女王と騎士

夜にゆくもの(後編)

 黄金色に染まった畑で農夫達が忙しそうに収穫作業を進めるのをアシュリーズは丘の上から眺めていた。どこでも見られる農村の風景だが、旅暮らしで、ほとんど町から町へと移動していた彼女は、じっくりと眺めたことがなかった。
 一人の若者を乗せた馬がゆっくりと丘を上って来た。
「面白いかい?」
 馬から降りて、ヴェルシュが尋ねた。隣の領主に招かれて出掛けた父親に代わり、領内の見回りから帰ったところなのだろう。ここの領主は小さな領地の見回りを日課としているのだ。領民の間で何か不都合が起きた時、館まで訴えにくる手間が省けるだろうと彼は言っているが、領民達が領主の手を煩わせるほどの不祥事を起こすことはめったになかった。
「うん。あれは、何をしているんだ?」
 子供達が刈り入れの終わった畑の上をちょろちょろと動き回っているのを指さす。
「落ちた穂を拾っているんだ。まあ、半分くらいは遊んでいるけど、立派なお手伝いだ」
 私もやったことがあるとちょっと笑って付け加えた。
「ヴェルシュは色々なことを知ってるんだな」
「まあ、知識だけなら多いかもしれないが、大切なのはその使い方だ」
 分からないという顔をすると、すぐに言い換えた。
「どんなにいい剣を持っていても、腕が伴わなければ役に立たないというのと同じだ」
 それなら、わかる。
「知識も、『武器』になるのか?」
「なる。だからこそ、私の父は君に学問を身につけることをすすめたんだ。君が相手にしなくちゃならない『敵』の中には剣では倒せぬ者もいるからな」
 アシュリーズは頷いた。先日から、彼女とウェイは、このヴェルシュに勉強を教えて貰っている。読み書きや計算はリュイに習っていたから、特に困ることはなかった。ただ、読み書きの基礎として古代語を教えられていたことをヴェルシュには驚かれた。現在、使われている大陸の言語は全てこの古代語が基礎になっているので、これを理解していれば、どこの国の言葉でも覚えるのが楽になるとリュイは真っ先に教えたのだ。お陰で、文法とやらの勉強は免除された。
 勉強は嫌いではない。考えている間は、気が紛れる。
 人の死というものには、慣れたつもりだった。すでに自分の手で人の命を奪ったこともある。自分の死すら、覚悟したこともあった。
 それなのに、リュイの死は受け入れられない。
 死は誰にでも訪れる。頭では理解しているのに、心がそれを認めたがらないのだ。
「帰ろう。心配症の母上が心配する」
 アシュリーズは素直に立ち上がった。
「あそこで、しっかりと見張っている人間がいるから、そんな心配は無用なんだが」
 隣の丘の上にある館を見ながらヴェルシュが笑う。アシュリーズはつられて少し笑った。
「リュイとウェイから見えない所には行くなって小さい頃から言い聞かされているんだ」
 まず間違いなく、自分が最初に覚えた自分の身の守り方だろう。二人と一緒にいれば、安全は確保された。敵は自分の命を狙う者と身柄を狙う者とがいたが、どちらも二人から引き離そうとする点において同じだった。
「…それなのに、リュイはいなくなる」
 ぽんっとヴェルシュが頭の上に手を置いた。
「どこにいても、リュイもウェイも君を見守り続けることに変わりはない」
 アシュリーズは微かに頷いた。

 窓辺に立って、外を眺めていたウェイは細い声で名を呼ばれて、振り返った。
 自分と同じ灰銀の瞳が彼を見据えていた。
「リーズを縛るな」
 ウェイは微かに身じろぎした。
「お前だけを頼らせるな。一人で歩かせろ」
 幼い頃から、言われ続けた言葉だった。
 一人で生きていけない人間にするなと繰り返しリュイは言った。
 ウェイは黙ったまま頷いた。
「お前は妙なところで父親に似ている」
 母親が父親のことを口にするのは珍しいことだった。
 血の気の多い若造だったと苦笑まじりに言うだけで、詳しくは語ろうとしなかったし、ウェイ自身も聞こうとは思わなかった。
「相手の意思も無視して、好き勝手に行動する馬鹿なところが、そっくりだ」
 かつての恋人と自分の息子に対してあまりな言いようだが、ウェイは反駁できなかった。母親は見てないようで、彼のことをよく見ている。
「あまり勝手なことばかりしていると、リーズに逃げられるぞ」
 からかうように言って、大儀そうに息を吐くと目を閉じた。すぐに、呼吸は微かな寝息に変わった。
 次第に目覚める間隔が間遠になっている。昨日は一日目覚めなかった。寿命が尽きるまで、そう長くはないだろう。
 年齢不詳の寝顔をウェイは見詰めた。
 彼女は自分自身の死を喜んでいるように思えた。

 母親に頼まれ、わずかな時間、女騎士に付き添うことになったヴェルシュは窓辺で書物をめくっていた。王都の学院に残った友人が送って遣したものである。百年程前の名宰相が書き残したといわれる論説文だが、その真偽を巡って論争が繰り広げられているという。誰が書いたかよりも、何が書いてあるかの方が問題だと思うがと友人は同封した手紙のなかで皮肉を込めて感想を述べていた。やはり、この友人は学者よりも政治家向きだとヴェルシュは苦笑をこぼしたものだった。
 微かな気配に、ヴェルシュは書物から顔を上げて、女騎士の横たわる寝台を見遣った。リュイは息子と同じ灰銀色の目を開いて、彼を見ていた。
「ウェイ達を呼びましょうか?」
「いや、いい。まだ時間はある」
 自分の死を妙に冷静に受け止めている女騎士は淡々と言った。ふと、好奇心にかられてヴェルシュは不躾だと思いつつ、疑問を口に出した。彼にしては珍しいことだった。
「死が怖くはないのですか?」
「死んだことがないので、わからんな。知らぬものを怖がるには長く生き過ぎた」
 素っ気ない口調だが、それがいつものしゃべり方であることはウェイ達を相手にしていればわかる。
 ヴェルシュは黙ったまま、母親が二十年以上前に出会った時と少しも変わらぬという女騎士の顔を見詰めた。ウェイとよく似た面差しは端正だったが、言いようのない威圧感を備え、声をかけるのをためらわせるものがある。
「…両親もとんでもない厄介事を引き受けたものだと思っているのだろう?」
 この人物は、自分の心のうちなどお見通しらしい。表に出したことはないが、この事態を厄介だと思っていることは確かだ。
 ヴェルシュは素直に肯定した。
「ええ。父も母も、保身という考えを少しも持ってはくれないのですから困りものです」
 小貴族の身で方々から狙われている王女を匿うなど、余程の野心家か楽天家のどちらかで、ヴェルシュの両親は紛れもなく後者だった。見返りも期待せずに、ただ子供がかわいそうだからという理由だけで動くような人々だ。巻添えになって命を落としても、文句ひとつ言わないことだろう。
「その親達におとなしく従うのだから、お前も相当のお人よしだと思うがな」
「自分でも、そう思います」
 溜息まじりに答えると、リュイは小さく笑った。
「貴方はウェイとリーズを残していくことが心配ではないのですか?」
「全く心残りはないと言えば嘘になる。だが、自分達でどうにかするだろう。それができるように育てたつもりだ」
 それにと灰銀色の瞳でヴェルシュを見据えた。
「お前がついていてくれるのだろう?」
 ヴェルシュは答えに窮した。すでに自分があの二人を見捨てられなくなっていることを、この女騎士は見抜いているのだ。
「お前はセレイン達によく似ているよ」
 人のよい両親に似ているなど言われたのは初めてだった。何も言葉を返せないでいるうちにリュイは眠りについた。
 それきり、ヴェルシュがリュイと言葉を交わすことはなかった。


 騎士の親子が屋敷に滞在を始めてから約二月後の冬の夜、リュイは息子に向かって外に連れ出すよう告げた。
 領主一家は、彼らが出て行くのに気付いたが、何も言わずに見送った。
 大小の影はゆっくりと丘をのぼっていった。
「その辺りでいい」
 息子に抱き抱えられた女騎士は丘の上にある樹木を指さした。
 その根元に降ろされ、幹に寄り掛かったリュイは明かりのついた領主館をしばしの間、見詰めた。だが、その焦点はすでに合っていなかった。彼女は視覚以外のもので、その存在を感じているのだ。
「…セレインは良い友だった」
 ささやくような声でつぶやくと、息子に向かって言った。
「お前の大切なものを守るために、『力』を使うことをためらうな。失って、後悔しても遅いのだから」
 ウェイが頷くと、リュイは娘に手を伸ばした。指先でその輪郭をたどる。
「何が自分にとって大切なのか、それさえ忘れなければ、お前達は幸せになれる。それだけの力を持つのだからな」
 ふっと小さく笑う。
「リーズ、お前にはもうしばらくついていてやりたかったが…ウェイを置いていくから勘弁してくれ」
 涙を指先で拭ってやりながら、リュイは言った。
「おまえ達は時がくれたもののなかで、最も素晴らしいものだった。長い時間を生きて幸せだなどと感じたことは、ほとんどなかったが、おまえ達がその幸せをくれた」
 だから、とリュイはほほ笑んだ。
「私は幸せだった」
 その言葉が終わらぬうちに、リュイの姿は失われ始めた。
 まるで、そこに存在したことが幻だったかのように、姿が薄れ、消えて行く。
 突如、風が巻き起こった。
 蝋燭の炎を吹き消すように、風はリュイであったものの姿をかき消した。
 風が去ると、彼女の身を包んでいた布だけが残されていた。
 嗚咽がもれた。
 ウェイは腕を伸ばすと、少女を抱き寄せた。
 アシュリーズは肩を小刻みに震わせて泣いた。
 ウェイは泣く術を持たなかった。
 幼い頃は泣いたこともあった気がするが、涙を流しても、事態は何も変わらないと悟ってしまってからは、不思議と涙が出なくなった。自分の心のなかで何かが失われてしまったとしか思えない。だが、その失った何かをアシュリーズが補ってくれるような気がしていた。
 欠けた月がゆっくりと空を渡っていった。

 二つの影が並んで丘を降りて来るのをヴェルシュは見守っていた。
 暖炉の前で母親はその夫の肩にそっと寄り掛かっていた。目を閉じて、静かにその友の死を悼んでいる。
「…あれも、こんな月夜でしたね」
 ヴェルシュが小さくつぶやくと、父親が顔を上げた。
「リーズを彼女に預けた時のことですよ。まだ、秋のことでしたが」
「…知っていたのか」
「何がなされているのか、分かってはいませんでしたけれど。ちょうど、夜中に目が覚めて水を飲みに行った帰りに、父上達の声を聞いたんです」
 ヴァナルはふと笑った。
「全く油断のならぬ息子だな、お前は。頼もしい限りだ」
「私はここの暮らしを大切に思っています。ですから、それを壊そうとする者には手加減抜きで立ち向かいます。…それでも、よろしいですか?」
 母親がはっとしたように顔を上げた。
 ヴェルシュの問いかけはこれから彼がなそうとすることに対する確認と同時に両親の許しを求めるものだった。
 遅かれ早かれ、王位継承権を持つ少女がここにいることを、王位を狙う者達は嗅ぎ付けるだろう。今までのように、穏やかに暮らせるはずがないのだ。アシュリーズが王宮に迎えられるまでの三年間足らずの時を戦い抜かねばならない。両親を守るために自分が取る手段には彼らの生き方に反するものも含まれるだろう。リュイが言ったように自分は両親に似ているところもあるが、しかし、彼らほど、優しくはない。
「お前の望む通りに行動するといい」
「何があっても、あなたが私達の息子であることに変わりないわ」
 ヴァナルとセレインは穏やかな声でそれぞれに言った。
「ありがとうございます」
 それが自分を認めてくれたことに対する感謝なのか、自分を信頼してくれたことに対する感謝なのか、ヴェルシュ自身にも分からなかった。
 両親は微笑みでそれに応えた。
 彼は静かに息を吸うと、自身の人生に深く関わることになる二人の人物を迎えるべく扉に向かった。

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