女王と騎士

祭月

 この大陸の暦では冬至の日が一年の終わりであり、その翌日の日の出からが新年である。年が明けた数日間は「初月」と呼ばれ、暦を調整するために年によってその長さは異なるが、一年は十二月とこの初月によって成り立っている。初月は「祭月」とも言い、どの国においても新年を祝う祭が開かれた。
 新年を迎える前日、人々は日没前には帰宅し、身を清め、一年で最も長い夜を静かに過ごす。どの神殿においても新たなる年に向けて神の加護を願い、夜に祈祷式が開かれるが、中でも陽神殿においては、夜通し祈祷が行われ、神官達は陽の女神の再来を乞い願う。君主もまた、それぞれの国の守護神に祈りを捧げるのが常だった。

 南陽王国の王宮内にある小さな礼拝堂では幾本もの蝋燭が灯されていた。幾つもの灯りによって生み出された影が、香油を練り込んだ蝋燭から漂う香りに満たされた空間でゆらゆらと揺れている。
 国王父娘は祭壇の前に並んで座っていた。
「…つまらぬっ」
 言うなり世継ぎの王女は祈祷書を敷物の上にほうり出した。
「これも君主の務めぞ。つまらぬからと言ってほうり出して良いものではない」
 厳しい顔で父王は諌めるが、王女に効き目はない。
 それどころか、
「ということは父上もつまらぬと思っておるのだな」
 と揚げ足を取る始末。
 国王は無言でげんこつを娘の頭に落とした。
「よいか、アシャラーナ。例え心底つまらぬと思っておっても、国王の務めを人前でつまらぬなどと言ってはならぬぞ。その『つまらぬ務め』を代わりたがる者はいくらでもおるが、やる気のない国王についていく臣下はおらぬ」
 聞いているのかいないのか、王女は頭をさすりながら、恨めしげに父王を見上げた。
「務めをさぼりたくば、良い臣下を得ることだな。ついでだから言っておくが、そなたが拾って来た若造、オルトとか言ったな。あれは直接、政務の役に立つことはないぞ」
 王女の外出時専用の護衛騎士などとは、顔を合わす機会をほとんど持たない国王であるが、誤たずにその本質を見抜いている。件の騎士は今現在、ほとんどの人間が自宅で慎ましく過ごす夜を、無頼者どもにまじって酒場で騒いでいた。
「あれにそのようなことを期待するほど、私も愚かではないぞ、父上」
 胸を反らして、アシャラーナは堂々と言い切った。
「ならば良い。されど、以前に申し渡した人材集めの件はうまく進んでおらぬようだが?」
 国王は娘に十四才の誕生日までに、「使える人間」を最低でも十人以上集めておくようにと言い渡してあるのだ。もし、これを達成できなければ、国王が選んだ男達の中から婿を取らねばならず、そのためアシャラーナは人材集めに日々励んでいた。なにしろ、アシャラーナは面食いであり、国王の選んだ婿候補の中には彼女が満足のゆく容姿の持主がいないのである。顔がいまいちだから厭だなどという王女の反対理由は国王に一蹴されている。
「…父上、将来性を見込んでいる人間を数に入れては駄目であろうか?」
「ほう?かまわぬが、確実にそなたの下に来るのであろうな?」
「約束は取り付けた。なにしろ、私が生まれて初めて完全なる敗北を認めた相手だからな、他の人間に渡してなるものか」
 妙に気負った表情でアシャラーナは拳を握り締める。
「そなたが負けを素直に認めるとは珍しい」
「私もそう思うのだがな、父上、私の審美眼は決して揺るがぬものなのだ」
 怪訝な表情を宿した父親に向かってアシャラーナは言葉を重ねた。
「父上も会えば驚かれることだろう。真に生きているのが信じられぬほどの美少女ぶりなのだ。私もそれなりの自負を持っていたが、上には上がいるということを思い知らされた。おまけに悔しいことに、その者、男なのだ。運命神のいたずらとはこういうことを言うのであろうな、父上」
 大真面目な顔で説明する娘を眺めながら、一体、この面食いぶりは誰に似たのであろうかと国王は真剣に考えた。自分も亡き妻も面食いではなかった。確か祖父あたりが、美女に弱かったという話を耳にしたことがあるが、彼の場合は、ただの女好きと言える。
「念のため聞いておくが、選抜条件は何だ?」
「有力家の出でないこと。意志の強い人間であること。馬鹿でないこと。ちょっとやそっとでは殺されぬ人間であること」
 さすがに「顔がいいこと」を条件に加えるのは控えたらしい。
「今、何人集めた?」
「五人。後一人、目をつけていたのが学院にいたのだが、惜しいことに卒業して領地に帰ってしまっていた。顔も頭もいい騎士能力保持者だったのに…」
「どこの家の者だ?」
「ロー…ローエルと言ったかな?西の小領主家の息子で、うってつけの人材なのだが、弱みが見つからず、探っているうちにいなくなってしまった」
 ローエル家の息子とはな…。
 妙なところで縁があるものだと国王はわずかに口元を緩めた。
 ローエル家には、今現在、王のもう一人の娘が預けられている。その存在はごく少数の重臣が知るのみで、その身の安全のために、連絡すら取っていない。世継ぎの娘の情報網は地方領主の内情を探り出すことなど容易にできる力を持つ筈だが、ローエル家の息子は余程にうまく立ち回っているようだ。
 惜しいことをしたと繰り返す娘を眺めながら、国王はゆっくりと口を開いた。
「…良い機会だから、そなたに言っておこう」
「何を?」
 お説教をくらわせるのではなかろうなと警戒する目をアシャラーナは父親に向けた。
「そなたには妹が一人おる」
 はっとアシャラーナは息を飲むと同時に父譲りの琥珀の目を見開いた。
「どこの女に生ませたのだ、父上っ!」
 胸倉につかみかからんばかりの勢いでアシャラーナは父親に詰め寄った。
「そなたの母に決まっておろうが」
「何を言うか父上!私を生んだ後に母上は体を壊したのであろうがっ。その母上にまた子供を生む体力があろうはずがないっ」
 頭から嘘だと決めてかかる娘に父親は苦笑をこぼした。
「そなたも頭が固いな、ラーナ」
「なにをっ」
「そなたと同じ日に生まれた妹がいるのだ。要するに双子の妹だ」
 目を見張ったまま、アシャラーナはまじまじと父親を見詰めた。
「何故、黙っておられたのだっ」
「理由もわからぬのか、アシャラーナよ」
 揶揄を含んだ声音で問い返され、アシャラーナは黙り込んだ。いまいましげに父親を睨みつけ、ほおを膨らませる。
「…今、私の妹はどこにいるのだ?」
 国王は唇の端をつりあげ、床の上に落ちている祈祷書を指差した。
「知りたくば、それを拾って、残らず祈祷文を読み上げよ」
 自分の欲求に素直な王女は知りたくないなどと意地を張ることはなく、自分が先刻投げ出した祈祷書をおとなしく拾い上げると、不満のありありと表れた声で祈りの文句を読み始めた。
 祈りの声を聞きながら、国王がその責務をさぼるためには後継ぎをもうけるのが一番有効だと娘に伝えるのを、いつにしようかと南陽王国の王は考えていた。


 国王によって政務に関しては全くの役立たずと断じられた騎士はそれを証明するかのように、とある居酒屋で品のない男達にまじって酒を飲んでいた。服を着くずし、安酒を煽り、げらげらと笑い転げる姿はどう見ても王宮に仕える騎士には見えない。そして、本人もその自覚がなく、主を持たぬ流れの騎士さながらに振る舞っている。だが、それでも、オルト・マフィズは間違いなく王宮に登用された南陽王国の騎士であった。
「なんであんたがここにいるんだよっ」
 オルトは冷たい外気とともに店内に入って来た人物の姿を見るなり、腰を浮かして叫んでいた。もう少し、酒が回っていなければ、間違いなく、一目散に逃げ出したところだ。もっとも、仮に逃走をはかったところで、逃げられる可能性はごく低い。
「今頃、神殿で祈ってるはずだろっ」
 長身の女神官は青い目を細めると、ずずいとオルトに近付いた。
「新年を迎えるにあたって、ぜひともやっておかねばならぬことがあってな。おぬしにも手伝ってもらおうと思って、わざわざ探しに来てやったのだ」
 むんずと胸倉をつかんで女神官は口元に笑みを浮かべたまま、オルトを睨み据えた。
「おぬしも手伝いたくて仕方なかろう」
「いや、全然」
 鈍い音がして、オルトは体をくの字に曲げかけたが、女神官につかまれたままなので果せず、妙に中途半端な姿勢で硬直した。
 女神官の長い裾がはらりと揺れて元の位置に収まる。
「麗しき陽の女神の御尊顔を再び拝みたいであろう?」
 女神官は更に深く笑みを刻み、冷たい青い瞳でオルトを見据え、オルトは言葉もなく、かくかくと首を縦に振った。
 どうやら、この女神官は非常に虫の居所が悪いらしい。逆らったら、自分の命が危うくなりそうだ。
 オルトにとって、生命は自尊心よりも優先されるものだった。
 女神官の手で居酒屋から、ずるずると引きずり出される騎士を男達は気の毒そうに見送ったが、誰一人、制止しようとする者はいなかった。


 領内に神殿のない小さな領地では領主の館において年迎えの祈祷式が開かれる。そして、夜明け前から集まった領民とともに祈りを捧げ、陽の女神を迎えた後に、領主がそれぞれの家長に神殿で清めてもらった聖木の枝を渡すのが慣例であった。
 微かに銀色がかった柔らかな緑の枝をローエル家の主が祝いの言葉とともに領民達に渡すのを、琥珀色の目の少女は物珍しそうに眺めていた。
「あれは家に持ち帰った後、葉の二、三枚を酒や茶に混ぜて飲み、残りを戸口に飾るんだ」
 彼に向かって頭を下げる領民達に軽く会釈を返しながら、ヴェルシュは説明した。ローエル家の遠縁の娘と紹介されている少女は、新年の祝いだからと、奥方の手によって珍しく長衣を着せられているために、訪れた人々の目をひいている。明日以降は近隣領主達が挨拶にやって来るだろうから、長衣は着せるべきではないなと彼らの反応を見ながらヴェルシュは考えていた。
 貴族達の好奇心をそそるべきではないし、ひょっとすると、「王女」の顔を見たことがある人間がいないとも限らない。
「何のために?」
「厄除けだ。あの葉には解毒効果があるから、まんざら迷信というわけでもない」
 なるほどと少女は頷いた。
 その拍子に小さな音を立てて髪飾りが揺れる。
 アシュリーズはわずかに顔をしかめた。姫君らしい恰好も似合うのだが、本人はひどく違和感を覚えているらしい。何故、こんな服を着ないといけないのだと不服そうだ。
 これでウェイが、よく似合っているとか、かわいいとか言えば、長衣も着るようになるかもしれないが…。
 そこまで考えて、ヴェルシュは苦笑をこぼした。
 そのようなことを言うウェイはすでにウェイではない。もしもそのようなことをウェイが言ったならば、アシュリーズだけでなく、自分も本気でウェイの頭の具合を心配せねばならないだろう。
 そのウェイは、どこか不機嫌そうな顔で部屋の隅に控えている。いつもと変わらぬ無表情ぶりではあるのだが、来客が多く、侵入者の気配がつかみにくくなっているために神経を尖らせているのだ。何を考えているか、さっぱり分からないと言われているらしいが、ヴェルシュにはひどく分かり易い人間だ。もっとも、何を考えているかは分かっても、何故、そのように考えるのかは分からないところがあるのだが。
 今年は一度アシュリーズを王都に連れて行く予定だ。ウェイは何も言わないが、さぞかし気をもんでいることだろう。ウェイはアシュリーズに関する限り、極端なまでに用心深い。
 だが、彼は彼なりに幸せなのだろうと結論づけると、ヴェルシュは視線を若者から離し、注意を客達に戻した。


 王都の裏路地で行き倒れている騎士がいた。正確に言えば、疲労困憊して座り込んだきり動けなくなっているのである。神殿参詣から帰る途中、その存在に気付いた少年は足を止めてしばらく見詰めた後、口を開いた。
「何してんだ?」
 のろのろとオルトは顔を上げ、見目麗しい少年の顔を見いだした。
 新年早々、目にするには縁起がいいような「美人」だが、これが男なのだから実は縁起が悪いのかもしれない。
「…ルーか。あの破壊女神官の『大掃除』を手伝わされたんだよ。新年を迎える前に片付けないと、年を越せなくなるぞって脅しやがるんだぜ?」
 そういうことかと一見、美少女にしか見えない少年は頷いた。
「どうりで朝から馬鹿を見かけねぇわけだ。寄るか?あんたは姐さん達に気にいられているから、祝い酒くらいにはありつけるだろうよ」
 ただ酒にありつけると聞いて、じっとしているオルトではない。
「行くっ」
 途端に元気になって立ち上がったオルトをルーダルは頭からつま先まで見回した。
「せめて着替えねぇと、姐さん達にわめかれるぜ?」
 埃と返り血にまみれた自分の体を見下ろし、オルトは肩を竦めた。
「細かいことは気にすんなって」
「全然、細かくねぇだろ。そんな汚いなりじゃあ、姐さん達が許しても、お袋にたたき出されるぜ」
「…仕方ねぇなぁ」
 下町にあるねぐらに一度寄って着替えてから出直すしかない。なにしろ、ルーダルの母親が経営する高級娼館には極上の酒がおいてあり、それだけの手間をかける価値があるのだ。
 後からすぐ行くと言い残して歩き出したオルトを見送りながら、ルーダルはわずかに首を傾げた。
 こうやって、すぐ厭なことを忘れるから、女神官にこき使われるんだよな。きっと、今年もいいように使われることだろう。
 オルトを見かけたら酒を飲ませてやってくれと神殿で女神官から金を預かっていた少年はひょいと肩をすくめて、自分の「家」へと足を向けた。

 南陽王国の世継ぎの王女は実に心地よさそうに眠っていた。
 柔らかな寝具の上で眠ることに慣れているはずだが、敷物を一枚敷いただけの床の上でも十分に眠れるらしい。
 国王は礼拝堂に入って来た女神官と目が合うとにやりと笑った。
「どうやら鼠とりはうまくいったようだな?」
 自らも騎士能力を備える国王は礼拝堂周辺を取り巻いていた不穏な気配が昨夜のうちに一掃されたことに気付いていた。
「ええ。陛下にも手伝っていただこうかと思ったのですが、シェイド殿に渋い顔をされまして。騎士である陛下はともかく殿下を危険にさらすのはよろしくない、と」
「ふむ。人手は足りたのか?」
 数人なら相手をしてやっても良かったのだがと思いながら、国王は問うた。
「妖怪白狸がおりますから。それに王都の方では半野良の猫がよく働いてくれましたし。ですが、人手はぎりぎりと言うところでしょう。まだ増やしていただかねば、思うようには動けませぬ」
「そうか。…ああ、起こさずともよい。しばらく眠らせてやってくれ」
 祈祷書を枕代わりに眠っている王女を起こそうとした女神官を国王は止めた。
「双子の妹のことを教えてやったならば、質問づくしでな。眠ったのは明け方前だ」
 おや、と女神官は眉を上げた。
「もう話されたのですか?」
「アシャラーナめ、ローエル家の息子に目をつけておってな」
 下手につつかれては困るのだと国王は笑いを含んだ声音で言った。
「その息子、顔がよろしいのですね」
「うむ」
 女神官はアシャラーナという人間をしっかりと把握している。
「さて、陛下、私の仕事をさせていただきます」
 女神官はそう言うと、露のおりた聖木の枝で国王の頭を軽く撫でた。
「随分、手抜きの『清め』だな」
「要は気持ちの問題です」
「気持ちがこもっているのか?」
 そうは思えぬとばかりの国王の口調に女神官は薄く笑った。
「陛下の信仰心と同じほどには。皆が陛下の御言葉を待ち兼ねております。どうぞ、謁見の間へ」
 女神官にさらっと切り返された国王は少々決まり悪そうな顔をしながら戸口に向かった。途中、振り返って、国王は言った。
「アシャラーナを頼むぞ」
「心得ておりますが、その御言葉、後悔なさりますな」
 澄まし顔で応じる女神官に国王は苦笑をこぼした。
 この女神官を王女付きの「魂の導き手」に任命したことについて、重臣達からしばしば苦情を寄せられているが、国王に罷免する気はさらさらない。やがて国を治めるだろう娘には、ずけずけと欠点を指摘する人間が必要なのだ。
 礼拝堂を出ると、控えていた騎士の一人が一礼した。彼は王女の守り役である。
「アシャラーナを部屋に運んでやってくれ。…王宮の外に遊びに出かけるつもりでいたようだが、夕刻まで眠らせておいてよいぞ」
 王女が目を覚ませば悔しがるだろうが、護衛につかねばならぬ騎士にしてみれば、王女が王宮で大人しくしているに越したことはない。微かに笑って騎士は頷いた。
 後日、にぎわう王都で存分に飲み食いして、「祭月」を楽しんで帰ってきた騎士に、世継ぎの王女は、これまた存分に八つ当たりしたのだが、守り役は見て見ぬ振りをしていたという。


 新年の最初の夜、王宮で開かれた宴の席で世継ぎの王女は不機嫌な顔をしていた。
 昼間、眠っていたために王都に出かけることができなかったことも原因の一つであるが、最大の原因は列席者に「見目良い者」が少ないことだ。
「…つまらぬ」
 ぼそりとアシャラーナがつぶやく。
「父上、どうして、もっと見栄えのする顔の持ち主を登用せぬのだ」
「私は見栄えのする顔の持ち主がいなくとも、いっこうに不都合は感じぬ。そなたが登用して、身近に置けばよかろう」
「すぐに集められるならば、苦労はせぬ」
 国王は微かに眉を寄せた。顔だけ良い人間ならば、集めるのはそう難しくないはずだ。
「…そなた、やはり、例の選抜条件に『顔が良いこと』を加えているのではないのか?」
「何をおっしゃるのだ、父上。そのようなことが選抜条件になるはずがなかろう」
 ふんっとばかりに王女は顎をそらした。
「ただの前提条件に過ぎぬわ」
 南陽王国の王女は筋金入りの面食いだった。
「…そなたの好きにせよ」
 国王は苦笑混じりに言うと、王座の前で跪く貴族に向かって鷹揚に頷いて見せた。
 貴族達の挨拶は夜半過ぎまで続き、途中から王女は目を開けたまま眠っていたのだが、それに気づいたのは父王と守り役のみで、何も知らぬ一部の貴族は姿勢を崩さぬ王女に賞賛の目を向けていたのであった。