女王と騎士

東天記〜暁光〜(3)

 砂馬というのは耳の長い、「馬」と総称される獣の一種だ。
 毛色は黄茶だが、短い鬣と尾の先は灰色だ。その長い耳で体温調節をするので、日が高く昇った今、盛んにぱたぱたと耳を動かしている。
「さあて、そろそろ行くかな」
 岩だらけの丘から戦況を見下ろしていたサジェンがつぶやく。城から討って出た敵軍は後退し始めた部隊に食らいついて、次第に城から離れつつあった。城を守る場合、深追いをしてはならないのは基本のはずだが、敵方の司令官はすっかり基本を忘れているらしい。司令官が馬鹿なのか、アルク・デュリルの将達の誘導が巧みなのかは分からない。分かっているのは、たたくなら今を置いて他はないということだ。
 日よけ代わりの布をエセルが不慣れな手つきで巻き直すのを見て、サジェンが手をのばした。手際よく、エセルの頭に細長い布巻き付けて、顔の横で結ぶ。
「この辺りじゃ、将はこの布に飾りをつけているんだ」
 これみたいになと自分の宝石のついた留め飾りを指さす。
「そりゃ便利だね、探すのにも首改めにも」
「首はつけなくても、この布だけで首代わりになる。これを取られるのは不名誉とみなされるから、生きたまま取ることはまずできないんだ」
「へぇ。ますます便利なんだな。首をぶら下げても邪魔なだけだし」
「お前さんも何かつけてみるか?」
「ここで武勲を立てたら、将軍からせびりとるさ」
 頼もしい言葉にサジェンはにやと笑った。そこらの男より、余程、肝が座っている。
 号令をかけると、サジェンの部隊は一気に岩陰から踊り出て、戦場に突入した。

 ちっとエセルは舌打ちした。
 何人もの血を吸い、刃の切れが悪くなっている。速さが取りえのエセルには刃の切れ味は重要なのだ。
 砂馬が悲しげな声を上げて、どうっと倒れた。地面にほうり出される前にエセルは鞍から飛び降り体勢を立て直していた。一撃で砂馬を倒したのは風魔法、風刃だった。
「あんた、制御下手だな」
 砂馬の背から見下ろす敵の騎士を見上げながら挑発する。騎士は砂馬を降りた。騎士同士が戦うには騎馬はかえって邪魔になるのだ。その騎士が手にしているのは三つ又の鉾だった。柄までも金属でつくられたそれが彼の優先資質が「力」であることを示している。
 踏み込むのは難しいが、一度、間合に入ればこっちのものだ。
 魔法攻撃を交わしながら、打ち合い、下から上に払われる瞬間にエセルは相手の力を利用して跳んだ。それまで自分のいた空間を風刃が切り裂くのを感じつつ、くるんと宙返りし、手首を返して相手の喉目がけて切っ先を繰り出す。斬る構えのままなら、相手の防御魔法も間にあっただろうが、突然、突く構えに向きを変えた刃を防ぐことはできずに男は血しぶきを上げて倒れた。流れ出た血は瞬く間に渇いた地面に吸い取られていく。エセルは口のなかで冥福を祈る文句をつぶやいた。
「お見事」
 いつの間にか近くに来ていたハルヴェイが短い称賛を口にする。エセルはにやと笑うと騎士の頭から宝石のついた留め飾りごと布をはぎ取った。

 鬼のいぬ間にとばかりに起こされた反乱は帰国した「戦神」によって、あっけなく鎮圧された。
 かつて灼夏王国の領土であった南西部は暁王国に併合されてまだ数年しか経っていないために、こうした反乱が頻繁に起きるのだという。反乱の主体はそれまで所有していた土地を削減された大貴族層が多い。小貴族達は所領地の平定のために積極的に暁王国の貴族との婚姻関係を結ぶ傾向があるため、むしろ反乱には否定的だった。勿論、中にはそうした欲得とは関係無く、愛国心によって反乱を起こす者もいる。そうした人間達の方がエセルには理解しがたかった。
「前より生活が苦しくなったっていうのなら、ともかく、なんだって好き好んで戦を起こしたがるんだろ」
 とばっちりを食らう民にはいい迷惑だ。決して平和主義者ではないが、戦がしたいのならば、戦をしたがる人間達だけでやればいいというのがエセルの考えだ。
「矜持というやつだろう」
 のんきに寝転んでいた男が起き上がり、貸してみろとエセルが手入れしていた太刀に手を伸ばした。
「悪くはないが、強度に問題ありだな」
 重さを確かめ、刀身を眺め回して言う。
「仕方ないだろ。ぎりぎりまで重さを削ってあるんだ」
「ふむ。せっかく近くまで来たことだし、ひとつ、つくりに行くか?腕の良い刀鍛冶師を紹介してやる」
「行く!…って、私、そんなに金持ってないけど」
 この国へ至る道すがら、この男から賭事で巻き上げたとはいえ、僅かな額だ。餞別にと女王からも金子をいくらか貰っているが、この男が使うような質の高い太刀を買えるかどうかは怪しい。
「心配するな。今回の働きの報酬として俺が出してやる」
「そう言っても、騎士二人しか倒してないけど?」
「五十人といない騎士のうちの二人となれば立派なもんだ。フォルカットなんぞ、一人としか当たらなかったと文句をつけていたからな」
「そりゃ、あんたが一人でやりすぎなんだ」
 何を言うかとばかりに見やると、デュリルは朱金の髪に片手を突っ込んでぐしゃぐしゃと掻き回した。
「戦は久々だったもんで血が騒いでな」
「血が騒ぐ、か」
 わかるような気がする。
 敵と対峙する間、頭にあるのは相手のことだけ。なんとも言えぬ高揚感に満たされる。
 盲目的な恋などしたことはないが、それと似た心境にあるのではないだろうか。
 欲するのは相手の心でなく命という点に決定的な違いはあるのだが。
「明日、夜明け前には出るぞ」
 太刀を返しながら発されたデュリルの言葉にエセルは軽く緑の目を見開いた。
「事後処理ってやつがあるんじゃないの?」
「そのために、ラジィールとグェンルがいるんだろうが。奴らに気づかれんように、こっそりと行くぞ」
「了解」
 エセルはにやりと笑って太刀を鞘に収めた。

 翌朝、白み始めたばかりの空に、逃げられたっ!というラジィールの声が響き渡ると同時に、声の届く範囲にいた将達は、またも将軍が姿をくらましたことを知ったのだった。