女王と騎士

王宮の非日常〜悩める魔法士たち〜(後編)

 王宮にオルトが戻って来た。そのことをノウィンから知らされたライカは自室でうろうろと歩き回っていた。
 問題と向かい合わなくてはならない。それは分かっている。
 複雑な問題ではない。ごく単純なこと。ただ自分が認めたくないだけなのだ。
 ライカは足を止めた。大きく深呼吸する。
 ともかく行動しなくては。
 ライカは自室を出て、近衛騎士に与えられている部屋へ向かった。その姿を見かけた騎士見習いが「とうとうオルト殿の息を止める決意をしたのかと思った」と後に語ったほどには、ぴりぴりした緊迫感を身にまとっていたらしい。
 オルトは自室にいた。無言のままにライカが部屋に入ると、ミミズののたくったような文字を書き連ねた反古紙が床に転がり、力尽きたのか飽きたのか本人は机に突っ伏していた。ライカが後ろ手に扉を閉めるとようやく頭を上げた。
「あー、ライカちゃん。代わりに報告書を書いてくれるって?」
「そんなわけないでしょ。……伝えることがあるのよ」
 しぶしぶとライカは口を開いた。
「子供が、できたのよ」
 オルトは「へ?」と間の抜けた声を上げた。
「誰の?」
 きょとんとした顔で発せられた言葉を聞いた途端、ライカの中を何かが突き抜けた。
「誰の、ですってぇ!? 誰の子供でもないわよっ、ええっ、私一人の子供よっ」
 言うや否やライカは踵を返して部屋を飛び出し、思いきり扉をたたきつけるようにして閉めた。廊下の先を歩いていた侍女がぎょっとして立ち尽くしている。
 馬鹿、馬鹿、馬鹿、ほんとに馬鹿!
 それがオルトに対する罵りなのか、自分への罵りなのか、分からぬまま頭の中で繰り返し、ライカはそのまま王宮を飛び出して行った。

 クルス・アディンは遠い目をしていた。ノウィンから、オルトがライカを激怒させたらしいと報告を受け、彼は早速、オルトから事情聴取を行った。
 ライカが怒った理由は分かる。「誰の?」などと聞き返されては、まるで他にも関係をもった人間がいるといわれているように聞こえるし、その無責任ぶりにも腹が立つだろう。
 一方で、オルトの気持ちも分かる。
 唐突に「子供ができた」と言われては、例え身に覚えがあろうとも、すぐさまぴんと来るものでもないだろう。そして、オルトはまさか身ごもっているのが当のライカだとは思わなかったらしい。その上での失言なのだから同情の余地はある。
「俺も反省してますよ」
 神妙にオルトは言った。
 多分、彼も苦手な報告書作成に気を取られていなければ、あそこまで不用意な発言はしなかっただろう。
「ノウィンが探しに行ってくれているから、居場所はすぐにわかるだろう。頼むから、王宮に戻るまでに決着をつけておいてくれ」
 力なくクルス・アディンは笑った。怒り狂ったライカに王宮を破壊されるのも困るが、女王の気をよそに取られて政務が滞るのはもっと困る。
「陛下に知られたくはないだろう? 陛下の耳には入らないように努力するが、限度はある」
 あからさまな脅しである。女王に知られたら困るだけでなく、文官達から恨まれる。中でも一年ほど前まで近衛騎士をしていた政務室長ヴェルシュの不興を買うのはオルトも避けたいはずだ。
「やれるだけのことはしてみます」
「期待しよう」
 期待にそむいたらどんな目に遭わされても文句は言わせない。
 その意図はしっかり伝わったらしく、オルトは落ち着きなく宙に目をさ迷わせていた。

 ちょうど非番だったフィルを道案内役に、ノウィンはライカを追跡していた。どうやらライカはその交友関係から考えて、意外ではない場所、すなわち王都警備隊の詰め所に真っ直ぐ向かったようだった。それをノウィンは王都にあらかじめ張り巡らしていた連絡用の術を介してクルス・アディンに知らせた。緊急時に備えて張っていた術だが、こんな時に使うことになろうとは思ってもみなかった。
 詰め所の前まで来たとき、フィルがぎょっとしたように足を止めた。目で問いかけると、フィルは首を横に振って、後で話すと力なく呟いた。ノウィンには聞こえないが、騎士である彼には中で交されている会話が聞こえたようだ。戸口をくぐると、フィルと同期だという王都警備隊の騎士、アインが天井を仰いでいた。二人に目を向けると、くいっと親指で奥の扉を差し、フィルに向かって言った。
「聞こえたか?」
「聞こえたよ。……エルードも気の毒に」
「あいつ、女運が悪いとしか思えないよな。恋愛感情全くなしだってのに、手におえない連中ばかりと関わりがある」
 妙にしみじみとアインは言う。
「ほかの隊員は?」
「ここにいると危険かもしれないんで見まわりに出た」
 いい判断だとノウィンは頷いた。ライカの魔力はいつ爆発してもおかしくない状態だ。本人にその気がなくとも、爆発したら周囲に被害が及ぶ。少なくとも扉ぐらいは吹っ飛ぶだろう。
 爆発したときに備えようとノウィンはそろそろと魔力の糸を伸ばし、ライカの周りに網を張り巡らし始めた。
「何を話しているんですか?」
 作業をしながらノウィンが尋ねると二人の騎士はお互いの顔を見合わせた。
「偽装結婚の交渉ってとこだ」
 口を開いたのはアインだった。
「ギソウケッコン、ですか?」
 さっぱり意味がわからない。
「結婚しないで子供を生むというのは外聞も悪いし、子供の立場も弱くなる。そこで、1年間だけ、法律上の婚姻関係を結んでくれとエルードにライカが頼んでいるんだ」
 説明してもらっても、やはり意味不明だ。ライカの意図がわからない。
「婚姻手続きを要請するのであれば、要請相手を間違っているとしか思えませんが」
「複雑な乙女心ってやつじゃないか」
 ひょいと肩を竦めてアインが投げやりに言う。彼にも理解できないことらしい。
「それで、エルードさんはなんと?」
「最初はもっともらしい理由をつけて断っていたけどな、今は交渉に応じるそぶりを見せ始めている。放っといたら行きずりの男相手にでも交渉を持ちかけそうだと思ったんじゃないか。あいつもよくよく面倒見がいい」
 アインは呆れているようだ。
「……そうか、法的手続きを踏んでしまえばいいんだ」
 なにか考えていたかと思うとフィルがそんなことをぼそりと言った。ノウィンはその言葉の意味をしばし考えてから、得心して大きく頷いた。
「ノウィン、クルス・アディン殿に連絡して、婚姻に必要な書類一式を用意してもらえないか」
「わかりました。……書類を届ける役はオルト殿でよろしいのですよね?」
 確認すると、フィルはちょっと笑って頷いた。
「僕は神殿に行って神官長殿と話して来るよ」
 フィルが出て行くのをアインはぽかんとして見送っていたが、すぐに一連の動きが何を意味するのか合点がいったようだ。
「おいおいおいおい、いくらなんでも乱暴じゃないか?」
「乱暴かもしれませんが、ライカさんに対しては有効な手立てだと思います。正攻法でいけば、間違いなく時間がかかりすぎて、手続き前に子供が生まれてしまいます。もしくは第三者とギソウケッコンとやらをしてしまいます。法律上の婚姻が成立してしまったという口実さえあれば、ライカさんも意地は張らないでしょう」
「そりゃそうかもしれないけどな。……いつのまに、こんなやり口を思いつくような人間になっちまったんだろうな、フィルも」
 なにやらアインは遠い目をしている。ノウィンはその答えを考えてみた。
「王宮にはいい見本がいっぱいいるからではないでしょうか」
 現に王妹は、首謀者は他にいるものの書類上の法的手続きを済ませることで女王を出し抜いて婚姻を結んだ。
「……ごもっともです」
 アインは何故だかとても疲れた顔で遠くを見ていた。

 同郷のよしみで、こんなことを頼むのは非常に迷惑だというのは分かっている。だが、他に頼める知り合いはいない。エルードが駄目なら、見ず知らずの他人を「雇う」しかないだろう。
 エルードはちょっと出てくると言って席を外したまま、まだ帰って来ない。
 ひょっとしたら逃げ出したのかもしれないと思っていると、ひょこっとアインが顔を出し、ひらひらと手にした書類らしきものを振った。

「話は筒抜けだったんだけどさ。これ、結婚に必要な証明書一式。もし、本気なら署名できるだろうってエルードから神殿経由で届いた。ちなみに、あいつは頭を冷やすついでに定期巡回に出ている。頭を冷やす必要があるのは、どう考えてもライカさんの方だと思うけどな」
「私は、十分、落ち着いているわよ」
 むっとしてライカが言うと、はいはいと軽く流してアインは書類を広げた。
「神殿に届ける分と王宮に報告する写し2通。南陽王国語と古代語とで書いてある」
 ライカはざっと目を通した。ところどころ分からない語があるが、婚姻に関する書類であることは間違いない。
「思い直すなら今のうちだけど」
 わざとらしく言いながらアインがペンを差し出す。
「余計なお世話だわ」
 勢いよくペンをとるとライカはざくざくと署名した。
「……あーあ。エルードに断られたらどうするんだ?」
「他の人に頼むわよ」
「誰でもいいのか」
「いいわよ。お金で片付くのなら、それでいいわ」
「ふうん。ちなみに、予算は? それなりの金がいると思うけど」
 軽く投げかけられた言葉にライカはかたまった。
 予算。
 どのくらいあれば、雇えるだろうか。
 手持ちの資金について思いを巡らせていると、するりとアインが書類をライカの手の下から引き抜いた。
「ちょっと!」
 騎士ならではの素早さであっという間に部屋を出たアインが扉の向こうから声をかける。
「俺は警告したから」
 立ち上がってライカが扉を開けようとしてもびくとも動かない。魔法力で吹き飛ばしてやろうかと思ってようやくライカは自分の周辺に魔法の「網」がひっそりと張り巡らされていることに気付いた。微かにしか存在を感じさせないが、覚えのある感覚だ。
「ノウィン? そこにいるの?」
 こんなにひそやかに緻密な網を張れるのは、ライカの知る限りノウィンしかいない。少し間を置いてから返事がかえってきた。
「はい。私も立会人です」
 なんの話だと思っていると不意に扉が開いた。アインとノウィンに両側を挟まれ、テーブルに座らされたオルトがやあと手を振った。
「なんであなたがここにいるのよっ」
 噛みつくように言ってライカはオルトの前に置かれた書類に気付いた。のたくった文字を認めて、思わず息を飲む。
「……まさか」
「クルス・アディン殿とイェナ近衛騎士隊長に提出する写しです。本体はフィルさんが神殿に届けに行きましたから、例えそれを廃棄しても無駄です」
 淡々とノウィンが告げる。続けてアインが肩をすくめながら言った。
「誰でもいいって言ってたし、オルト殿なら無料だからいいんじゃないか」
「報酬をくれるっていうんならもらうけど」
 オルトがへらへら笑う。ライカは思いきり机を両手でたたいた。
「あなたには銅貨一枚だって払わないわよっ」
「だよな」
 うんうんとアインが頷いている。
「いや、でも、ライカちゃん、人を雇うつもりだったんだろ?」
 言ったオルトの後頭部を気配なくその背後に立った近衛騎士隊長がすぱんとたたいた。あまりの勢いの良さに、ごっと音を立ててオルトが額をテーブルにぶつける。
「どの口がその言葉を言うのかしらね?」
 艶やかに微笑んで見せたイェナは文句を言おうと顔を上げたオルトの頬を容赦なくつまんで、ひねった。
「ふざけたことを抜かしやがるんじゃないわよ、この若造が」
 常のイェナからは想像もできないほどドスのきいた声だ。そう言えばとライカは思い出した。イェナはいい加減な男には容赦ないと聞いたことがある。
「どうしてもこれじゃ我慢できないと言うのなら、子供が生まれ次第死別させてあげるから言ってちょうだいね」
 一瞬、ライカにはその言葉の意味がわからなかった。あながち冗談とも思えない口ぶりに、なんてひどい上官だとオルトが呟く。
「さ、さすがにそこまでは……」
 ライカは口ごもった。時々、殺してやりたくなるのは本当だが、思うのと行動に移すのでは全く違う。
「そう? 遠慮しなくてもいいのよ」
 大地の女神のように慈悲深い笑顔が恐ろしい。そして、なるほど、そういう手もありますねと感心しているノウィンもちょっと怖い。
「それじゃ、これはもらって行くわね。ついでにクルス・アディン殿に届けておくわ」
 問題は片付いたとばかりにイェナはさっさと立ち去った。
「……こんな、本人の意志を無視したことが許されるの?」
 我に返ってライカはつぶやいた。
「署名したのも、誰でもいいって言ったのもライカさんだからなぁ。ここに証人もいるし」
 こくりとノウィンが頷いた。
「手続き上、なんの問題もありません」
 手続き以外の問題はおおありだ。
「後は二人でゆっくり話し合ってくださいね、オルト殿」
 さあさあとアインがオルトを立たせて、ライカともども業務妨害だと詰め所の外に追いやった。突っ立っていても仕方ないので、並んで歩き出す。建物の影から姿を現し、やれやれとばかりに詰め所へ戻って行くエルードには二人とも気づいていない。
「……諦めが肝心ってことで」
 しばらく歩いたところで、ぼそっとオルトがもらした。
 どうしてこの男はいつもいつも絶妙の間合いで自ら八つ当たりの的にならねばならないのかと考えながら、ライカは思い切り息を吸い込んで足を止めた。
「ばかーーっ」
 何人もの王都民に足を止めさせた魔法士の罵声が響き渡った。

 その日のうちに近衛魔法士と近衛騎士の婚姻に関する書類は神殿と王宮で迅速に処理され、その法的婚姻関係は成立した。もっとも事実上の婚姻関係が成立するまでは、まだしばらくの時を必要としたという。また、この一件は、独身の文官たちの労働意欲を大いにかき立て、南陽王国における法整備を飛躍的に進めるという副産物をもたらしたのだった。

 

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