女王と騎士

欠けたるもの(前編)

 花枝をいっぱいに広げた木の下で少女は落ちた花を拾い集めていた。
 少女の住まう館の奥方が、毎朝、この花を集めるよう言い渡しているからだ。
 薄紅色の花は香りがよく、花びらを乾燥させた後、小袋に詰めて衣装箱に入れるのだという。だから、奥方からは優しい香りがするのだなとアシュリーズは納得したものだった。彼女が女性のたしなみとして教えることはアシュリーズには実に新鮮なことばかりで、いかに自分や養母のリュイがそうしたことに無頓着であったかを知らされた。
 しかし、知ったからといって、今更、そうした事柄に興味を持てない。
 それを後ろめたく思う自分に、あまり窮屈に考えなくても良いのよと奥方のセレインは笑って言う。できるだけのことをすればそれでよいのだと押し付けたりはしない。
 礼儀作法に厳しいのは、セレインやその夫のヴァナルよりも、むしろ息子のヴェルシュだ。しかしながら、彼がそうするのも、納得できる理由があるので、アシュリーズは不満には思わなかった。
 微かな空気の揺れにアシュリーズは顔を上げ、今落ちてきたばかりの花をその手のひらに受け止めた。花は枝についていたそのままの形で、いささかも損なわれていない。
 我知らず口元がほころんだ。
 小さな幸運を手にしながら枝を見上げると、ぱっと若草色の翼を広げて小鳥が飛び立っていった。

 少女が微かに笑みを浮かべるのをウェイは部屋の中から眺めていた。
 幼いころからの習慣か、気がつけば、その姿を目で探している。過保護のような気もするが、片時でも目を離せば奪われてしまう可能性が実際にあったのだ。
 暖かな気持ちをもたらしてくれる、たった一つの大切な存在を失うわけにはいかない。
 自分が感情の起伏に乏しいことをウェイは自覚していた。
 その多くは血筋によるものだった。「純血種」と呼ばれた、魔法士であり騎士であった人々は狂気のごとき感情の激しさを持つか、冷淡なまでに感情の起伏がないか、両極端だったという。そして彼の母親はその後者に属していた。
「お前は私に比べれば、ずっとましだ。執着できるだけの感情があるのだからな」
 そう母親はよく言ったものだった。
 彼女にとって人は時間と同じく過ぎゆくものだった。親しくなった人間も敵対した人間も時の果てに流されるものであり、恋人も、そして息子すらも、僅かな時間を共有しただけの存在にすぎない。淡泊な感情しか抱けぬ自分という存在に微かな痛みや疎ましさを覚えようとも変わることもできないのだ。
 純血種は多大な能力が与えられた分、人としての何かが決定的に欠けてしまったのだろうと彼女は言っていた。
 そして、その血を引く自分もやはり、何かが欠けているのだろうと思う。
 常に虚ろな部分が自分のなかには存在している。
 何が欠けているのかは分からない。
 ただアシュリーズと共にいる時はその空虚さを感じないでいられるのだ。
 だが、いつか、アシュリーズが自分から離れることを望んだならば、自分は黙って見送らなくてはならない。
 それが母親との約束だった。
「ウェイ、王都行きだが、十日後に出発することになった」
 言いながら、ヴェルシュが部屋に入って来た。その手には先程届いたばかりの書簡が握られている。
「名目は夏至祭見物だ。王都にいる間、何かと煩わしいことがあるだろうが、我慢してくれ」
 承諾のしるしにウェイは頷いた。
 このところ、周辺を騒がせている元凶を王都にいる間に始末するつもりでいるのだろう。ヴェルシュは彼の両親を含め、この地に暮らす人々を血生臭いことに巻き込まぬよう細心の注意を払っている。
 アシュリーズはこの土地で生活するようになってから、よく笑うようになった。それは、この穏やかな土地と人々がもたらしてくれたものだ。
 だから、ウェイにはこの地を守りたいというヴェルシュの気持ちが理解できた。
 ウェイは再び視線を少女に戻した。
 薄紅の花びらが、少女の頭上で風に舞っていた。


 王都の大門が閉ざされる日没寸前に到着した三人連れは三人とも騎士だった。通行証も何もあやしいところはなく、すんなりと門をくぐり、王都に足を踏み入れた。彼らに咎める部分がなくて良かったと、安堵したのは本人達よりむしろ門を警備する騎士の方であった。熟練の騎士であるが、長年の経験から相手の力量を見抜くことができる。三人とも十代であろうと思われるのだが、いずれも侮りがたい腕を持つことが彼には分かっていたのだ。
 三人は馬を引きながら夕暮れの街に消えていった。

 なじみの店に見慣れぬ客がいた。
 いや、顔だけなら、ひどく見覚えがある気もするのだが、全くの別人であることは、見た瞬間に分かっていた。
 流れの女騎士らしく、男物の服を着た少女は黙々と食事を取っていた。向かい側に座った連れとおぼしき若者もやはり黙々と食べている。
 似てはいないが、兄妹だろうかと思わせる何かが二人には備わっていた。
 そして、幸いなことに、それは彼の知る人物とは全く似ていない。
 ああいう人間が二人もいたら、たまんねぇもんな。
 目の端で様子を伺いながらオルトはそんなことを考えていた。知る人ぞ知る、世継ぎの王女の護衛騎士である。
 彼の見ている前で、命知らずの男が、少女を卑猥な言葉でからかった。
 次の瞬間、男はみぞおちを鞘の先で強打されて、うずくまる羽目になった。
 少女は無造作に椅子に刀をたてかけると、食事を再開した。
 この一瞬の動きで、少女にちょっかいをかけようと思う者はいなくなったことだろう。
 オルトは酒杯を持ったまま硬直していた。
 …怖い。
 少女の腕に脅えたわけではない。その連れが男にくれた一瞥に彼は恐怖を覚えたのだ。
 明日の朝、あいつが死体で見つかっても驚かないぞ、俺は。
 思わず、愚かな男に向かって冥福を祈る言葉をつぶやくオルトだった。


 王都に来たついでに、かつての学友に会うという行為はごく自然なものである。
 ヴェルシュは友人のいる下宿屋を訪ねていた。
 地方の下級貴族出身の友人は王都に別邸や親類を持つ有力貴族とは異なり、平民出の学生と同じく下宿屋暮らしだ。彼は有力者の子弟に劣等感を持つこともなければ、同じような境遇の者に親近感を抱くこともない。その代わり、身分の分け隔てなく有能な人間とは付き合っていた。馬鹿は嫌いだと公言して憚らず、敵を作り易い男である。
「連絡は付けてくれたか?」
 土産の果実酒を渡しながらヴェルシュが尋ねると、痩せすぎの青年は唇の端を吊り上げた。
「ああ。だいぶ疑っていたが、我々が野心家であると信じてくれたようだ」
「君は実際に野心家だからな」
「お前に比べればだろう。この年でお前みたいに枯れていてたまるか」
「私は煩わしいことが嫌いなだけだ」
「それを枯れているというんだろう」
 取り出した杯に酒を注ぎながら鼻で笑う。
 ことりと小さな音を立てて、その一つをヴェルシュの前に置いた。
「当人には計画を話しているのか?」
 表情を読み取れぬ細い目を向けて青年は問いかけた。
「いや。だが、必要な時は黙って指示に従ってくれるだろう」
「随分、信用されたもんだな。…この『騙り』を事実にしてみる気はないか?」
「馬鹿を言うな。リーズは他人に操られるほど愚かではない」
 ヴェルシュは杯から目を上げた。
「もし、君がアシュリーズ王女を傀儡に仕立てようとするならば、全力で阻止させてもらう」
 青年は皮肉な笑みを浮かべた。
「お前を敵に回す気はない。…お前はもっと薄情に生れついていれば、生きるのが楽だったのだろうな」
「時々、自分でもそう思う。もし、そうだったなら、こうして君といつまでも友人付き合いなどしないで済んだのだからな」
「どちらかの破滅で終わり、か」
 手厳しい言葉に動じることなく、くつくつと薄い肩を震わせ笑い、学院一の秀才と呼ばれる青年は酒杯を口に運んだ。


 恩師に挨拶に行くというヴェルシュについて王立学院を訪れたアシュリーズはもの珍しげに学舎を見回していた。大陸の主要都市の多くには学院と呼ばれるものがあるが、これほど規模の大きいものは少ない。中でも図書館に収められた蔵書数は大陸でも五指に入るという。
 ウェイはと言えば、今朝から別行動を取っていた。王都で調達しておきたいものがあるらしい。物に執着しないウェイにしては珍しいことだ。
 教授達の私室があるという奥庭まで来ると、ヴェルシュは一旦足を止めた。
「リーズ、しばらく、その辺りで待っていてくれ」
 そう言って、庭の中程にある東屋を指さした。
 白い花をつけた樹木に囲まれているため、中の様子は見えないようになっている。
「大丈夫だろうが、騒ぎは起こさないように」
 騒ぎを起こそうと思って起こしたことはないと思いながらも、アシュリーズは素直に頷いた。彼の言う騒ぎを起こすなという言葉には、騒ぎを起こそうとする人間がいたら止めろという意味も込められている。
 アシュリーズはゆっくりと東屋に向かった。
 手入れの行き届いた庭には様々な花が植えられている。
 珍しい花が多いのは、王都では花の品種改良が盛んだからだとヴェルシュは言っていた。王都にいた頃は、時々、そうした花を実家の母親に送っていたという。その母親はどうせなら、若い娘さんに贈ればよいのにと笑っていた。
 きっと、ここにある花も庭師達が手間暇かけて生み出したものだろう。
「花が好きかね?」
 不意に尋ねられて、アシュリーズはぎょっとした。反射的に腰の剣に手が伸びる。
 声の主は中年の男だった。東屋の入り口にゆったりと立って、こちらを見ている。
「そのように警戒せずとも、取って食ったりはせぬ。もしも、危害を加えるつもりなら、声をかける前に行動に移しておるぞ」
 それもそうだとアシュリーズは剣から手を放したが、気を許すことはなかった。
 この男は間違いなく、騎士能力保持者だ。「騎士」を生業としている様子はないが、かなり腕が立つことは分かる。どこかで会ったことがあるような気がしたが、もし、そうならこれほどの騎士を忘れることはないだろう。
「この花は、私の妻が好きだった花だ。…妻は娘達にこの花のように育ってもらいたいと願っていたのだよ」
 言いながら男はそっと白い花に触れた。
 あまり大きくない、清楚で可憐な花である。
「手をかけずとも毎年見事な花を咲かせるのだ、これは」
 小さく男は笑った。
「娘達は丈夫という点では間違いなく妻の望みどおりに育ったのだが、困ったことに、誰にも花のようだとは形容されない」
「…悪い虫がつかないから、いいんじゃないか?」
 真面目にアシュリーズは言ったのだが、男は声を立てて笑った。
「上の娘も同じことを言っておったな。…そなたには家族がいるかね?」
「今のところは兄代わりが二人と、親代わりが二人いる」
「なかなか複雑なようだ」
「そうでもない」
 答えてから、何故、この男はこんなことを聞きたがるのだろうと内心、首を傾げた。とりたて厭な気はしないが、変だと言えば変である。
「家族に対して不満はないかね?」
「特にないな。強いて言えば、兄代わりの一人に、もっと分かり易い人間になって欲しいというだけだな」
 無愛想な若者の顔を思い浮かべながら応じる。
「ふむ。それほど分かりにくい人間なのか?」
「時々、何を考えているか、さっぱり分からなくなる」
「人間というのは、そういうものじゃないかね?理解できなくとも、気にすることはないだろう?」
「それはそうなんだが、無性に腹が立つんだ」
 そう言うと男は面白がっている表情を浮かべた。
「そうか。…君は家族を守りたいと思うかね?」
「勿論。貴方は違うのか?」
「いや。私も家族を守りたいと思っている」
 男は白い花を眺めながら応じた。
 琥珀色の瞳のなかに、強い意志と同時に焦躁と不安が感じられる。
 失うことを恐れるものを、大切なものを持つ人間の目だ。それを弱さと見るか、強さと見るかは人によって違う。
「…だが、同じように守らねばならぬものが他にもある。そのために『家族』を犠牲にしたやもしれぬ」
「そう言っているのか?」
「うん?」
「だから、その家族が犠牲にされたと文句でも言っているのか?」
 どこか不思議そうな顔で男はアシュリーズを見詰めた。
「いや。そういう話は今の所聞いておらぬな」
「それなら、いいじゃないか。直接本人に聞かずに、勝手にそんな風に思い込まれるのは、結構、迷惑なんだぞ」
「…そうか」
 男は微笑した。
「ならば、今度、聞いてみることにしよう」
 おそらく、次に会えるのは冥府においてだろうがという男の心の中での呟きがアシュリーズに届くことはなかった。
 男が庭の出入り口に目をやるのとほとんど同時にアシュリーズも同じ方角に視線を向けていた。そこに現れた大柄な騎士が二人に向かって軽く会釈した。南陽王国の人間にしては、かなり背が高い。ウェイも長身だが、彼と同じくらいの背丈がありそうだ。
「私の迎えだ。では、先に失礼する」
 男はゆったりした足取りで歩き去った。騎士が恭しい態度でその後に続く。
 やはり、身分の高い男だったらしいと考えながらアシュリーズはその背を見送った。
「…驚きましたな、とてもよく似ておられる」
 奥庭から十分に離れたところで、ようやく大柄な男は口を開いた。
「うん?ラーナとか?」
 あまり似ているようには見えなかったがと首を傾げる主に、騎士は小さく笑った。
「いえ、陛下と。戦場におられる陛下と同じ目をなさっておいででした」
「そうか」
 笑みを刻み、南陽王国の国王は空を見上げた。
「時間がある限り、戦わねばなるまいな」
 魔法士や魔法騎士に比べ、「騎士」の寿命は短い。長生きする者も中にはいるが、多くの者は六十にもならぬうちにこの世を去る。その死が訪れるのは、短時間の間だが、運動機能が完全に麻痺するという最初の兆候が現れてから一、二年だ。およそ半年前にその兆候が王には現れていた。
「御供いたします」
 王と時を前後して、死の兆候が訪れた騎士は真面目腐った表情で言った。
「冥府まではついて来なくてよいぞ。道連れが美女ならともかく大男では楽しくないからな」
「では、一足先に赴いて、王妃様にこれまでのことを報告せねばなりませぬな」
「それは困る」
「おや、困るようなことがおありでしたか」
 自分達に残された時間が後一年もないだろうことを知っている男達はそれでも明るく笑い合っていた。


 書庫というのは、昼間でも薄暗く、そこだけ時間の流れとは無縁であるかのように静寂に包まれている。
 ふっと空気が動き、書物を手にしていた若者はゆっくりと振り向いた。
「お初にお目にかかります、公」
 二人の供を連れ、狭い入り口をくぐって現れた男に向かってヴェルシュは静かに呼びかけた。男は、この学院に多額の援助をしている有力貴族の一人であり、この場所を訪れても、他人の注意をひくことはない。
「取引を望んでいると聞いたが?」
 男は性急に尋ねた。南陽王家に連なる人間は概して気が短いという評判は外れていないようだ。
「ええ。貴方の手の者に煩わされるのも御免ですが、それ以上に貴方のような有力者を敵に回したくはないですから」
 ゆっくりと一語一語をはっきりと発音する。
「…刺客をことごとく返り討ちにしたそうだな?」
「私はこの年で死ぬつもりはないですよ。何より、大切な駒を殺されては元も子もありませんから」
 鋭い視線を軽く受け流し、ヴェルシュは書物を棚に戻した。
「駒か」
「地方の小貴族が出世するにはなくてはならぬ駒です。手放すつもりはありません」
 薄く笑って、ヴェルシュは男に向き直った。
「私はその駒の排除を望んでいる。取引の余地はないな」
 にべもなく男は言い、冷たくヴェルシュを見遣った。
「排除するのが最善の策とは思えませんが。仮に貴方が王女二人を排除することに成功し、王位を得たとしましょう。証拠は残らずとも、貴方を簒奪者とみなす噂が広まることは間違いなく、それは、次に貴方を排除するための糧となる」
 それよりも、とヴェルシュは男の青い瞳を覗き込んだ。
「後見人として、あるいは、夫として『女王』を操る方がよろしくはないですか?第一王女は傀儡に仕立てあげるには無理がありましょうが、第二王女ならば可能です。腕利きの騎士とはいえ、彼女は政治というものを知らない」
 しばらくの間、男は黙り込んだ。
「…取引と申したが、お前は何を差し出すのだ?」
「アシュリーズ王女の信頼を。私は、幸い、アシュリーズ王女に信頼を寄せられております。彼女を操るのは私には造作もないこと。だが、私にはそれを利用するだけの権力がない」
「なるほど」
 権力を持つ人間、国王の従弟は皮肉な笑みを浮かべた。
「悪くはない。だが、お前が信頼を得ていることを、どうやって証明する?」
「そうですね…。一時的に、貴方にアシュリーズ王女の身柄を預けるというのはいかがでしょう?彼女が私の言うとおりに、おとなしく貴方のもとへ行くかどうか、ご覧になってみますか?勿論、すぐに返していただきますが」
「…ふむ」
 男の顔に迷いが生じた。
 一時的にしろ、第二王女を自分の手の中につかむという考えは、なかなか魅力的に思えたらしい。
「念のために言っておきますが、彼女を殺そうなどとは考えない方がよろしいですよ。今までと同様に、殺せないばかりか、彼女の信頼を得ることが不可能になりますから」
 今も、とヴェルシュは目を細めた。
「貴方は刺客を送ったことでしょうが、失敗に終わっておりますよ。お疑いなら、ここを出て確認してみるとよろしいでしょう。…もし、この話を受けるつもりがおありなら、明後日の日没時に、東大門にお越し下さい」
 取引が成立しなければ成立しないでかまわぬのだとばかりにヴェルシュはあっさりした口調で言うと、書棚を回って外へ向かった。
 供の者達が主の意向を伺う一瞬の間、空間を支配した緊張は彼が戸口にたどり着いた時には消えていた。
 手ごたえは悪くない。
 若者の茶色の瞳のなかでは安堵と懸念が複雑に交錯していた。