女王と騎士

騎士の非日常〜Queen's Marriage〜

 女王の結婚祝いに王都はわきかえっていた。一体、どこから集めたのだと不思議なまでにたくさんの花々が軒先や窓に飾られ、通りは花の香りでむせかえるようだった。それらは民の間でいかに女王の人気が高いか示していた。すべて自発的に住民が行ったことだからだ。貴族達の間では何かと悪い噂が絶えないが、豪気で美人な女王様は民衆には受けが良い。直属する近衛騎士達の存在も、それに一役買っていた。彼らは弱きを助け強きをくじく見本であったからだ。
 楽士達が賑やかな音楽を奏でる広場では酒や料理が大盤振る舞いされ、大人から子供まで浮かれ騒いでいる。彼らは女王の婚礼行列がいつ出て来るかと待ち侘びていた。

 くすくす笑いながら花婿の控室に入って来た友人にクルスは怪訝そうな目を向けた。西の宵闇公国からはるばる結婚祝いにかけつけた友人は、その目に気付くと、笑いを止め、
「先ほど、女王陛下に挨拶に伺ったのだが…」
 と説明を始めた。女王が花婿の様子を覗きに行こうとして、侍女達に取り押さえられたらしい。侍女達は当日見てのお楽しみと試着の段階でも花婿の婚礼衣装を女王に見せようとはしなかったのだ。式の三日前から、それぞれ清めに入るため、顔を合わせていないことも不満だったらしい。
「『式の間は忌ま忌ましい爺の顔を見てなくてはならないし、行列の間は民達に愛想振り撒かないといけないし、宴会の間は面白くもない貴族どもの顔を見て挨拶を聞かねばならない。じっくり鑑賞する暇がないんだぞっ!』と、おっしゃっていたな」
 再び、宵闇公国の第二公子は笑い始めた。
「花嫁と花婿の立場がまるで逆だ。まあ、確かに、君は見ごたえのある花婿かもしれないが」
「…ほっといてくれ」
 まったく、友人とはいえ、こんな男を控室まで入れるのではなかったとクルスは少々後悔しつつあった。

 女王は古参の侍女に叱られ、おとなしく、椅子に座った。ちょっとくらい、いいじゃないかとぶちぶち言うのを侍女が黙らせ、白粉をはたき、唇に紅をのせる。王家の伝統である深紅の花嫁衣装をまとい、きっちりと化粧をほどこされた女王は我が姉ながら、美しく見える。外見だけなら、誰も文句はつけられまい。そんなことをアシュリーズは考えながら眺めていた。
「アシュリーズ様もお化粧します?」
 不意に声をかけられ、恐ろしげに首を横に振る。顔に塗る感触がどうも好きになれないのだ。化粧までは強制されなかったものの、髪だけは後ろで堅い三つ編みに編まれ、宝石のついた髪留めをつけられた。耳飾りも小振りなものをつけられている。少なくとも、他の近衛騎士と区別がつくようにしていただきます、と侍女達に押し切られたのだ。なにしろ、アシュリーズは近衛騎士の礼服を纏っている。礼服は白絹に金糸の刺繍が施されたもので、十分に華やかなのだが、侍女達は長衣を着せたかったらしい。
「アシュリーズの結婚式の衣装もそのうち頼むぞ、ミューカ」
「任せてくださいな」
 女王と衣装係の少女にアシュリーズは肩を竦めた。結婚式など挙げるつもりは毛頭ない。ヴェルシュを味方につけてあるので、女王を出し抜くことはさほど難しくはないだろうとアシュリーズは見当をつけていた。
 時を告げる鐘が鳴る。
「さて、行くか」
 ベールを被り、立ち上がった女王の手をとり、アシュリーズは扉に向かった。


 聖堂内には女神官達の詠唱が響いていた。式自体に参列するのはごく近しい親戚筋の人々と見届け人である重臣達だけだ。ただ親戚筋といっても、今回は先の王妃、すなわち、女王の母親の血縁者しか招かれていなかった。王家の血を引く者達は当分の間、王宮への出入りを禁止されたのである。
 守護神として崇められている太陽の女神と結婚を司る大地の女神に祝福を請い願い、祭壇の前にひざまづいていた新郎新婦が立ち上がる。神官長の言葉とともに、列席者達がこの婚姻の承認のしるしに拍手を送った。これで儀式は終了だ。ルーダルは側面の出入り口から外に出た。表で待っている人々に知らせ、馬車を用意する。近衛騎士達の乗馬は白馬を揃えており、これらが馬車の前後を警護するのだ。ざわめきが近付いて、女王とその夫が姿を現した途端、門の前で待ち構えていた人々が歓声をあげた。
 先頭を近衛騎士隊長、続いてイェナとヴェルシュが馬を並べる。それから女王夫妻を乗せた馬車、そのすぐ後ろにルーダルがアシュリーズと並び、後ろにウェイがつく。そのまた背後には楽団が賑やかに続いた。
 どうやら、ミューカの仕事は成功したようだ。
 沿道の人々の様子を見ながら、ルーダルはそんなことを考えていた。皆、嬉しそうな顔をしているが、とりわけ、年頃の娘達はうっとりとした顔で女王夫妻を目で追い、溜息をついている。きっと、紅色が流行するわよと衣装係の少女は交易商人である兄に染料と織物の取引をすすめていた。多分、その予測は当たるだろう。人込みにまじって、騎士見習いの少年達が男を引っ張って行くのが見えた。彼らも大変だろうが、ルーダルとしては見世物になるよりは、彼らに混じって、不審人物の摘発をしていたかった。あれで男だなんて、というささやきが耳に入るたびに、鋭い視線を声の主に投げて凍り付かせる近衛騎士であった。

 今夜も古狸相手なんて、ついていないわ。
 隣国の大使相手に談笑しながら、イェナはそんなことを考えていた。この古狸は、親交の深い洸王国の駐在大使なのだが、目を離すとすぐに廷臣達から情報を探り出す、油断も隙もない男なのだ。一見したところ、人の良さそうな中年男なのだが、その外見に惑わされてはひどい目に遭う。
「いやはや、今夜は格別にお美しい。きっと、心のなかでは『挨拶はいいから、とっととその見苦しい顔をひっこめろ』とでも思っていらっしゃるんでしょうなぁ」
 穏やかな笑顔と声で適確に女王の心情を代弁した男は女王が外交用の笑みを浮かべて、他国の大使の祝辞を受けるのを楽しげに眺めていた。
「あの大使殿、まだまだですな。女王陛下の御機嫌取りをするつもりならば、見目良い従者を伴わねば。さすれば、挨拶を聞いている間、陛下はそちらを眺めて、御機嫌を損じられませぬものを」
「あら、今夜はその見目良い従者はいかがなさいましたの?」
「御夫君に勝る者がいない以上は挨拶は短く済ませるのが一番。後は婚礼祝いの品でごまかしましたよ」
 見事な粒ぞろいの真珠を贈り物に届けたのだ。女王が好きなように細工に使えるよう敢えて加工はしていない。女王の好みを知り尽くしているのだ。
「御夫君とは、数度、言葉を交わしたのみですが、なかなかできた御仁のようですな」
「ゆっくりとお話ができるように取り計らいましょうか?」
「なに、おかまいなく。私も男ですからな、どうせ見張られるならば、イェナ殿のような美人の方がいい。それに、美人目当てに他国の連中も寄って参りますからな」
「相変わらず、お口がうまいこと」
 ほほほと軽やかな笑い声を立てる。その笑い声に引かれるように、他国の客達が近付いて来た。ほら、ごらんなさいとばかりに笑う隣国の大使との間に、いつの頃からか成立してしまった共同戦線を張ってイェナは情報収集を開始した。

 そのつぶやきを耳にした時、クルスは空耳かと思った。紅の婚礼衣装に身を包み、晴れやかな笑みを浮かべたまま、女王は「ひっこめ、不細工」とつぶやいたのである。幸い、彼女の前で挨拶をまくし立てている貴族の男の耳には入らなかったらしい。
「大義であった」
 女神もかくやという笑顔とともに言葉を賜った男は感激の面持ちで御前を去った。彼が頭を下げた途端に女王が視線をそらして、傍らの夫に目を向けていたことにも気付かない。
「うむ、すぐに目の保養ができるのは良いものだな」
 うんうんと頷いている。おそらく、この会話が聞こえない人々は新婚夫婦のほほえましいやり取りを想像していることだろう。
「ジラッド公子のような客ばかりだと、なお良いのだが」
 それは困る。すでに、さんざん、彼にはからかわれたのだ。今もなお、宵闇公国の公子は人の悪い笑みを浮かべて、こちらを眺めている。花嫁に見とれてばかりいては貴族達に侮られるぞとからかいにも似た忠告を彼は遣したが、その花嫁は素直に見とれさせてくれるような相手ではない。次の貴族の名が呼ばれ、しぶしぶと女王は視線を戻した。
 これなら、大丈夫だ。
 貴族の顔を見て、そんなことを考えている自分に気付き、クルスは少々、落ち込んだ。いつの間にか人の容姿に敏感になっている。人を容姿で判断するものではありませぬよと穏やかに言う故国の神官長の姿が思い出された。心のなかで許しを乞いながらも、クルスはすっかり板についている穏やかな笑みを浮かべていた。

 広間の様子にも油断なく目を配りながら、ヴェルシュは次々に報告に現れる騎士見習い達に指示を下していた。広間には近衛騎士隊長、イェナ、アシュリーズがいる上、警護すべき女王の隣には魔法騎士であるクルス・アディンがいるので、まず、身の安全は保障されている。騒ぎを起こされぬよう未然に防ぐということが第一の目的なのだ。王宮周辺の警備にウェイがついているので、まず、魔法士及び騎士の外部からの侵入は無理だろう。王都の治安は第一騎士団が請け負っているし、ルーダルも騎士見習い達とともに出ている。女神官も酒場に出没しているだろうから、多少は抑えにもなるだろう。もっとも、怪我人が出ないという保証はないのだが。
「お茶はいかがです?」
 毒味役にかりだされた女薬師が近付いて来た。彼女は広間に運び込まれる料理に妙なものが混ぜられていないか、見張っていたのだ。料理はすべて出し終わったとのことである。
「何かあったか?」
 差し出された器を受け取りながら尋ねる。
「一度、飲物にあやしげな薬を混ぜたお茶目さんを見付けたので、侍女の方に頼んで、御自分で味わってもらいましたが。毒物ではなくて、下剤だったようですね。多分、特定の人物にいやがらせをするつもりだったのでしょう」
 本物の毒物だったら、どうするんだと言いたくなったが、たいていのものなら解毒はできますという答えが返ってくると分かっていたので、ヴェルシュは黙っていた。この女薬師は女王と同じで、一般とは異なる判断基準を備えているのだ。
「…妙な味がする」
「髪にいい薬草を混ぜてみたんです」
「髪?」
「はい。頭を使い過ぎると禿げると言われていますから、ちょっと心配になりまして。陛下のことですから、禿げたりしたら、近衛騎士から外すでしょう?」
 ヴェルシュは深々と溜息をついた。
「…君が薬師をやめてくれる方が私の髪にも健康にもいいと思うが」
「そうですか?薬師をやめたら、毒薬使いになるしか、他に生計を立てる手段がないんですけど」
 首をわずかに傾げておっとりと言う。
「その方がいい。遠慮なく、逮捕できるからな」
「でも、証拠は残しませんよ」
 くすっと女薬師は笑った。柔らかで儚げなこの笑みに何も知らぬ男達はあっさりと騙されて、いいように利用されるのだ。
 近衛騎士を辞め、田舎の領地に引き上げて、のんびり暮らせるのであれば、禿げるのもいいかもしれないと結構本気でヴェルシュは考えていた。

 宴が終わり、次々と客達が引き上げて行く。その流れと逆に真っすぐに王宮を目がけてやって来る騎士の存在を感知してウェイは微かに眉を寄せた。念のために、その侵入者のもとへと向かう。予想どおり、王宮の高い塀を乗り越えて現れたのは陽神殿の女神官だった。何故、門を使わぬのかは尋ねるまでもない。正式な手続きを踏んで入るのが面倒だからだ。女神官は酒瓶ならぬ酒樽を小わきに抱えていた。
「『花嫁の父』に挨拶に来たのだ」
 問われもしない、訪問の理由を述べる女神官にウェイは軽く頷いた。止める気など、彼にはなかった。
「おすそ分けだ」
 長い袖の中から小さな酒瓶を取り出して放る。近衛騎士は片手でそれを受け止めた。
「秘蔵の酒だ。味わって飲むのだぞ」
 外衣の裾をはらい、颯爽と女神官は歩み去った。近衛騎士隊長とイェナと三人で飲むつもりでいるのだ。オルトの巻添えを食らって女神官の酒席につき合わされたことのあるウェイはそのうわばみぶりを知っていた。女神官は、どれほど酒を飲んでも酔うことのない、酔えない人間だ。
「…リュイと同じだな」
 つぶやいて、ウェイは闇に沈んだ庭を歩み去った。

 女神官の姿を認めると、イェナはひらひらと手を振った。
「いらっしゃ〜い、遅いわよ、トーヴァ」
 女近衛騎士はすでに酔いが回りつつあるようだった。
「すまぬな。馬鹿な騎士ども相手に運動していたのだ。めでたい席だから、景気よく派手にぶっとばしてやったぞ」
 けらけらとイェナは笑った。陽気な女騎士と対照的にシェイドは静かに酒杯を傾けている。
「いかがかな、『花嫁の父』の心境は?」
 だんっと横の小卓に酒樽を置いてトーヴァが言った。
「そう悪いものでもありませぬな」
 微かに笑みを浮かべて応える。
「今後も、手がかかることは変わりないということかな。クルス・アディン殿お一人の手には余りますし」
 椅子に腰掛け、トーヴァは差し出された酒杯を受け取った。
「なんだか、おかしな感じがするわ。ついこの間まで、いたずらしてはシェイド殿に押しおきされていたアシャラーナ様が花嫁なんですもの」
「今とて、変わりはないと思うが。花嫁の心得とやらを聞かせて差し上げたのかな?」
「花婿の気力が萎えないように、余計なおしゃべりはするなと申し上げておいたわ。陛下は黙っていらっしゃる方が色気がある、とね」
「それはそれは」
 くつくつとトーヴァは肩を震わせた。もし、その忠告に女王が従ったら、クルス・アディンはさぞかし不審に思うに違いない。
「各国の大使達が花婿が結婚式までに逃げ出すかどうか、賭けをしていたのは知っていて?」
 彼らの多くはクルス・アディンの線の細い外見に騙されている。人当りは良く、しっぽはつかまさずという方針に沿って、彼は猫かぶりを続けていた。
「ほう?酒場では女王陛下の最初の御子は男か女かという賭けが始まっていたが」
「気の早いこと」
 くすくすとイェナが笑う。
「でも、お世継ぎが生まれるまでに、よい守役を見付けておかねば、またシェイド殿に押し付けられますわよ」
「それは勘弁して頂きたいものだ」
 シェイドは微かに苦笑を浮かべた。
「私が守役になって差し上げようと申し出たら、親父どもがやめてくれと泣いてすがったぞ。陛下の二の舞になるとかなんとか」
 別に私が育てた訳でもないのにとトーヴァは文句をつけて酒杯を空けた。
「そうよねぇ。影響は受けたかもしれなくても、基本的な性格はお小さい頃から変わっていらっしゃらないもの」
 近衛騎士として、女王が生まれる前から王宮勤めをしているイェナが首を傾げる。床から離れられない王妃が元気なのはいいことだといたずらをして回る娘を大目に見たのがいけなかったのかもしれない。
「でも、面食いになられたのは間違いなくシェイド殿の影響ですわよ?」
 その言葉にシェイドは眉を上げた。
「小さい頃から、シェイド殿のような騎士を見慣れておれば、基準も高くなろうというもの。この様子だと、お子様方も面食いになられような」
 周りに顔と腕の良い近衛騎士が揃っているのだからとトーヴァは笑った。
 ようやく結婚式までこぎつけたばかりだというのに気が早いことだと苦笑するシェイドになみなみと酒をついだ杯を女神官が突き付けた。
「秘蔵の酒でしてな。今晩こそ、貴公を酔い潰してみようかと思っておるのですよ」
「あら、酔い潰して何する気?」
「それは言えない」
 女達が陽気に笑う。シェイドは南陽王国の女性はとても元気がいいとクルス・アディンが感心していたことを思い出していた。

 東の空が白み始めてようやく、トーヴァは立ち上がった。
「朝の祈祷が始まるゆえ、これにて失礼」
 先程まで酒を飲んでいた人間とはとても思えぬ、しっかりした口調ときびきびした動きである。
「では、このままで失礼する」
 今、立ち上がったら、足に来るだろうと予測がつくだけの判断力はシェイドにもまだ残っていた。
「イェナ殿と噂が立たぬよう、用心なさることだ」
 長椅子の上で寝息を立てている女騎士に目を向けて、笑って言うと女神官はさっと窓から身を翻して出て行った。その姿を見送り、シェイドは自分も年をとったものだと苦いもののまじった笑みをこぼした。
 まあ、今日くらいは、さすがの陛下もおとなしくしておられようし、問題は起こることもあるまい。
 早朝の空気を震わせる小鳥のさえずりに耳を傾けながら、シェイドはゆっくりと酒が抜けるのを待っていた。