女王と騎士

騎士の日常〜王都警備隊編〜(1)

 年の瀬を控えた王都西部に位置する第三警備隊詰め所にただならぬ雰囲気が漂っていた。
 隊の中でも若手の隊員達が非番の者まで押し掛けて息を詰めているのだ。年長者達はそんな彼らに苦笑し、今年入ったばかりの新人達は訳が分からずにきょとんとしている。
 詰め所の奥からやや年輩の男が何やら板を抱えて現れた。第三警備隊副隊長である。副隊長は焦らすようにゆっくりと板を壁に掲げた。
 その途端に、息を吐き出したり、うめき声を上げたりと、様々な反応が引き起こされる。板は翌月の勤務日程表であった。通常ならば、これで終わりなのだが、年末は異なっていた。各小隊長の署名入りの、勤務日時と名前が記入された紙片がそれぞれの隊員に配られる。
「休暇に関しては調整済みであるから、変更は受け付けん。昼勤、夜勤の入れ替えを望む者は例年にならって個々人で協議した上、変更を各小隊長に申告すること。以上」
 副隊長が背を向けた途端にあちこちで穏やかとは言い難い交渉が始まった。
「おい、アイン、おまえ、どうせ今年も彼女はいないんだろ。交替しろっ」
「新年祭が明けたら女を紹介してやるから、今回は俺と替われ」
「こら、今まで面倒をみてやった恩を忘れたとは言わんだろうな」
 露骨な懐柔や脅迫に出る者達もいれば、
「氷晶王国産極上蒸留酒三本でどうだ!」
「輝珠王国産果実酒二本、三十年ものだぞ、エルード」
 酒瓶を並べて、いきなり買収にとりかかる者達もいる。彼らはこの日のために前もって現物を用意していたのだ。口約束では信用がないという自覚があるらしい。
 その喧噪たるや、日頃、彼らが取り締まっているごろつきどもの巣窟にも劣らない。
 忙しい仕事の合間になんとか獲得した恋人と新年祭を過ごすためには、体裁になどかまっていられないのである。
 この年、警備隊に入った新人達はあっけにとられている間に、紙片を奪われ、いつの間にか昼勤に回されていた。いくら祭であっても、未婚の娘を夜間に連れ出すわけにはいかないので、恋人のいる若者達は夜勤を希望するのだ。その結果、徹夜が続こうと、恋人に去られることに比べれば、全く問題にならないのである。
「あー、ひどい目にあった」
 散々、こづきまわされてぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えながら、アインがぼやく。交渉が成立すると、潮が引くように昼勤をもぎ取った隊員達は姿を消し、残されたのは当直と何が何だかまだわからずにいる新入り達だけだった。
「去年より、高値がついたな」
 酒瓶を数えながらエルードが言う。
「おまえらも、あんな連中とただで交替してやることはないんだ」
 新入り達に言ってアインはその中の一人を呼んだ。
「マルク、朔日の昼勤、三日の夜と替わってやる」
「えっ」
「いるだろ、幼なじみのかわいい彼女が」
「でも、アインさんの勤務日、全部、埋まったはずじゃ…」
 顔を赤くする少年に、にやっとアインは笑った。
「嘘に決まってんだろ。独り者を虐待するような先輩達の言うなりになってばかりいてたまるか」
 袖の中から紙片を取り出して見せる。このくらいの知恵が回らなくては王都警備は務まらないものだ。
「俺が彼女持ちになった暁には融通してくれよ」
 言って、少年の手に紙片を押しつけると、
「うわ、借金踏み倒してもいいって言ってるよーなものじゃん。太っ腹だね、アイン」
 詰め所の入り口から女の声が飛んできた。
 思っても誰も口にはしないようなことを、あっさり言ったのは金茶の髪の女神官だった。
「エセル、おまえなぁっ!」
「ほめてるのに、怒るなって」
「これで怒らない奴がいるかっ」
 そんな二人をよそに、すっとエルードが身を起こし、酒瓶とエセルの間に立ちふさがった。腰に帯びた剣に軽く手が添えられている。
 酒をちょろまかしようというたくらみを未然に妨害され、エセルが舌打ちする。
「そんなんだから、彼女ができないんだよ」
 エルードは鼻であしらった。それだけで、できないのではなく、つくらないのだと言っているのが分かる、悠々たる態度だ。
 悔しいことに、空威張りではないことをアインは知っていた。
「それで、何の用なんだ、エセル?」
 エルードが剣を抜く事態に陥る前に、アインはエセルの注意を引き戻した。この二人、何かにつけては剣を合わせたがるのだ。以前、何故そんなに真剣での手合わせをしたがるのかとそれぞれに尋ねたことがあったが、うっかり殺してしまっても良心が痛まない相手だからという物騒極まりない答えが異口同音に返ってきたものだ。
「ちょっと宣伝に来たんだよ。新年祭の間、夜の奉納舞にリシュテが出るからさ。是非とも神殿に参って多少の信仰心を現物で示してもらいたいと思ってさ。他の連中にも声かけといて」
 王都でも有名な美人女神官はエセルと同じ神殿育ちである。清楚な女神官と今目の前にいる少女とを結びつけるものは何もないように見えるのだが、彼女達は仲がよかった。
「リシュテだけじゃなくて、例の神官見習いも出るからさ。いつもの礼拝式よりも、ずっと気合いの入った衣装だし、見応え十分だと思うよ」
 人気急上昇中の氷晶王国出身の神官見習いの存在を示唆するあたり、エセルも抜け目無い。この場にいた若者達は、一人を除いてすでに行く気十分になっていた。先日も同じ組み合わせで礼拝式があり、奉納舞が行われたのだが、評判は上々で、見逃した者は喜んで神殿に行くことだろう。
 ふっとアインはあることを思い出した。
「…お前も出るとなると、有り難さも半減するな」
「気にするなって。私はともかく大半の連中はまともにお勤めしてんだからさ」
 それじゃまた、と長い裳裾を翻し、エセルは出ていった。これから、他の詰め所も回って宣伝するつもりでいるのだろう。こういうことには手を抜かないのだ。
「…どうしてエセルさんは近衛騎士にならなかったんですか?」
 不思議そうな顔で新人の一人が聞いた。今年、騎士になった少年達はエセルという人間をまだ分かっていない。この冬の始め、南陽王国に戻って以来、エセルは、時折、詰め所に顔を出すのだが、それだけでは彼らが「被害」に遭う機会は少ないのだ。
「叙任の時期に国内にいなかったってこともあるが、最大の理由は、ヴェルシュ殿の反対があったからだろうな」
 女王という「爆薬」の近くにわざわざエセルという「火種」を近づけるような愚行を頭脳明晰な近衛騎士がするはずもない。もし、エセルが騎士叙任を受けていたならば、間違いなく王都から最も遠く離れた騎士団に派遣されたであろう。
「じゃあ、噂は本当だったんですね。騎士の配属に一番影響力を持っているのはヴェルシュ殿だって…」
「まあな」
 影響力どころではない。ヴェルシュ・リア・ローエルは新人の配属先に関して実質的な決定権を握っているのだ。女王は彼女の好みでない者がどこに配属されようと、それが明らかに不適切なものでない限り、特に注意を払わない。
「他の要因としては、あの三人を一緒にしていると危険だからということもあるだろう」
「あの三人?」
「エセル、ユリク、フィル」
 並んだ酒瓶を吟味しながらエルードが教える。
「大抵の場合、エセルが騒ぎを引き起こそうとしても、残りの二人が止めに入るから大事には至らないんだけどな」
 それなのに、何故、危険なのだろうと不思議そうな顔をする少年達にアインは肩を竦めた。
「エセルは常にあの調子だろ?で、フィルはあれでいて頑固で妥協しない部分があるし、ユリクは道義にもとる行為は絶対に許さない性格だ。たまたま三人の『意見』が一致すると、断固とした行動に出る。下手に止めようとすると長引くだけだから、自然におさまるまで放っておくしかない」
「…闘技大会の時に騎士見習い三人が流れの騎士相手に大立ち回りを演じたという話をお前達も聞いたことがあるんじゃないのか?」
「あれって…ユリクさん達のことだったんですか」
 人は見かけによらないと少年達は思っているのだろう。彼らを指導したこともある最年少の近衛騎士達は品行方正かつ温厚で、そんな騒ぎを引き起こすようには見えない。
「ま、あの三人が揃って暴れていたら、見て見ぬ振りをするこった。間違ったことはしてないはずだからな」
 王都警備隊というものは、時には目をつぶることも肝要だ。
「残りは適当にさばいてくれ」
 酒瓶の中から、極上品の蒸留酒と果実酒をそれぞれ一本ずつ手に取って、エルードが声をかけた。
「ありがとさん。お、もう交替時間か」
 時を告げる鐘の音を聞いてアインは立ち上がった。
「俺はこれをもらうかな。お前らも好きなの、持って帰っていいぞ」
「いいんですか?」
「いいんだよ。ただの嫌がらせで連中から酒をせしめてんだから」
 勤務時間を交替してやるくらいどうってことはないのだが、ただで替わってやるのもしゃくに障るのだ。
 その通りとばかりにエルードが頷く。二人はそれぞれ酒瓶を手に詰め所を出ていった。
「エセルさんもだけど、エルードさんもどうして近衛騎士にならなかったんだろう?」
 残された若者の一人が首を傾げる。
 剣技はエセルと互角、つまりは近衛騎士であるフィルやユリクにも劣らず、容姿だってそれなりに整っている。
「陛下好みじゃなかったんじゃないか」
 彼らに推測できる理由はそれくらいのものだった。
 カエル嫌いのエルードを女王がからかって遊ぶことを楽しみにしていたことや、エルードが近衛騎士になる気があるかどうか、一応、打診されたものの即座に断ったことなど、彼らが知る由もなかった。