女王と騎士

東天記〜暁光〜(1)

 ごつごつした岩肌が剥き出しになった山道を三人の人間がゆっくりと登っていた。
 ほとんど獣道のような細く険しい道で、先を行く青年が、時折、後からついて来る連れを振り返っている。
 ったく、この化物どもが。
 半開きになった目で前を行く青年の背中を睨みながらエセルは心の中で毒づいていた。
 半日以上、この険しい山道を休みも取らずに歩き続けているのだが、彼女を前後にはさんで歩く男達は呼吸ひとつ乱していない。
 エセルとて騎士能力保持者だ。持久力に劣るとは言え、それでも常人よりは体力がある。常人ならば、すでにこの速度について行けず脱落していたことだろう。湿潤な気候で育った彼女には乾燥した空気も呼吸をつらいものにしていた。
「もうすぐだ」
 後ろから、男が声をかけた。エセルは勢いよく振り返ると緑の目でぎりっと大柄な男を睨みつけた。
「あんたの尺度は当てにならないんだよっ。この間なんか、『もうすぐ』が一日馬を走らせた距離を意味したじゃないか」
 にやりと戦神の異名を持つ男は笑った。これだけ口が利ければ、まだ休む必要はないと考えているのかもしれない。無理はさせないが、限界の一歩手前まで、その能力を使わせることにかけて、この男が見誤ったことはない。それゆえ、軍隊を率いる将としても優れているのかもしれない。アルク・デユリル・ゼノファ、暁王国の将軍はその才能ゆえに、多くの人間に慕われ、同時に憎まれていた。
「迎えが来たようですね」
 先を歩く青年が騎士の気配を察知して言った。端正な顔立ちの青年はこうした場所にはふさわしくない優男風の外見をしているが、中身は頑強な暁王国の騎士である。一見しただけでは細く見える身体にも、しっかりと筋肉がついている。これまで幾度か手合わせしたが、エセルはまだ一本たりと彼から取ったことはない。このラジィールという青年はアルク・デュリルの近習で、戦場においては常に行動を共にしているという。すなわち、「戦神」と共に行動しうる能力と技量の持ち主であるということだ。
 しばらくして岩陰から、ぬっと男が現れた。暗紅色の髪に赤銅の肌、暁王国の戦士だ。大柄な体はアルク・デュリルにも劣らない。
 よお、とデュリルは気安げに手を上げた。男は目礼を返した。
「準備はできているか?」
「皆、集まっております」
 それから、ようやく気付いたという顔で男はエセルにちらと褐色の目を向けた。年齢はラジィールとほぼ同年くらい、デュリルよりも二、三歳下の二十代半ばというところだろうか。
「御子ですか?」
 ごく平然とした調子で尋ねる。
「十二の年に森の民の女と寝た覚えはない」
 さすがと言うべきか、やはりと言うべきか、デュリルは悠々と応じる。
 つまりは、森の民以外の女とは寝ていたということか。
 エセルはそう見当をつけた。
 得てして東方人は早熟だ。
「年の割に小さくありませんか?」
 素早く年齢を換算してか、きりっとした眉を寄せる。
「だから、それは、こっちでの基準だろ。見ての通り、私は東方人じゃあないんだ」
 エセルは慣れぬ東方語で言い返した。男が大陸共通語を理解できぬことを考えてのことだ。
 どうも、東の連中は自分達の尺度を普通だと思って疑わぬところがある。南陽王国では、自分は背の高い方だし、北方においても小柄だと感じたことはない。
 男はさらに怪訝そうな顔になった。
「声変わりもまだなのか」
 途端に、げらげらとデュリルが腹を抱えて笑い出す。
「グェンル、こいつは女だ。修行が足りんな」
「女の好みが変わられたのですね」
 男がすかさず答え、ぐっとラジィールが喉を鳴らした。苦しげに口を片手で押えながら、もう片方の手でばしばしと男の肩をたたく。どうやら親しい間柄らしい。
「へぇ、おっさんにも好みなんてもんが、あったんだ」
「人を節操なしみたいに言うな」
「みたい、じゃなくて、そのものだろ。節操なしっていう言い方が厭だってんなら、許容範囲が桁外れに広いってことにしてやるよ」
 ここに至るまでの道すがら、精力旺盛な暁王国の男達の行動を見ていたエセルである。誘われれば気軽に応じるし、気に入れば口説く。ラジィールの方は容姿でえり好みしていたが、デュリルがえり好みするのを見た覚えがない。
 成程、とグェンルと呼ばれた男は頷いた。どうやら大陸共通語は理解できるらしい。
「好みが変わったわけではないのだな」
 ラジィールは声もなく何度も頷いていた。

 こんなところから、戦神に出てこられちゃあ、誰だって驚くよな。
 側面から奇襲をかけられた敵の部隊が混乱状態に陥り、総崩れになるのをエセルは高台から見下ろしていた。楔を打ち込むがごとく、暁王国の戦神に率いられた砂馬の群れが敵陣を突っ切って行く。普通の馬より二まわりほど大きな砂馬は速度は劣るが持久力と耐久力に優れているため、乾燥地帯における一般的な騎馬だ。興奮しにくい気性で、安定した働きを見せる砂馬を軍馬として好むかどうかは人それぞれだろう。エセルから見れば、興奮しやすい東方人を乗せるにはちょうどいい騎馬ということになる。
さらに反対側の斜面から現れた部隊が追い打ちをかけ、敵陣に一層の混乱を引き起こした。
「どうして背面も取れたのに、そうしなかったんだ?」
 隣に砂馬を並べているグェンルに尋ねる。彼は弓を手にして戦場を見下ろしていた。
「目的は敵の殲滅ではない。逃げ道を残してやっているのだ」
 ふーん、とエセルは頷いた。谷になっているこの地形では前後に抜ける以外道はない。
「それに、こうした急斜面を降りて来るような常識外れは将軍くらいのものだからな」
 背面からの攻撃には注意していても、側面からの攻撃は予測していないということか。確かに余程、砂馬を乗りこなしていなければ、このような急斜をかけ下りることはできない。エセルが戦闘への参加を見送ったのも、それが理由だ。
「常識外れなのは、おっさんだけじゃなくて、おっさんの率いる部隊の連中もだろ」
「この部隊を鍛えたのは将軍だ」
 すべては将軍の責任だとでも言わんばかりだ。エセルは小さく笑った。
「で、あんたはここに残って何をするわけ?」
「道案内」
 短く言ってグェンルはゆっくりと弓弦に矢をつがえた。甲高い音を立てて矢が飛ぶ。
「かぶら矢?何の合図なんだ?」
「敵の大将の位置が将軍のいる位置から東西南北どちらにいるか知らせるものだ」
 一際目立つ砂馬の騎手が馬首をめぐらすのが見えた。音の高さの違いが方向によって異なるのだとグェンルは説明を加えた。騒音の中から、かぶら矢の音を聞き取るのは至って困難に思えるが、アルク・デュリルが聞き逃したことはないという。
「大将の首を取るのが手っ取り早いってわけか」
「それだけでもない。時折、将軍は興にのって最初の目的を忘れそうになるからな」
 軌道修正する必要があると暗紅色の髪の持主は淡々と告げてエセルを笑わせた。