女王と騎士

王宮の非日常〜悩める魔法士たち〜(前編)

 うっすらと東の空が明るくなり始めていた。
 早朝の王宮では下働きか夜勤明けの騎士くらいしか、動く者はいない。
 まだ眠っていられる立場なのだが、長年の習慣かライカは夜明け前には目覚めるのが常だった。
 いつものように目覚め、いつものように寝返りを打ち、いつもとは違う状況を認識するや否や、ライカの眠気は吹き飛んだ。
 血の気がささーっと引いていく。
 自分は一体、何をしでかしたのだ!?
 恐慌をきたしながらもライカは必死におぼろげな記憶をたぐった。
 確かに昨夜は酔っていた。女王の第二子誕生を祝う席だったから、同じ近衛魔法士であるノウィンや近衛騎士たちもいた。北方出身で酒に強いらしいノウィンがあまりに平然と酒杯を重ねるので、ついついつられて酒を飲みすぎ、かなり酔いが回ったことは確かだ。だが、正体をなくすほどに飲んではいない。そして、忌々しいことに記憶もなくしていなかった。徐々に記憶が鮮明になるにつれ、引いていった血が頭に上ってくる。
 私ったら、私ったら、私ったら!
 ライカは両手で頭を抱えた、
 いっそ記憶をなくしてしまいたいっ。
 弱々しい理性の声に従ってそっと寝台を抜け出すと手早く身支度を整え、ライカは直面する問題から逃走した。

 近衛魔法士という名称が誕生したのは昨秋のことだ。実質的に近衛魔法士の肩書きを持つのは二人で、現在のところ女王の夫であるクルス・アディンがその二人を束ねる立場にある。増員すれば、きちんと組織化もするだろうが「顔のよろしくない近衛なぞいらぬわ!」と例のごとく女王が言い放っているために、半年以上過ぎてなお増える様子が無い。
 その貴重な魔法士の一人、ノウィンは少々、困っていた。ただ一人の同僚であるライカの様子がどうも変なのだ。時折、頭を抱えて意味不明の独り言を呟いたり、壁に頭をくっつけて唸ったり、自分で紡いだ防御の術をうっかり断ち切ってしまったり。およそこれまでしたことのない行動ばかりしている。それでいて何かあったのかと問えば、「何もないわよ、何も! あるわけないでしょ、何があるっていうのよ! そんなはずないじゃないの!」とぶんぶん首を振りながら答える。
 おかしいという自覚は本人にはないらしい。王宮で過ごした年月こそノウィンの方が少しばかり多いが、年長でもあり、常識も良識も備えたライカをノウィンは頼りにしていただけに、この状況には戸惑った。
 三日以上経ってもライカの「奇行」はおさまらず、自身の手におえないと判断したノウィンは女王の夫へ面会を求めた。近衛魔法士に問題が発生した場合、処理するのは彼の役目だ。
 相談を持ちかけられたクルス・アディンはよほど意外だったのか、とっさに北方語で聞き返した。
「ライカが挙動不審?」
 ノウィンは頷き、北方語で説明を加えた。ともに氷晶王国出身の二人は術に関することなど複雑な話になると曖昧さをなくすために北方語でしばしば会話をしている。今回もそれが必要だろうとノウィンは判断していた。
「簡単な術に失敗しますし、独り言が多いですし、時々、壁に頭をくっつけて唸っています」
 簡潔な言葉でライカの様子を告げると、クルス・アディンは真顔で頷いた。
「それは確かに変だ」
 ノウィンはほっとした。自分の感覚がおかしいわけではないらしい。どうも自分の感覚はずれていることが多いらしいと自覚していたからこそ、ノウィンは慎重だった。
「いつから? 君が気付いたときでいいのだが」
「五日前の祝賀会以降です。その翌日はライカさんと顔を合わせていないので断言はできませんが」
 クルス・アディンは考え込んだ。彼もノウィンも、この南陽王国において酒豪と呼ばれているので、当日の記憶ははっきりしている。
「……お開きになる前は、いつものようにオルトにからんでいたな」
 確認の言葉にノウィンは頷いた。彼女が目撃したとき、ライカは近衛騎士のくせにその生活態度はなんだとオルトに説教をしていた。なんのかんの言ってライカはオルトにかまうし、その逆も然り。オルトはかなりいい加減なところも多いが、面倒見は悪くない。町に騎士見習いたちを連れて飲みに繰り出したときも、調子にのって自身が酔いつぶれない限りは、無事に全員連れ帰る。酔いつぶれたときでも少なくとも王都警備隊に一報する。だから、当日もオルトが酔ったライカの面倒をみたと考えていいだろう。
「部屋に送ったのもオルトだった?」
「そうだったと思います。私は薬師殿と二日酔いの薬を手配していたので、確認はしていませんが」
 その帰り際、広間をのぞいたがライカの姿は見えなかったので、オルトか誰かが送っていってくれたのだろうと思ったのだ。
 クルス・アディンは目を閉じた。
「オルトも多少は酔っていたし……私達がどうこういう問題ではないかもしれない」
 ノウィンは首を傾げた。なんの問題があったというのだろう。
 そんなノウィンに力無く女王の夫は笑いかけた。「女王陛下の御夫君はきわめて図太い精神を持ちながら、儚げに見せかける才能をお持ちです。見習わなくてはなりませんね」という薬師の言葉がノウィンの脳裏に浮かぶ。もっともノウィンから見る限り、薬師が見習う必要はない。いい勝負をしている。
 クルス・アディンが何を示唆しているのか分からぬまま、ぼーっとノウィンが見返していると、根負けしたようにクルス・アディンは口を開いた。
「私のほうで善処してみるよ。できれば口を挟みたくは無いが、放置すると王宮警備にも支障が出そうだ。それだけならまだしも、女王陛下の耳に入れば政務に支障が出るだろうしね」
 警備に支障が出るのはわかるが、何故、女王の政務に支障が出るというのだろう。
 男女の機微とは無縁に生きているノウィンにとって謎は深まるばかりだった。

 女王の夫に呼び出された近衛騎士はひょいと肩を竦めた。
「心当たりはありませんよ」
 オルトという人間を知らなければ、うっかりその言葉を鵜呑みにしてしまったかもしれないほど自然な態度だ。しかし、クルス・アディンには通用しなかった。
「陛下の耳に入ってからでは遅いだろう? 私だって、できればこのようなことに口を挟みたくない」
 いいから白状しろとばかりに言うと、オルトは髪をかきまわした。しばらくはためらっていたが、女王の野次馬根性の強さを嫌というほど知っているため、観念したように口を開いた。
「徹底的に避けられているんですよ、俺。面と向かって顔を合わせるどころか、遠くに姿を見かけただけで一目散に逃げちまう。これはもう何もなかったと忘れたことにしてほしいという意志表明じゃなかろうかと判断したわけで」
 オルトの読みは正しい。ノウィンから聞いたライカの様子はまさにその通りだ。
「ちなみに部屋を訪ねても、居留守を決め込んで出てきやしません。だから、俺は心当たりはないと言い張るしかないんですけどね。部屋に忍び込むのは簡単ですけど、建物を壊されちゃたまったもんじゃないでしょう?」
 ライカというのは、そのくらいのことはしかねない気性の魔法士だ。
 弱ったなとクルス・アディンは呟いた。
「責任を取れと言いたいところなんだが」
「取られたくないって言われるのがおちかと」
 さすがにライカの性格をよく理解している。
「それで引き下がるのかい?」
 こんなことには首を突っ込みたくないのだが、これも「仕事」だから仕方ないとクルス・アディンが聞けば、それを察しているのだろう、オルトも素直に答えた。
「ま〜、ぼちぼちと」
 積極的には動かないが、このまま放置する気はないらしい。
 今は気持ちの整理がつくまでの時間をライカに与えればいいのかもしれない。彼女が折り合いをつけねばならない相手は、オルトではなく自分自身だ。
 ひとまずライカを文献整理という名目でしばらく書庫にこもらせ、オルトを近隣の探索ということで王宮から出し、静観しようとクルス・アディンは決めた。

 金茶の髪の魔法士は書物を広げたまま、ぼんやりとしていた。あれから一ヵ月過ぎた今、ライカの奇行はかなりおさまっていたが、それでも時々今のように心ここにあらずという状態になっている。ノウィンはその近くで黙々と書物の中身を確認してはそれにふさわしい書棚に戻すという作業を繰り返していた。氷晶王国の神殿で書物に慣れ親しんできたノウィンにはこうした作業は苦にならない。時折、書物を読みふけってしまうこともあるが、書庫整理に特に期限はなく、それもまた許されていた。
 恋愛沙汰に関しては鈍感だが、別な部分では恐ろしく鋭い感覚を持つノウィンはあるひそやかな感覚に手を休めるとライカを注視した。やはり気のせいではない。
「これからどうなさるんですか?」
 様子がおかしかったのはこのせいだったのかと一人で納得しながらノウィンが尋ねるとライカははっとして顔を上げた。
「え?」
 聞こえていなかったらしいので、ノウィンは同じ質問を繰り返した。
「どういう意味?」
 怪訝そうに眉を寄せるライカに向かってノウィンははっきりとその言葉を口にした。
「生むのですか? 未婚で私を生んだ母は幸せそうではありませんでしたから気になります」
 ライカがかたまった。
 その様子を見て同じ魔法士といえども一般的な魔法士は自分やウェイのような古代魔法に適した魔法力を持つ魔法士ほどには、生命反応に敏感ではないことをノウィンは思い出した。どうやら本人は気付いていなかったらしい。すると変調の原因は別のものなのだろうか。
「それって、私が妊娠しているということ?」
 聞かれて、もう一度ノウィンは感覚を研ぎ澄まして確認してから口を開いた。
「はい。確かに命の鼓動を感じます」
 ごくりとライカは唾を飲んだ。そわそわと落ち着きなく、手を握ったり開いたりしている。そこでようやくノウィンは自分が更なる混乱を引き起こしてしまったらしいと悟った。
「すみません、余計なことを言ってしまったようですね」
「いえ、いいの、早く分かるに越したことはないのだし。そうね、ええ、決着をつけるから……このことは、しばらく誰にも黙っていてもらえる?」
 悪いことをしてしまったと思っていたノウィンは素直に承諾した。だが、自分の口を封じたところで別の人間の口からもれる可能性があることを教えるほどには気が回らず、ノウィンはそのまま蔵書の整理を再開した。

 政務の合間をぬって、生まれて間もない二人目の息子の様子を見に行ったクルス・アディンは、その枕元で義妹から話しかけられた。現在、アシュリーズは女王の子供の護衛という名目で自身の生んだ双子の子供ともどもまとめて面倒を見ている。もちろん、乳母もいるから、それほど負担にはならない。
「私の口を通して言うのも妙な話だが」
 そう前置きしてから、アシュリーズはずばりとその問題を口にした。
「ライカは身ごもっているそうだ」
 クルス・アディンは数度、瞬きした。
「相手はやはり…?」
「さすがにそこまではウェイにも分からないが、状況から考えるとそれ以外ないのでは?」
 双子の姉と違って他人の色恋に興味を持たぬアシュリーズにさえもそれは明白なことらしい。
 待ったなしか、とクルス・アディンは呟いた。
 オルトを早急に呼び戻す必要がありそうだ。こんなことになるのなら、王宮に留めておいたほうがよかったのかもしれない。
「……ルーダルに探しに行ってもらいましょう」
「おとなしく捕まるといいが」
 ひとたび王宮を離れると、なかなか帰ってこないのがオルトだ。
「いざとなれば、ウェイに問答無用で引きずってきてもらいます」
「最初からそうした方が手間が省けるのでは?」
「ただでさえ面倒なのに、さらにへそを曲げてもらっても困りますから。呼び戻す理由は適当にこじつけます。さすがに逃げ出すとは思いませんが、彼が知っていることに対してライカがどう反応するか分かりませんし」
 なるほどとアシュリーズは苦笑まじりに頷いた。
 盛んに手足をばたつかせている息子をクルス・アディンは抱き上げた。この次男は見るからに女王そっくりと言われていて、一部の人々から将来を危惧されている。
「また王宮にいる子供が増えるわけか。専任の子守りがそろそろ必要なのでは?」
 おとなしく眠り続けている双子の姉弟を見下ろしながらアシュリーズが呟く。近々、ルーダルのところにも子供が生まれる予定だ。母親となるミューカは産後、体調が整い次第、女王付き衣装係の職務に復帰するつもりでいる。彼らの場合、預かり先はいくらでもあるが、両親ともに王宮暮らしならば、子供も王宮で暮らせるに越したことはない。
「そうですね。ユリクの手には余るだろうし…」
 すでにユリクは女王の長子と近衛騎士隊長イェナの養子達の守り役と化している。時々、イェナがその役目を引き受けるとはいえ、手一杯というのが実情だ。
 また人材を探さねばならないとクルス・アディンは小さく息を吐いた。前近衛騎士隊長に復帰してもらいたいくらいだが、聞いたところによると、彼は国外を放浪しているらしく連絡をつけることすらままならない。
 陛下の気晴らしを兼ねて地方巡察に出て人材を探してみるか。
 王宮の方は政務室長に任せればいい。ヴェルシュも人材発掘のためなら協力してくれるだろう。
 子守りをしながら、女王の夫は密かに人材登用計画、一部の文官たちから「人狩り」と呼ばれる計画を立て始めていた。