女王と騎士

不覚

 王立学院には有力貴族の子弟のほか、身分を問わず各地の神殿から推薦を受けた優秀な人材が送り込まれる。この二種類の学生のあいだにはおのずと溝が生じがちだが、そのどちらともうまく付き合う者がいる。ヴェルシュ・リア・ローエルはその少数派の一人だった。
 地方の小領主の息子に生まれ、いずれは父の跡を継ぐだろう彼には王立学院で学ぶ必要はない。近隣の神殿長に是非にと薦められ、また母方の祖父母の強い要望もあり、彼は王立学院に入ることとなった。自ら強く望んだことではないとはいえ、そのことに彼自身が不満をもつことはなかった。もともと学問好きだったし、王都にいれば必要な知識を集められる。そういうわけで、彼は学生生活を楽しみ、少なくとも表向きは良好な人間関係を築き上げていった。

 王都の東南部に王立学院は位置し、そこを中心にいわゆる学生街が広がっている。王都に邸宅をかまえている大貴族の子弟は自宅から通う者もいるが、大部分は下宿住まいだ。その下宿も、使用人のいる宿舎から寝る場所さえあればいいという間借りまで、かなりのばらつきがある。
 ヴェルシュが訪ねたのは、そのなかでも下の部類だった。薄い壁でひと部屋ごと仕切られた共同住宅で、外装の漆喰ははげているし、入り口の扉は立て付けが悪く、きっちり閉まらない。埃っぽい廊下から続く階段はぎしぎしときしみ、今にも踏みぬきそうだ。そんな場所に住む彼の友人は地方の下級貴族の出で、望めばもっと上等な場所に下宿できるが、たかが寝るだけの場所に余計な金は使わないという考えの人間だった。
 ヴェルシュの目的の部屋は通路の最奥にあった。あいにく部屋の主は帰ってきていなかったが、いつものごとく鍵は開けっぱなしだったのでヴェルシュは勝手に中に入り、待たせてもらうことに決めた。部屋のなかには狭い寝台と時折卓子代わりになる椅子が一脚、物入れらしい箱がひとつあるだけだ。鍵をかけていないのは、盗まれて困るようなものは何もないし、あってもそれには毒が塗ってあるともっぱらの評判だからだ。これは噂に限らない。実際に、この部屋から書物を盗み出そうとした盗人が書物を手にしたまま泡を吹いて廊下に倒れていたことがあったのだ。
 しかし、ヴェルシュは無造作に積み重ねられた書物にざっと目を通し、興味あるものを見つけ出すと腰を据えてそれを読み始めた。貴重な書物にこの部屋の主が毒など塗るはずが無い。塗っているとすれば、貴重品が収めてあるかもしれない、と思わせる物入れくらいだろう。この部屋に侵入した盗人は何も金目のものがないので、本でも盗んで売ろうと考えたに違いなく、本をつかんで出ようとしたところで、痺れ薬が全身に回って倒れたのだろう。腕のいい薬師と知り合いになったと部屋の主からヴェルシュは聞いていた。
 どのくらいの時が過ぎたか、引きずるような足音を聞きつけ、ヴェルシュは書物から目を離した。気配は部屋の主のものだが様子がおかしい。立ち上がって扉を開けると、それとほぼ同時に痩せた若者が倒れ込んできた。
「どうした、ザイド?」
 体を支えながらヴェルシュは眉をひそめ尋ねた。
「……来てたのか。ちょうどいい」
 脂汗をにじませながら、ザイドはにやりと笑った。
「モーズの毒にやられたらしい。ちょっとひとっ走りいって解毒薬をもらってきてくれ」
 ヴェルシュは舌打ちした。
「だから手をひけと言っただろう」
「馬鹿な大貴族の連中が好きなだけ甘い汁を吸うのを見過ごせるか」
「だからってその甘い汁を横取りするのもどうかと思うが。前に言ってた薬師のところでいいんだな?」
「ああ、じいさんに俺からだって言えばすぐ用意してくれるはずだ。ひとまず毒はすぐに吐いたし、前にもらった応急用の解毒薬も飲んである」
「わかった」
 友人の体を寝台に移すとヴェルシュはすぐに部屋を出た。
 まったくどうしようもない奴だと毒づきながら。


 ザイドが関わっているのは大貴族の所有する貴人用の馬車は取り調べを受けないという特権を利用して行われている密輸だった。その証拠をザイドは握り、告発するでなくゆすりをかけたのである。どちらもどちらだとヴェルシュは思うものの、少なくともザイドは人殺しはしていない。やられたら倍返しにするのが信条という男だが、誠実に暮らしを立てている人間を巻き込むことはしないし、無実の人間を陥れるようなこともしない。一部の貴族達に比べれば遥かにまっとうな人間だ。とはいえ、食えない人間であることも確かだ。
 今ごろは、しかるべき人物のもとへ情報が届き、密輸に関係した大貴族に対する取り調べの準備が始まっているだろう。たとえザイドの口を封じたところで、もう手遅れだ。
 おそらく、ザイドがこのまま死んだ場合は、もっと多くの不正の証拠が白日のもとに晒されることになるだろう。
 ひょっとしたら、このまま放っておいた方が世のためになるのではないかなどと、ちらりと考えながら、ヴェルシュは目的の場所へとたどり着いた。王都のはずれにある小さな庭つきの民家からは、確かにそこに薬師がいることを示す薬湯の匂いが漂っていた。
 せわしくヴェルシュが扉をたたくと、すぐに扉は開かれた。出て来たのは老人でなく少女だった。異国から流れてきたのだろう、南陽王国では少ない薄茶の髪をしている。少女は軽く目を見開き、ヴェルシュの全身を眺めてから口を開いた。
「堕胎薬は扱っていませんよ」
 ヴェルシュはこれ以上無いくらいに冷ややかな視線を返した。おそらく、母親が見たらそんなに怖い目で女の子を睨むものではありませんと叱ったことだろう。
「ザイドの使いできた。モールの毒にやられたから、その解毒薬が欲しい」
「ああ、ザイドさんですか。いつかはやられるとおっしゃってましたが、案外、早くその日がやって来たのですね」
 同情心のかけらも見せずに少女はどうぞと中へ招き入れた。
「おじい様、聞こえたでしょう?」
「まだ耳はそこまで遠くなっておらんからな」
 戸棚をがたがたと引っ掻き回しながら老人が答えた。かなりの高齢と見えたが、手足はよく動き、かくしゃくとしている。
「あの若造のことだから、解毒薬は飲んでおるのだろう?」
「ええ、あなたから頂いたものを飲んだと言ってました」
「それなら今夜一晩はもつだろうよ。少し待っておれ」
 そう言って老人は鼻歌を歌いつつ調合を開始した。戸棚にはかなりの種類の薬草が揃っているし、何よりあのザイドが懇意にしているのだから、腕は確かなのだろう。
「お茶でもどうぞ」
 いつのまに用意したのか湯気の立つ器を運んできて少女が笑顔で言った。
 年齢は自分より少し下、十四、五歳というところだろうか。その年でこれとは先が思いやられるとヴェルシュは溜息をついた。
「結構だ」
「そう遠慮なさらずに」
「いや、混ぜものされた茶は遠慮させてもらう」
「何故、わかったのですか」
 悪びれもなく少女は問う。老人が肩を震わせてくつくつと笑った。
「ザイドが言うておったろうが、薬学にまで手を広げている変わり者の騎士能力保持者がいると。少々のことじゃ騎士の鼻は誤魔化されんよ、シィン」
 騎士だったのですねと少女は肩を落とした。
「それでも、匂いのもとが何であるか知らない騎士ならば気づかなかっただろうがな」
「そうですね。そうと知っていれば研究中の無臭薬を用意したのですが」
 残念ですと哀しげに少女は呟く。
 結局は普通に茶を出す気はなかったということである。
 客を何だと思っているのだとヴェルシュは言ってやりたかったが、実験対象との正直な答えが返ってきそうだったのでやめにした。
「騎士能力保持者であることを見込んでお願いがあるのですが」
 つつつと近づいてきて少女が上目遣いに見上げた。その長い睫に縁取られた物憂げな瞳にだまされる男は少なくないだろうが、ヴェルシュはその奥にあるものを正確に見ぬいていた。
「断る」
 内容を聞くまでもなく、即座にヴェルシュは答えた。
「まだ何も言っておりませんのに」
「何も言うな」
「そうおっしゃらず、少しだけでも」
「無駄だ」
 哀願する儚げな美少女を飽くまで冷淡にヴェルシュは拒み続けた。
「こんなに頼んでも駄目ですか」
「当たり前だ」
 はあっとわざとらしい大きな溜息を少女がつく。
「顔に似合わず冷血漢ですね」
「どっちが」
「そんなに狭量だと大成しませんよ」
「おおいに結構。なんと言われようと実験台になるつもりはない」
 きっぱりと言ってやると少女は目をまるくした。
「どうしてわかるんですか」
「わからないほうがおかしい」
 少女は考え込む様子になった。今までばれたことはなかったのに、おかしいですねとか呟いている。
 また妙な知り合いがふえてしまったとヴェルシュは額に手を当てた。
 一番の原因はザイドと手を切らないことにあるのかもしれない。やはりあのまま放っておくべきだったのだろうか。
「……わかりました、あなたが変なんですね」
 ようやく納得のいく結論が出たとばかりに少女が言った。
「そもそも若い男性が血相変えて薬師のもとにやって来て堕胎薬でなく解毒薬を求めることからして、おかしかったんです」
 早く帰りたいとヴェルシュは切実に願った。
 この少女の精神構造はどうなっているのだろうか。人に向かって変だという、自分こそがかなり変だという自覚もないのではなかろうか。
 相手にするだけ、無駄に気力を消耗するとヴェルシュは聞き流すことに決めた。
 どうせこの王都にいるのも後二年ほどのことだ。故郷に帰れば、ザイドはもちろん、この少女と顔を合わせることもなくなるだろう。
 このヴェルシュの目算は大きくはずれることになるのだが、幸いにもこのときの彼はそれを知らずにいたのだった。


 大貴族の一人が失脚した。
 一夜明けた王都はその噂で持ち切りだった。
 よほど優秀な人間が動いたのだろう、昨夜のうちに国王の勅命を受けた近衛騎士がその貴族の屋敷に踏み込み、当主の身柄をおさえたのである。
 神殿が動いたとか、ある名門貴族から進言があったとか、様々な情報が流れるが飽くまで憶測に過ぎない。その全貌を知るのはおそらく、目の前で寝台に横になっている男だけだろう。
「死にかけたのに嬉しそうだな」
 青ざめた顔をしながら人の悪い笑みを浮かべている若者にヴェルシュは声をかけた。
「この一件で『さる筋』の動きが予想以上にあてにできることが判明したからな」
 満足そうにザイドは答える。ただでさえ痩せている男はこの一晩でまた頬がこけたように見えるが、気力はみなぎっているようだった。
「……まだ、やめるつもりはないのか」
「当たり前だ。お前のほうこそ、まだ手を貸す気にならないのか」
「私は政治に関わるのは御免だ」
 そうヴェルシュが答えるとザイドは喉の奥でくっと笑った。
「まあ、いい。だが、今回は助かった、礼を言う」
「礼などいらないから、その分、身を慎め」
 ザイドは薄い肩を竦めて、しばらくはそうするさと答えた。
「そう言えば、あの薬師はどこから流れて来たんだ?」
 空になった薬瓶に目を留めてヴェルシュは尋ねた。
「さあな、どこか中部の山間の出身だとは聞いたが。あまり過去を知られたくないらしいんで、突っ込んだことは聞かなかった」
 無理矢理聞き出せば、毒殺くらいされるだろうとヴェルシュは頷いた。
「美人だったろう?」
「…………誰が?」
「孫娘のことだ、もちろん。あの娘も近々薬師組合に正式な薬師としての認定を受けるそうだ」
 言われて見れば整った造作をしていたなとヴェルシュは改めて思ったが、容姿など関係なかった。
「あんな人間に薬師の資格を与えるなんてことが許されるのか?」
「薬師組合の認定は人格に基づいて行っているわけじゃないからな」
 ザイドもあの少女には人格に問題ありの判断を下しているらしい。
「その様子じゃ、お前には演技をしてみせなかったんだな」
 あれが演技で、素で無いというのなら、そちらの方がよほど嬉しいというものだ。
「よかったな、気に入られて」
「嬉しくないぞ、まったく」
「そうか? 腕は確かだぞ、じいさんもシィンも」
「君と違って私は解毒薬が必要な暮らしはしていない」
「他にもいろいろと珍しい薬を扱っているぞ。目下、対騎士用の薬を研究中とのことだ」
 親しくしておいて損はないとばかりにザイドは言う。
「あれは」
 大きく息を吐いてヴェルシュは続ける。
「君と一緒で、できることなら一生出会わずに済ませたい類いの人間だ」
 それを聞いてザイドは楽しそうに声を立てて笑った。笑いすぎてせき込みながら、ザイドは不吉な予言を口にした。
「それなら、間違いなく、一生付き合う羽目になるぞ」
 ザイドはヴェルシュという人間をよく知っていた。なんのかんの言ってもヴェルシュの本質はお人好しで、敵には容赦しないがそうでない人間には手を貸さずにはいられない人間だ。知り合ってから、何度となく君と知り合ったのは一生の不覚だとザイドに向かって言っているが、今までずるずると交友関係が続いている。損な性分だとザイドは笑う。
 そのザイドに向かって思い切り厭そうにヴェルシュは顔をしかめた。
「冗談じゃない。私は君と違って、まっとうな人生を送りたいんだ」
「それは高望みというものだ。お前は苦労するように生まれついているんだ」
「……君のような人間のせいでか」
「そうとも」
 楽しげに言ったザイドの顔に水でぬらした布を投げつけ、ヴェルシュは立ち上がった。
「それだけ無駄口がたたければ十分だな。講義が始まるからもう行くぞ」
「俺の分までしっかり聴いておいてくれ」
 ひらひらと手を振るザイドに背を向けてヴェルシュは歩き出した。
 二度と顔を合わせずに済むのならば、どんなによいか。
 学院での規定在学年数に達する来夏には何が何でも帰郷する意志をヴェルシュは固めた。
 平凡で穏やかな人生こそ、ヴェルシュの望みであった。
 しかしながら、ヴェルシュはこの後、人生の多くの時間を王都で過ごすことになる。そして、ザイドの不吉な予言も的中するのであった。