女王と騎士

王宮の日常-招かれざる客-(2)

朝の庭を氷晶王国の王弟は甥を連れて散策していた。王宮内は自由に歩き回って良いと女王直々の言葉があったからであるが、ここまで開放的なのは南陽王国くらいのものであろう。ちらほらと警備をしているらしい騎士見習いの姿が目に入るが、ものものしい雰囲気は全くない。
「彼らはもう責任のある仕事に就いているのですね」
 自分とさほど年齢の変わらぬ騎士見習い達を見ながら、どこか羨ましいような顔でエルトゥールが言った。
 責任ある仕事、か。
 フェルサーレンは視界に入った光景にふんっと鼻を鳴らした。
 彼の視線の先で、女王と騎士見習い達が並んで池のほとりにしゃがみこんでいる。
「女王の相手をするだけでも、大変な仕事だとは思うがな」
 何やら遊んでいる様子の女王達とは、やや離れた場所に近衛騎士の青年がたたずんでいる。クルスに十分対抗できる美貌の青年は彼らに気付くと、軽く会釈した。西方の血を継いでいるのか、長い睫毛に縁取られた瞳は淡い紫色だった。
「あれは、何をしているんだ?」
 こちらに背を向けたまま、何やら騒いでいる女王に目を遣りながらフェルサーレンは尋ねた。
「カエル取りです」
 美貌の主は自明の理とばかりに淡々と答えた。
「…なんだって、そんなことを女王がするんだ?」
「小さなカエルが手の平の内側でぴょこぴょこ跳ねる感触が面白いと騎士見習いから、お聞きになったそうで、早速、試すことにしたそうです」
 微妙に論点がずれている気がしたが、フェルサーレンは追及するのは止めておいた。
 そもそも、あの女王を常識にあてはめようとする行為自体が間違っている。
 しかし、年若い甥は彼のように割り切れなかったらしく、非常に複雑な表情を浮かべていた。
「エルト、理解しようなどと思うな。自分とは違う生物だと思った方がいいぞ」
「…でも、クルス叔父上の配偶者じゃないですか」
 だから、そのクルスもお前とは違う生物なんだとフェルサーレンは心の中でつぶやきつつ、とりあえず、別の言葉を用意してみた。
「クルスの許容範囲は広いんだ」
 かなり偏った方向に限定されるが、と、これまた心の中で付け加える。
 少年は、深く考えたくなかったのか、一応、納得した様子であった。
「いいか、エルト。自分の尺度ですべてのものを見ようとするな。世の中には自分の尺度では測れぬものがごろごろしているんだ」
 そのいい見本は、未だ彼らの存在に気付かずに、おたまじゃくしから、ようやくカエルに変化したばかりの小さなカエルに熱中している。
「妙な噂が先行しているのは事実だが、あれでも、君主としては比較的高い評価を得ている。もっとも、俺は臣下の連中がしっかり支えているからだと思うが、そうした人材を集めるのも一種の才能だな」
 フェルサーレンは甥を促し、再び歩き始めた。


 ひょっとすると、この国ではクルスの奴は白髪と思われているかもしれん。
 神殿で育てられている子供達が自分の金髪にもの珍しげな目を向けるのを見ながら、フェルサーレンは考えていた。
 彼をこの小神殿に案内してきた近衛騎士の若者は子供達に懐かれているらしく、幼い子供達にまとわりつかれている。若者は身寄りのない、神殿育ちだというから、いかに女王が身分にこだわらず近衛騎士を取り立てているかが知れるというものだ。
 この小神殿を預かる女神官は本神殿で開かれる神殿会議に参加しており、間もなく帰って来る筈だが、真っすぐに帰って来るかどうかは非常に怪しいという。本人いわく、「神殿の教えに背く者達を正道に引き戻すべく、日夜努力している」からである。人の道を外れた者に、かける情けはない、と言い切っている女神官は夜な夜な市中を徘徊し、己の信ずる道を突き進んでいるらしい。しかし、この日は真っすぐに女神官は彼女の神殿へと帰って来た。
「いい男が待っているとの知らせを受けまして」
 神殿会議が通常よりも長引き、じじいどもの顔を見るのにうんざりしていたところに、女王から知らせが入った、という。神殿会議は高位の神官のみで形成されるもので、当然というべきか、年配者が多いのだ。
「して、何用であらせられますか?」
「クルスの奴にいい酒なら、女神官殿のところにあると聞いたので足をのばしてみた」
 女神官の目が輝き、神官見習いの少女が呆れた顔になった。また、お酒ですかとでも言いたげな顔をしている少女は、しかし、もはや諦めているのか、何も言わなかった。
「では、秘蔵の酒でおもてなししなくてはなりませぬな」
 女神官は喜々として、酒席の支度に取り掛かった。


 おかしい、と、窓に張り付き、繰り返しつぶやく双子の姉にアシュリーズは声をかけた。
「どうしたんだ、ラーナ?おかしいのはラーナの方だぞ」
 いつもおかしい姉ではあるものの、やはり、おかしな行動を取ればおかしく見えるものである。
「フェルス・アレン殿が元気なんだ」
 氷晶王国からの客人達は息子を抱いたクルス・アディンとともに庭を散策しているところであった。この国では珍しい金髪と銀髪の三人組がそぞろ歩く様は人目を引くらしく、騎士見習いや通りすがりの侍従・侍女達までも足を止めて彼らを眺めている。乳母もいるというのに、クルス・アディンが子守をしていることに違和感を覚えているわけではない。
「何故、王弟殿下が元気だと、おかしいんだ?」
「おかしいに決まっているだろうっ!ゆうべは、あのトーヴァと一緒に酒を飲んだはずなんだぞっ」
 大酒飲みの女神官と共に酒を飲んだら、酔い潰されるというのが王宮ならび王都における常識である。
「北の人間は酒に強いだろう?クルス・アディン殿だって、酔わせて情報を引き出そうとする狸ども相手に平気な顔で杯を重ねている」
「だが、相手は狸ではないぞ?うわばみだぞ?」
 女王は納得しかねる顔だ。さては、王弟を酔い潰し、弱みを握るなり、なんなり、しようとたくらんでいたなとアシュリーズは見当をつけた。その理由も察せられたが、敢えてたしなめようとは思わない。下手につついて薮蛇になれば、たまったものではない。南陽王国の王妹は沈黙を保つことに決めた。
 こうして夫から、その異母兄を引き離すことに失敗した女王は、その滞在中、夫の顔を眺める時間を大幅に減らされ、機嫌を大いに損ねることになった。それゆえ、とばっちりを受けた文官達の、どこか恨めしげな視線がフェルサーレンの周囲を漂うことになったが、気にするような神経の細やかさを彼は持ち合わせていなかった。


 女王の魂をよき方向へと導くべく王宮を訪れた女神官は女王にいきなり責任を問われた。その内容は、何故、フェルサーレンを酔い潰さなかったのだ、というものである。
「私が陛下に命じられた任はフェルサーレン殿に酒をとことん飲ませろ、と言うものでしたが?彼が酔い潰れなかったといって、私を責めるのは筋違いと存じますが」
 けろりとした顔で女神官は答え、紙片を女王に差し出した。
「なんだ、これは?」
「ご覧の通りの請求書でございますよ。陛下の御命令に従い、私どもの神殿で王弟殿下をもてなしたのですから、その費用は陛下にもって頂かねば」
「この量と金額は何なんだっ!半分はそなたが飲んだのであろうがっ」
「ですから、それが半分なんです」
 涼しい顔でトーヴァは応じる。
「お疑いならば、シェイド殿にお確かめになるとよろしい。私の一晩の酒量はそのくらいだと証言して下さいますよ」
 女王は請求書をつかんで立ち上がった。
「いったい、そなたの胃袋はどういう構造になっているのだ?」
「さて?底が抜けておるのかもしれませんね」
 体の中を流れているのは赤い血ではなく酒だと言われている女神官は落ち着いた態度で女王を見送った。

 突如として現れた女王に氷晶王国の第三王子は驚きの目を向けたが、女王の夫も、彼に同行している近衛騎士の青年も、慣れているのだろう、みじん足りと動揺を示さなかった。
「フェルス・アレン殿、貴殿は本当にこれだけの量を飲まれたのか?」
 突き付けられた紙片には数字と単語がいくつか書き付けられていた。南方語を学んだことはないが、測量単位は大陸中ほぼ共通しているので、おおよその意味はフェルサーレンにも飲み込めた。しばらく考えた後に、こんなものだなとフェルサーレンは頷いた。
「あれは北でもなかなか手に入らぬ銘酒だった」
「兄上なら、これくらいは飲まれるでしょうね」
「…北では皆、このくらい飲むのか?」
「皆とは申せませんが、酒豪と言われる人間なら、このくらいは飲むでしょう」
 なんでもないことのようにクルスは言った。
「それよりも、これはトーヴァ殿が持っていらしたのですか?あの神殿にある酒はほとんど『寄進』されたもののはずですから、この請求額は支払いかねますね」
 すでにクルスの関心は別のところに移っている。
 エルトゥールはそんな叔父を見ながら複雑そうな表情をしていた。
 あの女神官は半ばゆすり取ったものも、「寄進」と称しているらしいとフェルサーレンは小さく笑った。
「むっ。トーヴァめ、このところ私が相場を知らぬと見てふっかけおったな」
「だからといって、お忍びに出掛けるなど、駄目ですよ」
 クルスは請求書を眺めながらも、逸速く釘をさす。いいじゃないか少しくらいとぶちぶち文句を言う女王の声は耳に入っていないようだ。
 クルスが女神官と交渉すべく、女王とともに去って行くと、エルトゥールは実に不可解そうに眉を寄せて質問を発した。
「…女王の夫というのは、細かな財務にも関わるのですか?…ついでに育児も担当するものなのですか?」
 エルトゥールと顔を合わす時、常にクルス・アディンは幼い息子を腕に抱いていた。一方、女王が息子を抱いているところは見たことがない。
 その問いに、フェルサーレンは南陽王国が特殊なんだ、と、きっぱり答えておいた。


 南陽王国の王宮に数日滞在した氷晶王国の第三王子は若い叔父に対する認識を改めたようだった。ようやく、見かけは線の細い、優しげな青年が実はかなりの食わせ者であることに気付いたらしい。少々、自分は騙されていたのだろうかと悩んだようだが、自分が目にしていたのは叔父の一面に過ぎなかったというだけのことだと理解したらしい。もともと鷹揚な性格なので、こだわることはなかった。そんな甥を見ながら、もう少しあちこち引っ張り回した後、自分の後継者に指名してみるか、などとフェルサーレンは考えていた。
 人間の器を見るには、この王宮に連れて来るというのも一つの手かもしれない。
 思考に柔軟性がなければ、とてもでないが、この王宮に長居することなどできまい。
 厭そうな顔をする女王を無視して、また来ると異母弟に言って、フェルサーレンは南陽王国を後にした。
 彼らが王宮を去った時、女官や侍女は名残惜しみ、文官達は両手を挙げて喜んだという。女王の機嫌が直り、女王の夫が通常任務に戻った王宮はつかの間ではあるが、久しぶりの平穏を迎えることになった。


おわり

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