女王と騎士

欠けたるもの(後編)

 そよ風に白い花が揺れていた。
 その様は強い日差しを浴びても、涼しげである。
 風に合わせて影がゆらゆらと揺れるのを眺めながら、アシュリーズは首を傾げた。
 どうも妙だ。
 先程から襲撃の気配がしていたのだが、動きはなく、つい先刻、その気配も絶えた。刺客達が様子を見て諦めるということもないでもないが、他に人気のない中庭にいる今は襲撃の絶好の機会と思われる。
 ふと何かを感じてアシュリーズは頭をめぐらし、視線の先にゆっくりと歩いて来る若者を捕えた。
「なんだ、ウェイがやったのか」
 この男なら、自分に気配を悟らせることなく、刺客達を始末することができる。
 ウェイは肯定も否定もしなかったが、この無口な若者の場合、否定しないということは、肯定していることを意味した。
「…こちらが気配を消していても、お前は、いつも声をかける前に気付くな」
 どこか不思議がっている様子でウェイが言った。
「別に気配を感じているわけじゃない。…ただなんとなく、ウェイがいると思って見るとウェイがいるんだ」
 勘とでも言うのだろうか。アシュリーズ自身にも理由は分からない。
「小さい時は、ウェイが私の心を読んで、出て来てくれてるんじゃないかと思ってた」
「そんなわけないだろう」
「わかってる。…それは、新しい剣か?」
 本来、双刀使いではあるが、普段は一振りしか帯刀していないウェイが左右に刀を下げていることに気付いてアシュリーズは尋ねた。
 左に下げた新しい刀は母の形見の品より、長さは少々短いが幅は広い。
「ああ」
 母親が腕がいいと言っていた刀鍛治師のところに行って来たのだとウェイは付け加えた。後に聞いた話では、その刀鍛治師は一見の客はお断りというなかなか気難しい男だそうだが、ウェイに関しては一目でリュイの息子と看破し、融通してくれたらしかった。
「いい品だ」
 すでに使ってみてウェイは満足したらしい。注文せずに好みの品が見つかったのだから、かなり運が良かったのだろう。
「ヴェルシュがここに来るように言ったのか?」
「ああ」
 ヴェルシュが指示したのは、この時間帯にこの場所に来ることだけだったのだろうが、そこには周辺をうろうろしている輩を始末するようにという言外の意味も含まれていたのだろう。こうした襲撃に関するヴェルシュの予想が外れたことは今までない。避けることもできたはずだが、敢えて避けなかったということは、牽制か何かの意味があったのだろう。
 今話題に上った青年が中庭に姿を現すと同時に二人は彼を見遣った。その仕草がそっくりだと青年が心のなかで小さく笑ったことには気付かない。
「待たせたな。戻ろう」
「もういいのか?」
「用事は済んだ。…後は待つだけだ」
 また何か仕掛をしてきたらしい。
 敵を斬って終わりという自分達とはだいぶ違う。
 よくやるものだと感心しながら、彼の後についてアシュリーズは歩き始めた。
「明後日は手伝ってもらうから、明日は一日夏至祭を見物するといい」
「わかった」
 祭見物など実に久しぶりだ。
 旅先でたまに祭に出くわすと、多くの場合は祭が終わるまで滞在した。
 養母は人が陽気に騒ぐのを見るのが好きだったのだ。
「リーズ、賭け試合なんかはやらないように。目立ってもらっては困る」
 振り向くこともせずにヴェルシュが言う。
 釘をさされて、アシュリーズは軽く肩を竦めた。
 ウェイから聞き出したのだろうか。
 アシュリーズは今まで、しばしば賭け試合に参加していた。腕自慢の者達が集まって行う賭け試合は腕試しにはよい機会であるし、色々な戦い方を学ぶことができるのだ。
「見物するくらいはいいだろう?」
「見物だけ、なら」
 ヴェルシュはちらりとウェイを見遣った。ちゃんと見張っておけと言いたいのだろう。ウェイは微かに頷いた。
 不満そうなアシュリーズにヴェルシュは言った。
「君は十分に実戦で腕試しをしていると思うが」
「『刺客』と『騎士』の戦い方は違うんだ。どうせなら両方に慣れておきたい」
 それを聞いたヴェルシュは一瞬、複雑な表情を浮かべたが、アシュリーズにはその理由が分からなかった。
「…そのうち、厭でも慣れる。今は我慢してくれ」
 少女が戦い続ける人生を、戦士としての道をすでに選んでいることを思い知らされたヴェルシュは小さく溜息をこぼしていた。


 日よけ代わりの布を頭から被ったアシュリーズはヴェルシュと並んで門から出て行く人々を眺めていた。どこの都市においても通例だが、入るものは厳しく検査されても出て行くものには警備兵もあまり注意を払わない。
 ウェイはやや離れた場所から、門を出る順番待ちをしている荷馬車の列に紛れて彼らの様子を見守っていた。
 やがて、護衛の騎士を数人連れた男が近付いて来てヴェルシュに声をかけた。
 ウェイはそろりと魔法力を集め、己の聴覚を高める術を施した。近くにいる警備兵の中には魔法騎士もいたが、感知できた者はいない。
 こうした肉体に直接働きかける術は今では失われたものとされている。仮に術自体が継承されていても、それに耐え得るだけの肉体を持たなければ意味をなさない。ウェイはそのどちらも母親から受け継いでいた。
「飽くまで一時的なものですよ。ここしばらく周辺があまりにも騒がしいので、貴方に匿っていただく、それだけのこと。一段落着いたら、迎えに行きます」
 ざわめきの中から、ヴェルシュの柔らかい声を拾い出す。姿形は母親似のヴェルシュだが、声は父親に似たらしいとウェイは改めて思った。ただ、父親のヴァナルの声が常に人の心を落ち着かせる響きがあるのに対し、今のヴェルシュの声は相手の自信を揺るがせ、落ち着きを失わせる力を持っている。
「…よかろう。では、アシュリーズ様、こちらへ」
 男が恭しく差し出した手をアシュリーズは凝視した。手を引いてもらって歩かねばならぬほど、自分は子供ではないぞ、とでも思っているのだろう。
「リーズ」
 ヴェルシュに促され、仕方ないとばかりにアシュリーズは手を置いた。
「すぐそこに馬車を待たせておりますゆえ」
 病気でもないのに、どうして馬車なんだと言わんばかりの不思議そうな表情に男は気付かなかった。馬車とは荷物の搬送に使うか、足腰の弱っている者が乗る物だとアシュリーズは認識しているのだ。黙っているのは、迎えが来るまでおとなしくするようにとヴェルシュに言い含められているからだ。
 アシュリーズが街角に止められていた馬車に乗り込むのを見届けると、ウェイは自分の馬をひいて門に向かった。

 …行ったか。
 市門をくぐって出て行く馬車を見送るヴェルシュの肩がたたかれた。
「うまくいったな」
 もともと細い目を更に細めて青年は笑った。
 肩におかれた手を振り払いながらヴェルシュは尋ねた。
「そちらの手筈はうまく整っているんだろうな?」
「無論。お前が言ったように、近衛の連中も手配してもらったぞ。確かにあの男だけでは心もとないからな」
 有頂天になって、取り逃がしかねないと青年は皮肉な笑いを浮かべる。
「それならいい」
「お前は行かなくていいのか?」
 ちらりとヴェルシュは先刻までウェイのいた空間に目を向けた。
「ウェイ一人で十分だ」
 彼ならば、どんな手を使ってもアシュリーズを取り戻すことだろう。もとより、どんな手を使ってもいいのであれば、彼一人でもアシュリーズの生命を守ることは可能だ。だが、アシュリーズのために守らなくてはならないものが他にもある。
「あのウェイという奴は、どういう人間なんだ?」
「…妙な真似さえしなければ、至って無害な猛獣とでも思っておけばいい」
 この青年、詮索好きではないものの、利用できるものは何でも利用しようという人間だ。本人のためにも、釘をさしておく必要がある。
「猛獣か。…危害を加えることはないと頭では分かっていても、なかなか隣には座れぬものだが、お前は平気そうだな」
「慣れだ」
 一言で言い切ったヴェルシュにその友人は小さく笑った。
 二人の長い影が路上に伸びていた。


 王都から伸びる四本の大街道はそれぞれ東西南北の中心都市までの間、敷石で舗装されている。
 よって、他の道に比べると揺れは少ないのだが、それでも馬車というのは乗心地のよいものではない。
 アシュリーズはそう結論を下し、薄目を開けると、隣に座る男を観察し始めた。
 先刻からヴェルシュに貰った薬のために眠気を催しているのだが、なかなか眠れない。見知らぬ人間がすぐ近くにいるせいだ。
 男の年齢は四十になるかどうか。
 魔法騎士の能力を持つが、それほどの脅威は感じない。たしなみ程度にしか、武術に通じていないのだろう。そういう人間が上級貴族には少なくない。
 横顔には簡単には人の思い通りにはならぬだろう意志の強さと抜目のなさが現れていた。
 ヴェルシュの説明によると、父親の従兄弟だというが、あまり自分と似たところはないようだ。
 嬉しい事実である。
 自分や双子の姉の命を脅かす人間と似ていたら、ひどく不愉快だっただろう。
 アシュリーズとしては自分の手でこの男の息の根を止めてやってもいいのだが、それはヴェルシュによって堅く禁じられていた。影響力のある人間だから、慎重に扱わなくてはならないのだという。
 貴族というのは実に面倒だ。
 他人事のようにそう心のなかでつぶやくとアシュリーズは視線を男からそらし、反対側の窓に向けた。
 沿道の畑は青々とし、その合間に見える果樹園では薄黄の花が咲いている。夏の終わりには黄金色の実をなすことだろう。その実を、今、隣にいる男が目にすることはない。
 瞼を閉じると、静かにアシュリーズは眠りの訪れを待った。


 武装した一団の騎馬隊が街道をふさいでいた。
 街道を通る馬車を一台一台止めては調べている。
 たまたま通り掛かった近辺の農夫達は何事かと驚きの目を向けたが、その物々しい雰囲気に肩を竦め、急ぎ足で立ち去った。
 貴族達には関わり合いにならないのが一番だ。
 明らかに、その貴族の持物とわかる馬が止まり、中から男が顔を出した。尊大な顔付きで男は道をふさぐ騎士達をねめつけた。
「私を何者か知っての所業か」
「存じておりますとも」
 にこやかに騎馬隊を率いる若者が応じた。
 男はその若者の顔を見て眉を寄せた。
 若者は本来なら王宮にいるはずの近衛騎士の一人である。近衛騎士団でも若輩ながら小隊長を務めており、王都を離れることさえ希であるはずだ。その近衛騎士が何故、ここにいるのかという疑問に対する答えはすぐに出た。
「王女誘拐の罪によって、貴方を捕えるよう国王陛下より命令を受け賜っております」
 命令書を示して若者は笑みを浮かべたまま言った。
「…誘拐だと?私は王女に保護を求められただけのこと」
 平然と言い返すと、騎馬隊の後ろから一人の中年の男が姿を現した。
「ほう?そのような御命令をいつ、陛下が下されたのですかな?」
 国王の従弟は顔をしかめた。
 この男、国王の義兄であり、その息子を王位につけようと画策しているため、彼とは対立関係にある。
「陛下はローエル父子を除く国内貴族の誰にも第二王女の保護を命じてはおりませぬぞ」
「そのローエルから保護を頼まれたのだ」
「ほほう?それは、ちとおかしくありませぬかな?貴公の言い分が仮に正しいとしても、その場合、まず陛下の許可を得ることが先でありましょう。陛下の許可がない限り、誘拐とみなされて当然。それに、ローエルから頼まれたという証拠がありますかな?」
「では、王女殿下に直に聞くがいい」
 振り返って、彼は当惑した。
 アシュリーズは眠リ続けていた。
 いかに深い眠りであろうと、これだけの騒ぎになれば、目を覚ますはずだ。
 彼が状況を理解した時、勝ち誇った声が響いた。
「どうやら、王女殿下は口にきける御状態ではないようですな。薬物を盛って身柄を拘束しておきながら、誘拐ではないと言い張られるおつもりか?」
「…はめおったな!」
 こうなっては王女を人質にこの場を切り抜けようと彼が剣の柄に手をかけた瞬間、目の前が暗くなり、身動きが一切取れなくなった。
 恐らく、魔法の類いであろうが、魔法騎士である彼にもその波動を察知できなかった。彼だけでなく、その場にいた誰もそんな魔法が使われたことすら感知した者はいなかった。
 何が起きたのか分からぬうちに、国王の従弟は腕をつかまれた。
「観念なさるがいい」
 騎士達が彼を馬車から引きずり出して縄を打つ。
「カリュート殿、後は頼みまずぞ」
「はい。国王陛下に王女の無事をお伝え下さい」
 そんなやりとりをする男達を国王の従弟はいまいましげに睨みつけた。
「次は貴様の番だぞ」
 怨念のこもる声でつぶやく。
「負け犬の遠吠えとはこのことですね」
 優れた将軍を幾人も輩出してきた名家の若者は侮蔑の視線を投げると、さるぐつわをかませるよう部下に指示した。王の義兄はその様を小気味良さげに見守っている。
「では、この男は貴方にお任せいたします」
 カリュートは罪人を乗せた馬の手綱を王の義兄に渡した。
 このような姿で人目にさらされることは、王族の列に連なる人間にとってはさぞかし苦痛であろう。
 罪人を連行する一団を見送り、カリュートがぽつりと漏らした。
「真実を言い当ててもらうと困るんだよ」
 この次に国王の前に罪人として引き出される男は今つかの間の勝利に酔いしれている。
「あの、カリュート殿」
 当惑した部下の声にカリュートは振り返った。
 見れば、背の高い若者が居並ぶ騎士など目に入っていないかのように、堂々と馬車に近付いて来るところであった。若者はちらりと灰銀色の瞳で彼に一瞥をくれた。
「ああ、彼のことなら放っておくといい。アシュリーズ様の守護者だ。君達も死にたくなかったら、手出ししないことだね」
 カリュートは苦笑しながら、今にも剣を抜きそうな部下達を止めた。
 例え、彼らが束になってかかっても、あの若者には敵わぬことをカリュートは見抜いていた。
 全く、世の中には凄い騎士がいるものだ。
 呆れと称賛のまじる視線など気にもかけず、若者は無造作に王女を抱き上げると、今来た方向に引き返し始めた。
「ウェイといったね?アシャラーナ様からアシュリーズ様へ、会える日を楽しみにしているとの伝言だ]
 伝言を頼まれていたことを思い出し、カリュートは慌てて言った。
 もし、伝え忘れたら、どれほどあの王女に責められることか、考えただけでも大変だ。カリュートとしては、王女をからかうのはなかなか楽しい「遊び」であるのだが、他に被害が広がっては、守役や女官長から自分が責任を問われる。余計な刺激を与えるなと常に苦言を呈されているのだ。
 承諾の印に灰銀の目の若者は軽く頷き、そのまま立ち去った。
「さて、我々も引き上げるか」
「…この馬車はどうします?」
 問われてカリュートはしばし考えた。
「持主にはすでに不要なものだからな。トーヴァ殿にでも貢いでおくか。君達も、魂の安寧のために、女神官殿には恩を売っておきたいだろう?」
 上官の言葉に騎士達はあの世でなくこの世での魂の安寧を求めて揃って頷いた。


 半月が中天を過ぎていた。
 まだ宵の口とあって、祭の最後の夜は賑やかだった。
 その喧噪をよそにヴェルシュが宿屋に帰ると、アシュリーズはまだ眠っていた。
 寝台の横ではウェイが剣の手入れをしている。
 薬の効力はとおに切れているはずなのだが、アシュリーズが目を覚まさないのはウェイが横にいるからだろう。
 アシュリーズはウェイがついているとよく眠る。
 共に暮らしている半年の間にヴェルシュはそのことに気付いていた。
 逆にウェイがいないと、わずかな人の気配で目覚めてしまう。
 それほどまでに信頼を寄せることができるのは、幸せなことなのかもしれないが、ひどく不便なようにもヴェルシュには思えた。
 誰かに心を預けきるような真似は彼には決してできない。
 終わったのかとウェイが顔を上げ、目で問いかけた。
「彼が処刑されるまで、まだ間がある。その間に、やけになって冥府への道連れを欲しがるかもしれない。勿論、そんな誘いは断るが」
 ウェイは軽く頷いた。
 言われるまでもなく、ウェイがアシュリーズにそんな誘いを受けさせるはずがない。
 時折、ヴェルシュはもしアシュリーズが命を落としたら、この若者はどうなるのだろうかと考える。
 きっと、自分の命にすら執着しなくなるだろう。
 並外れた能力を備えていても彼は人間としてはひどく不安定だ。
 だからこそ、自分もついかまってしまうのだ。ウェイもまた差し出された手を邪険に振り払うような真似はしない。わかりにくいものの、信頼には信頼で返すのだ。そして、そんな人間を自分は見捨てることはできない。
「ウェイ、お前はリーズが王宮に戻ったらどうするつもりだ?」
「…リーズが必要とする間は近くにいる」
 それは一生ということではないのかと思ったが、ヴェルシュは黙っていた。
 この二人の想いがどういう種類のものであるか、今はヴェルシュにも分からない。おそらく本人達にも分かっていないだろう。もっと多くの人間と親交を持つことによって、次第にはっきりして来るに違いない。
 後、半年か。
 アシュリーズが王宮に戻るまでに、もう少し敵を減らしておけるといいが。
 ヴェルシュは自分が彼らに手を貸してやれるのは、残る半年の間だけだと考えていた。地方貴族が王宮に上がることなど、家督相続の報告の時くらいであり、宮廷などは無縁の存在だ。手助けをしてやりたくとも、顔を合わすことすらままならないだろう。
 この時のヴェルシュには、どこぞの面食いな世継ぎに目をつけられていることなど、思いも寄らぬことであった。

 話し声に意識を浮上させたアシュリーズは夢見心地のまま、その声の主がヴェルシュであることを知った。
 ああ、帰って来たんだな。
 ヴェルシュが言っていたように、眠っているうちに、彼らのもとに戻って来ていたのだ。彼らのいる空間はとても心地良い。
 ずっと、一緒にいれたら良いのに。
 そう思いながら、アシュリーズは再び安心して眠りに落ちていった。
 この願いは、やがて彼女の双子の姉によって、叶えられることになった。

 

Copyright (c) 2001. TOKO. All right reserved