女王と騎士

騎士の日常〜王都警備隊編〜(2)

 新年祭の初日、夜勤明けの若者達は溌剌とした表情で交代要員を迎え、軽い足取りで王都警備隊詰め所を出ていった。
「あ〜ゆ〜のを見てると、足でも引っかけてやりたくなるな」
 そう口では言うものの、アインはそれを実行に移すことのない良識ある人間だ。
「そう思うんなら、お前も早く恋人をつくったらどうだ?」
「つくれるもんなら、つくってますよ!」
 年長の警備隊員にからかわれ、むくれるアインの横を通り過ぎてエルードが階下にある牢へ降りていく。
 一年で最後の夜の間、牢にぶちこまれた不運な男達の確認に行くのだろう。投獄された人間の人数確認は、交替した時、真っ先に行う仕事のひとつだが、以前、アインはその際に牢内に近衛騎士の姿を発見してひどく驚いたことがあった。近衛騎士オルト・マフィズは牢に入るのが趣味だという噂は事実であると認識したものである。
「新年おめでとうございます」
 涼やかな女性の声が響く。
朝から何かあったのだろうかと入り口に目を向けてアインは動きを止めた。
 清々しく微笑みを浮かべて立っているのは王宮のお抱え薬師だ。この三年ほどの間、王宮で騎士見習い期間を過ごした者ならば、誰もが彼女を知っている。
「いやですね、アインさん、そんなにあからさまに脅えたりなさらずとも、今日はお茶を届けに来ただけですよ。エルードさんはどちらに?」
「下だけど…」
「それは、ちょうど良かった」
 にっこりと笑って、薬師は止める暇もなく、地下牢へと降りていった。
 …一体、何を頼んだんだよ、エルードはっ!?
 知りたいのだが、知ったら後悔するような気がする。
 悩んでいるアインの耳に、地下から牢の常連客と化している男達の聞き苦しい悲鳴が届いた。
「蕉風亭の戸を蹴り壊したのは、俺だ、俺っ」
「椅子を投げたのは俺だった」
「おやじの髭を切り落としたのは俺です〜」
 何が起きたのか、一斉に男達は罪を自白し始めた。拷問を受けたとしても、これほどすらすらと白状はしないことだろう。
 やがて、静かになり、薬師が階段を上って姿を現した。
 ふうっと物憂げにため息をつく。
「残念です、せっかく、新しい薬を試してみようと思っていましたのに」
「…思っていたのにって、何かやったんじゃなかったんですか?」
「いえ、みなさん、薬を使う前に、自白をなさりまして…残念です」
 肩を落とし、いかにも意気消沈した様子である。
 だが、アインはしっかりと小さく呟かれた言葉を聞き取っていた。
「この界隈では顔が売れすぎましたね…今度は東の方に行ってみましょうか…」
 察するに、何か薬を使おうとしたところ、あやしげな薬を飲まされるくらいならばと男達はこぞって自白を開始したらしい。実に賢明な判断だ。
 薬師はふっと顔を上げた。
「これ、差し入れにしますね。まだ試作品ですけれど」
 腕に下げた籠からきっちり封のされた小瓶を取り出し、テーブルの上に置く。
「…なんですか?」
「惚れ薬です。下の方々で実験しようと思ったんですけれど。まだ効果のほどは不確かですが、新年早々にこんなところにいらっしゃる独身男性の方々には必要なものじゃないでしょうか」
 様子を伺っていた年輩の警備隊員達がぶっと吹き出す音が聞こえた。
「…お心遣い、痛み入ります」
 引きつった笑顔でアインは精一杯皮肉をこめて言ったのだが、薬師にそんなものは通用しなかった。
「どういたしまして。今度、別の薬の試作品を飲んでくださいね」
「お断りです」
「そんなつれないことをおっしゃらないで」
「嫌なもんは嫌です」
「どうしてもですか?」
 潤んだ目で見上げられたところで、つい先ほど、繊細な男心を思い切り踏みにじられたばかりの若者が動揺することはなかった。
「…わかりました。仕方ないですね…」
 気落ちした様子で、しおしおと薬師は去って行った。
「アイン、あんな美人によくそんなすげない態度がとれるな」
 呆れたような、感心したような声で年長者に言われてアインは肩を竦めた。
 薬師の性格を知らない人間は、皆、あの儚げな外見にだまされるのだ。その証拠に、彼より年下の、王宮で薬師の実験台にさせられた経験のある若者達は当然だよなと頷きあっている。
「聞こえなかったんですね」
「何が?」
「『仕方ないですね…ヴェルシュ殿にばれるとうるさいですけど、騎士見習い達で我慢しましょう』、って言ってたんですよ、あの人はっ」
 ほとんど声には出していなかったのだが、唇の動きだけでアインにはその内容がほぼ把握できていた。わかってしまうようになった自分がなんとなくもの悲しい。
「…今、お前達と同世代でなくて良かったと、しみじみ思ったぞ」
「俺達が騎士見習いだった頃は、まず、王宮でしごかれることもなかったもんな」
「女王陛下も悪い方ではないが、遠くで幸せになっていただきたい方だからな」
 年長の警備隊員達が女王の行動によって、何か直接の被害にあったのは、数年前に行われた闘技大会開催期間における超過勤務くらいのものである。
 一方、女王即位後に、騎士見習いとなった者達は、ほぼ例外なく、なんらかの被害を受けているのだ。
 もっと早く生まれたかったというため息混じりの声が、若者達の間からもれたことは、女王には絶対に知られてはならないことであった。


 新年祭といえば、信心深い人々は神殿の礼拝式に参列する他は自宅で静かに家族とともに過ごすものなのだが、やれめでたいと言っては酒を飲んでいる連中もいるので、真っ昼間から喧嘩騒ぎが絶えない。いつもならば、日中は暇が多い第三警備隊も、この時期ばかりは日のあるうちから警備を強化し、こまめに巡回を行っている。この時期、巡回に出されるのは騎士能力保持者に限られ、事後処理などの事務処理にあたるのが、それ以外の警備隊員と振り分けられていた。
「あーあ、始まったよ」
 人垣越しに広場の中央をのぞきこんだアインがぐしゃぐしゃと髪をかきまわした。
 人々の視線を集めているのは、流れの騎士達である。明らかに彼らは酒が入っており、その中の一人が乱暴に近くにあった木製の台を蹴倒した。その上に置いてあった神殿が用意した薬酒がこぼれて飛び散る。
「いい度胸だな」
 騒ぎ立てる男達に哀れむような視線を投げて、エルードが踵を返す。
「全く、運の悪い奴らだ」
 やれやれと頭をふりながら、アインがエルードの後に続いた。
「このまま放っておいて、いいんですかっ!?」
 新入りの騎士が驚いて引き留めるが、若者達は振り返ることもしなかった。
「いいんだよ、ここらはあの人の管轄だから」
 ひらひらと手を振ってアインが言う。
「あの人?」
 首を傾げる新人の背後から、やや低いがよく通る女の声が響いた。
「不届き者めらが。それほど陽の女神様の御尊顔を拝したくないのであれば、今すぐにでも冥府に送ってやるぞ」
 その声が届いた途端、新人騎士は疑問に対する答えを得た。
「次行くぞ、次」
 この場は破壊女神官の異名を持つ人物に任せておけばいい。気が向いたら、騒ぎを起こそうと目論んだ連中を詰め所にまで届けてくれるはずだ。届けられずとも、相応の罰は受けているので、気にすることはない。
「はい」
 素直に少年は先輩達に従った。背後から喧嘩騒ぎを大喜びで見物している野次馬達の喝采が響く。王都民にちょっとした娯楽を提供するのも悪いことではないなどとアインは考えていた。
「やっぱり、こういう祭の時期は外から入って来る人間が多いからなぁ」
 近衛騎士にも劣らぬ騎士能力保持者であるトーヴァ女神官管轄の地区で騒ごうなど考えるのは、何も知らない新参者だけだ。
「それだけでもないだろう。戦が近いと耳にした傭兵どもが集まり始めているんだ」
 低いが、はっきりした声でエルードが言う。
「…やっぱ、戦になんのか?」
「先方に退く気がなければな」
「売られた喧嘩は買わなくちゃならないけどよ。…厭だな」
「戦功を上げようとは思わないのか」
「いらねーよ、そんなもん」
「そうか」
 微かにエルードは笑ったようだった。無愛想な彼にしては珍しいことである。
 どうやら、エルードも戦は厭だと思っているようだ。
 アインはそれに少し安堵して、軽くのびをした。そのアインの脇腹をエルードが肘で小突いた。
「何だよ?」
 エルードの視線を追い、アインは眉をひそめた。
 数人の良家の子弟とおぼしき少年達が騎士見習い達にからんでいる。彼らは騎士能力保持者であっても、騎士位を得る必要がない、すなわち、継ぐべき家がある者達であった。
「学院の連中みたいだな」
 王立学院に通う学生、とりわけ騎士能力保持者達と騎士見習い達の関係はあまり良好とはいえない。アイン自身も過去に何度か喧嘩をしたことがある。エルードは傍観を決め込むことが多かったが、たまに矛先が向けられると、徹底した反撃に出ていた。
「後輩達のお手並み拝見といきますかね」
 子供の喧嘩は放っておくに限る。
「そう悠長に構えていられないようだぞ」
 言ってエルードが魔法を発した。
 少年が剣を抜きかけたのだ。
 動きを奪われた少年が、近づいてくる警備隊員の姿を認め、舌打ちしそうな顔になる。
「おまえらな、喧嘩をするのは結構だが、往来で剣を抜くのはやめろ」
「邪魔をするなっ」
 少年の一人がいきり立つ。
「俺達をどこの家の…」
「黙れ、クソガキ」
 襟をつかんでアインが凄む。
「どこの家のクソガキだろうが、王都の治安を乱す者は排除するのが俺達の任務なんだよ」
「お前達も、自重しろ」
 騎士見習い達に向かってエルードが低く言う。
「はい、申し訳ありません」
 騎士見習いの方はさすがに、王都警備隊に逆らおうという気はないらしい。皆、神妙な顔をしているが、かつて騎士見習いであった彼らは騙されなかった。いつか、機会をみて、お礼参りを企てるに違いない。
「不服があるなら、町はずれで『手合わせ』に立ち会ってやる」
「俺としては、このまま祭見物を続けることをお勧めするけどな。せっかくの新年祭を自室で謹慎して過ごしたくはないだろう?」
 親切面して交互に脅しをかける二人を新入りの警備隊員が感心したように見ているのだが、二人は頓着しなかった。
「…行くぞ」
 束縛を解かれた少年が、多少の自制心はあったらしく、踵を返した。腰巾着達が慌てて後を追う。
「はい、一件落着」
「よろしいのですか?」
 騎士見習いの少女の声にアインは振り返った。
「何が?」
「今の人物はシジェン伯の子息ですが」
「言ったろーが、どこの家のクソガキだろうが、関係ないって」
「心配する必要はない」
「しかし…」
「俺達には女王陛下という強力極まりない後ろ盾がいるだろ?」
 王都警備隊は国王直属部隊でもあるのだ。
「必ずしも陛下が向こうに非があったとお認めになるかどうかは」
「非がどちらにあるかは関係ない」
 きっぱりとエルードが断言する。
 目を丸くする騎士見習い達にアインは笑った。
「おまえら、王宮にいるんなら、陛下がどっちの味方をするか、わかるだろうが」
 と、二人の後ろに控えていた新人がくすくす笑い出した。
「分かりました」
「そら、みろ。ちょっと考えれば、分かることだぞ」
 騎士見習い達は、ますます困惑した顔になる。
 今年の秋に王宮に入ったばかりだと、こんなものなのだろうかとアインはちょっと首を傾げた。
「分かんないんなら、いい。そのうち分かるようになるからな。じゃあな、おとなしく祭見物しろよ」
 ああいう時代が俺達にもあったかなあと考えつつ、アインは歩き出した。
「…こういうことが分かるようになるのも、どうかと思うが」
 複雑そうな表情を浮かべてエルードが呟く。
「…王宮で訓練を受けた証拠になりそうだけどな」
 やはり、同じように複雑な気分になってアインは応えた。
「念のためにお聞きしますけれど、陛下が俺達の味方をするという根拠は…」
 新入りが言い、次の瞬間、三人の声は見事に同調した。
「『あの連中に比べれば、騎士見習いを含め俺達の方が顔がいい』」
 しばらくの沈黙の後、盛大なため息が漏れた。
「…王宮で訓練を受ける意義って、何なんですかね」
「…考えるな、物凄く虚しくなるぞ」
 何やら虚脱感に苛まされ始めた若者達の耳に折良く何かの破壊音が届いた。
「向こうの酒場だな」
 アインは自分が王都警備隊に配属されたことに感謝しながら駆けだした。
 憂さ晴らしが仕事でできる。
 若者達は勤務に没頭することに決めた。


 澄んだ楽の音が空間を満たしていた。
 人々の視線の先で聖職にある娘達が優雅な動きで舞っている。
 白を基調にした神官服を彩る金糸の刺繍はで太陽を模したものだ。
 蝋燭ではなく、魔法によって呼び出された光が彼女達を柔らかく包み、幻想的な雰囲気を紡ぎだしている。
「心が洗われるなあ」
 一日の仕事を終えて奉納舞の見物に来ていたアインが感嘆をもらす。
「あの中の一人がエセルだって分かっていても、有り難い気分になる」
「…神官長殿の演出がいいんだろう」
 無理矢理アインにつき合わされたエルードが不機嫌な声で応じた。素直に感動するには、あまりにも鬱屈したものを舞い手の一人に対して彼は持っているのだ。
「ま、それもあるけどな。気持ちよく寄進できるから、いいんじゃないか。それにしても、本当に綺麗だよなあ」
 アインはどこぞの女王と違って、面食いというわけでもないが、それでもやはり美人は好きだった。
「実はユリクの奴も面食いなのかもな」
 唐突に言い出したアインにエルードが呆れたような目を向ける。
「あいつ、もてる割に女に興味を持たないだろ?ああいう幼なじみに囲まれていると、基準も高くなるんじゃないかと思ってさ」
 性格はともかく、エセルも美人の部類に入る。もっとも、美人以前の問題で、アインから見ればエセルは女に分類されていないのだが。
「…ああいうのに囲まれて育ったせいで、女に幻想を抱いていないというのなら分かるが」
 エセルだけでなく、もう一人のユリクの幼なじみ、リシュテの性格をも多少理解しているエルードの呟きはわき起こった拍手喝采に消されてアインの耳には届かなかった。
「よし、明日も見に…」
 突然、アインは動きを止めた。
 今、何か、見てはならないものを見てしまったような気がする。
 目をそらし、アインは隣のエルードの腕をつかんだ。
「なんだ?」
「右手の二階席」
 二階席は高位の神官用のものだ。エルードは顔を上げて確認すると、アインと同じようにすぐに視線をそらした。
「幻覚だ」
 力強く、エルードは断言した。
「だな。疲れてるんだよな、俺達」
 アレは自分たちの管轄ではない。「取り締まる」べきは近衛騎士の連中だ。
 人々の流れに合わせて、彼らは神殿の外に出た。
「俺は何も見なかった、何も見なかった」
 アインは必死に自分に言い聞かせている。
 …だが、それにしても。
「どうやって、ここまで来たんだろうな…」
「クルス・アディン殿は魔法士だ」
 この魔法士の少ない南陽王国では隠蔽の術でも使えば人に気づかれず行動する事は比較的容易にできる。
「クルス・アディン殿は凄腕だし、護衛の必要はないとは思うが…」
 だが、やはり、王都警備隊員としては、女王には王宮でおとなしくしていてもらいたい。
「エセルの奴、王宮にまで宣伝に行きやがったな」
 人の迷惑ってもんを少しは考えろと夜空に向かってアインがわめく。それは女王にも当てはまるのだが、さすがに女王に向かってそう言うだけの勇気はない。
「忘れろ」
 達観した表情でエルードが静かに言った。
「よし、飲むぞ」
 思考の切り替えが早くなくては王都警備隊は務まらない。
 若者達は女王一家の「幻影」の記憶を消すべく、まっすぐに酒場に向かったのであった。