女王と騎士

王宮の日常-招かれざる客-(1)

 春も盛りのある日、南陽王国の王都は朝からお祭り騒ぎだった。
 女王に待望の世継ぎが誕生したのである。広場では王宮から届けられた祝い酒を飲みながら、もともとが陽気な南陽王国の民はめでたいめでたいと浮かれ騒いでいる。女王の最初の子供が男女どちらかという賭けをしていた者も多く、その取り立てに忙しい男や、賭けに負けて逃げ回っている男の姿も見られた。
 王宮の発表によると、生まれたのは健康な男児であった。

 国王の義務を果した女王は見舞いに現れた妹に向かって真剣な顔で言った。
「こんなしんどい思いを何度もするより、絶対、双子や三つ子を産むほうがいいぞ!」
 そう言われた所で意図的に産めるものでもないのだがと思いつつ、アシュリーズは初めて見る甥の顔を覗きこんだ。
「私とクルスの息子であるからには、美形になってもらわねば困るのだが、これでは全く見当がつかん」
 我が子のまだ赤い顔をつついてつまらなそうに言う。アシュリーズも生まれたての赤子を見慣れているわけではないので、同じ気持ちだ。年配の侍女などは、将来、必ずハンサムになると言い切っているのだが、何を根拠に言うのかさっぱり分からない。
 ちなみに、我が子を目にした女王の第一声は「かわいくないっ」であったという。生まれた子供に祝福を与えるべく、付き添っていた女神官は大笑いし、産婆達はこぞって女王を非難した。あれだけ苦労させて、結果がこれかと、我が子に向かって結構ひどいことを言った母親であるが、飽くまでそれは外見に関することで、やはり、我が子はかわいく思っている様子だ。この姉が母親かと思うと、なんとも妙な気分がする。
「アールディオ・ナーン・エルク・リィンド、か」
 南陽王家では生まれて来る子供に男女両方の名を用意し、性別に合った名前に王位継承権を持つことを意味する言葉を添えて、「第一の名前」とする。用意されたもう一つの名前は「第二の名前」となるが、それは子供へ受け継がせることが多い。この甥の名前も、女王の第二の名から取ったものである。もし、女児であったならば、アシャナーン・ディオ・エルク・リィンドとなったことだろう。ちなみに「エルク」は第一子を意味する。
 赤子はふっと目を開けて、小さな瞳でアシュリーズを見詰めた。
 薄く生えた髪は明るい茶だが、目は南陽王国の王家に多い琥珀色だ。
 赤子はなにやら、ふにふにと口元を動かしていたかと思うと、ほわぁほわぁと泣き始めた。
「なんだ、何が不満だ?」
 女王には息子の訴えがさっぱり分からない。
 すぐに乳母が飛んできて、てきぱきとおむつを替え始めた。
 何故、分かる?と女王も王妹も不思議だった。
 そこへ、クルス・アディンが入って来た。何やら嬉しそうな様子だが、子供が生まれて以来、幸せな気分に浸り切っているので、はっきりとは分からない。結婚した時だって、これほど幸せそうな顔はしなかったと女王がぶちぶち言っていたとアシュリーズは女神官から聞いている。
「フェルス兄上がお祝いに来てくださるそうです」
 乳母の腕から息子を受け取りながらクルス・アディンが告げた。息子を抱く様子は堂に入っており、乳母も女王に預けるより安心していた。神殿で暮らしていた彼は奉仕活動として赤子の世話もしたことがあるのだ。
「フェルス・アレン殿が?」
 女王が微かに顔をしかめる。
 氷晶王国の王弟にして、クルス・アディンの異母兄は、厭になったら離縁して戻って来いとクルス・アディンに言い渡しているという。この異母兄弟の間では手紙のやりとりも頻繁で、わざわざ祝いに来るというのだから、その仲の良さが知れるというものだ。今回の訪問は待遇が悪いと国に連れて帰るぞという女王への牽制の意味もあるのかもしれない。
「ディオ、君の叔父上がいらっしゃるんだよ」
 女王の反応を気にもかけず、銀髪の青年は息子をあやしている。
 アシュリーズはちらりと姉に目を走らせた。
 そのうち、母子でクルス・アディン殿の取り合いをしかねないな。
 夫と息子を眺める女王はいたって不服そうな顔をしていた。


 南陽王国の宮廷において、金髪長身という人間は目立つ。ついでに、美形であれば、更に人目を引く。氷晶王国からの客人達ははっきりと視線を感じていた。だが、それらの視線に陰湿なものは含まれておらず、純粋な好奇心のみがあらわれていた。
 落ち着かない様子できょろきょろする連れに、金髪の青年は苦笑をこぼして、その肩に手を置いた。
「いくら南陽王国の女が積極的だと言っても、取って食ったりはせんから安心しろ」
 その言葉にはにかんだような笑みを浮かべて、柔らかい銀髪の少年は顔を赤らめた。柱の陰から覗く侍女達が、かわいいっと興奮していることになど、気付いてはいない。一瞬にして侍女達の心をつかんだ少年は氷晶王国の第三王子だった。政治は兄達に任せて、彼は神殿に入ることを選んでおり、形式上は神官見習いに過ぎない。しかし、かなり自由が利く立場であるだけに、今回、叔父に同行することを願い出て、許されたのだ。彼は闊達な気性のこの叔父が大好きで、幼い頃からよく後をついて回っていた。
「とはいえ、油断するなよ、エルト。お前まで、こっちの女にとっつかまったら面白くないからな」
 彼らを案内する女官は北方語を知らぬのか、それとも、敢えて聞こえぬふりをしているのか、そんな会話を気にかけた様子はなかった。きびきびした足取りで磨き抜かれた廊下を先導して行く。
 廊下に並ぶ飾り柱の彫刻ひとつ取っても北方のものとは異なるが、何よりも相違を感じるのは風通しをよくするために窓を大きく取った造りだろう。明るく開放的な雰囲気がある構造はこの国の国民性によく合っているように思えた。
 国を出るのは今回が初めてという少年は見るもの全てが珍しいらしく、目を大きく見開いたままだ。母親譲りの大きな淡青色の瞳が転がり落ちるんじゃなかろうか、などとフェルサーレンは考えながら、王宮よりも、もっぱら甥を観察していた。
 謁見室に通されると、さすがに緊張するのだろう、伏し目がちになった王子に対し、王弟は堂々と顔を上げて玉座の女王を見据えた。
 つややかな黒髪の女王は彼の視線を真っ向から受け止めた。すぐに、その視線は礼を取るためにそらされたが、一瞬のうちで、フェルサーレンは、女王がその夫を手放すつもりはないことを見て取った。
 一時の気の迷いでなくて、結構なことだ。
 頭を垂れ、上げるまでの僅かな間に青年の唇に人の悪い笑みが浮かんで消えた。
 仰々しい儀式はなく、簡略に挨拶を済ませると、すぐに場所を移しての「歓談の席」に向かった。庭にある東屋でお茶を飲むらしい。そこで、ようやくフェルサーレンは異母弟との再会を果した。
「…幸せそうだな」
 初めての息子を腕に抱いた異母弟に向かって、かける言葉はそれ以外に見つからなかった。ある程度、予想はしていたが、子煩悩な父親そのものである。
「はい。フェルス兄上もお元気そうで何よりです。エルトゥール殿下もいらっしゃってくれたのですね」
 年若い甥にクルスがほほ笑みかける。
「お久しぶりです、クルス叔父上」
 少年は儀礼だけでなく、心をこめて挨拶した。彼は優れた神官である叔父を尊敬していた。無論、叔父が清廉潔白で温和な人間と信じてのことだ。フェルサーレンは少年の夢を無残に打ち砕くほど意地悪くはない。
「お前の息子を紹介してくれるか?」
「はい。アールディオといいます」
 フェルサーレンは甥の顔を覗き込んだ。生まれて一月が過ぎたばかりの赤子は目を開いて起きているものの、それほど動くことはない。
 小さな顔を見ていると、昔の記憶が刺激された。うんと幼い頃で、はっきりとは覚えていないのだが、フェルサーレンは生まれたばかりの異母弟を覗きに、乳母と数人の侍女しか出入りの許されぬ部屋に忍び込んだことがある。赤ん坊とは、ぐにゃぐにゃした生き物だという感想を抱いたことは記憶に残っていた。
「目許以外はお前に似ているな」
「そうでしょうか」
 口ではそう言いながらも、似ていると言われたことが嬉しい様子だ。
 息子でこれなら、娘でも生まれたら、大変なことになるだろう。
 甥に見え易いようにクルスが体を屈めると、少年は真剣な顔で小さな従弟の顔を見詰めた。
「…僕にはよく分かりません」
 困ったような顔でエルトゥールは言う。
「お前は子供の頃のクルスを知らないからな」
「さぞや、かわいらしい子供だったのだろうな」
 突然、降ってわいた声に少年はびくっとして竦み上がった。
 いつの間にか女王がすぐ近くまで来ていたのだ。背後には先刻まで護衛として控えていた女騎士とは別の女騎士が付き従っていた。女王と顔立ちがよく似ていることから、王妹と知れるが、その相似がなければ、決して王族とは思えぬだろう。近衛騎士の制服をまとい、帯剣した凛々しい姿は、故国で見慣れた着飾った姫君達とは対照的だった。
「多少は北方語を勉強したようだな」
「目の前で悪口を言われても気付かないというのは業腹だからな」
 いきなりの叔父と義理の叔母とのやりとりに面食らった様子でエルトゥールは立ち尽くしている。彼は二人が初対面だと思っているのだ。それでなくとも、この遠慮の全くないもの言いには誰もがぎょっとするだろう。
「陛下、エルトゥール殿下が困っていらっしゃいますよ」
 苦笑まじりにクルスが女王をたしなめる。
「…知らぬのか?」
 ちらりと琥珀の目で女王はフェルサーレンを見遣った。
「ああ」
「そうか。実はな、殿下。氷晶王国に出向いたのは我が妹でなく私自身なのだ」
 少年が目を真ん丸に見開くのを見て、女王はからからと笑った。少年の素直な反応が楽しいらしい。笑いを収めると、女王は双子の妹を紹介した。再び、エルトゥールが瞠目する。王妹が実際に近衛騎士をしているとは思っていなかったのだろう。氷晶王国では女性が何らかの役職に就くことはめったにない。
「それで、フェルス・アレン殿、何の用だ?」
 やはり北方語は話しにくいのだろう、大陸共通語に切り替えて女王は尋ねた。
「甥と弟の顔を見るために決まっているだろう。かわいい弟が虐待されていないか、心配でな」
 ふんっと女王は鼻を鳴らした。
「それで、見張り役を置くことに決めて、魔法士を五人ほど連れて来た。今頃、神官長に会いに行っているはずだ。若い連中ばかりだが、役に立つぞ。人選は北の山の神殿長がしたから確かだ」
 感謝の目を向ける弟にフェルサーレンは軽く頷いた。比較的魔法士の多い緑森王国との緊張関係を配慮しての派遣であることが聡い彼にはすぐに分かったのだろう。
「顔は?」
 面食いであることを公言して憚らぬ女王らしい発言である。フェルサーレンは、驚くことなく、その質問に答えた。
「並が三人、並の上が一人、特上一人」
「ほう、気が利くな」
 その女王の言葉にフェルサーレンは唇の端をわずかにつり上げた。
「特上の一人は若い娘だ。せっかくだから、クルス、手を付けてもかまわんぞ」
 ぎろりと女王がフェルサーレンを睨みつける。そういう男ではないが、仮にクルスが浮気したら、とんでもない騒ぎになるだろう。
「よもや貴殿の愛人が含まれているのではなかろうな?」
「俺は小娘には興味ない」
 このやりとりに、もはや言葉もなくエルトゥールは呆然としている。
 叔父がくだけた性格の人間だとは知っていたが、南陽王国の女王がここまでくだけた性格だとは知らなかったのだろう。女王に関して数々の噂が流れているものの、それらを鵜呑みにするほどエルトゥールは愚鈍ではなかった。だが、時として、事実が噂を上回ることがある。
 初めて王妹が口を開き、低い声で女王に向かって短くささやいた。南方語で内容はわからないが、女王を諌めたようだ。顔立ちは似ているが、性格はだいぶ違うとクルスが手紙に書いていた通りだ。
「ふむ、エルトゥール殿下には刺激が強すぎたかな」
 からかうように女王が言って見遣ると、エルトゥールは顔を赤らめてうつむいた。それから、ようやく彼らは王族らしい「歓談」を始めたのだった。


 その夜、およそ一年ぶりに再会した兄弟は水入らずで酒を酌み交わしていた。ひとしきり、家族や身近な人間の近況について話すと、フェルサーレンはさっさと自分自身の関心事に話題を移した。
「国内貴族どもの動きはどうなんだ?」
「今の所、さしたる動きはありません。…ただ一度、ディオを狙って刺客が送り込まれましたが、二度と手出しはできぬように徹底的に潰しました」
 わずかに皮肉げな笑みを唇に浮かべて、クルスは応じた。
 馬鹿な奴もいるものだ。クルサーディンという人間は、一度、我慢の限界を超えたならば、容赦しない。表面的には冷静を装っているだけに尚更、始末が悪い。突如、限界を迎えたあげく、静かに根深く持続的に怒るのだ。
「お前の方はどうなんだ?お前にも刺客が送られたか?」
「陛下がディオを身ごもった時点で随分、数は減りましたよ。しばらくは、うるさかったですが、諦めてくれたらしいですね。少なくとも、力押しではどうにもならぬと気付いたようです」
 腕利きの近衛騎士に警護された、これまた腕利きの魔法騎士を殺害することは、どう考えてもひどく困難なのだが、痛い目をみなくては分からない人間が多いのだ。
「いくら女王とはいえ、あんな性格の女を妻にするのは大変なことだと気付いただけじゃないのか?」
 どうでしょうねとクルスは軽く笑って、酒杯に口をつけた。
「お前は満足しているのか?」
「ええ。同じ刺客に狙われるのでも、何故、自分が狙われるのかはっきりしている分、対処しやすいですし。それに…今でも、時折、自分に他者の命を奪いつつ生きる必要があるのか疑問に思いますが、陛下が私を必要としてくださる限りは殺されてやろうという気にはなりませんから」
 …聞いた俺が馬鹿だった。
 フェルサーレンはこっそり溜息をついた。
 息子を抱いている時のあの顔を見れば、こいつがここでの生活に満足していないはずがないのだ。手紙でも、多分、本人は気付いていないのだろうが、のろけていてくれたし。まあ、十分、幸せにやっていることを実際に目で確認できただけでもよしとしよう。
 表には出さぬものの、兄王も末弟の身を案じていることは知っている。兄夫婦に教えてやれば、さぞや安堵することだろう。
「噂どおり、喜んで女王の尻に敷かれていると兄上達に知らせておいてやる」
「…そういう噂が向こうでも流れているのですか?」
「流れているとも。飽きもせず、よく猫をかぶり続けるものだな」
「そのほうが何かと都合がいいんですよ」
 実際にその通りだとも言えますしとクルスは笑った。
「エルトなぞは、お前が肩身の狭い思いをしているのではないかと本気で心配していたのだぞ?」
「優しい子ですからね」
「お前と似ていると一部では言われているが、俺はそれを聞くたびに噴き出すのをこらえるのに苦労している」
「実害があるわけでもないのですから、かまわないでしょうに」
 平然と応じる弟にフェルサーレンは小さく苦笑をこぼした。
 氷晶王国では、彼のこのような態度を見て仰天する人間が少なくはないだろう。
「まあな。それにしても南の酒は弱いな。飲んだ気になれん」
 物足りない表情でフェルサーレンは酒杯に目を落とした。さっぱりしていて口当りの良い果実酒なのだが、火のような酒に慣れた北の人間には、あまりに軽すぎる。
「強い酒を御所望でしたら、トーヴァ殿をお訪ねになればいかがです?大陸中の酒を集めていると専らの評判ですよ」
「ふむ、悪くないな」
 一癖も二癖もある女神官の顔を思い出しながら、フェルサーレンは頷いた。
 あの女神官からは色々と聞き出せることだろう。女王をからかうネタを仕入れることもできるやもしれぬ。
 だが、エルトは連れて行かない方が良い。刺激が強すぎる。
 フェルサーレンの頭の中では女神官と女王は南陽王国における二大刺激物として認識されていた。

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