておるよ」
 のんびりした口調で神官長が告げる。
「やはり警備の強化が必要ですか」
「何やら異質な魔法が感知されたらしくての。ヴェルシュの方から要請があったわ」
「異国人は動きにくくありませんか?」
「牽制にはちょうどよかろう。それに、あの娘は魔法の『仕組み』に詳しい。クルス・アディン殿とも気が合おう」
 おそらくは、それを見越した上で、氷晶王国の王弟も彼女を派遣したのだろう。彼の人物に関しては、女王に対する厭がらせの意図も全くないとは言い切れない。
「陛下が焼きもちを焼かれねばよろしいが」
「なぁに、黙っておれば分からぬものよ」
 神官長がにんまりと笑うと、その手首に下がっている小さな玉が青く光った。
「ほう、罠にかかったようじゃの。行ってまいれ」
 この老人、神殿に存在する隠し通路すべてに蜘蛛の巣のような魔法の仕掛を張り巡らし、獲物が引っ掛かるのを待ち構えていたのである。隠し通路の存在を知る者達は、エセルのように偶然発見して脱走に利用していた人間を除き、緊急時にしかそれらを使用しない。罠にかかった獲物のもとには、外で待っている魔法士の少女が案内してくれるはずだ。
「では、失礼いたします」
「気を付けるのじゃぞ。相手は騎士ではないのだからな」
 神官長が案じているのは女神官の身の安全ではない。
「ご心配なく。毎夜の鍛練のおかげで一般人相手の力加減はだいぶとうまくなりました」
 不敵に笑って、女神官は神殿にもぐりこんだ二本足の鼠を捕えるべく、歩き去った。


 一年で最も長い夜を一人で過ごすのは寂しい。
 そう宵闇公国の公子に訴えられて、近衛騎士ルーダル・セオンは酒席につき合わされていた。クルス・アディンが女王とともに礼拝室にこもっているために、他に接待できるような人間がいないのだ。本来ならば、外交を担当するはずの王族は現在、宮廷への出入りを禁じられている。王妹はいるが、さすがに、彼女に酒の相手をさせるわけにはいかない。若い男女を二人きりにするなど、本人達は気にしないだろうが、周りは気にする。よって、近衛騎士にこの役目がふられたのだが、最も年齢が近く、適任だと思われるヴェルシュが多忙であるため、次に年齢が近いルーダルが抜擢されたのだ。
「…なにか?」
 強い酒を平然とした顔で口に運ぶ女顔の近衛騎士を凝視していたジラッドはそう問われて苦笑をこぼした。
「昔、君によく似た知り合いがいたんだが…その人は酒に弱くてね。顔立ちは似ていても中身は全く違うものだなと考えていた」
「女性ですか?」
「そうだ。気に障ったら、すまない」
「いえ」
 ルーダルは短く応えて再び酒を口に含んだ。
 自分が女顔なのは十分承知している。むしろ、自分によく似た男がいたら驚きだ。
 「知り合いに似ている」というのは、男が初対面の女に声をかける時の常套文句のひとつで、自分の性別を勘違いした男にルーダルは何度となくそう言われて来た。そして、公子の言葉がそれらとは全く違った種類のものであることは明らかだ。
「最初に見た時は本当に驚いた」
「それほど似ていましたか?」
「ああ。生きていれば、君よりもずっと年上なんだが」
 それに、と小さく笑う。
「君ほど強烈な存在感はない」
「強烈ですか?強烈な存在感というのは陛下のような方のことを言うものだと思っておりましたが」
 おかしそうに公子は肩を震わせた。
「それは基準が違う。私に言わせると、君達近衛騎士は全員、強烈だ」
 そういうものだろうかとルーダルは首を傾げた。
 皆、自分の存在を殊更主張するような人間ではないはずだが。
 周囲に個性的な人間ばかり揃っているために、ルーダルの感覚はかなり一般とずれていた。
 ふと見遣ると公子が笑いを止め、何やら考え込む顔になっている。
「どうかなさいましたか?」
「私もよく元婚約者に基準が違うと言われていたんだ」
 苦笑まじりに公子は言って、酒杯を軽く振った。
 そう言えば、とルーダルは思い出す。この公子は婚約を解消したらしいと聞いた女王が美人で気立ての良い娘を公子の世話係に回せと女官長に言い、即座に却下されていた。女官長いわく、女王の結婚の影響で次々と女官達が結婚して宮廷を退いたため、躾の行き届いた女官が少なくなり、公子の世話を任せられるような若い娘がいないということだった。あわよくば宵闇公国と姻戚関係を持とうという女王の計画は初めからつまづいたわけだが、今度は年頃の娘を持つ貴族達に新年の挨拶の際には王宮に娘を同行させるように言い渡しているらしい。
「許婚殿とは長い付き合いだったのですか?」
「うん?そうだな、もう十年にはなる。出会った頃はほんの子供で、でも、口は達者だった」
 懐かしそうに紫の目を細める。家同士が決めた婚約だったらしいが、この様子では当人同士の仲が悪かったということはなさそうだ。
「よく考えれば、最初っからふられていたな。『わたくし、公子様とは絶対結婚しません』と初っ端に言われた」
 女性にふられた最初の経験だと笑う。十年前と言えば、公子の方はすでに十五歳を過ぎていたはずだから、女性との付き合いが全くなかったということはないだろう。この容姿で、身分も高いのだから、選り取りみどりだったに違いない。
「何か悪さをなさったのですか?」
 子供と言えども、身分関係にうるさい貴族の間で育った子供が何の理由もなく、公子相手にそういう失礼なことを言ってのけるとは考えにくい。しかも、外見は文句のない立派な公子である。
「どうして君達は私が何かしたものと決め付けるんだ?」
 おそらくクルス・アディンにも同じようなことを言われたのだろう、やや不満そうな顔で公子は言った。
「違うのですか?」
「その時は何もしていないぞ。なにしろ、ほぼ初対面だったのだから…」
 言いかけて、途中で公子は口を閉じた。しばらく手にした酒杯をぼんやりと眺めていたが、やがて大きく息を吐いて酒杯を下に置いた。
「君達の言うとおりだ。私に原因がある…多分、今も昔も、ふられた原因は同じなのだろう」
「原因が判明してよろしゅうございました」
 のろのろと顔を上げて、公子が上目使いに軽く睨む。
「…それは、厭味か?」
 意外だとルーダルは淡い紫の瞳を見開いた。
「原因が分かれば、関係を修復することも可能でしょう?」
「そうとは限らないぞ。向こうがそれを望んでいるとは思えない」
「ですが、貴方はそうなさりたいのではないのですか?」
 そう言うと、公子は戸惑った顔になった。まるで自分の知らない事実を指摘されたという様子である。
「…そう見えるのか?」
「自覚がないのですか?」
 さも呆れたとばかりにルーダルは肩を竦めた。酒が入っているために、言葉使いこそはまだ丁寧だが、かなり「地」が出ているのだ。
「突然、女房に家出されて途方にくれてる亭主そのものに見えましたが」
 それを聞いた公子はなんとも奇妙な表情を浮かべた。
「その様子では、ご自分が許婚殿にすっかり心奪われていたことも自覚なさっていないのではないのですか?」
「私が?相手は十才以上も年下の子供だぞ?」
 今度こそ本当に驚いたとばかりに目を見開く。
「重症ですね。年齢は関係ないでしょう。昔はともかく今は一人前の女性ですし。クルス・アディン殿は何もおっしゃらなかったのですか?クルス・アディン殿のことですから、本人が気付くまで、そっとしておいてやろうと思われたのかもしれませんが」
 公子は思い当たる節があったらしく、黙り込んだ。
「私は、陛下が強硬手段に出る前に、帰国なさることをお勧めします。既成事実をたてに、結婚を強要されるなどお厭でしょう?」
 ルーダルは女王が薬師に惚れ薬を開発させているという噂を小耳に挟んでいた。しかし、公子はこの忠告を聞いていないようだった。
 妙に硬い表情のまま、酒を煽り、
「…人の心とは分からないものだな」
 溜息まじりの声がつぶやいた。
 その後、語ることはほとんどなく、二人は黙々と杯を重ねた。