女王と騎士

夜にゆくもの(前編)

 それは真夜中だった。
 南陽王国西部の小領主ローエル家の後継ぎは喉の渇きを覚えて自分の部屋を出た。
 微かな月明かりに照らされただけの暗い廊下を脅えることなく、すたすたと歩き、用を済ませて戻る途中、人の声を耳にした。声は館の中心にある居間から聞こえてくるようだった。
 彼はまだ七歳になって間もなかったが騎士能力に目覚めていたので大人達の低い話し声を聞き取ることができた。
「また赤子を世話することになるとは思わなかった」
 低い女の声がした。平坦な口調だが、どこか面白がっているようにも感じられた。
 赤子?
 今日の夕方、王都から若い夫婦が客として、この館を訪れたことは知っている。挨拶で顔を合わせただけだから、訪問の理由は知らない。彼らは幼い子供を一人連れていた。その子のことだろうか?
「御免なさい、リュイ」
 母親の細い声。
「謝ることはない。私はむしろ貴方に恩を返す機会を与えてくれたことに感謝しているのだ、セレイン」
 少年はあくびをすると、自分の寝室に戻った。
 翌朝、若い夫婦と朝食の席を同じにした。彼らは幼子を連れていた。昨日、挨拶した時の子供とは違うようにも見えたが、はっきりとした違いを見付けることはできなかった。だが、その母親の声は昨夜、耳にしたものとは違っていた。
 夢だったのだろうか。
 彼は少し考え、両親に言うほどのことではないと判断し、行儀よく静かに朝食を取った。昨夜のことが夢ではなかったことを知るのは、ずっと後になってからのことだった。

 欠けた月が中天を過ぎてゆく。
 真夜中を過ぎていたが、彼は目覚めていた。
 もしも、その場を通り掛かった人間がいたなら、ひどく驚いたことだろう。
 五才にもならぬ子供が一人でひざを抱えて木の根元に座っているのだ。おまけに、泣き出す所か不安な様子も見せないのだから、異様ですらある。
 しかし、幸いなことに、真夜中に道を外れた木立のなかを通るようなもの好きな人間はいず、夜行性の動物くらいしか、その姿を見るものはなかった。
「待たせたな、ウェイ」
 気配すら感じさせず、突如として闇の中から現れた母親に驚くことなく、子供は立ち上がった。そして、母親が腕に抱えているものに気付いた。
「名前はアシュリーズだ」
 母親は彼によく見えるようにひざをついた。
 彼はその子供と母親を交互に見比べた。
「リュイが生んだのか?」
 すると、母親は珍しく声を立てて笑った。
「いいや。私一人で子供を生むことはできない。預かりものだ」
 眠っていた子供は笑い声に目を覚ました。
 ゆっくりと身動きして琥珀色の目を彼に向けた。月明かりのなかで、どこか不思議そうな顔で彼を眺めている。
「お前が守るべきものだ、ウェイ」
「いつまで?」
「守る必要がなくなる時まで」
 彼は眉を寄せた。
「それは、いつ?」
「お前が望む限りは、ずっとだ」
「ずっと一緒なのか?」
「ああ。お前はこの子のそばを離れてはいけない」
 彼は母親以外の人間と共に長く時を過ごしたことはなかった。その母親も時折、彼を残して、いなくなる時がある。誰かと一緒にいられることが、彼にはひどく嬉しく感じられた。それゆえ、彼は幼かったが、この夜のことを忘れることはなかった。


 ローエル家の領地は南陽王国西分の丘陵地帯にあった。主要街道からも外れたのんびりした土地で、穏やかな領主の下、領民達はやはり穏やかに生活を営んでいた。
 領主のヴァナル・リア・ローエルは温厚で誠実な人柄のために、近隣領主の信頼を集め、しばしば領主間の諍いの調停役を務めていた。領主夫人セレイン・ネル・ローエルは元王宮仕えをしていただけに、垢抜けた雰囲気のある才女で、夫を支え、しっかりと館を切盛していたが、誰に対しても優しい心遣いをもって接していた。領主夫妻は近隣の領主達にとっては良き隣人であり、領民にとっては良き主だった。彼らはその人柄ゆえに多くの人間に慕われていた。
 どうして、この二人のような人物の間に自分のような息子が生まれたのだろう。
 ローエル家の一人息子ヴェルシュ・リア・ローエルは三年ぶりに顔を合わせた両親と向かい合って食事を取りながら、そんなことを考えていた。
 彼は王都にある学院で学問を修め、この夏の終わりに帰郷したばかりである。もうしばらく、国を見て回った後には腰を落着けて、父親を補佐するつもりでいる。学院では、更に勉学の道を進むことを望まれたが、自尊心ばかり高い大貴族の子弟の間で暮らすのは、もう十分だった。おとなしくいじめられたりする彼では勿論なく、二度と手だしする気が起こらないように徹底的にやり返すことなどお手のものだが、そういう連中を相手にするよりは田舎で家畜の群れを相手にする方がましだと思っていた。連中に比べれば、まだしも家畜の方が自分のなすべきことを心得ているというのが彼の持論だった。
 自分一人ならば、宮廷に仕え、他人を蹴落として出世するという道も選んだかもしれないが、両親に迷惑をかけるわけにはいかない。彼はそのうち適当な家から嫁を貰って、領地を継ぎ、子供をもうけ、この地に骨を埋めるという十八才の若者にしては野心のかけらもない人生計画を立てていた。その計画は敢え無く崩れ去ることになるのだが、この時の彼がそれを知るはずもなかった。
 食事を終えたところで、母親が口を開いた。
「先日、リュイから手紙が届いたの。近いうちにここに来るはずよ」
 リュイという女騎士が母親の友人であることは知っていた。彼女は半年に一度程、手紙をよこし、そして、数年に一度、この館に立ち寄る。その度、ヴェルシュは彼女の子供達の遊び相手をするように言われるのだが、少なくとも一人に対してはその必要はないといつも思っていた。年長の方の子供は彼より年下であったが、彼と同様に子供らしさに欠ける子供で、更に徹底して愛想が欠けていた。笑顔を見せることは非常に稀で、それも、本当に笑ったのかどうか、確信を持てぬようなものだ。ただヴェルシュとしては、子供らしからぬという点で彼を気にいっていた。もう一人の子供は、さすがに六才も年下ということで友人というわけにはいかなかったが、それなりに子供らしい少女はかわいく思えた。何より、二人とも、彼が気をつかわなければ機嫌を損ねる、甘やかされたわがままな子供ではない。それゆえ、ヴェルシュにしてみれば、付き合い易い相手であった。
「ヴェルシュ、貴方のことだから、何か特別な事情があるとは分かっているのでしょう?」
 その言葉に父親のヴァナルが苦笑をこぼす。今更、隠すことでもないのでヴェルシュは素直に認めた。
「ええ。いくら友人と言っても、定期的に連絡を取るのは少々不自然ですし、それに王都では色々と噂も耳にしました」
 それを聞いて、父親は眉を上げた。青い瞳に面白がっている表情を浮かべる。息子がすでに真相をつかんでいるらしいと察したのだろう。
「我らの息子は実に油断ならぬ相手だな、セレイン」
 と、楽しげに笑う。
「どういう噂を耳にしたか教えて貰えるか?」
「そんなに多くはありません。亡き王妃様は世継ぎの誕生を喜ばぬ輩に毒を漏られたという噂と亡き王妃様が産んだのは双子だったという噂。そして、国王陛下の唯一人のお子様とされる王女殿下がしばしば刺客に襲撃されているという噂。最後の噂は、実際に、刺客を差し向けたということで王族の方々が処罰を受けましたから、事実であるはずですが。最新の噂に陛下は王女殿下が即位するのに邪魔になる王族の排除に乗り出したというものもあります」
 微かに両親は眉を寄せた。「最新の噂」を不快に思ったのであろう。
「…それから、決定的だったのは、国王陛下が王女殿下を連れて学院を視察に来られた際、間近にお顔を拝見する機会に恵まれたことです」
 ふむとヴァナルはあごを撫でた。
「ここまで分かっておれば、もはや言うことはないな。やはり、似ておられたか?」
「ええ。姉妹ではないと言う方が難しいでしょう」
「ふむ、困ったな」
「そんなに似ていらして?」
 両親の反応にヴェルシュは少し戸惑った。似ていない双子もいるものであるが、多くの場合、似ている方が多い。
「そうですね、ぱっと見た感じでは印象が違うので気付かないかもしれませんけど、どちらかをよく知っている人間ならばすぐ分かると思います。何か問題でも?」
 セレインは優しげな茶色の目を伏せた。
「…リュイの体調が良くないらしいの。本当なら、後二年くらいは戻らないつもりだったのだけども、時間がもうないと…」
 ヴァナルがその肩に手を置く。
「早い話が、ウェイとリーズの二人を我家に引き取ることになったというわけだ。その心構えをしておいてくれ」
「わかりました」
 厄介なことになったと思いつつも、それを表に出す事なく、ヴェルシュは了承した。
 そして、王都の友人に手紙でも出して、探りを入れておくかと彼はすでに対策を練り始めていたのだった。

 そこは東大街道と呼ばれる大陸の主要街道の外れだった。
 木立のなかで、ささやかな焚火が夜を照らしていた。日中はまだ暑い程だが、夜気には秋の気配が漂い始めていた。
 その炎に照らされているのは、三人の人間だった。
 一人は焚火から離れて横たわっていた。夜目にもそれと分かるほど、血の気のない寝顔で、微かな寝息が聞こえなければ、死んでいるようにも見えた。
 二人は焚火を囲んでいた。十代半ばの少年と、十代はじめの少女。どちらも、横に刀を置いて座っている。それらは先日、今横になっている人物から彼らが譲り受けたものだった。対になった双刀を、母親は子供達に分け与えた。
 少女はわざと養母の姿が見えないように背を向けて、小さな焚火を見詰めていた。
 琥珀色の瞳のなかで、ちらちらと金の炎が踊る。
 そだを一枝くべて、ウェイは声をかけた。
「リーズ、もう寝ろ」
 アシュリーズは首を横に振った。
「眠れない」
「…リュイはお前に何も言わずに逝ったりはしない」
 その言葉にアシュリーズは体を強張らせた。
 恐らく、自分自身の死をこのように恐れることはないだろう。
 これまで自分から大切なものを奪おうとするものとは闘えば良かった。だが、長い時の果てにたどり着く死とは闘えない。寿命だとリュイは言った。彼女は外見年齢の何倍となく、年を重ねていた。詳しいことは分からぬが、彼女がなんらかの特殊な能力を備えた人間であることはアシュリーズも知っていた。
 ウェイは手を伸ばし、その頭をなだめるように撫でた。そのまま肩を抱くと、ゆっくりと体から力が抜けた。僅かな重みが彼の肩に加わる。
 大きくなったなとウェイはふと思った。
 母親がとても幼かった彼女を連れて来た夜のことを思い出す。
 あれからずっと、この少女は守るべきものだった。
 母親にそう言われたからではない。
 共にあるためには、戦わなくてはならなかったからだ。
 ずっと一緒にいても良いのだと母親が言ったから、何がなんでも守ろうと思った。
 それまでは親しくなった人間も、なじんだ土地も、時がくれば彼から奪われていくものだった。共にあるものなど、母親以外にはなかった。その母親も時として、彼を一人残し戦場に出て行った。いつか母親も失われるのだと、幼いながら漠然と感じていた。
 だが、アシュリーズが来てからは、彼が一人になったことはない。
 おそらく自分は、この少女が守られることを必要としている以上に、彼女の存在を必要としているのだろう。
 肩にかかる重みが更に増した。少女はいつの間にか寝入っていた。
 おそらく、母親を失うよりも、この少女を失う方が自分にはつらいだろう。
 ウェイは起こさぬように、そっと黒髪に指を滑らせた。


 相変わらず無愛想だ。
 数年振に顔を合わせた少年を見ながらヴェルシュはそう思った。
 すでに自分と変わらぬ身長に達しているウェイはもうすぐ十六才になるはずだが、年齢よりも大人びて見えた。必要最低限の口しか利かない彼はヴェルシュを認めると軽く目礼を返した。リーズの方は目が合うと微かに笑顔になった。彼女も同年代の少女達に比べれば愛想はないが、ウェイと兄妹として育っていながら、これだけ愛想があれば十分だとヴェルシュは考えていた。
 二人の母親である女騎士は見るからに顔色が悪く、すぐに休むように部屋に案内されて行った。
「さてと…リーズ、君は血縁上の家族について、どのくらい知っているかな?」
 いきなりヴァナルに質問された少女は少し戸惑ったようだが、すぐに答えた。
「父親はかなり身分の高い人間で、騎士能力者。母親は七年前に亡くなった。双子の姉が一人いる」
「それだけかね?」
「…南陽王国の人間」
 そんなこと聞かれても困ると言いたげな顔をしている。過去にヴェルシュがなにげなく探りを入れた時も、彼女は血のつながった家族というものにさしたる興味を抱いてはいなかった。まったく興味を持たぬわけでもないが、知ったところでどうなるものでもないと思っているような節があり、その妙に達観いているところが、ウェイと共通している
「会いたいとは思わないかね?」
「会ってみたいが、今は会えない理由があるのだから、会おうとは思わない」
 ヴェルシュは口元を手で押えた。
 口調がウェイとそっくりだ。
 もっと正確に言うのならば、ウェイもリーズも「母親」に似ているのだ。あの女騎士は彼らの「母親」に違いないのだが、世の中の一般的な母親像とは異なる存在だった。ゆえに彼らの在り方も世の中の一般的な親子関係とは異なっている。
「ふーむ。双子の姉は実の親と一緒に暮らしているのに、君はリュイに預けられたわけだが、不満には思わないかね?」
 少女はきょとんとした顔になった。
「どうして?私にはリュイとウェイがいるのに」
 ヴァナルは満足そうに笑った。
 少女がその生活に満足していることは明らかだった。


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